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小さな実験
小さな実験 旧ガス式の湯沸し器で風呂をたてる 狭い浴槽に張った水は ものの15分で沸き立つ物で 表面に触れると飛び上がるほど熱い 底面に潜るほど温くなる 柄つきの桶で全体を攪拌してもまだ入れない というわけで 予め水の量は六部目ほど 15分沸かしたら次は蛇口から冷水を注ぎ込む 浴槽の底からじわじわとひんやりした水溜まりが水嵩(みずかさ)を増してくる 湯と水の全体量が浴槽の九部目にまで充ちた頃、 初めて水を止めて桶で全体をぐるぐる回して はいれるようになるわけだ 多目の湯で先に髪を洗うなり あっさり入浴剤を落とすなり何なりと その日次第で入りかたも様々 水を溜めるているときに 何となくよぎるイメージ 今、上方で煮えたぎった湯と 下へ下へ滑り込んでゆく混じりけのない水とが 干渉することなく浴槽の中に同居していることを そんな生活も現代ではなかなかないことだろう 大気も海水も陸から見る分には温かいものほど上にあり 太陽という熱源と 地殻という熱源に挟まれたほんの隙間で自然界は 循環している その生命のわたあめを 地軸の回転が産み出していて 廻りながら眠る私
小さな実験 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 854.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-20
コメント日時 2017-09-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
浴槽で、様々なことを「考察」している、わけですが・・・ 〈その生命のわたあめを 地軸の回転が産み出していて 廻りながら眠る私〉 このユニークな三行が、この実験から発見された、発案された、そんなイメージで読みました。 前半部分、語り口に流れがあり、呼吸を伴った文体となっているように思います。 旧式の湯沸かし特有の温度差をかき混ぜる、という体験と、地球上の熱運動、という知識とのアナロジー(急にあまりにも大きな世界へ想念が飛ぶので、知識の上だけでの整合という印象にもなってしまいます)、そこから最後の三行への飛躍・・・飛躍部分を、もっと膨らませることができたら、より面白くなった、ように思いました。 (お風呂をかき回しているうちに、入道雲が沸き起こる幻影の中に自身が取り込まれて、自分自身がわたあめのようにかき回されている体感を得る、というような・・・)
0まりもさんへ ファンタジックな(笑)ご提案、楽しく読ませてもらい、参考になりました。「なるほど実験には夢がないとな」、と頷いてしまいました。コメントをくださり、有難うございます。
0渚鳥 sさん、こんにちは。 お風呂に水を差していくところの描写がとても綺麗でした。それだけで満足できました。全体を括ってしまう題名も、最終連のよく出来た詩的飛躍も、或いは不要かもしれませんね。
0おはようございます。 お風呂の中で水温変化による流れを肌で感じつつ 海の対流に思いを馳せることのできる気持ちの良い作品だと思いました。 ただ 二か所ほど残念に思った点があります。 一つは、「そんな生活も現代ではなかなかないことだろう」と一行は、要らないような気がいたしました。 ≫そんな生活も現代ではなかなかないことだろう そんな生活とは どんな生活のことかを、だれもが同じ明確なイメージを持つとは限らないと思いました。 「そんな〇〇」とかいう言葉や「それ」「これ」というような指示語って、文章を書くときには 注意の必要な語だと思います。とくに短文の詩文では できるだけ指示語を使わないほうが 読者はスムーズに詩文を読むことができるのではないでしょうか?しかもこの一行には【現代】という大きな くくりがあるのですが、現代と言われて何をイメージするかは 人それぞれですので 共通の認識が さらに持てないです。 指示語の代わりに、たとえば、五右衛門風呂という語でもあれば、 この詩文で表現されていることは すこし前の文化であることが解ります。ですが、風呂で対流を感じるのって よくある現代のユニットバスで可能です。 この詩は現代の生活で体現が可能ですよね。すると、この詩のどこが 現代ではなかなかない体験なのかが 私には わかりませんでした。 たぶん、この詩における「そんな生活」とは、 「下へ下へ滑り込んでゆく混じりけのない水とが/干渉することなく浴槽の中に同居していることを」感じられるような生活とも読めます。だったら、それは現代という大きなくくりの必要はないと思うのです。、 話者の心境から 風呂内で対流を感じる心境には ひさしくなかっただけのことだと 思うのです。 指示語と現代という語の示す意味は 人によって違うという理由から「そんな生活も現代ではなかなかないことだろう」と一行は不要だと、私個人は思いました。 もう一つ、残念に思った点は、題名です。 【実験】とは、事柄の当否などを確かめるために、実際にやってみることですが、この詩は別段、事柄の当否を問題にしている様子がないです。 私はこの詩を拝読して、海の対流の中に身を置いているかのような 心地になりました。海って好きです。 題名からも海が感じられたら もっと素敵だったのになあと思いました。 以上の二点が気になったのですが、 全体的には 気持の良い好きな作品でした。
0失礼しました。 旧ガス式の湯沸し器で風呂をたてる と、ありました。旧式の湯沸しの時代では 現代は無いという意味だったんですね。あたしは アホでした。お邪魔しました。ああ なんて はずかしい。きがむいたら るるりらのことを、ながい目でみてやってくださいませ。
0事情につき、これより以降B-REVIEWにて渚鳥sは活動できませぬ。 お二方さま、簡略レスをお許しください。 Migikataさんへ 拙作へコメントをくださり、どうも有難うございます。Migikataさんから言われてしまうと「なるほど不要だ」とすんなり思えるのが不思議です(笑)ブンゴクで「浮遊(眠れるひとへ)」へご指摘いただいたときのままのMigikataさんのご感性を嬉しく思いました。 また、どこかでお会いできたら幸いです……。 るるりらさんへ 細かいことはお気になさらずとも大丈夫ですのでご安心あそばせ(笑)。 「海を」感じたかったとのご意見まことに関心を持って拝察いたしました。人様それぞれに思うところは違うのですね、るるりらさんが常に詩に求めておられるのは、大いなる解放なのだろうか……?と感じております。 無駄に仲違いせずにいたかったですね、 また、どこかで。 有り難うございました。
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