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信頼を築く幸せ
求めに従い おそるおそる 気持ちを突っつく 信頼の入口に明かりがついている やっとたどり着いた こんな場所 楽しいこと 喜びを感じるということ ダメに生きたから 平和を作る 穏やかな心だよ ささやかだけど嬉しいよ
信頼を築く幸せ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 876.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-19
コメント日時 2017-12-09
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
題名が、なんともストレートで・・・なんとなく「説教くさい」文章だったら、どうしよう、とおそるおそる、という感じで本文を拝読したのですが・・・ 〈気持ちを突っつく 信頼の入口に明かりがついている〉 この二行、とても素敵だと思いました。 それも、求められて、〈おそるおそる〉やってみる、すると・・・という流れ。 この一言を言ってしまったら、関係が壊れるのではないか・・・そんなことを恐れて、表層的にすり抜けよう、上手くかわそう、として・・・繰り返すうちに〈信頼の入口〉そのものを見失ってしまう。そんなことが、人生にはきっと、何度も繰り返し訪れるのだと思います。 信頼の在り処、ではなく、入口。そこに入るか入らないか、それは訪れた人に任されているのかもしれませんが、明かりをともして〈こんな場所〉で待っている人も、扉に鍵はかけていない、ということでしょう。 明かりの色は、きっと菜の花色。そんな気がしました。
0まりもさん お読みくださりありがとうございます。 明かりがついていたら、そこには迷いはないというような気がします。 心についての詩ですが、口先で少し言い方を変えただけで変わる物事というのは、ない、という状態まで、 まだたどり着いていない非常にデリケートで、迷いある人間というような、人物(僕です)の心です。 日々自己を運んでいく上で、気づいたことなどを書きますが、果たして僕にとっての詩というのは、 一体何のためにあるのだろう、と、思わざるを得ません。ささやかな表現によって、何かの意味を もたらすというように考えてもいいと思いますが、結局、何かを伝えたり伝えられたりの、技法として、 僕は詩を現在のところでは、捉えているようです。 口先だけで変わらない物事、自分の価値、それが歴史性に対して垂直に立つ詩と言うものに対立しますが、 むしろ自然な心が踊り出すような、意味のトップとして、見世物として詩はあるような気がします(なんとなくですが)。 菜の花色の明かり、とてもきれいな表現をしていただいて、嬉しく思いました。何をするにしても、 意味のない人生だからこそ、詩のようなものを、マイルストーンにして、人生に意味ある価値を、 発掘していくのではないでしょうか。それは、非常に困窮の状態における人らに対して、 何らかの関係を持っていないではいけないのでしょうが(百万人の飢えた子供に対して芸術は何が できるか)。文化というのは、総じてそうした側面が見られるものだと思います。悲しみに何の意味が あるのか、ということを知らなくては、詩は書けません。動揺に対して、助けを出すようなことをする、 そんな、ささやかな物であればいいと僕は思います。詩自体に、それほど大きな力はないのだ、と 感じたうえで、現実に詩を書いていけば、詩との向き合い方が変わることによって、自己に割と 大きな意味の変遷を見出すような、普通の思考と手を結べるような、発展的な詩観というものが、 生まれるだろうか、そうしたらいいな、と思います。言語の自分の塔が、崩れないようにする、別の塔を みる、そうしたことはあるとして、塔の建築技術を身につけた人こそ、神秘の世界への到達者であって、 あらゆる詩作作業の技術とプロセスに求められることなのだと思います。次第に積もってくる経験が、 何となく後ろを振り返ったときの気持ちを駆動力にして、どこかへ道を定めなければなりません。 それを定めるのは、現実の経験に依るのであり、またその経験をもつ自分自身の心の能力が、 そうしたことを、連続に経験していくものだと思います。
0沙一さん はじめまして。読んでいただきありがとうございます。 胸に沁みると言っていただいて、嬉しいです。ささやかな詩を、書きたいと思っていましたよ。 普通の言葉、普通の思考に親しむことこそ、言語の普通の能力だと思います。普通+アルファ、 そんなことを考えます。僕は、別に新しいフォルムや文体を、発見して、提示してやろう、 そんなことは思いません。ポエジーへの感覚さえあればいいと思っていて、凝った作品にすることの意味が、 まだわからないといったところです。
0一行一行の密度が濃すぎて、どう読んだらいいのかの組み合わせ爆発というんですかね。多分一行一行の主体がどこにあるのかが明記されていない所から始まっている。この言葉は誰が誰に向けて発話しているのか。という所で発話者が全く現れない所から自分自身に宛てて書いているのか、それとも読者に呼びかけているのか、話しかけているのか、あるいは、と、そういう意味で見境のない文章のように思います。「信頼の入り口に明かりがついている」という所からも、凄く際どい表現で。まずは求めに従うという条件があり、それによって気持ちを突っつく事の出来る権利を手にする事が出来る。その気持ちを突っつくにもきっとリスクがあり失敗することもあるが、それを乗り越えてやっと、信頼という神殿の入り口があいた事を示す松明がついたかのようです。そうしてたどり着いた「こんな場所」のこんなとはどういうニュアンスがあるのか。「楽しいこと」「喜びをかんじるということ」普通に考えたら「信頼されるということは」がくるのだろうか。しかし、その後に「ダメに生きたから」と来るから、この場合のダメとは信頼を得られなかったからこそ、招いた生き方でそれによって手痛いい失敗をしたという事でしょうか。そこから信頼される為の試練を乗り越えて信頼神殿の明かりをつけ、そこを守る=平和を作る事にした。その結果ある一定の場所にきちんととどまる。つまり所帯を持つことができたので、心が穏やかになる。それは気持ち突くという行為をなしえたから、そういう代償を払ったからこそも安寧であると、それはささやかだけど、嬉しい事。喜びに女がつく事によってという所から、多分自分の伴侶となる相手に告白した結果、あるいは振り向いてもらえるような行為をした結果として信頼を築く事ができたのかなとか思いました。
0hyakkinnさん 読んでくださり、ありがとうございます。 密度が濃いといわれるとうれしいですね。何度も消しては書いてを繰り返しました。 信頼関係が成り立つ居場所のことを、書いてみました。求めに従う、っていういじりいじられみたいな 関係に対する拒否感を持ちつつも、5年くらいのスパンで、それを受け入れるという気持ちの発展を 書きました。ダメに生きたというのは、実際にかなり人生どころではない状態から、そうなってしまった ということなんです。自分の報告であり、読者のことはほとんど振り向いておらず、お恥ずかしい限りなのですが、 自分の感じた恐怖の穴を埋めて、橋を架けていこうと思います。
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