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がらんどうどうめぐり
1990年8月1日 私はNICUに生まれた 心に穴が開いていて ヘモグロビンが新しい酸素を持って来られなかった でもそれはあまり関係ない 体育の時間は一人きり 木陰で休んでいたけれど 美術好きのきっかけになったぐらい そもそも何も覚えていないし ひけらかすには浅薄すぎる 1995年8月1日 一番初めの記憶のかけら うるさい子たちから逃げ出して 画用紙とクレヨン握りしめ 部屋の隅 窓の外を眺めてた 薄暗い外はとても静かで まるで世界に一人きり あめあめふれふれ パパとママはまだ来ない 寂しくなんかなかった だって 絵を書いていたから 蛍光灯の部屋からみる 雨夜が原風景の平凡さ 広くて寂しいアトリエで 油絵具を待っている 色を重ねて 埋めるキャンバス 下の 下に あるのは白? 核なんて無い わたし 核なんてないわ エートスの海を漂う 哀れなクラゲ 骨の無い わたしに 頭はあるの? 何かを成す為に取り繕って でも信じてるしかない 恐れは希望の副産物 もうダメかもしれない けどもう少しで行けそうなの 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 値段のつかない日々の過ごして 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 時間じゃ買えない価値を探すわ いつまでそんなをことやるのって 五月蠅いひがみを言う人たちを 無視して描いて歩んできたけれど 自信なんかは どこを探しみても無かった 何の意味があるのって いつだって正しい人たちは しつこくねたみを繰り返す ねぇ 確かのものはあった? 積み上げた過去と過程と作品に その人に風景に色合いに 人生を垣間見たかしら デカルコマニー こまねいて 生んだ私の無意識を シックでモダンなギャラリーに 等間隔に並べたら キャプションつけてよキュレーター 救急救命病棟の エントランスとは訳が違うわ (語り/歌どちらでも) 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 思考 人生 関係 芸術 世界 環境 才能 恋人 すぐそこに見える終わりに スタートラインがひかれている 2005年8月1日 心に伽藍度を抱いて過ごしたあの頃 乙女と少女の境界線 暗いと笑われ孤立して それでも気丈に振る舞った 集団心理で自分の方が優れていると錯覚している人たちに 私の人生を左右なんかさせないわ ただ一人優しい君も いずれは心変わりで消えていく いつの日か見返してやるんだって 膨らみ張り裂けそうになる胸の中 怒りを筆に変え描いた青春時代 どうどう巡りの日常を駆け抜ける 本と映画と絵と音楽 私の全てはただそれだけ 暗く寂しいアトリエで 油絵具を待っている 色を重ねて 埋めるキャンバス 下の 下に あるのは白? いなくてもいい あなたなんて いなくてもいいわ パトスの森をさ迷う 悲しいライオン その爪と牙は 何の記憶にも残らない 何かを成す為に偽って でも作り続けるしかない 幸せは恐怖の副産物 一生成し遂げられないかもしれない けどもう少しで出来そうなの 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 現実感の無い世界でもがいて 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの いつかいつかの夢を夢見る 本当は心配になることだって それはそれはいくらでも有る 認められなかったどうしようとか 失ったら耐えられるのかとか いつも毅然と気丈に振る舞える訳じゃない 悔しい 悲しい 恋しい 怖い 押しつぶされそうな日には強く強く目を閉じる 白い壁のギャラリーは ガラス張りの伽藍堂 夢と現実の堂々巡り この思考や創作物が 無生産だったとしても オルフィスムを終わらせて この日々から色彩が奪われるなんてことは無い アヴァンギャルドはもう古い ポップとキッチュを追い越して 進めよ非凡に 彼岸に徒花 筆を手にとり描き続けて いつか宇宙にだって色を塗る 2015年8月1日 消えたいと思ったことは何度もあった けど今を生きている 必ず出来るんだって信じるしかない でも だけど 本当に このままで良いのかしら 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 現実感の無い世界でもがいて 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの いつかいつかの夢を夢見る 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの
がらんどうどうめぐり ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 946.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-02-24
コメント日時 2017-03-04
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
文面通りに読むとすると、心室中隔欠損症のような先天性の病気でしょうか。幼い頃は運動を制限され、でもそれが絵を描くことが好きになるきっかけとなった。やがて幼子は、自分だけの世界で絵を描きはじめる。一番最初の鮮明な記憶は雨の夜。画用紙にクレヨンで絵を描いていた子どもが、いつの間にかカンバスに油絵の具で描いている。この部分から「がらんどうな私」への言及が始まるのですが、私自身の読解力不足のせいか展開が唐突に感じました。 色を塗り重ねたカンバスの原風景は白なのか。それとも雨の夜の闇のようにからっぽなのだろうか。そんな自分は骨のないクラゲ。堂々巡りのがらんどう。周囲の人間と上手く付き合うことが出来ず、正しさをひけらかしながら嘲笑する連中には常に決然とした態度で立ち向かってきたけれど、がらんどうの心の中を不意に風が吹き抜ける。独りの時間が長すぎて、自分の中の淡い恋愛感情すら喪失の恐怖から否定してしまう。昔も今も自信と不安の間をクラゲのように漂い、自分を鼓舞したかと思えばすぐに次の迷いが生まれる。文字通り終わりのない堂々巡り。でもそれが人生。 表現が重複して少しくどいと感じられる部分もありますが、筆者が意識したであろうリズム感が十分に活かされた詩だと思います。タイトルで思い出しましたが、神保町にあるというがらんどうという店に一度は行ってみたいと思っています。名前はがらんどうなのに、懐かしく貴重な書籍やグッズが店内にあふれているそうです。筆者という存在やその人生も、ご本人が詩で語っているほどがらんどうではないと思います。だって、こんなに素敵な詩が書けるのですから。
0前投稿作で田中ジョバンニさんの作品に初めて触れたという読者が私も含め、ほとんどではないだろうか。そこで、やはり、気になるのは、その作品を通して描こうとされる、ジョバンニさんの思想であり、その世界観である。 二作目の投稿作となる『がらんどうどうめぐり』。私はジョバンニさんが表現をもって向かう約束の場所はどこにあるのだろうかと、所謂、メタファーを捜索してみた。 ―幸せは恐怖の副産物― サーチライトはこの言葉で止まる。前作を思い出して欲しい。たしか、ひきこもりの主人公が過去の恐怖体験を追想し、そこから、「何か」が降りて来た主人公が結末としてハローワークへの一歩を踏み出す。まさに、「幸せは恐怖の副産物」という内容だったのではないか。 そういう観点からすれば、今作『がらんどうどうめぐり』は田中ジョバンニ氏御自身のステイトメントとしての意味合を持つ作品である。
0>伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 現実感の無い世界でもがいて >伽藍堂どうどうどう堂々巡りの いつかいつかの夢を夢見る >伽藍堂どうどうどう堂々巡りの 伽藍堂どうどうどう堂々巡りの この締めが凄くいい。 一つの人生をこうして一つの作品に落とし込んでいくというのは、それだけで多分小説がかけるくらいの魅力が詰まっている事であると同時に、それは大変な苦労があると思うんです。だからその場面を的確に引っこ抜いて僕らにどう提示するかというのが大変だと思うんです。 作為的に見えてしまう瞬間っていうのが出てきたらそれで僕は作り物の人生を場面だけくり抜いて、もしくは創作してここに出したんじゃないの? みたいな感じに醒めてしまう。 >1990年8月1日 私はNICUに生まれた >心に穴が開いていて ヘモグロビンが新しい酸素を持って来られなかった >でもそれはあまり関係ない 体育の時間は一人きり 木陰で休んでいたけれど >美術好きのきっかけになったぐらい >そもそも何も覚えていないし ひけらかすには浅薄すぎる この理由の提示がやっぱり一つの世界を作っている。関係ないといいながら実はものすごく関係のある逆説。というのがある。だから僕はこの作品の生誕を文字通りに感じる事が出来たし、その後語り手の人生によりそう絵というものを感じ取ることができた。そして何より、その通低音としての「伽藍堂どうどうどう堂々巡り」というくりかえしがあって、それらが場面の展開と、これからも延々と人生が続いていくような感じを僕は受けるんです。つまり安易に人生に落ちを付けていないという所。それが尻切れトンボのようではなく、毎日お寺が鐘を決まった時間に鳴らしていくような終わりのない人生の象徴であるようなエコーであって、それが身にしみました。
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