別枠表示
優しさの理由
強者には弱者に奉仕する義務がある。 このイギリス貴族の教えは、普遍的なものである。 あれは、元カノと喧嘩した夜のことだった。 元カノは、泣きながら、トラウマとなった、小学校時代のいじめのことについて話しはじめた。 「私、いまだに、小学生時代のいじめが忘れられないの。」 続けて具体的ないじめの描写を始めた。 「アトピーで、普通のごはんが食べれなくて、いつも弁当がサツマイモだったの。 それで、授業中、おならがしょっちゅうでて困ったの。 でも、後ろの席のB君は、人格者で、黙って我慢してくれた。 アトピーを理由に、汚いって、クラスのいじめっ子によく言われた。 傘でランドセル叩かれたりして、「kってかわいいけど汚い」とかも言われた。 いつも学校行くのがつらかった。家が貧乏でぼっとん便所で、両親は共働きで私は、かぎっ子で、いつも家では一人だった。それでも、いじめられてたことは両親に一度も言わなかった。悲しませたくなかったから。」 それから、元カノは続けた。 「中学校からは、親は成功して金持ちになり、私もアトピーも治ってかわいくなって、後輩からも慕われ、黄金期だったわ。」 「私が今、優しいのは、女として数々の屈辱を受けてきたからよ。 これだけ屈辱的な思いしてきた人が優しくないわけないでしょ。」 私は、この人がこんなに優しいのはつらい思いをいっぱいしたからなんだな。と思って少し目が潤んだ。 私は、小学校時代、少しいじめに加担してしまったことがあった。 クラスの不美人な女の子に、宇宙人とか、人間の顔じゃない。とか言って泣かせてしまった。 クラス中からきもがられたその子に、とどめを刺してしまった。 その子はずっと私を恨んでた。 私は、その後、罰が当たったのか、市で一番の不良校に行って、ドキュンどもと共生する羽目になったのだが、 私がクラスのガキンチョといっしょにいじめたその子は、私の元カノと同じようなつらい思いをしたはずである。 天使たちは、13歳以下の罪は少し軽く見てくださると聞いている。 しかし、私は、本来、こんな優しい人に巡り合ってよかったのだろうか、その資格が私にはあったのだろうか。 彼女と私が結ばれない運命だったのは、私の罪のせいだったのかもしれない。
優しさの理由 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 996.5
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2022-12-16
コメント日時 2022-12-23
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
前作でけっこうガチ目のコメントが続いてたんで、今作の投稿を期待して密かに待ってたんですけど、期待を裏切ってなくてホッとしました。いや、私、今回念の為に初投稿作品を読み直したんですよね。初投稿作品はなんかこう、ただのこれポエムやなあって。というか、作品としては稚拙なものでしかなかったんです。でも現在の作風のコアなものは既にあった。つまり、かなり現在まで作品を洗練してきていて。たしかにですね、このショートショートの長さ内でかなりの情報量をぶっ込んできてるんですよね。初投稿作品に不足してるのは情報量。今作にある「イジメ」とそのトラウマ、それらが醸し出すピロートーク的なもの。書けそうで書ける技ではない、けっこうな熟練度が必要に思われます。推敲をあんまりせずに手ぐせでこれが書けているというのであれば、作者は他の文体でもかなり書ける人だと思う。
0読んでくださってありがとうございます。好感持ってくださってうれしいです。
0読んでくださってありがとうございます。現実は弱いものを強いものがいじめまくってますが、ここでいう普遍とは、本来はそうあってはならないよねみたいな意味です。
0前作に続き、指弾している様な評文で申し訳ございませんが。 一言で申しますなら「偽善」の作品であると。 そして基督教国の精神性の問題、教育の問題を思いました。 些か、作品からは浮遊しますが 罪を冒したならば贖えば赦される。しかも贖う(償う、ではないところが肝要)相手は実は損なわれた当事者ではなく、天にましますわれらが父、ときたものでございまして。 其処に殉じますと、罪悪の感覚が途端に如何わしいものとなる。 何で殴ってしまった相手ではなく、殴ってしまったことを自分に、教条に詫びるのですか。 そんなものは紛い物の罪悪感でしかないのでは。 と言ったことを考察させて下さる、興味深い作品でございました。 こういった精神性を懐きに成られる御方は、これから益々増えて行くのでしょうね(個人的には御免蒙りたいのですが)。 良い範例、テストケースの表現として1票を。 如何か、自分は差別主義者だと堂々と開き直りになられてください。そっちのほうが、おもしろいから。
0読んでくださってありがとうございます。差別主義者ですみません。 被害者本人にも自分にも神にも申し訳ないこと一杯やってきた気がします。それらすべてに悪いと思ってます。
0なぜか彼女に悪を感じてしまったのは、私に心を預けているような気がして、この空間は、彼女にとって大切なものだったのではないかなと感じました。
0昔、アン・ルイスの曲に「ウーマン」というのがあって、悲しみを身籠って優しさに育てるの、という歌詞に感銘を受けたことを思い出しました。そういう高潔を自分の虐め環境に抗う武器にして自尊心を守り、研鑽する人はいるかもしれないですね。艱難辛苦汝を玉にす、という言葉もあるし、苦労は買ってでもしろ、とか、可愛い子には旅をさせよ、とか。 子供は心が足りない、未熟な存在です。 児童の児は心の点点が無いじゃないですか、経験して人は優しくなるんだと思いますよ。あなただって私だってそうありたいものです。
0読んでくださってありがとうございます。そうですね、心に残った会話を書き留めました。
0読んでくださってありがとうございます。ひどい苦しみによって人は優しくなります。
0