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MARIAへ
それは知っている それは知っておられる 我が神が その苦しみを 血を流し 罵られ ムチ打たれ 最も蔑まれた 我が神が 無実の罪に 十字架を担ぎ うめき歩かれた 最も辱められた その苦しみは過去と現在、未来の罪を購うため その時に知られたのだ そして背負われた 重い重い十字架と あなたの苦しみを あなたの両親の苦しみの時 あなた自身の迷い煩い望みなき時 いたのだ 少なくともその側に 寄り添うためにその側に 気づく事無くともその側に 怒りを神に向けるなら 向けるが良い それはあなたの 神が与えた権利 わからなくとも きっと 手は差し伸べられた 安らかなる道へ 迷い泣き境地へ 苦しみから自由である方へ 全てのい苦難は 何者のものでもない あなたの物でさえも無い 神が 背負われたから あなたはすでに 天の道にいる わからぬのなら 東の政治の法を 西の哲人の学を 誠実なる者の言を 遙かなる地の者の世界を 頼れ 従え 学べ 安らかなれ 迷い泣きあれ 自由であれ 神は我々の為にあられ 我々の苦しみ無き時を喜ばれる いかなる道でも 神は共におられ 喜ばれる 善からぬ知恵の実を得たこの世は 東の聖人の言うごとく苦に満ちている だが神はそんな世で 悲しみ あなたと 喜んでおられる あなたと そして安らかなる日をいつまでも待っておられる あなたを
MARIAへ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 893.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-01
コメント日時 2017-11-05
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
以上、プロテスタント教会に通っていた事のある、原始仏教に傾倒している男の詩でした。 自分が現時点でキリスト教徒だったら、というシュミレーションで書きました。 硝子さんが先月投稿されたMARIAへの返詩のつもりです。 頭にあったのは教会で聞いた話。 「神と共に歩んでいたはずが、振り返ると足跡は一人分しかなかった。神よ、私を見捨てたのですか?」 「そうではない。私があなたを背負っているのだ」 それと、この動画。(二次創作ですが) http://www.nicozon.net/watch/sm22532231 自分のキリスト教の解釈は親鸞の悪人正機説が入っている気がしますが、キリスト教にはこのような面はあるかなと。
0遠藤周作が、自分にとっての「キリスト教」あるいは、日本人である自分、にとっての「キリスト教」を、徹底して考え続けたことを、思い出しました。全体に、ずいぶん「固い」印象がある、のですが(全身の筋肉をこわばらせて、ひとことひとことを発声しているような、息詰まるような緊張感)返詩でもある、とのことですので、いったん、ここで・・・。
0HAneda kyouさま。まずは素敵な返詩をどうもありがとうございます。たぶんそのお話は詩だったかなと思います。足跡、とかいうタイトルの。 本題ですが、重厚感のある詩だと思いました。「あなたを」で終わるのがまるで呼びかけのようでとても良いですね。なんだか胸にくる感じがしました。素晴らしい返詩をありがとうございました。本当に嬉しかったです。
0まりもさん、こんにちは。 投稿してから思いだしたのですが、教会で似たような文言結構聞いていました。一部の賛美歌や信者の信仰の証(どのようにして信仰に至ったのかを述べる)がそうでした。 その影響から、このような作品になったのだと思います。 信者にとっては、ようやくつかんだよりどころですし、自分にとってのキリスト教はこのようなものです。 (キリスト教徒は西や東の聖人、哲人に頼れとは言わないでしょうけど) 硝子さん、こんにちは。 そのように言って下さり、ありがとうございます。 硝子さんの作品のようなキリスト像も間違ってはいないと思うのですが(神に従うならばより良く無ければならないという考え。カルヴァン派に近いのかな?)、自分にとっては共に歩み苦しむキリストです。 (なんだか地蔵菩薩のようなイメージだ) 真里亞に、「望むのは安らかなあなただ」と人々のために背負い苦しむキリストを感じたら何を感じたのでしょうか?
0クリスチャンではなくても、ごく自然に自分の中にあった神の存在に対して、つぶやいたり疑問に思ったりしていたことに、さりげない言葉で光を当て、答えてもいるようで、心地よく読みました。 自由を標榜するとき、詩は避けがちなテーマかと思いますが、偉大な存在も言葉が伝え、言葉によらなければ、けっして知ることができないことを想起しました。
0fiorina さん、こんにちは。 クリスチャンではなくても、熱心なクリスチャンの人たちには一時期相当接していました。 クリスチャンにとってこの詩はどう感じるかは分からないところはありますが、自分なりに描写したのがこの詩です。 悪人正機説の影響はある気がしますけど。 心地よく感じられたら、幸いです。 創世記に「初めに言葉があった」とありますし、遺された言葉によって考えなどが確認できます。 キリストや釈迦の遺した言葉で知る事ができ、多くの人が安らかになったのは事実ですよね。 余談ですが、聖書や仏典、コーランの大半が詩だったりします。
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