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子ども
子ども ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2247.1
お気に入り数: 1
投票数 : 4
ポイント数 : 8
作成日時 2021-01-18
コメント日時 2021-02-02
項目 | 全期間(2025/04/11現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 4 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合ポイント | 8 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.3 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.7 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0.3 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.3 | 0 |
総合 | 2.7 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「かわいそうに」という表現がこれほど救いのある言葉になるとは。見事な手品ですね。
0子どもという一個人ではなく、子供という役割にフォーカスが当たっている点がいいなと思いました。
0お読み下さりありがとうございます。 「かわいそうに」という言葉は当然、対象を見下す感じで使用したのではありません。私たち自身を愛そうという気持ちから出た言葉です。この言葉が癒やしとならんことを。 年を取ってゆく間に私も、子どもってかわいそうだなと思うようになりました。とても弱い。でも弱いのは、大人と呼ばれる人たちも同じだと思うようになりました。こう顧みることをいつも忘れないようにしたいものです。
1お読み下さりありがとうございます。 子どもたち、また人間存在を個別に見ていくと、無数の性格が取り出されることでしょう。そういう方法もいいかもしれませんが、私は今作では子どもの弱さ、そしてさらにすべての人間の弱さに読者が目を向けられるように書きたかったのです。 人間がこの世に生きているそのありさまは、私には実に頼りなく思われています。強いようで弱い私たちはずっと「子ども性」とでも呼べるようなものを抱えて生き続けます。人々が互いにそれを認め合うことは、この世が平和であるための一つの要件でもあるのではないでしょうか。
1とても切ない、ような複雑な気持ちになりました。 この詩作品の 子ども をすべて 大人 におきかえたら、 それでも足りなければ 老人 におきかえたら、 とイメージが膨らんだのです。
0コメントありがとうございます。 私もこれを自分で書いて切ない、そして複雑な気持ちでいます。 人間は老若男女、誰もが弱く、かわいそうな存在であることは確信していますが、強くあらねばならない場面、完全を追い求めなければならない場面もあることを認めてもいます。 子どもを代表にして人間の小ささ、弱さを描いたのですが、小さく弱く生きることの中にきっと強さもあるだろうと思ってもいます。
1>世界の褶襞に温かそうに住んでいる >見つからないと思って >見えないと思って世界の褶襞に温かそうに住んでいる 印象的なところがこの箇所でした。気づいていないのだ、とふと思いました。深く読解するというよりも読み上げて感じ入るものがありました。強さも弱さも誰もが兼ね備えているのだけれど、切ないですね。まだ何か掘り当てられそうで何度か読み返してみたい作品です。
0とても良かったと思います確かに私も含めて精神的にまだ子供な大人は多いような気がします
0コメントありがとうございます。 「褶襞(しゅうへき)」=「しわしわのひだになっているところ」。 なぜかこんな言葉を知っていました。 人間は誰でもいつでも何かに守られていて、直に生きていることはほとんどないと思われます。 読み流していただいて、ちょっとでも何か心に残るものがあったというだけで、私には大変うれしいことです。ありがとうございました。
0コメントありがとうございます。 大人って、どこから大人なんだろうと、疑えば疑うだけ分からないですね。 私の考える「子ども性」は抽象的なことですが、人間は一生これを持ち続けるように思います。 いつまでも子どもなのでは困ったことですが、現実、大人は無理に大人ぶって生きなければならない場面のなんと多いことか、と思っています。 良かったとの評、ありがたく思います。
0追記です。 眠れない夜に、ぼんやりと考えるともなく、考えていた、というか音楽を聴いていたのですが、ふとこの詩の事を思い出していました。以前のコメント、1/20の。なにか重要な見落としがあるように感じたのです。 - とても切ない、ような複雑な気持ちになりました。 この詩作品の 子ども をすべて 大人 におきかえたら、 それでも足りなければ 老人 におきかえたら、 とイメージが膨らんだのです。 以前、このように書きましたが、なにか重要な見落としがあるように感じたのです。 それは、もし仮にこの詩作品の「子ども」をすべて 大人 に 置き換えて、 - 詩作品として提出したとして。 その事の困難さを思ったのです。あくまで個人的な感想なのですが、なにか引っかかるものがあったのです。
0当事者性が感じられませんでした。
0ryinxさん、 この拙作をめぐって、再度思い返し、引っかかりを覚えたとのこと、私にとってはありがたいことです。何の問題もないということは、私にとってはほとんど悲しいことだからです。 さて、私は「子ども」を「大人」に置き換えて、詩作品として提出しませんでした。これが不動の事実です。 最初にあったモチーフは私を投影した「子ども」であり、それに対して、どこにも隠れていない、何も隠していない、何もかも見えているものをもう一方の極に想定してみたのでした。 すると「大人」はどうなのかという感想を誘うのは自然なことです。 作者の私がそういう問いに当たりました。そして作品はあのように「みんな隠れている/みんな隠している/見つからないと思って/見えないと思って」という私なりの判断をもって終わっているのです。 その判断は何個もある判断のうちの一個であってよいと思っています。
1藤一紀さん、 短いながら、批判をいただきました。 作者である私は当事者です。「子ども」は私の投影です。それから、ryinxさんに宛てても書きましたが、どこにも隠れていない、何も隠していない、何もかも見えているものを正反対の極に想定している点で、自分勝手な戯画でもないはずです。すべての読者が当事者となれる普遍を具現することができないことが許されないならば、どんな試みも開始されないと思われますが、どうでしょうか。
0ほんとうですね。 子どもはいつもはしっこにいますね。
0引っかかりを感じたというのは、この作品に、とても大切な意味が込められていて、っていう そのことを思ったのです。けっして否定的な意味ではなく、とても大切な事が書いてあると思ったのです。 もし誤解をさせてしまったのならごめんなさい??
0返信どうもです。読む限り、語り手はとどのつまりは「子どもも大人もみんなかわいそう」と語っているのであって、そういう社会を作ってたり加担しているのは(語り手も含めた)大人なんですけど、それもかわいそうというのはあまりに無批判に過ぎるのではないか?という疑問をもっただけです。思いはどうあれ、こちらの詩の語り手の言葉からは、そのような社会を作ってきた(加担してきた)大人のひとりとしての当事者性が感じられなかったということです。
0僕はこの語り手も含めて気づいていないことがかわいそう、だという皮肉を孕んだ作品なのかと思っていました。しかし、そうでもないのかな?? すみません、あまりコメント欄読まずにコメントするもんじゃないのかもしれないですね。
0>世界の褶襞に温かそうに住んでいる この一行がいいと思いました。
0私の体験では子どもはけっこう早くにいわゆる自我に目覚めてそれを抱えています。それでも保護されねばならない弱い存在です。世の中に働きかける資格も能力も持たないまま、自我だけは持っていること、はしっこに居ざるを得ないこと、その場合に感じる一種の悔しさをにじませることができていたならば。
0たぶんこの一行が、私にとっても、一番無理をせずに自然に書けた箇所だと思います。他の部分はちょっと力が入りすぎたように自分で感じています。
0ryinxさんの作品を読ませていただいてきた過程で、私はryinxさんが人並みより一段強い感受性を持っていることを感じています。私のこの作から、おそらく小さからぬショックにも似たものを感じ取られたのだと思います。それがどんな意味合いのものであれ、それをまっすぐに表明してくださったことに感謝しています。
0なるほどです。確かに子どもも大人もあまりに単純に一括りにして語ってしまったとは反省されるところです。また、作品中盤のものの言い方は自分でもどこか精度を欠いているように思います。御指摘ありがとうございます。これからの制作にいかしたいと思います。
0裸のままに作品を読んでいただくこともうれしいことですし、それも一つの方法であるかと思います。皮肉はこめたつもりは無かったのですが、すべてを気づくことのできない人間の憐れさは表現したかったことです。
1ごめんなさい。この作品にどうしても投票したかったので再コメントお許しください。 先に送信してしまったら後から投票出来ないって知らなくて。 「かわいそうに」おそらく言葉を扱う者にとって最も嫌われている言葉のひとつかもしれませんが、そんな言葉に光を当てられるのも詩を書く者の功績のひとつかもしれません。なんとなくそんな事考えました。
0そんなにもこの拙作のことを思っていただき感に堪えません。ありがとうございます。 「美」があるとは簡単に言えない、そして論理的には無理にねじ曲がっているようなこの作品、しかしチャレンジングであったことは自分で認めているこの作品。 書いてよかったです!
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