別枠表示
【百物語】あおくてきれいな二本の線の
駅を降り、水溜りを避けて急ぐ。必ずいるのはわかっているけれど、誰も来ないと落胆して帰られては困るんだ。日曜以外は毎日いるから毎日会いたい。鍛高譚かズブロッカを紙コップでちびちびやりながらタバコをふかす、三つ編みの丸顔のキュリ先輩に。 「おはようございまーすっ」 部室のドアを開ける。雨に濡れて濃いグレーになった学館はどこもかしこもカビ臭い。先輩は、いつものようにそこにいて。いつも通りでないのはタバコもお酒ものんでいないこと。代わりに長机の上に丸いものが二つ。おはじきをふっくらさせたようなそれは青信号みたいなあおいろで透明で、朱色の線がくっきりと二本入っている。 「きれい」 丸いものを見つめながら椅子に座る。そこから、向かいの席のキュリ先輩へ視線を移す。私の名前を呼んで笑ってくれるはずの先輩は、丸いものから目を離さない。 「……ち、にぃ、……ご……」 数を、数えているのだった二つしか置いていないのにじっと顔を伏せたままの先輩の赤いあかいつむじ。 ワッと外が賑やかになって隣の演劇研究会に人が来た。驚いてドアのほうを向くと、視界の端で、何かが巨大なナメクジみたいに蠢いた。 「そうだ! 貸してた上着を返してもらうんだった」 取り繕って部屋を出る。振り返ってはいけない、そう思う。廊下には人がひしめき合っていて、分け入って進むうちに何十枚もの衣装を着せられる。 「ミーコぉ、来てるのぉ」 キュリ先輩が呼んでいる。いつも通りなのにいつもとは違う声。逃げ出したくても着膨れて身動きがとれない。脱ぎ散らかして山になる。とにかく一階へ。外へ。 廊下の端のエレベーターホールに駆け込んで、閉じかけた扉にすべり込む。〈閉〉ボタンを連打する。早く、早く、早く。すっと音が止む。 「あ、しまった……」 先客が、私の背中に何かをなすりつけた。べたり。どろり。 エレベーターはいつまで経ってもどこへも着かない。痺れた頭の片隅で、あの丸いものがなんの生き物だったかを理解する。 ねえ、今ちょっとだけ安心した?
【百物語】あおくてきれいな二本の線の ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1519.2
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 5
作成日時 2021-09-02
コメント日時 2021-10-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 5 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 5 | 5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
百均さんの企画、遅刻ですが書いてみたので投稿します。 No.97 蛙
0ほんとうにすてきです。 言葉が跳ねてるみたいできらきらしてて。 うらやましい。
0楽子さん、読んでくださりありがとうございます。 励みになります。 きらきらしつづけられるようにがんばります。 今のところアナウンスはないみたいだけれど、【百物語】の募集は九月もしているようです。 一部の作品の朗読を担当する予定です。 【百物語】投稿してみてね。 投稿規定はフォーラムにあります。 https://www.breview.org/forum_blog/archives/1881
0本作を読んで思った事ですが、まず一番最初の文章のキュリ先輩に対する好意(と言っていいと思うんですが)の描き方ですね。 >駅を降り、水溜りを避けて急ぐ。必ずいるのはわかっているけれど、誰も来ないと落胆して帰られては困るんだ。日曜以外は毎日いるから毎日会いたい。 >鍛高譚かズブロッカを紙コップでちびちびやりながらタバコをふかす、三つ編みの丸顔のキュリ先輩に。 キュリ先輩というのが本作以前まで語り手にとってどういう存在だったのかというのは、おそらくこの2行の中に詰まっているように思います。 「水たまりを避けて急ぐという」という行動が示す意思というのは、キュリ先輩に出会う前の障害として水たまりが出てくるんですが、そういった悪路の中で転ぶリスクや急いだ結果足元が濡れてしまう事なんかより早く会いたいという気持ちを感じます。そのあとで、なぜ急ぐのかという理由を書いている訳ですが、その理由が二つあるのが面白いです。キュリ先輩側の理由と、語り手がキュリ先輩に会いたいという理由が並んでいて、無駄がないなと。 キュリ先輩は語りてを求めている訳ではなく、誰かと会いたいからいる訳で、その気持ちが傷つくのが嫌だからいく。 キュリ先輩がいる日は絶対にその場所に生きたいという語りての意志。 という二面性の描き方ですよね。キュリ先輩が求めている誰かになりたい。 言って仕舞えば、毎日語りてがその場に行くことで、キュリ先輩の中にとっての誰かが自分になってほしいみたいな感じがすごくします。 >鍛高譚かズブロッカを紙コップでちびちびやりながらタバコをふかす、三つ編みの丸顔のキュリ先輩に。 この一文というのは、語りてから見た時の好きなキュリ先輩の姿を示していて、語りてはこのキュリ先輩の姿に会いたくてほぼ毎日通っている。(あるいはそれくらいに通いたい)みたいな物が端的に描かれていると思います。具体的な酒の銘柄を差し込んでいるのも見事で、キュリ先輩のビジュアルが具体的に浮かび上がってきて、すごいなと思いました。 だからこそ、部室に入った後に語りてがその部屋から逃げ出す行為に説得力が生まれる。自分が想定していたキュリ先輩ではないという所の恐怖感というのは、自分が求めていたキュリ先輩ではないキュリ先輩がいる事が、ほぼ毎日会いたいくらいに思っている語り手が逃げ出すという、言って仕舞えば強烈な体験が語りての視界に飛び込んできたのだと思わされる。そう思わされてしまったのが、最初の文章の力だと思います。 > 部室のドアを開ける。雨に濡れて濃いグレーになった学館はどこもかしこもカビ臭い。先輩は、いつものようにそこにいて。いつも通りでないのはタバコもお酒ものんでいないこと。代わりに長机の上に丸いものが二つ。おはじきをふっくらさせたようなそれは青信号みたいなあおいろで透明で、朱色の線がくっきりと二本入っている。 前段の伏線として張られていた描写が次々に裏切られる。語りてが部屋に入ってきて迎えてくれるはずのキュリ先輩が見た目や、いつもの振る舞いをしてくれない、けれど、それがキュリ先輩であるとは分かってしまうという事が示すくらいに、状況的にこの時間にこの部屋に指定の席に座っている存在ははキュリ先輩しかないと多分語りては思っている。それがジョジョに剝がれていく様が描かれているのやばいですね。条件的にこの場にいるのはキュリ先輩しかないのに、そこにいるのは語りての知っているキュリ先輩ではないという、境界を揺さぶられるような描写。 > ワッと外が賑やかになって隣の演劇研究会に人が来た。驚いてドアのほうを向くと、視界の端で、何かが巨大なナメクジみたいに蠢いた。 この演劇研究会の喧噪とナメクジがトリガーになってある意味硬直していた語りての身体が動き始める描写はすさまじいですね… >「そうだ! 貸してた上着を返してもらうんだった」 語り手の中で、まずは部屋の中にいる存在がキュリ先輩であるかという判断を下す前に、理由を瞬時に捏造して一旦今の言って仕舞えばショック状態から回避する行動はすごいなと思うんですが、いやーこれは言語化できないんですけど、凄いですね。ここは凄いしかいえない。 > 取り繕って部屋を出る。振り返ってはいけない、そう思う。廊下には人がひしめき合っていて、分け入って進むうちに何十枚もの衣装を着せられる。 >「ミーコぉ、来てるのぉ」 > キュリ先輩が呼んでいる。いつも通りなのにいつもとは違う声。逃げ出したくても着膨れて身動きがとれない。脱ぎ散らかして山になる。とにかく一階へ。外へ。 廊下の端のエレベーターホールに駆け込んで、閉じかけた扉にすべり込む。〈閉〉ボタンを連打する。早く、早く、早く。すっと音が止む。 振り返ってはいけないからの。普段通りに声を呼ばれるという恐怖感ってなんかまがい物のキュリ先輩に呼ばれている感じがして凄いですね。。。 自分が今まで見知っていた存在の、別の側面を知った後に、見知っていた時と同じ行動をされた時の認識の変化って怖いよなと思わされましたね。 例えば、親友に好きだよと言われた後に、その親友に裏切られた後、同じ声色表情で好きだよと言われた人にとって、その言葉のニュアンスって凄く反転すると思うんですよね。そういう感じに近いんですが、それを他の言葉に置き換えられないので、中々困った感じです。えぐり方というかシーンの描き方が怖すぎる。 「いつも通りなのにいつもとは違う声。」この認識の変化が語りてに与えた恐怖って凄いよなって感じですね。 後は、逃げる時の必死さが最初の急いで会いたい時の急ぎ方と全然違いますね。 水たまりを避ける余裕がないくらいに、演劇部の衣装なのかな?それをつっきってまでエレベーターに逃げ込むというのは、急ぎ方の質が全然違いますね。 この動きの反転ぐあいというのが、語りての必死に逃げてる感じを受けて滅茶苦茶怖いです。 >「あ、しまった……」 > 先客が、私の背中に何かをなすりつけた。べたり。どろり。 > エレベーターはいつまで経ってもどこへも着かない。痺れた頭の片隅で、あの丸いものがなんの生き物だったかを理解する。 > ねえ、今ちょっとだけ安心した? この、先客の存在っていうのがまた怖くて、追いかけてきたキュリ先輩がおいついたのではないという事は、 あらかじめいたという訳で、でもあらかじめいた存在については何も書かれていません。ただ、先にエレベーターに載っていた存在が、べたりとドロリと背中になすりつけただけです。 で、背中ってのがマジで怖くて、エレベーターに乗り込んで、閉めるボタンを押すってことは、おそらくなんですけど、人が結構ギリギリまで載ってなかったんじゃなかなあって感じもするんですよね。これは俺がエレベーターに載る時に、大体先に載ってる人って開閉ボタンの前にいて、エレベーターガールみたいな役割をすると思うんですよね。そいうじゃないとしたらエレベーターの隅っこにいたのかもしれないんだけど、それって乗る時に目が付いていて、その描写が差し込まれる気もするんですよね。でもしてないっていうのは語りてが逃げる事に必死で見えてなかったのかもしれない。それくらいに目に存在が入らないくらいに、存在が薄かったのかもしれません。 ただ、その存在が閉めるボタンを押している背中に先客として居座って、違和感を押し付けてくる。 という事の恐怖って怖いなと思いましたね…自分はとりあえず逃げ切れる、逃げ切る為の最後の工程をこなしている最中に、 エレベーターの中というか、この学館が既にキュリ先輩にまとわりついている違和感に侵略されている事を理解してしまう。 してしまったのが「あ、しまった」という理解ですよね。必死さがここで抜け落ちてしまう。みたいな感じ。 そういう意味で、この作品のラストの安心したっていうのは、生き物を理解したという事にかかっている訳だけれども、理解したからちょっとだけ安心したにつながるそのラストは、えげつないなと思います。ここは解釈が難しいんですが、分かると安心するっていうのは確かになって思うんですが、そこが言語化できない。次に、この理解というのは、もう逃げられないという事に対する理解でもあるのかなと。エレベーターがいつまでも付かない事を見ている読み手の僕はこの作品世界のその後が怖くみえて、どうなってしまうんだという不安が残るのですが、語り手にとってはもう逃げられない世界なのだから、ある意味諦めてしまったという意味での安心のようにも思われる。その安心を理解したと語りかける存在は、この作品には書かれていないというか名言されていません。 語りてなのか、それとも、キュリ先輩なのか、先客なのか、生き物なのか、ただ、その「安心」という言葉だけが置き去りにされるラストを僕はこう読みました見たいな感じでコメントは示させていただきます。 蛙というお題を代入するとちょっと安心するのかな? とはいいつつ、んんん、そこら辺のモチーフが示す意味は分からんのですが、ただそれを敢えて抜かれた所というのは 「あの丸いものがなんの生き物だったかを理解する。」にかけて読むと、「あ、蛙だったのか」と読める気もするけど、 なんか違い感じもしますね。おかれている置物を蛙として読むと、その場の状況の具体性が引きあがって、恐怖感が薄らいでいく。 よく分からない物から蛙に変わるだけでこの作品って全然見え方がちょっと安心するのかも。と思いつつ、なんか違う感じもしますね。 ここら辺の読みは他の方にも聞いてみたいです。 以上、ありがとうございました。
1