丘の上の墓碑 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

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きょこち(久遠恭子)

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ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

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丘の上の墓碑    

石は 立っていた とても静かに 立っていたので 眠っているように見えた だが 石は 耳をかたむけているのだった 透明な音楽がつづいている  もう 何億年 何光年も こころしずかに 目をつむり  石は 立っている ここにきてからずっと (これからも) 空の遠くを 見つめるひとのように



丘の上の墓碑 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 31
P V 数 : 4582.1
お気に入り数: 5
投票数   : 10
ポイント数 : 18

作成日時 2021-10-19
コメント日時 2021-11-11
#縦書き #受賞作
項目全期間(2024/11/22現在)投稿後10日間
叙情性42
前衛性10
可読性32
エンタメ00
技巧42
音韻31
構成31
総合ポイント188
 平均値  中央値 
叙情性1.31
前衛性0.30
可読性11
 エンタメ00
技巧1.31
音韻11
構成11
総合65
閲覧指数:4582.1
2024/11/22 00時50分53秒現在
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    作品に書かれた推薦文

丘の上の墓碑 コメントセクション

コメント数(31)
湖湖
湖湖
作品へ
(2021-10-19)

石碑や道祖神、お地蔵様などを思いました。時の摩耗の中で何を思い、されど人生はアクションアクション、かもしれないですね。

1
ْ
作品へ
(2021-10-20)

括弧や余白がうるさくなかったです。石を人に喩えたのが面白かった。

1
湯煙
作品へ
(2021-10-20)

現代彫刻の類をイメージさせました。なにかの象徴でしょうか。よく回る独楽は眠ると表現されますが、立っている、立っていたとの対比のようで興味深く感じました。タイトルからはなにかを埋葬するもののようにも思われますが。

2
三浦果実
作品へ
(2021-10-21)

よい。詩を考えて書いてはならない。頭を空にして言葉に向かい、虚空にささやけば人は、自然に詩心が湧いてくる。

1
藤 一紀
湖湖さんへ
(2021-10-21)

読んで下さってありがとうございます。「人生はアクション、アクション」ですか。なるほどですね。僕は消極的だからなぁ! 勉強になります。

1
藤 一紀
ْさんへ
(2021-10-21)

読んで下さってありがとうございます。書いた当初は行空きなしだったのですが、縮こまっていて窮屈に感じたので余白をつくりました。括弧についても入れるか入れないか位置をどこにするか、余白と同じく身体感覚に合わせました。うるさくなくてよかったです。石を人に喩えるなんて最初は考えもしなかったのだけど、そうなってしまいました。詩を書くってどうなるか最初からはわからないとこがあって面白いですね。コメントありがとうございます。

0
百均
作品へ
(2021-10-22)

こんにちは。 この石って墓碑なんですよね。でもなんの墓碑かは作中に出てこないってのが面白いなと思いました。 俺にとっての墓碑って先祖の墓石なんですけど、土台の部分はコンクリートなんですけど本体は江戸時代から引き継がれてきた物で、全然傷1つないんですよね。一回空襲にあって、戦火に焼かれたらしいんですけど、それでも残って引き継いだらしい。なので、振るい墓石の文字はもうほとんど擦り切れてよめないんですけど、一見そうは見えないくらいに綺麗なんです。 って事を思うと、石を墓にすると、人間は石そのものではなく墓石を見てしまうかなと、それはそこに眠っている存在だとか、伝説だとかそういったものに目がいってしまうみたいな。語りては墓碑に選ばれた石の声を聴いている訳ですが、その目線の在り方が面白いなと思いました。なぜ墓として石を選ぶ文化になったのか。勿論、そうじゃない文化もあったと思うんですけどね。古墳とかは違うだろうし。 丘の上にあった石を墓碑としたのか、そうじゃないのかわからないんですが(多分ここに来てからとあるので、持ってこられたのかな)、墓石に選ばれる石って多分特別な石なんだろうなって思います。あんまり詳しくないけど。それは、既に何億年とこの地球上にある物質として鍛えられてきた石なんですよね。それを地層から切り出してきたのかわからないけど、人間はそういった物を墓として刻む訳だけど、その表面に刻んだ出来事って多分表面に刻んだだけだから風化されちゃうのかなと思います。その風化した後に残った石っていうのは、意味がないように思われる。でも、逆に月日が経った後だと、その存在そのものに目が行くようになって石そのものの声を聴けるようになるのかなと。そういう存在になっていくのが、(これからも)という未来を予見させてくれる。安心感ですよね。 石を墓石にするのは人間の営みですが、逆にいうと石に墓石としてこの丘の上に来てもらって、存在の声を伝えさせていただいているみたいな感じもしてきちゃうので、なんか面白いなと思いました。何億年とか、何光年とか、人間の持っている時間では感じられない気の遠くなるような時間の中を生きている石に包まれて、その存在の、、、言って仕舞えば傷を癒してくれるような存在として丘の上に立って人間を見てくれているという幻視が、最後のフレーズなのかなと思うと、ちょっと面白いなと思いました。 ありがとうございました。

1
藤 一紀
湯煙さんへ
(2021-10-22)

湯煙さん、こんにちは。僕は田舎に住んでいます。で、墓地は大体高台に作られています。ここで「墓碑」にしたのは、墓地ではお墓がたくさんあるからで、そうすると最終行が集団としてイメージされそうだったというのが理由のひとつです。ご指摘の「立っていた/いる」も関連づけました。しかし、これでは墓碑に集中させてしまう欠点もありましたね。勉強になりました。ありがとうございます。

1
藤 一紀
三浦果実さんへ
(2021-10-22)

三浦さん、どうもお世話になってます笑。三浦さんにお褒めいただきこんなうれしいことはありません。ですが、残念なことに考えずに書くことはできませんでした。というのも、僕は詩との付き合いは長い方だと思うのですが、いまだに詩というものがよくわかっておらず、書く場合にはそれを考えるところから始めずにはいられないからです。それは言葉を置きながら探っていくのですが、その際にきまって言葉について考えずにいられません。詩というものが何なのかわからなくても、少なくとも言葉で作られていることは知っているからです。そういうわけで言葉について、今回はとりわけ「空」について考えました。すでに多くの人に書かれ、手垢のついた「空」について考えることから始めて、最終的にこの詩に行き着いた次第です。 したがって、せっかくのありがたいお言葉ながら、意に添うことができず反省しております。しかしながら、もしおっしゃるように考えた形跡が微塵も見られず自然になっているとすれば嬉しく思います。今後とも精進しますので温かい見守ってくださったらありがたいです。 コメントありがとうございます。

0
まさ
まさ
作品へ
(2021-10-22)

うつくしい、としか言いようがないです。 うつくしいものは、作ったり、こしらえたり、編み出したりするのではなく、 すでにそこにあって、形はないけど何億年も何光年も前からそこにあって、 普段は忘れているけど、この作品で語られるように 石の存在をとおして、透明な音楽の流れを感じる時がある、 そういう瞬間を浮かび上がらせる、ただただうつくしい詩です。

1
藤 一紀
百均さんへ
(2021-10-26)

百均さん、こんにちは。石や墓碑について言及してくださってありがとうございます。読み返しながらこちらの目の及んでいななかったところに気づかせていただき感謝しています。 何度か返信を試みましたがどれも違うように思い、遅くなりました。申し訳ありません。 作中では何度か「石」という語を用いていますが、実のところこれも他の言葉同様詩をつくるための素材のひとつでした。どういう理由で「石」や「墓碑」や「丘」などなど言葉が選択されたか、またそれが何を意味するかなどは文章で語ることはある程度できます。 しかし、詩というのはそれらの言葉を素材にして関係づけ、その全体の関係性において作品空間にひとつの世界を充満させるものという思いもあり、いかに説明してみてもどうも違ってしまうような気がしてなりません。 ただ百均さんが石や墓碑についての考察から入り、読みを提示してくださったことは非常にありがたく、「丘の上の墓碑」ならたしかに町を見晴らす存在でもありえるよなあ、と行き届かなさに気づくとともに、精進だなあと改めて思いました。(言わなきゃわかんないから「百均さん、その通りそれもあるんですよ!」ということにしてもいいんだけど笑) 押忍!ありがとうございました!

1
藤 一紀
まささんへ
(2021-10-27)

ご高評ありがとうございます。実のところ、書いた身としては必ずしも美しさを目指したわけではないのでこれが美しいんだかどうだかわからないのですが、そのように言ってくださるのはとてもうれしいです。 作中にある言葉は特に新しさもなく陳腐なものばかりですが、読める程度にはなんとか詩という形式に収まっていたようでホッとしました。コメント、ありがとうございます。

1
藤 一紀
さんへ
(2021-10-27)

ABさん、こんにちは。ABさんが投稿した作品を開いてパッと見た時に、「やや!これは!」と直感しました。こりゃあなんとしてでも読んでコメントせねばと、興奮も手伝って食い入り気味に読みました。でも、テキストに書かれていない方に行ってしまうという悪い癖がムズムズで、急いで戻る始末でした笑。おかげで時間がかかりました。でも楽しい時間でした(なので決して無理はしていません)。僕にはこれをダイアログで書くなんてとてもできないけど汗。こういうことが本当にごくごく稀にあってしまうから面白いなあと実感します。いやあ、やられました。僥倖です。 ありがとうございました!

1
井上橙子
井上橙子
作品へ
(2021-10-27)

とても静かで、でも深みがある作品ですね。 私はイースター島のモアイを想像しました。

1
藤 一紀
井上橙子さんへ
(2021-11-04)

とーこさん、読んでくださってありがとうございます。藤・モアイ・一紀です。笑 言われてみればモアイって石だし人の顔してるし、遠くを見つめているのでイイ感じですね。まったく想定外で驚きましたが楽しい気分になりました。空の下のモアイ、爽やかな感じがします。 コメント、ありがとうございます。

0
藤 一紀
さんへ
(2021-11-05)

かいとさん、どうもです。 僕はゲーテに比べればめっぽう「下手」だし、孔子のような大物に比べても仔牛なみですよ。汗 よく読んでくださってありがとうございます。感謝で涙ちょちょぎれのチョレギサラダです。 正直、あんなふうに僕も読んでみたいと心底思いました。でも無理だろうなあ。こわい、こわい。 ありがとうございます!

0
エイクピア
作品へ
(2021-11-05)

石像とかモアイ像とか、ゴーレムみたいな感じを抱きました。人類の歴史よりも古く、久遠の時。生物の歴史、悠久の時の暗喩としての石だと思いました。

1
きょこち(久遠恭子)
作品へ
(2021-11-06)

ヒカリカガヤク 永遠と言うことも 当てはまらない トワと言えば 伝わりますか?

1
ほば
作品へ
(2021-11-06)

ただただ、凄いなぁ、で終わらせていい作品だと思いました。それぐらい余計なものがないし、何か解釈することが無粋な気もするんですね。ただそれでは、なんだし、つらつらと感じたことを書きます。 最初に思ったのはこれは、石、でなくて、樹、でもいいんじゃないかと思いました。もしかしたら、猫、でもいいのかもしれない。(そりゃ、いいすぎか。しかし、それは詩でしか書けないことのようにも思う) 透明、て可視光に使うもんですけどそれが音楽に繋がっている、悩みます。透明な音楽は光で何光年、何億年という時間=光=透明な音楽、を浴びているようなイメージを受けました。でも、もしかすると音楽はみえないし、透明は見えるものに使うから、それを組み合わせたものは観ること聴くことが出来ない心にだけ描ける心象が一番、自分のなかでは近いかなぁ。音楽が続いているというのも宇宙が拡がり続けているみたいな、歴史が時間が過去から未来へと壮大な連なりを感じさせられました。丘の上という限定された空間なのに、無限のひろがりがあるといえばいいでしょうか。 語り過ぎた…… んで、まぁ、どうでもええわ、と言われそうだけど、 あー、いい天気だなぁ、と丘に登ったら石が陽にあたっていて触ると温かいよなぁ。気持ちいい。その石と一緒に寝転がって空を見上げて眠ってしまうのが僕です。

1
新染因循
作品へ
(2021-11-08)

ビーレビューで読んできた作品の中でも指折りに好きな作品です。まじ美しいの感謝って感じです。一推しなので投票したいと思い、コメントしてみることにします。もしかしたら既出のことも言ってるかもしれません。ごめんなさい。 墓碑というのは墓石に故人の情報が記されたものです。墓石はだいたい火成岩で作られるものですが、ここではより一般の石というものだと捉えました。石ってマグマが冷え固まったり砂とか生き物の死骸が推し固められたりしてできますよね。砂岩の亀裂や花崗岩の模様、アンモナイトの螺旋だったりと、その変化は我々の目に見えるように刻まれて在ります。そう考えると石はたしかに墓碑ですね。 >石は 立っていた とあります。立っているという言葉は人のサイズを想起させ、石に刻まれた悠久の時間が小さく凝集して大地に存在している、という重厚感を感じさせます。 >眠っているように見えた >耳を傾けているのだった >こころしずかに 目をつむり の3箇所からは、外界からの音ではなく、石が石になる以前の存在についての事象を聞いているような印象を受けます。 さらに >透明な音楽がつづいている >空の遠くを という箇所があり、空が透明という言葉と結び付けられることが多いことから、これらをまとめると石以前の存在の上に広がっていた空の記憶を聴いている/想起しているのだなあと受けとりました。たしかに空って昔からそこに在るものですよね。 >もう 何億年も 何光年も というところが特に好きです。時間の表現、空間の表現が並べられていて、空と石の悠久にある風景の奥行きを存分に表現しているような気がしたからです。(ここにはタイトルにつけられた丘の上、という空に一際高くなった場所という情景が効いているような気がします。) そこから >石は 立っている と現在形の箇所があります。一行目と対比されていて、時間と時間の一瞬の間隙を描写しているような印象を受けました。だからこそこの後の2行が全くくどく感じないのだと思います。 また当該の >ここにきてからずっと は石という不動に見えるものが動いてやってきたかの表現です。ですがやはり空が少しずつ変化していくように、石も徐々にその在るところを変えて今に至るのかもしれません。 そしてそれが >(これからも) とそう言った悠久をながめうる視点から予言されているのだなぁと。 これは >空の遠くを >見つめるひとのように という記述、つまり宇宙という無限を観測する存在という表現で補強されているような気がします。もちろん実際にはそんなことはできません。でもそこにたしかにある無限というものを識るロマンというものか込められていて、非常にわたしに刺さりました。 ありかとうございました。

2
妻咲邦香
作品へ
(2021-11-09)

その石の下に眠っているのは人ではないような気がします。ネズミか、虫か、ミミズのようなもの。そしてその石はおそらくただの丸い石なのでしょう。全ての石は誰かの墓碑であり、それは丸くともそこに横たわり、そうして立っているのでしょう。

1
藤 一紀
エイクピアさんへ
(2021-11-09)

エイクピアさん、こんにちは。読んでくださってありがとうございます。 >人類の歴史よりも古く、久遠の時。生物の歴史、悠久の時の暗喩としての石 そうですね。そのように言っていただくと、自分で作っておいて言うのもなんですが、静けさが深く沁みてくるように感じます。これはまだ目配りの余地があったということで反省点でもあります。感謝します。

0
藤 一紀
きょこち(久遠恭子)さんへ
(2021-11-09)

きょこちさん、読んでくださってありがとうございます。 「えいえん」も「とわ」もひと言で言ってしまえば失われてしまうものがあるなあ、と思ったりします。そういう言葉の影に隠れてしまったものひっくるめて何か感じてくださったなら嬉しく思います。 コメント、ありがとう。

1
藤 一紀
ほばさんへ
(2021-11-10)

ほばさん、どうもです。過分なお言葉をいただき恐縮です。 樹かあ。そういえば樹って空に向かって手を広げて立っているような感じありますよね。でもなんとなく生きている感じがして、温い気がするんですよね。というのはもちろん後付けで、「石」が素材として浮かんでからはそれ以外の可能性を考えなかったんです。いかんですなあ。 >音楽が続いているというのも宇宙が拡がり続けているみたいな、歴史が時間が過去から未来へと壮大な連なり という点については、悪い癖ですがそういう時間の流れやその中での出来事の堆積(運動)を音楽としてとらえてしまうところがあるんですね。で、必要と思ったから置いたのには違いないけど、そういう癖を許してしまったかなと後になって思いました。よく読んでくださってありがたいやら反省するやらで頭が下がります。 ありがとうございます。

0
藤 一紀
さんへ
(2021-11-10)

cold fishさん、御批評ありがとうございます。 >自分が中学生の頃だったら少しは何か感じるものがあったかもね。 そうですね、僕はどちらかというと中学生とか高校生の頃だったら見向きもしなかったんじゃないかと思います。「なんだ、これ」とか言って。そういうものをどういうわけだか作っちゃった。変なもんです。 >ネットでも詩雑誌でもこういう抒情はうんざりするほど見てきたし、価値を見出せない。あと、この手の抒情は誰でもその気になれば簡単に「作れる」と思うよ。 おっしゃる通りで、この手の作品はうんざりするほどあって、いわばこの作品には「友達」が多い。詩誌やネット詩だけでなく、詩史的にも似たり寄ったりは多数見受けられるのではないでしょうか。となると多くの言語経験と磨かれた詩意識を持つ方々から見て「価値を見出せない」のはもっともだと頷くことができます。 その意味で成功価値(失敗も含む)としては散々な結果だといえますし、寧ろそこを指摘してくださったことは大変ありがたく思っています。また、僕自身は作る過程で全く意識していなかったことではありますが、抒情として位置づけてくださったことに関しても、詩に抒情というものがまだ生きていたのかというちょっとした驚きとともにありがたく感じます。 >この手の抒情は誰でもその気になれば簡単に「作れる」と思うよ。 この点についても確かですし、今後もこの手の抒情は作る書き手は現れることでしょう。それは認めるところではありますが、ではそこにはどんな理由があるのだろうと考えてみるに、先に成功価値について書きましたが、この手の抒情は成功価値こそ低いけれども「受容価値の面では捨てたものではないのではないか。だからこそ読まれもし、書かれることになるのかもしれない」などということを、cold fishさんをはじめいただいた様々なコメントを読んでいるうちに思いつきました。もしそうなら安易というのもけっこうな曲者で馬鹿にはできないことのように思えてきます。 いずれにしてもプラスとマイナス双方から光をあてられることになり、作品のありよう(姿形)がきちんと晒されたことは作者として幸甚でした。重ねて感謝申し上げます。 ありがとうございました。

0
藤 一紀
新染因循さんへ
(2021-11-10)

因循さん、こんにちは。ご高評くださりありがとうございます。また丁寧に読みこんでくださったことも深く感謝します。作者冥利に尽きるというのはこういうことを言うのだなと喜びを感じました。 すでに書いたことなので改めて繰り返すのもなんですが、言葉で探り探り書きたいものは何かと追及しつつ、言葉を置きながら最終的に書きたいものに行き着いた形が拙作であり、僕自身ひとりの読み手として、その時点ではまだはっきりとは見えていない言葉に立ち会えたのは幸運でしたが、因循さんがご自身の読みで触れてくださり嬉しいかぎりです。 というか、もうね、これははっきり言って因循さんが良い詩にしてくれているんです。「推し」と書いてくださったけど、それはそういうことです。少なくとも僕にとっては作品よりも因循さんの文章のほうが素晴らしく感じられますから。笑 作品は読み手がいて成立するという説はすでに一般的になっていますが、評価の良し悪しはあれ、いずれにしてもそういうものだなあ、などと改めて襟を正させられる思いでいっぱいです。 本当にありがとうございます。

0
藤 一紀
妻咲邦香さんへ
(2021-11-10)

妻咲さん、読んでくださってありがとうございます。 >全ての石は誰かの墓碑であり、それは丸くともそこに横たわり、そうして立っているのでしょう。 ここ、めっちゃかっこいいですね。こんなコメントをしてみたい泣 >全ての石は誰かの墓碑であり ということもあって、誰(もしくは何)をいれませんでした。 >丸くともそこに横たわり、そうして立っているのでしょう。 これも実は考えました。丸くて横たわっているものが立っているのは面白いな、と。妻咲さん、目がいいなあ。 コメント、ありがとうございます。

1
藤 一紀
さんへ
(2021-11-10)

yamabitoさん、こんにちは。読んでくださってありがとうございます。 「石」ってつねに生活の身近なところにあるわりに、注意して見られることがなかなかないような気がします。もしかしたらふだんの注意力って思っている以上にぼんやりしているものなのかもしれませんね。 石を含めて自然物の言葉を喋らないところが好きです。なんでだろうなー。 yamabitoさんのような書き手から「大変良い」と言っていただけるとは予想だにしていませんでした。とても光栄に思いますし、励みになります。 ありがとうございます。

0
藤 一紀
さんへ
(2021-11-10)

もなかさん、こんにちは。精緻な読みと御批評をありがとうございます。いやー、さすがだなあ、と指摘の鋭さにびっくらこいております(←ふるい)。 提示された作品は書き手の手を離れ、読み手の言語経験の空間に置かれ対象化されるので、作者として特に申し上げることはありません。というより詳らかに読んでいただき、感謝以外の言葉はありません。またcold fishさんへの返信にすでに書いたことではありますが、書かれたものへ感想を越えた批評のありかたは作品に対する評価の枠を広げるものとして開かれるので、その素材にしてくださったことに深く感謝します。 ところで、文中の、 >語り過ぎであり、この作品の助長さを感じさせる要因になっている。 という点については僕も思い当たる節があり、よくぞ指摘してくださったという感があります。また今回は本文が先で、それを補う目的もあってタイトルを決定しましたが、その際の全体的な詰めの甘さが「題名への依存」というところに結びつく一因になっているように思います。 こうした経験を励みに今後の詩作に活かしていければと考えています。とかなんとかいっても僕のことだからどうだかなー笑 本当にありがとうございます!

1
エイクピア
作品へ
(2021-11-10)

前にも詠んだのですが石と言うと秋山俊を思い出すのですが、この詩では悠久の時、石器などの発掘物、磨製石器など、古代への憧憬などがあるのかもしれないと思いました。

1
藤 一紀
エイクピアさんへ
(2021-11-11)

エイクピアさんの、 >この詩では悠久の時、石器などの発掘物、磨製石器など、古代への憧憬などがあるのかもしれない という箇所、とりわけ「古代への憧憬」という部分を読み、改めて自作を読み直してみたところ、もうほんとうにそのように読めました。そして他の方々の評や鑑賞、感想も多少の違いこそあれ、エイクピアさんと重なるところがあるように感じました。 それは出来上がった時に僕に見えたひとつの像とはやや異なるところもあるのですが、先に書いた通り、「もうほんとうにそのように読めた」ということは、僕は図らずもそれを書いたのだと思います。自分が何を書いたかをエイクピアさんをはじめ書き込んでくださった皆さんによって教えられた思いで、些かの残念さはあるものの非常に嬉しく感じました。 それは僕が書いたもの/書かれたものは、すでに僕のものではなく手を離れていたことを確かに知れた嬉しさです。貴重な体験になりました。深く感謝申し上げます。 ※秋山俊(駿?)については不勉強で読んだことがありませんでした。教えてくださってありがとうございます。

1

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