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棺桶
棺桶 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1101.9
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2022-12-04
コメント日時 2022-12-18
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
最後は不穏な終わり方、という印象でしたが、序盤の勢い、鷹枕可さんが元々持つ様式美の壊し、それでいて新しい秩序の兆しが見えて、とても興味深く読ませていただきました。着地点が首なしの死体だったからこその、この書き方だったのかもしれませんが、鷹枕可さんの新しいスタイルを見たようでとても良かったです。願わくばこのスタイル(若干崩してキャッチーな要素を含む)での別作品も読んでみたいと思いました。次回作へのさらなる期待を込めて一票!
0いやぁ、ホントありがとうございます。 自分自身では、散文では弱いな、って思ってて、何処か韻律が無いと落ち着かないのですよ。苦し紛れのスタイル、って感じです。 七五調で、がんばるぞい。
0死ぬ間際の網膜には直前の映像が焼き付いているらしい。オカルティックだけど一応これは本当の話だ。理論的には暗闇の中で光源を見つめ続けさせ、死後すみやかに摘出して解像すれば現像できる。まあ実際にはそんな感じで条件が厳しすぎるけれど、誰しも一度は太陽光で目を焼いたはずだ。眩しさはときに暴力だと思う。つまり暗闇を走れば走るほど、過ぎて行く街灯は少しずつ瞳にスタックしていく。 「比喩としての暗夜」の中にいるとき、僕の瞳は散々に焼かれた。良くも悪くも「様々なすべて」が眩しかったのだ。横を通り過ぎるだけでそれらの放つ何かが自動的にこの瞳に残されていく。積み重なればそれらはもはや地獄の万華鏡だった。万華鏡の粒のひとつひとつが視認できないくらいになればただの風景になるらしいけど。 >くっきりと >瞼の裏に焼付いた >おまえの首無しの死体 >百、も 照らされたガードレールと、離れた街灯の灯りを重ねれば、あたかも首を飛ばした体のようになる。それはもちろん比喩的な話だろう。 首と胴、どちらが個を個たらしめるかといえば首になり、「おまえ」と呼べるものは本来首側だと思う。しかし、目の前に道を作り、行く手を阻むのは胴であるガードレールだ。 ラストフレーズがカッコよかったので元来た道を読み返したくなった。初読では気付かなかった部分を照らすくらい強いフレーズだと思う。
0レス、ありがとうございます。 書いてるときは何も考えないよーに書いていますので、褒めてもらえると素直に嬉しいデス。 うろおぼえですが。穂村弘さんの 「天使断頭台の如しも夜に浮かぶひとコマだけのガードレールは」って短歌がイメージの背景に在るような気もします。
0短歌は笹井宏之が好き! なんて言うんだろ。いーのこすことばかりでいっときたいことしかないから言ってあげない。ダメだ。短歌で説明しようとしたが僕の腕ではダメでした。でもそんな印象的を受ける短歌の連なりがとにかく瑞々しい。それこそページをめくるたびに目を焼きそうになる。
0穂村さんも、笹井さんも宿敵だと思っておりましたよ。存命中から(今も、ね。)
0最近車がどんどん自動運転になってて、ついには戦車までオートマになって、私は本当に嫌なんです。 自分は今でもMT車が好きです。常に左手はシフトレバーにあって、クラッチとアクセルを踏み変えながら、ガチャガチャ切り替えて、私がこいつ(車)を動かしてるんだ!という気持ちになるから。先日、1984年式のワーゲンにのる機会があって、それはダブルクラッチでした。もうたまらなかったです。 走るってそういうことなんじゃないかなと思うんですよね。 自分で走らせることができない車なんて棺桶みたい。そんなことを思いました。
0あなたの詩は圧が凄くて、苦しんで孤独で生きている若い人の詩かなぁ、美的で重厚で、実は生きもがいている人の苦渋が重低音の重たい壮麗な詩に化けている、そんな気がいつもします。歳を取るほど人生が楽になっていくそうで、それは私も恩師に言われ、その通りだった気がしますが、あなたがやすらけき時を手に入れた時、怒りが沈静し、美しい調べが澄み渡る時が来る気がします。このサイトで一番詩がうまい人だと思っていますよ。
0コメント、賜りましてありがとうございます。 亡父(略、過労死)がやはりオートマを嫌い、シフトレバーを操舵しながら、 東京より故郷である鳥取県まで八時間をかけて里帰りに連れて行って呉れました記憶をまざまざと覚えて居ります。 実は、私の血の半分は、漁村と山村からなる旧い町の心象風景でできているのですよ。
1コメントを賜りまして、ありがとうございます。 未だ未だ、私ごときの詩は褒められたものではございません。 唯、人生の退路を断つ様に、詩歌にのめり込んでいることも事実でございます。結果と致しまして、芥にすらならなくとも、研鑽に勤しみたき所存でございます。
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