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駆け付け
夜 電話が鳴る すぐに支度し 駆け付ける 呼ばれたあの向こうにいるのは 自分自身だ かつて 善き人の 善き言葉で 善き行いで 良き導きで 初めて呼吸をまともにできた 今 苦難を抱える手足を引きずり 回らぬ頭を無理に駆動させ まだ見ぬ誰かの元へ 駆け付ける 救えぬ我が身を 他を救う事で 救え まだ見ぬ何者かよ その呼吸を止めず 続けていてくれ 極寒の夜に 街灯が照らす ダイヤモンドダストが咲いている 善き物をまだ見ていない この世に生きているのだ 善き何かに 触れてくれ 息を煙として上げて この夜に行く
駆け付け ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 676.0
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2023-01-31
コメント日時 2023-02-02
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
すみません、なんだろう、最近、過去を変えることはできると思うようになったんですよね。私にとっての幸福とは、過去の私が幸せであることであり、過去を変えることはできないから、それは決して叶わず、だから私は幸福になれない、と考えていました。でも、過去を変えることはできるんですよね。変えてはいけないと思うのですが。そこが、バランス感覚が難しい。そういう考え事を以前していたことを思い出しました。 ただ、私は会社員になってから、完全に「善」というものについて考えるのはやめてしまいました。笑 なんだろう、てめえら人間じゃねえって言いながら仕事してるんですよね。ようするに、私は自分がどんな世界で生きているのか、いまだに、全く理解できていないのです。私は自分の行動が善か悪かを、以前よりも数兆倍の精度で計算できるようになりました。しかし、他人を評価することは、まったくできません。善悪もわかりません。本音を言うと、私はそれが漠然と恐ろしいです。 すみません、人生相談みたいになってしまいました。ごめんなさい。
0どうやらこの作品をきっかけに、色々思う所が表面化したようですね。 この世界も過去も全ての事は認識次第ではあるようです。物事それ自体には意味はなく、そのように認識してしまっているに過ぎない、という一面はあるとか。 認識次第で過去は変わるかもしれないですね。 そのような認識、考えは妄想の一種だという話を聞いた事があります。 だとするならそれが苦痛である場合、「怒りには慈悲を、欲望には無常を、妄想には感覚に集中せよ」という釈迦の言葉が有効そうです。この感覚に集中するという事は演練が結構必要ですが。自分もあまり出来てませんし。 それでも根本を変えうる手段ではありそうです。 善い、とはなんでしょう。 何分仏教オタなので釈迦に依るのですが。 何が正しいのか問われた際、釈迦は言ったのは要するに「何が正しいのかは、利益や安楽が得られる善いと確認できたものが善い。自分の考えだとか偉い人が言ったとかではなくて」となりそうです。 (阿含経増支部経典) ちなみに出家していない人が正しい方法で快楽を得るのは釈迦はむしろ評価している記述があります。 (阿含経増支部経典) 漠然と恐ろしいのはただの妄想でしかない可能性はないでしょうか? もしそうなったら姿勢を正し、正しく呼吸するのに徹してみる事で脱出できるかもしれません。 また釈迦はこのような言葉も遺しています。 「他人と自分を引き比べて勝っているとも、劣っているとも、等しいとも思うな。諸々の言葉により自らの価値を判断しないようにせよ」 (ダンマパダ) 他人を評価せざる得ないのがこの社会ですが、そこは中道で、過度に反応や評価に走らないのがよいように思います。 最後に自分の励みになった釈迦の言葉を。 「勤め励むのを楽しめ、己の心を守れ、自己を難所から救い出せ。沼に落ち込んだ象の様に」 (ダンマパダ) 善くありますように。
0この間最低気温がマイナス28度を記録しました。 しばれると言うより、ただただ手足が痛かったです。 外に出ないといけない仕事なので、余計に。 寒い日の良い物、ということでダイヤモンドダストを置いてみました。 寒すぎて見る暇もなさそうですが。
1これから何が起こるのかという雰囲気でただならぬものを感じたのですが、夜をつきぬけるようなこれから、続きを感じさせてくれる詩だと思いました。
0善き物をまだ見ていない この世に生きているのだ 善き何かに 触れてくれ 毎日のように善きひとに触れています。
0そういえば書き忘れていました。 元になったものに自分の勤め先の牧場では子牛が産まれそうになったら通報するセンサーがあり、夜中に持ち回りで夜中も当番することになっています。 それを「駆け付け」と称しており、それがこの作品の元です。 もしかしたら難産で危ない状況かもしれないという切迫感が出てきたかもしれないです。
0>毎日のように善きひとに触れています。 それは何よりです。
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