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凡庸な自分と、凡庸な彼女
自分で自分を、なにか奥行きのある存在として捉え出してしまうと、つらいよね。自分というものを、大真面目に追求しなくちゃならなくなるから。 そんなとき、僕は恋人未満のままに別れた女性を思い出す。言ってはなんだけど、そんなに頭の良い人ではなかった。 彼女の名誉のために言っておくと、ffやテイルズみたいなベタな中二的RPGが好きかと思えば、初期の新海誠が好きだったりと、僕なんかより全然、内面の拡がりのあるような女性だった。また水のように滑らかな表情で人と話す、そんな女性だった。 でも、僕が言いたいのは次のようなことなのだ。彼女はたとえば、胸に鉛のように沈み込む、重みのありながらまた揺れるような言葉の、その意味なんかに、いつまでも浸っているような、そんな人ではなかった。 僕はそんな彼女に、自分がどう思われていたかを思い出す。 彼女は「○○さんって、面白いからさぁ」と言った。「だからそのうち、"なんかおもしれぇ〜"って惹かれる女の子が出てくると思うんやけどなぁ」 僕とは何か。それはただ、彼女の胸に生起した"僕的なもの"(とでも言うほかないだろう)の、その単なる集合だ。そう考えればいいんだ。だって彼女以上に大切なものは、この世界にはないんだから。だから彼女の把握していなかったろう(そしてこの先会ったとしても、彼女の把握しようのない)―つまり明確な言葉にできない―"深み"や"繊細さ"にこだわる必要は、ない。 良かったじゃないか。朴訥な(と彼女は思っていただろう)面白い男、で。そう悪くない評価で。あとは言葉を磨くだけだ。分かりやすく耳あたりの良い言葉を。ただそれだけが、唯一彼女に届き得るものだから。 彼女が凡人で良かった。そしてもちろん、内面の追求に耐えることのできない、新たな言葉を創造することのできない、そして―いくら世界一大切な人とはいえ―他人にその内面を託してしまう僕もまた当然のように、どこまでも凡庸なのだ。 でもそんな凡庸な自分が、凡庸な彼女が、このいま木漏れ日のように愛おしい。
凡庸な自分と、凡庸な彼女 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 723.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2022-10-01
コメント日時 2022-10-08
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
冒頭から「つらいよね」と問いかける形に引き込まれました。 「胸に鉛のように~そんな人ではなかった」という、(失礼な響きかもしれませんが)軽やかさの肯定の表現力が凄いと思いました。 「あとは言葉を磨くだけだ」という決心も格好よさに溢れてると感じました。 私は個人的に、凡庸を表現する事を極めていきたいと思っているので励みになりました。
0人物評ですね。しかも元カノ?でしょうか。回顧録なのかもしれませんが、丁寧な回顧だと思いました。木漏れ日の様にという実感に嘘は有るまいと思いました。
0おそらく、詩作品として書かれたものではないと思うのですが、切実に何かを「想う」という行為が書いて著そうとする行為へと移り行くところの自我の消化作用、それを自己治癒というのでしょうけれども、その誰かの自己治癒の有り様は詩を書く行為のコアな部分なんでしょうね。 作品で表されている彼女の輪郭は魅力的なものに感じました。失礼ながらも語り手よりも彼女が魅力的に。それで良いのだと思うんです。
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