借金をしている。
彼が発した言葉は向かいに座る相手へゆっくりと届いた。
借金をし続けている。
加えて彼はこぼすように続け、こぼし終えたように止めた。
オレンジベースの照明が規則正しく配置された珈琲店にて二人はしずかに向かい合っていた。彼の向かいにいるのは中年の女性であった。彼女の左手には装飾の控えめな銀色の指輪がたたずむ。それはまるで彼女の身体の一部のように、もしくは皮膚の延長のように深く馴染んでいた。
無音を裂くようにして時折いくつかの言葉が発せられた二人の数時間の最後の言葉がそれだった。
晴れた青空の広がる秋の日のことだった。
窓際に座る二人に西日があたっている。
借金をしている。
彼女は向かい合う男の言葉を繰り返した。
男はその太い背筋を直立させて彼女の声を聞く。
借金をし続けている。
二人を取り巻く空気に悲壮感はなかった。
珈琲店は交通量の多い国道沿いに建てられていた。ひっきりなしに行き交う車とそして人の群がよく見える。街は日暮れへと向かっている。ある人はその日の仕事を終えある人はその日の教育を受け終え、そしてその中の多くの人がさらなるタスクを解消するための場所へと向かう、そんな時間だった。
朝早くから営業している珈琲店は閉店へと向かっている。
古ぼけた内装が歩んできた歴史を物語る。管理が行き届いていた。開店はいつもきっちり朝の六時で、閉店は十七時までに入った客がすべて出ていったその瞬間であった。マスターはいつも仕立ての良い黒い服を着ていた。マスター以外に店員はいない小さな店だった。
マスターはそれほど口数が多くなかったが、話しかければ丁寧に耳を傾け丁寧に言葉を返す丁寧な人間だった。それがあるいは珈琲店の長続きの秘訣だったのかもしれない。丁寧に聞き丁寧に返す。もちろんその間もマスターは珈琲店のマスターであり続けるのでいくつかの決められた所作を繰り返す。豆を計量し、挽き、湯を沸かす。もしくは客を席に通し、オーダーを取る。その間に清掃をする場合もある。マスターは動き続けた。
日々繰り返される所作の中であってもマスターは聞き続けた。
もちろん求められれば、ではあるが。
借金をしている。
店内には二人の客とマスターのみがいた。時計の針は十七時十五分を指していた。二人はその日の最後の客だった。そしてその言葉がその日その場に響いた最後の言葉だった。
借金をし続けている。
そしてマスターは閉店への所作をトレースし続ける。
作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 1587.0
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 18
作成日時 2022-05-26
コメント日時 2022-05-30
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 4 | 4 |
前衛性 | 2 | 2 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 4 | 4 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 4 | 4 |
総合ポイント | 18 | 18 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 1.5 | 1.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0.5 | 0.5 |
構成 | 2 | 2 |
総合 | 9 | 9 |
閲覧指数:1587.0
2024/11/21 21時13分39秒現在
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これは、昨今流行りのロマンス詐欺の一場面でしょうか。 感情描写をほとんど排除しつつ、淡々と刻々と進む状況は一見シュールなようでもありますが、マスターの有り様が二人との対比となっとおり、推測を呼ぶところではあります。なんにしろ、あぶなっかしい空気を感じさせる作品ですが、不思議と嫌な感じはまったくありませんでしたね。
0彼 相手 中年の女性 彼女 男 客 マスター、このなかで、中年の女性とマスターの他は入れ替え可能なのではないかと思いました。数回、繰り返される「借金をしている」「借金をし続けている」の意味は、作中からは読み取れませんでした。人物の位置関係、情景、珈琲店の周辺を巡る描写、時刻、設定は固定されているように思いました。脱線しますが借金をしている、し続けているの部分を伏せて読んでも面白いのではないかと思いました。あとエドワード・ホッパーの絵のような印象も受けます
0ノイズと、きっちり定型通りに日々の仕事の所作をこなそうとするマスターとが刻む時間枠の中から、どことなく不穏な空気が滲み出している感じが面白いと思いました。
0少し言葉が足りなかったと思う。 順番に読めば、情景描写、変移する時間が、 鮮明に記述されている 珈琲店のなかを出入りする客 向かいあう人物の描写は必要最小限に 無駄な描写は可能な限り削ぎ落としていると思う。 (人物に対する描写が最低限のディテールにとどめられて、 独特の、シュールともいえる情景がたちあがっている) 詩、(的な)装飾はない。 反復される箇所は、所謂、改行のようにも見える、 写真を眺めるように、視線を漂わせたら 珈琲店の店内が視界に映り込むようでした 個人的には良い作品だと思います
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