草木の補色として 血液 血縁 血流が脈打つのを 私は秋とは呼ばない
永遠の対義語としてではなく 永遠としての刹那を 私たちの理性が保存する
雨が 霧吹きのような雨が 雨として存在することと
温度 湿度 肌寒いと言う発音の その寂しさこそが 秋なのだ
私たちはいつも 寂しさに満たされた器に 余分なものを詰め込もうとする
花 蟲 スマートフォン 定着しない記憶と 風化しない言葉
即ち言葉は 発音なのだ
音が 記憶であり 実在であり リフレインされ リ-フレインされ リフ-レイン され 霧吹きのような雨の 雨と言う発音が 私たちの思考と 想起と 連続性の
秋の 肌寒いと言う発音の秋の 寂しさが 私たちの季節なのだ
草木の変幻-変容-変性 雨が降る と ふる と 口にして 時雨が 降る と 時が 経る と 震える 唇の上で 発音が 反芻され 反復され くちびるの 振動の 振動と言う発音が 私たちの中に流れる
音韻の血潮 ちしお 海と 土と 沈み込む観想と
九相
滅びることの寂しさに触れて さみしい と言う発音が さむさの 肌寒いと言う発音が はなはだ さみしいと 私の心臓は 囁いている
ささやいている ささやいていると 囁いている 囁くことが リフレインして リフレインという 発音が ささやくという さみしさの 血液-血縁-血流が 白く澄み渡る 白く霞む 霧と 霧吹きのような雨の 花と 土と うしおの 白い
灰色の
灰色という 発音の
はい いろの
繰り返す 草木の 心臓の 心臓の奥の寂しさの 寂しいという発音の 雨粒の一つ一つを リフレインする リ-フ-レ-インする する 雨の 雨の補色としての 永遠と 私と わたし-たちという 発 音が 発-音が
遠い 遠い 血液と 液晶と 葉脈の皹が ひびと呼ばれる 寂しさの 溢れ出すことを 私は 秋とは呼んだのに
秋と 呼んだのに 寂しさに 満たされた我々は 草木の 寂しさに よせばいいのに スマートフォンと 記憶と 日々の中に 雨が 浸水する 蟲が 濡れて 土の上で 濡れた 土の上で 濡れた と 発音した 発音すれば くちびるの上で くちびるもないのに
米櫃の 湿気っている さいわいが 私たちの 寂しさの さむいという 肌 花 蟲 あまつさえ あるいは あまりにも 繰り返すことの 発音が
リフレインされて リ - さ-れ て 触れて Rain と発音することは 乖離していく私-たちの 唇の 振動は 私-たちの血流から
R-A-I-N と 乖離していく
韻を 音韻を 繰り返していく 触れ 忌む 忌み 意味は 初めから 言葉は 発音なのだ 発音
フレーズ と Phraseと 発音すれば 乖離していく 意味と 視認-視覚-理解 P-Hの 理解される 私たちの 発音 はつおんする という 発音が 唇を離れて 雨が 雨と言う発音
で 唇の補色と 私の対義語としての 寂しい と 繰り返して
いる
はつおんの はじまりの わたしたちの ことばの そうもくの くさきの ほしょくとして ほしょくして わたしたちの
ちと しをと しをのながれと しをの あかい みどりの えにしのはつおん-の
あか-いという はつおんの
くりかえす-さみしさの そうもくの
繰り返し 震動し
真っ白な 寂しさを
秋と 呼ん で
作品データ
コメント数 : 3
P V 数 : 1131.5
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 137
作成日時 2022-10-13
コメント日時 2022-11-14
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 30 | 30 |
前衛性 | 13 | 13 |
可読性 | 7 | 7 |
エンタメ | 3 | 3 |
技巧 | 30 | 30 |
音韻 | 30 | 30 |
構成 | 24 | 24 |
総合ポイント | 137 | 137 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 10 | 5 |
前衛性 | 4.3 | 2 |
可読性 | 2.3 | 0 |
エンタメ | 1 | 0 |
技巧 | 10 | 5 |
音韻 | 10 | 5 |
構成 | 8 | 3 |
総合 | 45.7 | 20 |
閲覧指数:1131.5
2024/12/04 02時10分53秒現在
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久しぶりに良いものを読んだ気がします。 ありがとう。
0秋の雨を見ているようでした。さらさらと霧吹きのように降り、風に煽られて、時々途切れるように降ったり、止んでは降るを繰り返す秋雨。 日本中の人達が「肌寒い」「さみしい」「さむい」と発音することで寂しい季節になってしまった秋、という表現がとても斬新に思えました。 人間がその言葉を発音しなければ秋は寂しくないのかもしれません。 同じ言葉が繰り返し使われていますが、最初に申し上げたように、雨が降っているのを見ている感覚です。ずっと見ていても飽きませんでした。 特に >秋と 呼んだのに 寂しさに 満たされた我々は 草木の 寂しさに よせばいいのに スマートフォンと 記憶と 日々の中に 雨が 浸水する 蟲が 濡れて 土の上で 濡れた 土の上で 濡れた と 発音した 発音すれば くちびるの上で くちびるもないのに ここがとても良いと思います。寂しさに満たされるという表現。余計なものを詰め込まず、寂しさに満たされたままで過ごせば、憂鬱な秋も今年は乗り越えられるような気がしました。 ありがとうございました。
こちらこそコメントありがとうございます。気に入っていただけたなら嬉しいです。
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