座敷牢、という言葉が残るぐらいには
人は人をなんとも思っていない
とにかく逃げ出したかった
空は青く風は冷たく花は咲いて雨が降った
悲しさや喜びといった感情を持つことが
生の証明ならとっくに死んでいる
座敷牢の中で
神様が創った壮大な檻の中で私は
たまねぎ、マトリョーシカ、フラクタル、レプリカ、
ひとつのコピーとして意味もなく目を閉じて
あなたと私が違うことを信じたかった
信じられればきっと見えなかった扉も存在する
全ての嘘つきが夢見た楽園で
何にも閉じ込められない魂がはばたく
壊しても、殺しても、奪っても、裏切ってでも、
死を畏れては学ぶ
きっと世界の何処かであなたを思い
鍵だけを握り締めて、どうしていいかも分からずに
開けたがっているのだ
あなたと私の空を隔てるものを
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 1145.4
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作成日時 2023-02-19
コメント日時 2023-02-23
#現代詩
#縦書き
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2024/11/21 23時22分48秒現在
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一部の偏った人にとっては、牛舎って牛の座敷牢だよなと思ってしまった牧場従業員です。 思わず思考がそれに捕らわれたので、そういう返詩を。 なんだかすいません。こういう目にしばしば遭うんです。 牛は人の事を何とも思っていない とにかく逃げ出したかった 空は青く風は冷たく花は咲いて雨が降った 花を反芻しながら 喜びを発揮し駆けだしていく 牛舎の中で 人々の英知により交配された子牛は 麦稈 稲藁 ヘイキューブ 配合飼料 意味を微かに覚えながら 疾走し 遥か高い扉を飛び越えた 叫んでも 手を伸ばしても 大勢でも 投げ縄使っても 子牛は軽快に逃げていく ここが この世界がどうなろうと考えもせず 自由を握りしめて 牧場内を激走する まだまだ走りたがっている 従業員の苦労を知りもせず 牛と労力が隔たっている
0はじめまして。 この詩を読んで、誰かから、心理的な支配を受けているかのような印象を受けました。 その支配の中で「あなた」は「私」に対して、自分と同じであることを求めている。その圧力のもと、「私」は感情を押し殺して身体を生き延びさせていると、そんなふうに読めます。 だから、 あなたと私が違うことを信じたかった 信じられればきっと見えなかった扉も存在する ということなのでしょうが、そうなると、最後の二行がわからなくなる。 違うことを信じたいのに、なぜ、あなたと私の空を隔てるものを開けたがっているのか。 おそらくこの場合の「開ける」の意味は、扉や窓を開けるようなことではなく、箱を開けるようなことなのでしょう。 英語で言えばopenではなくdiscoverに近い意味なのだと思います。 と、こんなふうにこの詩を読んだのですが、もしかしたら全くの見当違いかもしれません。
0座敷牢、という言葉が残るぐらいには 人は人をなんとも思っていない ここ、ちょっとよく分かりませんでした。 部屋に閉じこもり「あなた」に思いを馳せている。 部屋の外にでてもそれは精神的には変わらない。 そんな雰囲気で読みました。
0牛は牛乳を生産するので、閉じ込められて何も出来ない状態は同じでも、 人間が言う座敷牢よりもっと残酷ではあるかも、と思います。 返詩有難うございます。面白かったです。
0コメント有難うございます。 単刀直入にお話すると、心理的な支配を受けているのはどちらも同じで、ある意味対等な関係なんです。AはBを支配し、BはCを支配する。たまたまここで書かれているのが後者で、どちらにせよ何某かの檻の中にいる現状から、全てを自由にしたいと思っての「鍵」です。 支配者は同じであることを強要している、というコメントに共感しました。有難うございます。
0この話者が、檻の中に入れられてもまだ人のことを思っている、 というのが分からないぐらい、 心無い人間が世の中には存在するという意味で書きました。 他人を思いやる力がない。 なので、これは自分をちょっと特別だと思っている人の話です。そういう所が鼻につくかもしれません。 あなたと私は違うという認識から始まって、理解はその先にあるような気がしています。
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