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個展
やっと咲いて 白い花だった 山頭火の句に、 知人の書の個展で遭遇した 譲って欲しいというと ああ、これだけは一枚しか書きませんので、 と 「あの人にはかなしみがない」と私を語ったという 彼の言葉を、そののち人づてに聞いた (あなたはあなたの裡に ただ一輪の 白い花を咲かせているか) と、訊ねてくる いつ、どこで受けたか定かでない疵を 一身に負って 空に一番近いかなしみを咲かせて
個展 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 990.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-27
コメント日時 2017-11-08
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>ああ、これだけは一枚しか書きませんので、 という断り文句の理由を >「あの人にはかなしみがない」 として第三者に語るところに、書家の神通力あるいは滑稽さを感じました。 「かなしみ」とは何か。それは花か。白か。裡にあるものなのか。個展会場という閉鎖空間には到底収まりきらない、物言わぬ「かなしみ」たちの立ち昇っていくイメージが儚いです。そこに力強さを見い出せなかったのは、一方で書家の言葉に図星を突かれているからかもしれません。
0*花緒さん、ありがとうございます。 山頭火の句も、知人の言葉も、問として生きています。そういう大切な疵を、知ってか知らずか誰しもが受けていくのを、 間近に見るインターネットという場の重層性もありますね。 (踏み込みすぎるために、他の方へのコメント付自粛していましたが、少しずつ始めたいと思います。) *斉藤木馬さん、ありがとうございます。 私自身は、他の人にかなしみがあるかどうかを、測るすべは持ちません。 山頭火の句も、その書家の書もその人自身も、今も好きだということだけはいえます。 読んでいただいた方が、「図星」かどうかを判定されるような詩になってしまったことは、残念に思います。でも、美しくありがたいコメントを頂いたと感じています。
0遭遇、という言葉の選択に、ドキッとさせられますね。実は、出会いたくなかった、それなのに出会ってしまった一句、のような・・・。 〈譲って欲しい〉という一言は、本心からのものだったのか・・・他の人に、この書を見られたくない、見せたくない、そんな気持ちも働いたのかもしれない・・・そんな想像に誘われました。 哀しみ、の表し方は、人によって異なる。自身があまりにも深く傷ついてしまっている時には、むしろ何事もなかったかのように、記憶の底に深く仕舞われてしまう、ということもある。自死した娘の葬儀で、半ばはしゃぎながら親族に食事や酒をふるまっていた、伯母のように。その後何十年も、伯母は月命日にお坊さんを家に読んで、経をあげてもらい、娘が倣っていた書道を極める、と、傍目にも異常なほどにのめり込み、書道の師範となりましたが・・・はたして、彼女の裡には、白い花は咲いているのか。まだ、何色ともわからない花が、泥沼のなかからようやく、蕾をもたげているだけかもしれません。 自身の悲しみの表現に引き寄せて、それを物差しとして他者を計る、そんな自己中心性をもった書家なのかもしれませんが、それゆえに、山頭火の自己中心性・・・自己中心から逃れられない悲しみ、を、身をもって知ることのできる書家なのかもしれません。
0*まりもさん、ありがとうございます。レスが遅れ、すみません。 遭遇はふつう否定的に使われるのですね。 あの句自体はいぜんから知っていて、今もとても好きですが、「遭遇」ということばをつい使ったのは、 意識しないところで、その後の成り行きに関係がありそうです。 >哀しみ、の表し方は、人によって異なる。自身があまりにも深く傷ついてしまっている時には、 >むしろ何事もなかったかのように、記憶の底に深く仕舞われてしまう、ということもある。 表情は自分のためのものなのか、他者のためのものなのか、考えてしまいます。 その接点で、いっときも休まず動いて、時には晒されて、人間の持ち物の中でも相当頑張っている部署ですね(笑。 >自身の悲しみの表現に引き寄せて、それを物差しとして他者を計る、そんな自己中心性をもった書家なのかもしれませんが、 >それゆえに、山頭火の自己中心性・・・ >自己中心から逃れられない悲しみ、を、身をもって知ることのできる書家なのかもしれません。 これはすごいと思いました。山頭火については、詳しくは知らないのですが、 書家の魅力を言い当てていると思います。 以前まりもさんが拙作「歴史遺産」へのコメントに書いてくださった >「器」の言葉は・・・たとえば、貫入にしみこんだ茶渋の色や、金継ぎの痕、時には、火災の煤痕・・・など、 >外見が無言で語るものは別として・・・受け継いできた人々の記憶、その人達の集合的な物語でもある。 が心に残っていますが、 割れた陶器の疵(貫入)から輝き出すような、そういうひとでした。
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