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@morning(きみと朝食)
水色の盥にすっぽり尻を入れた 部屋の真ん中でじっと 踏ん張り 捻り出す すっぽんぽんのうんち きみは二十歳を越えた若き主 ぼくはキッチンより (半開きの扉)背中)を見た (汚れなき無言)パンク)幸あれ 熱いフライパンの上の卵のじゅーじゅー リクエストのハムエッグが焼き上がる頃 清きあぐら坊は笑う ぎゃはは ぎゃはははは 昨夜のM-1見ている 激しくヘッドバンディング それは(ナチュラル)ハイな きっと(金髪)だから 先輩ともどもうんちを持ち出し 便器へ目掛け一息に 木の箆で振り落として見せた オー グッドアイデア 耳元で讃えられた 二人(祝のような)一歩を 仰向けの裸ん坊は 見開く天井の下 今朝はシーツにくるまる 山の凸凹であった いつまでも ぐにゃぐにゃ ぐにゅぐにゅ であった その股にトランクスを その細長き両脚にブルーのジーンズを その白桃の掌からチェックの赤いコットンシャツを通し その踵に靴下を この床の上 (ぎゃははは)ころんと仕上がる オーブンを開き 食パンを乗せ メーカーより注ぎ淹れたストレート テーブルの上のカップ ぎこちない きみの 若い手が運ぶ カーペットの上 テレビの前 ほやほやの ハムエッグかじり カリカリ 砕かれていくトースト カーテン 先輩 (つくりたて)の皿)の味 午前10時 ワンルームマンションの薄暗い部屋から 冷たい息を吸い込む1階の廊下の端 ドアの横に待つ 極太の黒いバッテリーコードを外した 緑を点す車椅子が 下るスロープの先から国道沿いを北へ 角の郵便局できみは 光熱費を支払う きみの好きなバンドにあの娘のこと 肩越しに話しながら横断歩道を渡り切り 地下鉄のエレベーターより 改札口を通り抜け 誰のものでもない朝 ぼくたちは 鋼鉄の扉を打ち震わせ 足跡のようにたどる陽の中を まばゆくおちていくのだ
@morning(きみと朝食) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1183.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 2
作成日時 2021-01-18
コメント日時 2021-01-24
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 2 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この作品には不思議な魅力があって、何度か読み返した中で何がひきつけるのかと考えました。それは「カップ」や「トースト」がそうであるように、この作品自体に温度の変化があるからでしょう。 「午前10時」と始まる連を後半部、それ以前を前半部と便宜的に分けるならば、その前半と後半とで温度差を感じたのです。それもまた作品内にある服を着て身支度を整えるようにして、後半部に至るとまるで作品自体が服を着て身支度をしているように。それゆえ、語り口調も変わっているように思えます。 前半部では、目の前にあることを単に列挙して切り取ってあり、起きていることがただ起きており、そこには疑義が生じるものではありません。「ぎゃはははは」という笑い声が似合うようにして、起きていることをそのままに受容している。それこそ、まるで「仰向けの裸ん坊」のようにして、素の状態であるということ。服を着て、食事を摂る様子から、何かに向けての準備がなされているように見えてきます。前半部で特に好きだったフレーズが「先輩」という一行です。素の状態で起きていることをそのままに受容するということ、それがつまり、目の前に人物が語り手にとって単に「先輩」であるということ。先輩がそこにいるということを説明するには、一行で「先輩」とこう記せばよいのだと教えられたような気分で、なおかつ、この一行に作品内だけに流れている時間が凝縮しているような気がします。関係ない話ですが、いまだに僕のことを先輩と呼んでくれる人が2~3人いて、僕とその人が生きている限り、先輩と呼ばれ続けるのだろうと。人間関係を表す言葉ではありますが、つまりは、「共に生きている」ということを示す言葉でもあるなあと、「先輩」。 後半部は「冷たい息」によって冷やされたせいか、冷静な語り口調となっていて、目の前のことを語っているというより、俯瞰して描写されております。部屋の中というのは、プライベートな空間であり、服を脱いでいても、うんちをしていても、何とでも過ごせますが、部屋の外と言うのはパブリックな空間であり、言わば社会的な「私」というものにならないといけません。だからこそ、「誰のものでもない朝」というものが部屋の外にあるのですが、逆を言えば、前半部は「ぼくたちだけの朝」とでも言えるのかもしれません。そして、「まばゆくおちていくのだ」と終わるのかと。この「おちていく」の真意はいまだにつかめていないのですが、ただ、前半部と後半部で、温度はおちていったのかなと僕なりに感じました。
1流れるような美しいふろうを感じて、その中心人物である金髪の青年(おそらくぱんくす)の赤ん坊のような描写が不思議なあくせんとになって居て、しゅーるで面白い文だなぁ、青年が赤ん坊じみて居るのは、天衣無縫な青年の精神の比喩だろうか、と読んで居たのですが(ここまでは初読の感想)あがってたので、読み直して気づきました。この青年はたぶん、車椅子なのですね。なんらかの、重い障害か病を抱えて居る。それで不思議な描写の数々にも納得が行きました。しかし、社会的には負と捉えられがちな要素(困難)を抱えながら、意に介さないかのように、明るく日常を生きて居る青年と先輩の眩しい朝食が、清らかな反骨精神を感じさせ、とても良かったです。私も美味しいもーにんぐのご相伴に預かったような豊かな気持ちになりました。素敵な詩でした。
1流れるとふろうって同じ意味かな?重複表現ですみません。読み直せたので、あげてくれた人もさんくす!
1最初のうんちでずっこけましたが後は一日の始まりが綴られていてとってもほっこりしましたいい詩だと思います
1レスをいただきありがとうございます。 後日あらためてお返事をさせていただきます。
0なかたつさん ありがとうございます。 温度 体温など。そうした変化まで感じさせるなら意識のどこかにそうしたことを含むものがあったのだろうと。 同時に匂いや主体-客体などとの関係も。共同を通じ変化するものや気付きがあったように思います。 後半部で語りを変えてしまいましたが、よくなかったかなと。統一すべきかもしれないとも思いました。混乱させるようで申し訳ないですが。 先輩と馴れ馴れしく呼称していますが、実際はまだ日も浅く一度も先輩とは言ったことがありませんでした。共同な作業を通じて何かが通う様子を示したのだろうと。 そうですね。後半は社会的な存在としてのとなりますね。現実と言いますか。おちていくや打ち震わせは行き過ぎかもしれませんが、やはりどこかで取り巻くものを意識せざるを得ない感じからでした。具体的に触れはしませんでしたが、きっかけ、導線となるようなものといったところでしょうか。後半部については補足でした。本来は前半部のみの作品でしたから、蛇足となるのかもしれません。主題をぼかせてしまったようにも。おそらく読み手の方もおとしてしまったかと。 参考になりました。ありがとうございました。
0白犬さん ありがとうございます。 ぱんくす青年と赤ん坊との関係を想像してくださりよかったです。そうですね。重度の身体障害がある方です。 部屋では素っ裸になることもあります。反骨がまた主題とも関係しているでしょうね。青年が実際にそうした反骨なるものを意識しているかはわかりませんが。ライブハウスなどに出入りする音楽好きな方でした。 それぞれのもーにんぐがあるようだなと。笑ったり笑われたりしつつ迎える力強い歩みといったところでしょうか。 ありがとうございました。
0流れる、ふろうは浮浪、flow…ニュアンスは同じようですね。能動的か、受動的か。 といったところでしょうか。
0福まるさん ありがとうございます。 うんち、うんこ、クソ、排泄…なんでもよろしいかなと。作品の始まりにうんちを出した甲斐がありました。 触れたくはないものですが、触れなければ作品は成立しません。匂い、感触、色など。そうしたところをイメージに含ませつつといったところでしょうか。 ありがとうございました。
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