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MARIA1 短編
陽炎が街を歪めてゆらゆらと立ち上る中、真里亞は、うつむき気味に一人で繁華街を歩いていた。時刻はまだ15時過ぎで、大学生である彼女には授業があるはずだった。けれど、所属する英文学科の内で一番の劣等生の真里亞は現在大学三年生でありながらもう既に留年が決まっていた。だからどんな授業に対してもひどく無気力で、今日も授業をさぼっていた。最短であと二年、自分は一体何をすればいいのだろう。こんなにも無気力で無関心、無感動で、一体どう生きていけばいいというのだろう。 真里亞は一度後ろを振り返った。そして車が来ていないことを確認すると、素早く車道を渡り、向かいにあった勤務先の喫茶店の裏口へ向かった。 タイムカードを切り、さっさと制服に着替える。偶然バックヤードで社員と鉢合わせて、少しの世間話をした後、真里亞はホールへと向かった。両親のいない真里亞は、授業料を自分で払うために、アルバイトを必死でこなしていた。入学以来、アルバイトしかしてこなかった上に大学にほとんど行っていない彼女の成績の悪化は止まらなかった。けれど成績が下がれば下がるほど、彼女は何かを埋めるようにそれまで以上に働くようになった。ほぼ毎日何時間も何時間も働いていて、でもそのほとんどが学費に消えていくのだった。 私なんのために働いてんだろうね。なんのために大学入ったんだろう。なんのために生まれて来たんだろう。頭に浮かんだ疑問を打ち消すように真里亞は客の去った後のテーブルをごしごしと拭いた。 真里亞の父は、敬虔なクリスチャンだった。そのため真里亞にとって幼い頃から、神は何よりも重要な存在だった。神様が見ている。真里亞の父は繰り返し幼い彼女にそう伝えた。どんなに苦しい時も神様が真里亞を見ていて、支えてくださるよ。 真里亞の母は、一人娘の真里亞を生んで死んだ。父はそのことをひどく悲しんだけれど、やがてそれを神から与えられた運命として受け入れた。受け入れられなかったのはむしろ真里亞の方だった。父に母の話を聞くたびに、母を殺したのは私なのだと彼に謝らなければならないような気持ちになった。人を傷つけてはならない、人を殺してはならない。神様が見ている。母を殺し、父を傷つけた。真里亞の心は傷んだ。そしてそのことを罪だと思っていながら、隠していることをきっと、絶対に神は見ている。絶えず注がれる神のまなざしに真里亞はいつも怯えていた。 真里亞は10歳で洗礼を受けたが、教会には馴染み難かった。彼女にとって神は恐怖の対象でしかなかったから。神は愛であると信じきることは真里亞には不可能で、いつも自分だけが教会から不自然に浮いているような気がしていた。 高校三年になった真里亞は神学部に進もうと考えていた。神について学べばこの浮遊感や孤独感を埋められると信じていた。 けれどそれには問題があった。父が鬱病になり、仕事を辞めてしまったのだ。真里亞の暮らしはそれ以来息の詰まるものになった。学校から帰ると、暗い顔をした父と過ごさねばならなかった。真里亞には父の憂鬱が理解できなかった。ただ暗い目をした父の焦点の緩やかな目つきが恐ろしかった。父が鬱病になったのは仕事上のストレスが原因だと聞いていた。 父は今まで以上に必死に神に祈った。けれど彼の心が救われることはなく、むしろ病状は悪化していった。最後に一緒にミサに与かったとき、父は隣の椅子に座って涙を流して祈っていた。真里亞は、ただ苦しくて胸が詰まって、嘔吐してしまいそうだった。 それからすぐに父は消えた。どこに行ったかもわからない。生きているのか死んでいるのかもわからない。そこから真里亞の生活は暗転した。彼女は神学部には行こうとは思えなくなった。あれほど苦しんだ父を救わなかった神が、自分をこんな目に遭わせた神が、信じられなくなった。いつも思い出すのは、最後のミサで泣きながら祈る父の姿だった。 真里亞が神を信じられなくなっても、神への恐怖だけは残った。いつも神に見られているという、まなざしに対する恐怖があった。父は消えたのに、父の言葉だけが真里亞の胸に残り、彼女を怯えさせた。 『神の死について』 黒板にはそう書かれている。ということはおそらく哲学の授業なのだろう。真里亞は長い髪で隠したイヤホンを少しずらして教授の話を聞いてみた。やはりそうだった。 神は死んだ。殺したのは人間だ。その通りだと思う。理解できる、そのことはわかるのだ。では、神が死んだとすれば、私は今、何に怯えているのだろう。真里亞はエアコンの冷風にさらされた肩を摩った。やはり自分に見えない誰かに、神に、すべてを見られている気がした。 *** 「ねぇ、哲学のレポート、何書けばいいかわかんない」 バイト帰りの真里亞は、部屋のベッドに横になったまま、恋人の佐倉にそう話かけた。佐倉は課題として出された本を読んでいる途中だった。わずかに視線をあげた彼と少し目があった。佐倉は呆れたように唇を歪めて笑った。 「どうせまた授業中、イヤホンつけてて聞いてへんかったんやろ」 佐倉は哲学科の四年生で、しかし就活もせず院試の勉強もしていない。彼もまた真里亞同様、まるで宙ぶらりんの生活を送っていた。彼は、哲学科の人間の割に課題以外では哲学書を読まず、部屋でぼんやりとしているだけなのに、残念ながら真里亞と違って要領がよかった。佐倉はもう大半の単位は取り終えていて、後は卒業論文を書くだけだ。 真里亞と違い、佐倉は無神論者だった。それは真里亞に出会う前からのことだ。佐倉は家庭に恵まれていなかった。アルコール中毒で暴力を振るう父とその奴隷のような母に育てられた佐倉は、家族の愛なんてものを信じていなかった。幼い頃から、神なんていない、いるなら俺を助けてみろと、佐倉はずっと念じ続けてきた。佐倉は大学進学と共に家を出た。それで彼はやっと救われた。自分を救うのは神なんかじゃない、自分の努力なのだと佐倉は確信した。 *** 真里亞の家のエアコンが壊れたので、彼女は数日佐倉の家に泊まりに来ていた。けれど佐倉は友人とキャンプに行く用事があったので、真里亞は佐倉の家で一人だった。佐倉が数日ぶりの我が家に帰ってくると、真里亞がベッドの上でだるそうに目を開けて横になっていた。 「ただいま。今日バイトは?」 「ない、そんなことよりも」 その林檎、腐ってる。真里亞は上体を起こすこともなく重たげに腕だけを上げ、あけ放たれたドア越しのキッチンに置かれていた林檎を指差した。静かに林檎を指を指す真里亞はまるで死んでいるみたいだった。佐倉はぞっとした。けれど言われてみれば、久しぶりに帰ってきた部屋には甘さを通り越し、酸っぱい匂いが立ち込めていた。その林檎は、佐倉の実家から送られてきたものだった。故郷から送られて来た林檎。佐倉はどうしてもそれを食べたくなくて、また触れることさえもしたくなくて、置いたままにしていた。そうすれば真里亞が捨ててくれるかもしれない、と微かに期待していた。佐倉はキッチンの一角にそろそろと近づき、林檎を嫌々手に取った。それはどろりと溶け出していた。小さな蠅が林檎に止まったり、そこから飛び立ったりを繰り返している。
MARIA1 短編 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 850.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-25
コメント日時 2017-10-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
改行がうまくできなかったため読みにくいです。六千字以下にするためエピソードをいくつか削りました。
0神との関係を、端的に書こうとすると、かなり難しくなってしまいますね。長編小説であるなら、ともかく・・・短編であるからこそ、あえて謎を残すような形で、叙述部分を削っていく、という方法があるかもしれません。断片的に、洗礼を受けた時の記憶や、神学校受験を準備していた時の記憶などを交錯させながら挿入してみる・・・ううん、難しい。 たとえば、の案、ですが。冒頭、英文科うんぬんの叙述を、あえて隠して、いきなりナゾの女性、真里亞を登場させる。うつむきながら歩いている真里亞の目に映る陽炎の中に、神に祈る父の姿が「観え」、お前を生んで、お前のお母さんは死んだ、という声が反響し・・・父は今は、どこにいるか定かではない、というような端的な説明を入れて、あとはカット、喫茶店でテキパキ働いている景に移る。〈バックヤードで社員と鉢合わせ〉した時に、授業、ついていけてるの?みたいな問い掛けを入れ、黙って無視する、あるいは話を逸らす、というような「会話」を入れると、そこでだいたいの状況が見えてきますね。読者に「わかりやすく」説明する、のではなく、読者が探偵のように、なぜ、ここにこの会話が出て来るのだろう、と入り込んで、知りたくなる、そんな形に持って行く&第三者(神の目)としての語りの視点と、真里亞の体感的な視点とを自在に行き来しながら、幻想風景や夢想といった、真里亞にしか「観えない」「感じられない」景を描くようにすると、もっと読者を引きこむ者になるような気がしました。 吉野弘の「I was born」が持つ、母への筆舌に尽くしがたい想いに通じるものがある、そこを、いかに、神という観念的なものや、信仰する/しない、といった、かなり重いテーマと結びつけていくか。(切り結ぶ、という方が適切かもしれないですね)なかなか意欲的な作品だと思いました。
0なかなか印象に残る作品でした。 来月頭に返詩を投稿しようと思います。 自分でもこのような詩を書けるとは思っていなかったのですが。
0批評というより、自戒も込めて、なのですが。 全体的に、なんとなく、説明文のように読めてしまいます。 キャラクターの容姿の説明も、あまりないのですが、小説の場合には、あったほうがいい気がします。 たとえば、「真里亞」という象徴的な名前ならば、「イエス・キリストを抱くマリアの肖像のようと言われる真里亞」とか、逆に「マリア像とはまったく逆の印象のすると笑われる真里亞」とか。無神論者の佐倉も、なんとなく酷薄そう、あるいはだらしのなさそうな容姿がちょっと浮かぶような一言があるといいかな、とか。「いつもシワクチャでかすかに匂うシャツを着ている佐倉」とかでしょうか。 (「」内は、全部私の妄想ですので、もちろん、硝子さんのキャラ設定で) それから私は、学生のころ、小説を書くときには「~のように」を多く入れるように、と教わりました。 「真里亞の心は傷んだ」というのなら、たとえば、私なら、「思い切り走って転んだっきり消毒もされず、数年治らないままじゅくじゅくと黄色く膿んでしまったように、真里亞の心は痛んだ」とかでしょうか。 また、「佐倉は家庭に恵まれていなかった。アルコール中毒で暴力を振るう父とその奴隷のような母に育てられた」っていうのは二重の説明で、アルコール中毒の父とその奴隷のような母に育てられたなら家庭に恵まれていないのはあたりまえなので、「家庭に恵まれていない」を削りなさい、と、大学の先生ならおっしゃった気がします。削れば削るほど、読者の想像の入り込む余地があるそうです。 三人称と一人称も混ざってしまっています。 「私なんのために働いてんだろうね。なんのために大学入ったんだろう。なんのために生まれて来たんだろう。」のところは一人称、ほかは三人称だな、とか。 「(私なんのために働いてんだろうね。なんのために大学入ったんだろう。なんのために生まれて来たんだろう。)」 と、独白であることを示す()がいるかと。 人のあらはよく見えてしまう、ということで、必死に大学の先生に教わった小説作法と、このところ読み直している「小説の書き方」系のものを思い出しながら書いております。 私も短編小説らしきものをいくつか投稿していますので、よろしければツッコミお待ちしております~。
0花緒さま 読んでいただきありがとうございます。説明ではなく描写で書けると良くなるというのは自分に全くなかった視点だったのでこれから使って行きたいと思います。今年の8月くらいに書きましたが今読むと説明が多すぎるようにも思いますのでそこを描写でカバー出来るように頑張ります。あとは文体が三人称である必要性などももう少し考えていこうと思います。コメントありがとうございました。
0まりもさま お読みいただいてありがとうございます。わかりやすく説明するだけではなく読者に知りたくさせるという言葉がその通りだなぁと思いました。幻想風景や夢想を行き来するというのもとても参考になりました。書きなおす時に使ってみようと思います。 吉野弘のI was born 読みましたが、すごく力のある言葉が並んでいてさすがだなぁと感動しました。すごいですね。 コメントありがとうございました。
0花緒さま宛のコメント、三人称→第三者視点ですすみません。
0HAneda kyouさま まず読んでいただきありがとうございます。返詩嬉しいです、お待ちしております。ではコメントありがとうございました。
0田中修子さま 読んでいただきありがとうございます。説明文のように読めてしまうというご指摘、その通りだと思います。せっかく小説を書くなら印象的な比喩を入れたり、登場人物の容姿についての描写も必要ですね。私の力不足でした。同じようなことを二回書いてしまっている、三人称と一人称の混じりの気をつけたいです。ぜひ田中さまの作品も読みたいので後ほどお邪魔します。コメントありがとうございました。
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