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手のひら
世界が私に触れていた。世界はたくさんの手のひらを持っている。心が純粋であることや透明であることは、不在の証明に他ならないから、世界の汚れた手のひらによって、色を浴び、初めて形が分かるものである。私の心は歪な形をしていて、柔らかな部分もあれば針のように尖った部分もある。優しい言葉を生み出すその唇から毒のある言葉を吐くこともある。傷つけるつもりもなく笑顔で人を傷つけ、慰めるつもりもなく無感覚に人を慰める。純粋な心とは、善悪の区別への無理解から自由に漂う凶器でもある。風が木の枝を鳴らしているときに、小さくざわめく音の中に育てられていた。風が雲を引きちぎっていくとき、無音の悲鳴の中に育てられていた。世界は夥しい数の手のひらで構成されていて、産まれたばかりの無垢な心を何度も作り直してしまう。知らぬ間に染み込んできた言葉のひとつひとつが心の形を変えていく。世界の中で最も不運な場所では、小さな心たちがたくさんの握り拳によって叩き潰されている。無力な存在が力をつけるまでの間に壊れてしまう。人為的に生産され、人工的に包装されたその鶏卵は、温かな手のひらのある世界で産まれていれば、また違った生き方を歩めたはずだ。世界が私に触れていた。私もまた世界の中に埋もれた一輪の手のひらだった。たくさんの手のひらたちが、光を浴びるために生き急いでいる。取り残された手のひらたちは、上へと先回りしたたくさんの手のひらによって影に塗り潰されていく。上へ上へとたくさんの手のひらたちが間接的に殺し合っている中で、最も低いところで衰弱した手のひらに、光を送り届ける神様のような手のひらもある。
手のひら ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1829.8
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 4
作成日時 2021-04-02
コメント日時 2021-05-02
項目 | 全期間(2024/11/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 4 | 4 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 4 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>私もまた世界の中に埋もれた一輪の手のひらだった。 私が「手のひら」だというこの感覚が、凄い。発想も凄いと思うのだけれど、出だしから文章にぐいぐい引き込まれる感じがとても気に入りました。感動があって、文章にも無駄が無いから、隙が無いように感じます。 >最も低いところで衰弱した手のひらに、光を送り届ける神様のような手のひらもある。 ここに、うまく言えないけれどとても感動しました。読んでよかった、と思える詩でした。 たくさんの手のひらたちが、殺し合いながら生きる混沌とした状況が、目に浮かぶようです。でもその後に、とても大きな救いの力を感じて、私まで救われたような気分になりました。読み手を救う力まである詩。 あと、 >心が純粋であることや透明であることは、不在の証明に他ならない ここがとても好きです。今まで読んだ詩の中で、一番感動した詩かもしれない。
0おはようございます、雨野小夜美さん。救いの力、とてもいい言葉ですね。寧ろ雨野小夜美さんの優しい感性が、この作品を救ってくれました。本当にありがとうございます。
0いままで経験したことのない感覚を味わう。いままで考えてはいたけれども、頭の隅で漠然と考えていたことを、あらためて立ちどまって考える。そうやって私は〈詩〉とつきあってきたと思う。 ある事柄を表現する時、より感覚を伴いながら伝えることができれば、と願う。 ちゃんと〈手のひら〉で触れているか、ちゃんと〈手のひら〉で考えているか、とこの詩は私に告げている。〈手のひら〉の感触がある。凄いな、と思う。
0わたしもさん、ありがとうございます。 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を刺激するような書き方を意識していた時期があって、これら五感はある事柄を表現する際に強いリアリティーを与えてくれると僕は信じています。何かを思い出そうとするとき、どんな音が鳴っていて、どんな匂いがして、どんな感触があって、どんな味がして、そして何が見えていたのか、という、総合的な、体感的な書き方は非常に大切にしています。癖になるまでにこの書き方を意識していた時期が活きたのかなと思います。頭の中で思い描くものはどうしても、視覚的イメージに傾倒してしまいがちですから、一旦視覚的イメージに頼らずに他の感覚で表現できないものかと自分に課すことは大切なことだと思います。
0言ってることはごく普通、当たり前と言えば当たり前のことなんだけれど、ごく普通で当たり前のことをきちんと確かめるってとても大事だよなと思いました。そうしたことを丁寧に噛み砕いていくような文章に好感を持ちました。冒頭の入り「世界が私に触れていた。世界はたくさんの手のひらを持っている。」の部分が特に好きです。
0白犬さん、今頃になってレスが付いていたことに気づきました。遅くなりまして申し訳ございません。コメントありがとうございます。 普通の感覚を、普通に書いていくことで、普通の作品が出来上がる。言葉を普通に使うことに、僕は普通の幸せを感じました。変わった作品を書くのも好きですが、変わった作品を書き続けてきた反動で、普通の作品が書きたくなったのかもしれません。おかしなものばかり書いていると、言葉のおかしな使い方が自分の認識レベルにまで悪影響を及ぼしかねないので、時々こうして魔除けではないのですけれど、普通の感覚で、普通に書いてみることで、自分がいかに普通の人間であるかを自覚することは等身大の幸せを感じるために必要なことであると思います。ペソアが言いました、一流の詩人は自分が感じたことを書く、と。二流の詩人は、感じたいことを書き、三流の詩人は感じてもないことを書く、と。僕はよく感じてもないことを書いているので、ペソアの中では僕は三流の詩人であると思います。でも、おかしなものばかり書いていると、感じていなかったことがあたかも感じてきたかのように錯誤してしまう時があって、いつか飲み込まれてしまうんじゃないかといった恐怖心もあります。嘘も千度つけば真実味を帯びてくる、というやつです。創作とは、嘘をつくことでしょうか。面白いものを書けばいいのだけれど、嘘つきと言われるとショックを受けてしまう自分もいて、難しいです。うーん、創作物に対して、これは嘘だ!と言うような人の方が間違っているのかもしれませんけど、書いた当人としては、いつでも嘘をついているという罪悪感が少しばかりあります。作品であることを免罪符にしているような、そんな気がします。と言いつつも、嘘に救われることも、きっとあると思います。僕も、たくさんの嘘に、救われてきました。美しい嘘、優しい嘘、いい嘘に。ただ、その人を、幸せにしたいという、それだけの嘘。ありがとうございました。
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