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【2021遅れた七夕企画】 牛運び
牛が運ばれていく 牛が運ばれていく 一日経るごとに 体に肉が付き 脂肪が付き おいしくなっていくから もしくはもう 処分するしかない 牛が運ばれていく 牛が運ばれていく その鳴き声は不安だからか 嫌がる牛たちを 引き剥がすように乗せ 責めるように下ろしていく 牛たちをあるべき場所へ連れて行く その鳴き声は不安なのか 運ばれていく牛たちの日々が 幸せなものでありますように 我ら牛飼いたちが そうさせられますように
【2021遅れた七夕企画】 牛運び ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1598.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2021-07-12
コメント日時 2021-07-18
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
食べるために命を奪うのは、しょうがないことだけど、とってもかなしいことで、それにきちんと向き合っていて、やさしいと思いました。ことばがわざとらしくなくて、牛飼いさんの生活している毎日みたいなものがじんわりにじんでる感じがしました。
0実は月に一回ある光景です。 勤め先の牧場では月一で牛を移動させており、その光景をほぼそのまま描写しました。 子牛でも力士以上の体重があり(生後半年で200キロ超える奴がたまにいます)、こっちの状況を全く読んでくれないので大変です。 それでも牛の幸せを願い、そうさせようとする日々です。
0ファンタジーもロマンもない、ある意味最も七夕らしくない詩ですね。 あるのは最新の畜産学と獣医学とえげつない利益追求に、作業員の泥臭く地味で汚い作業と原始的な瞬発力と経験で回していく、次何をするかわからない牛たちの現場というどうしようもない現実的な背景がありますし。 案外、牽牛もそんなもんかもしれませんが。
0そういえば リアル牽牛さんが ここ ビーレビにいいらっしゃったんだわ。と、思いました。わたしは なんで七夕って、牛飼いさんと 身分の高い織物職人さんの話なんだろかと思うんです。牛飼いさんには なにやら特別に尊い意味があるじゃあないかと 思っているところです。動物、数が多しといえども、牛は家畜として飼える 数少ない種です。たから、天帝の相手として設置されているのかなあ、といった具合にです。 運ばれていく牛たちの日々が 幸せなものでありますように すごいなあと 思いました。人々の日々が幸せなものでありますように。ってことで、人の世は 回っているのですが、牛追いさんであるなら 牛たちの日々の幸せを祈る。 この詩は 私からしたら、ここのところがスゴイです。 天帝ほどの人の娘さんの相手役が牛飼いさんなのも、もしかしたら そこに秘密があるかもしれないです。
0そう言われると不思議ですね。 牛飼いと身分の高い職人の組み合わせになっているのは。 インドだと牛が神聖な動物になっているので、その辺りの影響があるのかもしれません。 毎日牛の為に必死で働いているので、牛飼いとしては自然に牛の幸せを願っています。 食肉として人様の前に出ていくものでもありますし、結果的には人々のために祈ってる訳ですが。
0これは実際に経験した人じゃないと言えないことなのかなと思いました。 過剰に装飾せず素朴で強い文に惹かれました。
0自分の作品の特徴が自衛隊や酪農・畜産の実体験を元にしていることが多い点です。 これにより独自性が出ている所があります。 今回は牛の移動という外部にはあまり知られていない題材がよかったかもしれません。
0羽田さん こんにちは。百均です。 >我ら牛飼いたちが そうさせられますように この一行がとてもいいですね。願い事というと、他力本願みたいに自分で叶えられない願い事のタイプもありますが、本作の場合は、牛達の面倒を見る牛飼いがあくまでも主語であるという所。言って仕舞えば、毎日の積み重ねという行為が「そうさせられますように」という結果を産んでくれたらという、なんとも言えない願い事ですね。 また、「させられる」という使役表現がなんとも言えないですね。使役行為には、ある意味強制させるみたいなニュアンスも含みますけど、この場合はせめてもの思い(あるいは償いともいえるんでしょうかね)として、牛飼い達にはそうしてあげる事しかできないと言った思いが現れていて、いいなと思いました。 また、幸せという感情が生み出されるための、言って仕舞えば構造みたいな所も言及しているなと思いました。牛が幸せになるためには、牛を幸せにさせてあげたいとする牛飼いがいないといけないんですよね。牛の幸せってなんだろうというと答えは明確に出ないのですが、牛が牛舎の中に閉じ込められて一生を過ごすんだろうなという想像を考えた時に、その中の一生というのは誓約を最初から孕んでいる訳ですが、その誓約をどこまで緩和しつつ育てていくのかというのは牛飼いにしかできないですよね。(あるいは全体の方針を決定する経営者とかなんですかね?牛飼いもまた雇われになるのかな)という事と、ただ、愛着を持って接した時に何が待っているのかというと食肉として人間にくわれるためである訳ですから、牛飼いにとっての幸せって所が、牛が幸せなまま出荷されていくことにつながるのかなと思うと、個人的には極めて難しい感情だなと思いました。 みたいなエッセンスを含んだ、正にこれはもう願い事でしかないと思いますし、本企画を通じて読ませていただけたこと、とても嬉しく思います。 ありがとうございました。
0こちら側の努力が通じない事がしばしば起こりうる仕事ですので、そういう事がないよう願うしかないところがあります。 思いもよらぬ事故や病気で牛が死んでしまう事がどうしても起こってしまうので。 >「させられる」という使役表現がなんとも言えないですね。 牛の機嫌取りをしていると言われたら否定できないです。 特に肉牛は病気になりやすいですし、治療に追われたりもします。 また、牛飼いにも様々な形があり、自分の場合今は株式会社の合計6000頭以上いるメガファームで従業員の一人として働いていますが、その前は昔ながらの個人営業の牧場で、さらにその前は有限会社の小規模牧場で働いていました。 社長の方針により機械的に収益を上げようとしたり、放牧中心で牛と人を満足させようという方向にいったり色々です。 人間たちの事情に振り回されるのはどのみち確かなので、少しでも幸せでいてほしいですね。 七夕に願う事かどうかはしりませんが、願うしかないです。
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