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言葉遊べ
あなたたちに挑戦する うたえ わたしはウクライナの弾丸 どんなに時と場所が離れていようと、 ためらってはいけない 喩えよう ただ悲しみの数を、大きさを、種類を、測ってはいけない あなたとわたしは、みなまで違わない 悲しみだけが、そこにはある あなたたちに挑戦する うたえ わたしはロシアの爆撃機 何が正しくて、何が事実か、そんなことは瑣末なこと 重ねよう モニター越しでも、字面越しでも、痛みを分かり合える、人間であると 信じよう、そばに誰もいなくとも あそこは、戦場なんだ 血は絶えず流れている あなたたちに挑戦する うたえ わたしはアメリカのCIA 大元の理由を知りたがっては、複雑な歴史背景や民族主義に行きついた挙句、 賢しらに無関心を装ってはいけない 秘めるだけが美徳ではない 歴史の轍が全てではない あなたの目が、耳が、 口が、その指が、 今『そこ』へつながっている あなたたちに挑戦する うたえ わたしは日本の自宅警備員 安全なところから、危険なところへ言うだけのことは、恥ではない 『そこ』に居ないことが恥なのだ あなただけにうたえる事がある あなただけが伝うる事がある あなたが、 表現者としてあるならば 衒学と、曖昧な自己沈滞に耽溺する、自称表現者たち うたえ! DJをどかせ! なんとでも言ってみろ さあ、言葉遊べ
言葉遊べ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1080.8
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2022-03-10
コメント日時 2022-03-18
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
やはりウクライナ侵攻は、単なる時事的なニュースとしてだけは無くて甚大な影響を各方面に与えているのだと思いました。自宅警備員とはニートこのことですか、そんな悲愴な詩ではないと思います、この詩は。今ではゲームみたいな戦争。モニター越しの。言葉が躍動する契機となるのではないでしょうか。
0クヮン・アイ・ユウさん、コメントありがとうございます。 作中の『わたし』のうたが聴きたい、とクヮンさんは言いました。 しかしクヮンさんはご自分でも半ば気づいてらっしゃることをお書きになってますが、 『わたし』はクヮンさんがお読みになった時すでにうたっています。 小銃を撃ちまくり絶叫しながら。横たわる家族のそばに寄り添いながら。 爆撃機で都市に爆弾を落としながら。そこに誰かがいると想像し葛藤しながら。 CIAも錯綜する情報に狼狽しながらもなんとか戦争をとめようと動いている。 自宅警備員も非力な自分のことをあえて責めはせず、戦地の惨禍に想いを寄せています。 それら全てが『わたし』のうたなのです。 どんな場面か、どんなストーリーかはまたクヮンさんのうたとして聞かせてください。 『わたし』がどういう存在であるかは、手前、森石でありクヮンさん、あなたでもあります。 全てはイメージです。それらは確かに一個の個性をもちながら、すべてがつながっています。 わたしはあなたです。 この詩は、、、、 否、そうではない!わたしはわたしだ!という人へ向けた詩です。 もちろん、希望や未来へ託したい想いも詰まってますが、ともかく無関心でいたりするのはやめよーよというそんな感じです。
1エイクピアさん、コメントありがとうございます 自宅警備員、とはご指摘の通りニートでもありますが、高齢者であったり、障害者などの一部情報弱者を代表するワードとして用いました。 まぁ、どうしてもニートに代表される自宅警備員というと、負のイメージと社会的落第者で卑屈な部分ばかり想像してしまいますが、この詩ではむしろ逆です。 情報弱者であるという自覚をしつつも、常にこころは戦地の人々と共にあるんだ、という強い自負を持っています。日本ではまだまだ戦争への関心度が低いので、あえてこの言葉を選んだという理由もあります。 そしてエイクピアさんのおっしゃるとおり、この戦争は無人爆撃機が空を行き交う無残で冷酷でありながら絵空事のように思わせる一面があります。それが現代戦争ですね。 だからこそ、うたえ!と連呼しておるわけです、、。
0うたえ、私はアーティスト。どんなに苦難が待ち受けようとも、筆をとり、ペンを掲げ、音楽を奏でよう。負ける事は無いのだから。同胞よ、立て!皆が来るのを待っています。
0きょこち 久遠恭子さん、コメントありがとうございます まさしく同感でありますー。わたしは単なる市井の詩書きですが、 絵を書く人とか、歌唄うかたとか含め、今回の戦争に言及してる著名人が少ない気がするんですね。日本は。毎日色んな記事を読んでおるつもりですが、日本の著名人、特に芸術界の方はどうしておるのでしょう、、。やっぱり商売にしちゃうと言えないこととかあるのかしら。 あえて言うと同業者から敬遠されちゃう、なんて状況なんでしょうか日本の芸術界は。 ちょっと脱線しかかっちゃいましたが、おっしゃることもっともで、これからもうたっていきたいですね。
1戦争についての詩を書こうとしましたが、 想像力が足らないために頓挫しています、 しかし「私の」想像力を超えた、想像力自身の力に託するならば、 ウクライナであろうがロシアであろうが、はたまたアメリカやニートであろうが、 その全てに肉薄することができるのかもしれません。 ペンの運びは慎重になったとしても、ペンを折ることだけはしたくないですね。何時も。
1ロンドン塔うろ子さん、コメントありがとうございます 想像は森羅万象の元ですよね。想像力を信じねばそれは表現者とは言えませぬ。 わたしはこの詩のそれぞれの連と末にハッキリと挑戦的な一節を載せております。 それは世の中の風潮の1つに、『結局どっちが悪いとか絶対ないんだからわたしらがとやかく言ってもしょうがない』。とするモノがあります。 わたしはこういう発想は、この戦禍におけるあらゆる戦争犯罪的思考思想よりタチが悪いと思います。そういうものへの挑戦の詩ですね、、、。 と、脱線しかけましたが、うろ子さんは詩作に挫折しておられるとのこと。 でも挫折ということは、あなたのこころは既にウクライナに、ロシアに行っておられる。『そこ』にある。寄り添っておられるということですね。 あとはなんとかその形を、、、。いつ是非読ませてください。
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