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沖縄
幼稚園の頃6月23日は楽しい日だった 学校が休みだったから でも父さんも母さんもあまり楽しそうじゃなかった いつもせんそうについて話し合っていた 小学生の頃6月23日は悲しい日だった 戦争学習で戦争の悲惨さを学んだから 戦争なんて大嫌い平和がいいに決まっている 高校生の頃6月23日は特になんとも思わないようにしていた 沖縄の大人たちが行動に移しても 何も変わらないように思えたから 大人になって俺は内地に行くことにした 仕事をしに行った理由はとくになく そこに仕事があったから でも今考えると沖縄を出て良かったと思う 色々と衝突もあったけど沖縄の本当の価値が分かったから まず沖縄は日本の平和に貢献している 沖縄はそのことに誇りを持っていい それぞれの地域も当然日本の平和に貢献している だけど平和はただじゃない 日本国民一人一人の努力によって国の平和が保たれている だから沖縄が平和であればいいというのは ともすれば沖縄さえ平和であればいいと聞こえてしまうかもしれない 皆さんはどうお考えだろうか? さて私は病気を患い本州から沖縄に帰ることにした そこで思うことは私の住んでる所の近くは平和だ まだ不満はあるけどそれは他の地域も同じ より良くしたいならデモで訴える必要があるけど あくまで平和的に問題なくデモができるということは 平和である証だと思う なにが平和だ!沖縄本島が確かに平和か?離島はもっと平和じゃない 俺達離島の人間は平和だと思ったことはない いつも中国の漁船が日本の領海内に侵入してくるからな だから海上保安庁や自衛隊に守ってもらうのは必要不可欠なんだ 沖縄本島は確かに日本国にとって必要かもしれない だが同じように沖縄の離島も沖縄本島にとって必要だ!! 沖縄県内だけでもこれだけ意見がバラバラなのに 沖縄だけ見ていてほしいというのは虫が良すぎる だから情報を集めてから主張するというのが必要だ あえて日本人ではなく日本国民と言っているのも 日本に住んでいる外国人の方にも意見を主張したいからです 尖閣諸島は日本の領土です沖縄の領土です このままでは尖閣は取られてしまいます 沖縄にも注目していただきたいです そしてふと思うことがあります お金で平和は買えない?いえお金で平和は買えます お金だけではだめですが 今の日本がアメリカに思いやり予算をプレゼントし 沖縄には復興費を予算に組み込み 日本国民はアメリカに守ってもらう価値があると アメリカに証明し続けて今があります ですが万が一第三次世界大戦が勃発してしまった際に 各国は間違いなく自国を最優先に守ります アメリカもそうです 日本はそろそろ自分の国は自分で守る 必要があるんじゃないかと思います 具体的にいうと夢のような話ですが 敵の軍事施設だけをピンポイントで攻撃できる しかもレーダーに感知されない 理想は敵に戦争する意欲をなくさせ さっさとおわらせ犠牲を少なくすることです 本当の理想は戦争がないことが一番なんですが でも人間は弱い存在ですから どうしても軍事力を持ちたがります 相手よりも優位に立ちたいのです 先の大戦もあれは自衛の戦争だったとかいやあれは 侵略戦争だったとかいろいろな意見がありますが 大事なのは事実は変わらない しかし印象は見方によっておおきく変わる そういえばコロナ禍になってから 戦争の話がでませんね是非コロナが終息しても 平和であってほしいです
沖縄 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1733.5
お気に入り数: 4
投票数 : 0
ポイント数 : 12
作成日時 2021-02-01
コメント日時 2021-02-07
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 4 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 0 |
エンタメ | 3 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 0 |
総合ポイント | 12 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 4 | 4 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 3 | 3 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 2 |
総合 | 12 | 12 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
沖縄のことは、日本のことでもありますね。
1コメントありがとうございます最近の国際情勢を鑑みてこのままではまずい気がして投稿させていただきました
1コメントありがとうございます。そうですね全く想像してませんでした。シーサーや三線の視点というのも面白いですね今度やってみます。
1最後の連が沁みますな… EL&Pのアクアタルカスが組曲の最後を締めくくるように。
0「タルカス」という曲、「アクアタルカス」という部分を聞いてみたんですがとてもいい曲ですね。私の詩は「タルカス」みたいに題材は壮大かも しれません。ですが「タルカス」のようにん中身が伴っているわけではありません。でも評価していてだき感謝しています。
1これは、と思いました。詩の定義なんてないし「これ詩じゃないよねおじさん」には決してなりたくないのですが、この詩にはやはり技術的な問題があるように思います。僕の好きなバンドにチェルノブイリ原発事故に触発されて書かれた、今にして思うと反文明的な曲があるのですが、子供の頃は「これは反文明の曲だなー」とか「反原発の曲だなー」とは決して思わなかった。その曲の歌詞には主軸としている別の詩情があった。そこに惹かれて少なくとも僕は熱狂していた。対してこの詩ですが弁論大会の青年の主張に留まっているように思います。主義主張、個人の考え以上の詩情が足りないようです。やや否定的なコメントに終始してしまいましたが僕個人としては筆者様の真っ直ぐな感情、想いは嫌いではないです。それをどう伝えるかあるいはどう潜ませるかがこれからのテーマになるように思います。
2コメントありがとうございます。レベルが低いのは自覚していましたが、はっきりと指摘されると恥ずかしいものがあります。ただ「詩情」は足りなくてもこの詩は率直な私の思いを書いた ものなので世に出したのは間違いでは無いと思っています。
0沖縄には個人的にも思いがあり、何度も訪れています。 沖縄戦は本当に、悲しみの記憶です。沖縄戦の真実を忘れてはいけないと思っています。 それを詩で伝えることができたらいいなと改めて思いました。
1コメントありがとうございます。沖縄に寄り添っていただきありがとうございます。沖縄戦は平和学習で沖縄県民は必ず習います。おじいちゃんおばあちゃんからも習います。今は新聞、テレビだけでなくネットもあるので情報収集は便利です。今回私が詩を投稿しようとおもったのは沖縄は基地問題だけがクロースアップされていて領土問題がおざなりになっているんじゃないかと思ったからです。こうしてご意見を頂けるのは私の望むところなのでありがたいです。
1沖縄と聞くと無条件に反応します。 先ず「6月23日」が何の日かを調べました。それは調べたい人が各々調べればよいと思うので、僕が御託を並べる必要はないですが、一年の中の一日の意味が変わってくるということ。それは幼稚園の時のエピソードが伏線になって、そこから全てがつながってきています。「いつもせんそうについて話し合っていた」ということ、ここに語り手自身は参加していなかったのですが、成長するにつれ、このことに参加せざるをえなくなっていくこと、それは「戦争学習」という、言わば、この地に住む人が教育によって必ず通る道があるということも示しています。 内地に理由もなく仕事をしに行くという描写も、沖縄ということをまさに示していて、沖縄って実に矛盾をはらまされた土地だよなあと。内地で仕事している人は、バカンスで沖縄に行き、沖縄で生まれた人は、仕事をしに内地に行き。 ここから、「平和」ということを考えていくのですが、「平和」について書くと長すぎてしまう予感が既にしているので、重要な点として、それが「誰にとっての平和」なのかということを常に意識しなくてはいけないと思っています。「国の平和」とか「国民の平和」とか、それって本当に言えるのかなって。一人の出来事を全体に言えるかのようにしてしまうことは多々あるし、全体的な出来事があたかも本当に全体に起きているかのようにしてしまうことも多々ありながらも、もっと時間をかけて「誰にとって」「誰から見た」ものなのかということを語り合ってもいいのではないかと。 だからこそ、この作品の「私の住んでる所の近くは平和だ」とか「平和的に問題なくデモができるということは/平和である証だと思う」とか「沖縄本島が確かに平和か?離島はもっと平和じゃない」とか、きちんと目線を変えて考えられていて、ものすごく貴重だと思うんですね。 先ほど「矛盾的」と述べたのですが、作中でも述べられていたように、内地に仕事へ行く人もいれば、基地があることによって軍属と言われる基地内の仕事に就く人もいて。「基地問題」と一言で言っても、「基地があるのは悪」と短絡的に決して言い切れない部分もあって、基地があることも恩恵を受ける人もいて、そうした二面性が在るということを沖縄の方々は重々承知しているからこそ、県民投票の際にも票数に大きな偏りがなかったのでしょう。 「日本はそろそろ自分の国は自分で守る/必要があるんじゃないかと思います」というのも、政治的な思想とかそんなんで片付けられない、「各国は間違いなく自国を最優先に守ります」という考えから導き出されていることにも、確かな思考の歩みを感じます。 最終行、何でもない願望のように見えてしまいがちですが、逆に、これってかなり恐ろしいことだよなと考えさせられました。敢えてその内容を伏せておきますが、「もし」が起きた場合に、これはこれは本当に恐ろしいなと。だからこそ、「平和で会ってほしいです」という言葉にも現実味を感じました。 関係ない話で恐縮ですが、元来沖縄とは縁を勝手に感じていて、こうした話を語り合いたいなと。それは、無論ウチナーの人でも、ヤマトーの人でも、それぞれから見た沖縄がどう見えるのかと。その見え方を僕は見たいと思っております。
1コメントありがとうございます。まずは謝罪を「戦争学習」と詩のなかで書いてますが正しくは「平和学習」の間違いです。申し訳ありません。沖縄は基地問題という大きな問題を抱えていますが大きな問題を抱えているのは他の都道府県も同じです。ですからできればそういう想いを少しでも共有できればいいと思います。
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