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レトリックではない
先日、ある人の作品へ「上手ですね」とコメントを書いたら、「上手だと言われるのはまだまだですね私は」という主旨のレスがあって、あー、たしかにと、そう思った。詩を、文書を書いて発表するのは、上手くなりたいからではない。少なくとも私は世界を変えたくて発表している。そのポリシーに小さい大きいの違いがあっても、私は世界を変えたくて投稿する。 こちらの批評文(こういう類の文書を書く時必ずいうけれども書いているこれは批評文です)のタイトルに入れてあるレトリックというもの。そのレトリックを読み解けなくて語れない、まるで「曼荼羅」の様相をした作品が時に、詩にはある。少なくとも、てんまさんが時々それを発表している。いや正しく言えば「曼荼羅」にもそれぞれの宗旨と様式の厳密な書きの方程式が具わっているのだから「曼荼羅」と呼ぶのはまずいのかもしれないが。 もっと言えば、詩や文学の批評文を書くのならば、相応の読解を本文テキストからの引用を用いて書きなさいよと苦笑いされている人もいるだろう。でもね、読解を加えてしまうことによって変質してしまう作品のエッセンスというものが一方であるようにも思うのね。 先に出された鷹枕可さんによる本作の評文は詩的な散文の様式を取られている。私はどう書こうかしらと悩んだけど、宗教的なる書き方が詩の要素に有りはしませんかと、その観点を示したいと、そうすることにした。レトリックではなくて(いや、断言する自信は無い。読む人が読めば作品のうちにレトリックを見つける人がいるのかもしれないが)、それこそ巫女のような、神がかりな言葉遣いによる詩。 無学なのでエビデンスを示せないが、たしか、ポエムの語源とはそういうところのことだったと、以前より噂をきいていた。どうだろう、この作品を、黙読するところのその内に響く音、行間にあるメタ(のような)を感受する意外に読みかたはない。
レトリックではない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1104.9
お気に入り数: 1
投票数 : 0
作成日時 2023-01-16
コメント日時 2023-01-17
三浦さんは世界を変えたくて芸術をやっていたんですね。そう言われると昔からその姿勢は変わりませんね♪みうらじゅんが、七人の侍の一人に選ばれるような自分でありたいと言っていましたが、推薦文は侍を選ぶ方の活動と言えるでしょうね。
0コメントありがとうございます。 黒髪作品への批評文 「黒髪さん?エミリーディキンソンかよ」も是非お読みください。 https://www.breview.org/keijiban/?id=7450
1コメントありがとうございます。面白い文書を書くというのはなかなか大変ですよね。 話は別ですが、室町さんの推薦文というのもいつか読んでみたいので、 以下簡単に推薦文書きの仕組みをお知らせします。 書きたい作品を開く↓ 「作品本文」「ポイント」「コメント」の3つのボタンのうち「ポイント」ボタンを選ぶ↓ ページの下方部に「推薦文を書く」というボタンが見つかります↓ そこからは作品投稿と同じです。
1室町さんが示されますこと、わかります。たしかに。まあ、室町さんはお察しなんだと思いますが(もう少し三浦は真面目に取り組めばと、残念さもあるのかもしれませんが)みうらくんの批評文ってなんか中途半端な感じでそれを本人も自覚的にやっているからまたよくわからないものになっているという笑 批評文が読みたいなどと、大変失礼しました。
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