ふたごらいたー - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

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あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

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明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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ふたごらいたー    

私の好きな人はピースを吸っていてライターはジッポー中身の入っていない大きなリュック背負って弾むように歩く。いつでもデニムのジャケットに細身のパンツで冬だけフェイクファー付きのコート。どれをとってもカッコつけてるのが見え見えなのに一個もカッコよくないのだったそしてやたらと泣くんだった長いまつ毛に雫が溜まる。ラクダのつくるオアシス。極小。砂漠の夜は寒いらしいよ。すぐにでも死んでしまうね。やっと付き合えた彼女にお揃いの革製ブレスレットを贈ったのになかなかつけてもらえなくて、文芸部の部長のくせに機関誌になんにも書かなくて、いつでも湿ってるから手を握るのが苦手。だけど、親身になって話を聞くから友達はたくさん。そういえば、私のことをかわいいって言ってくれてたっけ。眼鏡率は低いけど、あれ絶対ど近眼だろ。机に置きっぱなしのピースの箱を開けて一本抜き取って、おもむろに取り出した赤ペンで口紅の跡状に色を塗る。それを箱に戻してみんなでにやにやしながら彼が帰るのを待つ。私ね、泣くんじゃないかなって思ったよ。ネット記事を雀の涙の執筆料で引き受ける双子のライターが、使い捨てオイルライターを握ってカチカチしてる。利用されては捨てられて。フタコブラクダのこぶの中身は脂なんだって。縦列つなぎで月の砂漠へ。連なりたかったな、私も。


ふたごらいたー ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 24
P V 数 : 2991.3
お気に入り数: 1
投票数   : 2
ポイント数 : 9

作成日時 2021-01-04
コメント日時 2021-01-29
#現代詩
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
叙情性32
前衛性00
可読性43
エンタメ00
技巧21
音韻00
構成00
総合ポイント96
 平均値  中央値 
叙情性11
前衛性00
可読性1.31
 エンタメ00
技巧0.71
音韻00
構成00
総合33
閲覧指数:2991.3
2024/11/21 19時40分48秒現在
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    作品に書かれた推薦文

ふたごらいたー コメントセクション

コメント数(24)
こうだたけみ
作品へ
(2021-01-04)

初出:即興ゴルコンダ(仮)2021.01.03 タイトル「ふたごらいたー」は即興ゴルコンダ(仮)のお題です。 出題者は百均さん。 かわいいお題ですよねー。

0
百均
作品へ
(2021-01-04)

こんにちは なんか読んでいて悲しい感じですね。豆知識がぽろっと最後においてあるのも、ちょっと物悲しいですね。フタコブラクダに重ねていくのはユーモアがあって思いつかない感じがなんともいいですね。それがただイメージだけ置き去りというよりは、重なるイメージが連なっている事がフタコブラクダっぽいたいな感じでいいなと思いました。後は眼鏡もよくよく考えたらレンズの双子じゃんとか思ったり。 失恋みたいな文脈というよりは、ちょっと遠くから見ていた存在みたいな感じなのも、砂漠の山の上を歩いているラクダを見つめる私みたいでいいなと思いました。なんというか距離感がある感じでしょうかね。もちろん身近な存在であって、わたしも連なりたかったみたいな事も述べているんですけどね。 >ネット記事を雀の涙の執筆料で引き受ける双子のライターが、使い捨てオイルライターを握ってカチカチしてる。利用されては捨てられて。 単純に気になったのは、ここの違和感っていうんですかね。使い捨てライターが利用されて捨てられるみたいな事が書いてあるんですが、諸々賭けていてあってうまいなって思うんですが、急にトリップしているなって感じで面白いですね。なんですが、単純にここら辺どう描いたのかなみたいなのが気になった感じです。 寸感程度ですが、そんな感じで感想を書いてみました。 ありがとうございました。

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かずや
かずや
作品へ
(2021-01-04)

>私ね、泣くんじゃないかなって思ったよ。 というところまでの文章の流れ、拍子がとても好きです。

0
こうだたけみ
百均さんへ
(2021-01-06)

百均さんへ お題出しとこちらへのコメント、ありがとうございます。 ゴルだと投票する作品だけ軽く言及する程度で他の作品にコメントをつける人はほぼいないので、遅刻で投票対象外の詩を書いても宙に浮かんだままな気分でいたから長めのコメントがうれしいです。 > 単純に気になったのは、ここの違和感っていうんですかね。使い捨てライターが利用されて捨てられるみたいな事が書いてあるんですが、諸々賭けていてあってうまいなって思うんですが、急にトリップしているなって感じで面白いですね。なんですが、単純にここら辺どう描いたのかなみたいなのが気になった感じです。 「どう書いたか」の説明はいくらでもできるので、回答するのがたのしい質問をありがとうございます。部分だけを抜き取るのはむずかしいから「本作をどのように書いたか」の全体を説明させてくださいね。 百均さんが「ふたごらいたー」というお題を出すときTwitterで「なんかかわいいでしょ」って言っているのを見てたしかにと思いました。さらにゴルでは〈物の双子〉と書いているから百均さんは火をつけるための装置を想定したんですよね。 お題を見て、私はこんな光景を思い浮かべました。 「不思議の国のアリスに出てくるトゥイードルダムとトゥイードルディーみたいな愉快な風貌の双子のライター(物書き)が、横並びで使い捨てライター(火をつけるやつ)をカチカチしている。ふたごらいたー」 さて、この光景を詩にするにはどうしたらよいでしょうか。そのまま描写してもいいんだけどそれだけになっちゃうと広がりがない。そこで私は観察を始めます。 「使い捨てライターをカチカチし続けるってことはオイル切れだな。タバコが吸いたいのに吸えなくてイライラしているんだろう。このイライラはライター仕事がうまくいってないことも原因だな。使い捨てオイルライターを握った使い捨てのライターか」 ここまで考えて、ふと昔のことを思い出しました。 「そういえば、置きっぱなしのタバコの箱から一本抜き取って赤ペンで口紅の跡みたいなのを描いて箱に戻して持ち主が帰ったらどんな反応をするかみんなでにやにや見ていたことがあったな。その人はみんなのにやにやはわかっているから理由を探すんだけど見当たらなくて、諦めてタバコを吸おうとした時にいたずらに気づいて、これは試されてるなってことで“いたずらに気づかずタバコを吸って灰皿に置いた瞬間びっくりする”という小芝居を打った。冷静に考えると全然おもしろくないんだけど爆笑するくらいにはその人のことが好きだったな」 ならばこの昔の片想いの話が“トゥイードルダムとトゥイードルディー”につながるまで書いてみようじゃないか、ということでできたのが本作です。 >ネット記事を雀の涙の執筆料で引き受ける双子のライターが、使い捨てオイルライターを握ってカチカチしてる。利用されては捨てられて。 百均さんはこの部分に違和感があって〈急にトリップしているな〉と思ったようですが、実は作者的にはこれより前の部分でトリップしていてここからが現実なのでした。 なーんて長々と書いたけれど「言われなきゃわかんねえよ!」ですよね。はい、わかってます。笑。 私は冒頭でキャッチーなフレーズを見せびらかすような作品よりも、最後まで読んで「こうきたか!」となる作品が好きです。なので自分が書くときも、出だしより終わりに向かう過程に気を遣います。本作で私が何を書きたかったかというと、“何かについて夢中でしゃべっている人の意識がふいっと別に移る瞬間”です。 11月に「水中反転」( https://www.breview.org/keijiban/?id=6490 )という詩を投稿しているのですが、コメント欄の田中さんへの返信で〈私は高校生くらいの女の子をとても美しいと思っています〉という主旨の話を書きました。 > 本作(水中反転)では、部活帰りに気心知れた友人とご飯を食べながらダベるという状況を描いています。これは女性特有なのかもしれないのですが、こういう時の女の子は八割方“思いついたことをそのまま口にして次の瞬間忘れる”というお喋りをします。ですから、〈ねえ中華屋さんってなんでなんとか飯店ってとこが多いの〜?〉という台詞は、語り手が返事をするより早く忘れられていると思います。その、一つのところに留まらずくるくると転じてゆく〈彼女〉の美しさに、語り手は溺れているのではないかなあと思っています。 上記のような〈一つのところに留まらずくるくると転じてゆく〉美しさを描きたい。というのが、本作「ふたごらいたー」の目指すところだったんじゃないかなと思っています。 以上、なんかたくさん書いたけど伝わりますかね? てか、回答になってるのか? どうだろう〜。

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こうだたけみ
かずやさんへ
(2021-01-06)

かずやさんへ コメントありがとうございます。 〈文章の流れ、拍子がとても好き〉と言っていただけてうれしいです。私は詩文を声に出して整えていくタイプなので、かずやさんの読むリズムと私の喋るリズムが合っていたんだろうなと思います。 少し話が逸れるのですが、人にはそれぞれ書くときのリズムや呼吸があって、読んだ瞬間ピタリと合うと「これ好き!」ってなるし、合わないと「これ好きじゃないなー」となったりします。でも「好きじゃない」と判断した作品も何度か声に出して読んでみるとおさまりのいいリズムが見つかることがあって、そういうとき私はとてもうれしくなります。声に出して読む、おすすめです。 それにしても〈私ね、泣くんじゃないかなって思ったよ。というところまで〉ってことは、“何かについて夢中でしゃべっている人の意識がふいっと別に移る瞬間”(百均さんへのコメント参照)を上手に描けていないってことなんだろうなー。精進します。

2
三浦果実
作品へ
(2021-01-06)

こうだたけみさんの作品久しぶりにコメントしますが、これ読んで僕のことが書いてあるって思いました。それぐらい引き込まれてしまう快作ですね。どうも、みうらです。今年もよろしくお願いします。

0
こうだたけみ
百均さんへ
(2021-01-06)

大変! 百均さんへのコメントに追記です。 私は決して昔の自分を美しいと思っているわけではありません。むしろ美しさのかけらもないので、こうして作品化することで美しくなれたらいいのにな、という感じです。“自分は美しくない”という大前提は私には当たり前すぎて表明する必要がないのだけれど、他の人からはわからないですよね。失礼しました。

0
こうだたけみ
三浦果実さんへ
(2021-01-06)

みうらさんへ 今年もよろしくお願いします。 どこをどう読んだらみうらさんのことが書いてあると思うんだろう。ウケる。 初笑いをありがとうございます。

0
百均
こうだたけみさんへ
(2021-01-06)

こうださん おばんです。なるほど、お題を見た時のイメージがあってそこから逆算して色々組み立てていったって感じなんですかね。なんだか、なるほどなと思ってしまいました。なぜかというと、所謂トリップって感じをこうださんの作品に感じるみたいな事を結構色々な場面で僕は言ってきたんですけど、多分それは僕が出来上がった作品見てるからであって、所謂着想した時のイメージっていうんですかね? そこら辺の事考えてなかったからかもしれない。なんというか僕自身直情的な所があって、一方通行で全部考えちゃってんのかなと思いました。 後、このお題を考えた時は単純に物のイメージでしたね。双子のライターのイメージしかなかったので、ごるだとたかはさんとか象徴的だと思うんですが、writerもあるよねみたいな発想全然なくて、僕自身が自分のイメージに食われすぎてしまって、何も書けなかったみたいな所あるんですが、こうださんのイメージ喚起力というんですかね。そこら辺面白いなと純粋に思います。多分僕がお題に出すのって結局自分の手に余るからみたいなのが偶にあるんですが、そこら辺なんか毎回お題出す度に書いてくれた方に供養してもらってるんですよね。 作品化する事で美しくなれたらというのは、なんかいいなと思います。多分作品に感情って直接書いちゃいけないみたいなのが僕の中にあって、それはやすっぽくなるからだみたいな信条がいつの間にか出来上がっているからだとおもんですけど、そういう意味だと本作は感情の裏返しっていうのかな、書いてなくて書いてるみたいな感じが凄いなと思います。 色々追加で書いちゃってあれなんですが、今日読み返していてなんか泣きそうになっちゃのはここだったりします。 >私ね、泣くんじゃないかなって思ったよ。 なんか、泣いたって言われるよりなんか切実っぽい感じがするなって。実際どうだったかわかんないんですけど、これは多分文脈的には泣くのは好きだった人の方なんですよね。でも、なんか「私ね」ってついてるから私が泣いているのかなみたいな感じもしてね。なんか難しいですけど、凄く託してる感じがする文章が僕はすきなんですよね。なんかやっぱり表現に託しているのを感じられるっていうんですかね。そういう一瞬に僕は惚れこんでしまいます。というのが誤読かもしれないし、というか書いている人が何考えているのかとか、何をどう読んだのかなんて読んでいる僕はいつもねじ曲がってしまいますけど、曲がってしまう中で見えたきらめきっていうんですかね。そう思えちゃう物に会ってしまうとこうして長いコメントをまた書いてしまいました。 ちょっと余計な事言ってしまいましたが、多分人生初めての誰かの作品に対する再レスでした。という訳でうざかったらごめんなさい!

0
こうだたけみ
百均さんへ
(2021-01-07)

百均さんへ 再レスありがとうございます。うざくないです、むしろ大歓迎ですよー。とてもうれしいです。 作品にコメントを書いて作者にお礼をもらって終わり。それって一方通行と大差ないと思うので、私は話してみたい作者には積極的に再レスする派です! 前にsurvofさんと数日かけて話しましたもん。コメント欄すごいことになってました。笑。 それってネット詩の醍醐味だと思うんですよねー。だって好きな作品の作者が画面の向こうにいて話せるんですよ。すごくないですか?? 紙媒体じゃ絶対にできないですよ〜。 ところで、昨日ビーレビの公式ツイキャスをやっと聴き終えたんですが、ギルドって批評がメインなんですね。なんでもありのサークル活動でビーレビを盛り上げようって話かと感違ってました。笑。 それで、批評とは離れてしまうけど自作語りのギルドがあればいいのになーと思っています。私が百均さんへ書いた返信のように、まずこの自作はどんなふうに書いていてどう見せたいのかを作者が語って、それを受けてメンバーが「そんなふうには読めない」とか「そんなふうに書いていたのか!」なんて反応をして、作者の目指す形と読者から見た形を近づけるにはどこをどう改善したらいいか平和的に知恵を出し合う、みたいなギルド。その作者の詩作方法を盗むこともできるし、双方向で勉強になりそうじゃないですか?? さて、話を戻します。 〈私ね、泣くんじゃないかなって思ったよ。〉の部分は何度も書き直してあーでもないこーでもないと苦労して、締切に遅刻したのもこの部分のせいだったりするので拾っていただけてうれしいです。たぶん〈私〉も泣きそうだったんだと思うんですよねえ。だからどちらにも取れる書き方をしたんだと思います。 > というのが誤読かもしれないし、というか書いている人が何考えているのかとか、何をどう読んだのかなんて読んでいる僕はいつもねじ曲がってしまいますけど、 “ねじ曲がってしまう”について思うこと。 私は感想を述べるとき、うざいくらいに“私は”と書きます。そしてその“私は”の前には書かないけれども必ず“今の”が付きます。 作品を読んで読解するのも、作品を作るのも何か意見を述べるのも、全部“今の私”です。今の私とは“過去の私にとっての今”を積み重ねることでできていて、積み重ね次第で見えることも思うことも違ってくる。だから昨日の私はそう思ったかもしれないけど今の私はこう思うし、明日の私はまた違うことを思うかもしれない。その不確かさ、変われるってことが生きているってことだと思うんですよね。 そんなわけで、私は“ねじ曲がってしまう”ことはあまり気にしません。すべての人間は不確かな存在だと思うから正解はないし。それがたった今の自分にできる最大限のパフォーマンスだな、と思えるならよし! まあでもなー、今日の私は昨日より一日長く生き延びたから昨日の私よりえらい!とか思っている人間なのでちょっと頭おかしいかもしれない。笑。

2
百均
こうだたけみさんへ
(2021-01-08)

こうださん おばんです。返信書いてくださってありがとう。 なんか再レスしない信条ってなんで出来たんだろうねって考えたんですけど、掲示板から交流が始まったのってBREVIEWが僕にとっては初めてなんですよね。それまではひたすら緊張しながら画面越しの誰とも分からない人の作品におびえながら読んでいたので、なんか斬り合いみたいな感じで全部始まっちゃったのがそういう感じになっちゃったのかなって感じですね。 ネット上で誰かと一緒におしゃべりするのって、いきなりするのなんか緊張しちゃうんですよね。僕の事が嫌いな人がいたとして、その人に長文送り付けたらどうしよう、いやかな見たいな感じですね。後は自分の書いた感想に魂込めて書いて外れたらごめんなさい。次頑張って読みますみたいな動機に利用していたのかもとか。今思うと、単純に気になったから声かけてどう考えながらこれをどうかいたのか気になるなら聞いちゃえばよかったんですけどね。 って感じで、なんかドキドキしながらマジで生まれて初めて再レスしたんですけど、楽しいですね。やっぱ掲示板って対話する場所なのに、僕はそういう可能性を最初から否定してたのかななんて思いながらって感じなんですけど。まぁいいやとりあえず、色々べらべらしゃべっちゃお。 ギルドについては、なんというか流れで思いついたみたいな感じで、あの話の根本って結局運営に頼らずにユーザー側で好き勝手色々やっていいよねって事なんですよね。BREVIEWを壊す方向に暴れなきゃ別に何してもいいじゃんって所で、コスト0でシステムに頼らず楽しもうよ見たいな感じで提案した内容ではあるので、別にギルドじゃなくてもいいし、みんながここでしたいことをすればいいじゃんって感じですね。それで、結局再レスの話にもつながっちゃうけど、こういう場所があって参加したいと思うなら、やっぱり誰かと何かしたいよねって感じで、そこに自由さがありあまりすぎて一歩進めないなら、コンセプトハッキリさせた集団作って遊ぼうよ見たいな感じですね。という事を考えると批評ギルドが全てではなくて、こうださんの提言されているギルドってか別にギルドでもなんでもいいと思うんですけど、やりたい事をみんな好き勝手やっている集団がいくつかあってもいいんじゃないかなって感じですね。自作改題については、なんかネット上だとタブーっぽい雰囲気ってか空気があるんですけど、なんであかんのやっけ? ってあんまりよくわからんのですよね。理由は何個か思いつくけど、それを僕は声に出したことないし、あんまり語ってきたわけでもないし、というか単にやったことないんですよね。って考えたら案外やってみて初めて分かる面白さもあるかもしれません。ってか単純にやってみたら面白いかなと思いますね。単純に即興ゴルコンダの真似事やっても面白くなるよなみたいに思うので、なんでもありだぜやっちゃおうみたいな感じですな。ふむふむ。 >“ねじ曲がってしまう”について思うこと。 >私は感想を述べるとき、うざいくらいに“私は”と書きます。そしてその“私は”の前には書かないけれども必ず“今の”が付きます。 作品を読んで読解するのも、作品を作るのも何か意見を述べるのも、全部“今の私”です。今の私とは“過去の私にとっての今”を積み重ねることでできていて、積み重ね次第で見えることも思うことも違ってくる。だから昨日の私はそう思ったかもしれないけど今の私はこう思うし、明日の私はまた違うことを思うかもしれない。その不確かさ、変われるってことが生きているってことだと思うんですよね。 なんかこの話僕も分かるんですよね。なんか僕の場合は僕は思います。とか多分とか結構口癖だったんですけど、まぁ色々考えると今の自分が思った事しか語れない訳で、未来の自分はわからないし、過去の事なんかもうどうしようもないですもんね。って所で、単純に再レスしない主義って未来の自分がどれだけ後悔したとしても今のコメント一生懸命書いて、それが失礼に終わってしまったらごめんなさいって感じなんですよね。それを延々とずるずる引きずってなんかつらくなるみたいな感じで、まぁ僕はマゾなのかなって感じなんですが。笑そういう感じを振り払ってこうして会話していく中で、お互いの考えをすり合わせて行ったり差分が見えていくのが面白いですよね。ってかそういう事を楽しむのが会話することだし、対話していくことの面白さなんでしょうね。なんか斬り合いしているんだ俺は!って思ってたけど別に殺し合いする訳じゃないし、こうしてコメントで楽しくやり取りする方が健康にいいなと思っちゃいました。 なんかダラダラとしゃべっちゃったけど、自作改題コンテスト楽しそうなので、やったら乗っかりますぜ。

2
こうだたけみ
百均さんへ
(2021-01-08)

百均さんへ またまたレスありがとうございます。たまにはたのしいでしょ、こういうやりとりも。 > ネット上で誰かと一緒におしゃべりするのって、いきなりするのなんか緊張しちゃうんですよね。僕の事が嫌いな人がいたとして、その人に長文送り付けたらどうしよう、いやかな見たいな感じですね。後は自分の書いた感想に魂込めて書いて外れたらごめんなさい。次頑張って読みますみたいな動機に利用していたのかもとか。 私も話しかけるのは緊張しますよー。長文送りつけたあと返信が二行くらいだと「あ、やっべ、めっちゃ引かれたわー」って後悔します。笑。でもまあ、それはそれでいいんじゃん?って感じ。やらずに後悔するよりやって後悔したほうがいいし。失敗は多いけど、しつこく話しかけて相手からおもしろい話引き出せたときなんか小躍りしますよ、やったー!って。動機が不純とかもどうでもいいかな。結果的におもしろくなればスタートはどこでもいい気がする(テケトー)。 > 自作改題については、なんかネット上だとタブーっぽい雰囲気ってか空気があるんですけど、なんであかんのやっけ? ってあんまりよくわからんのですよね。理由は何個か思いつくけど、それを僕は声に出したことないし、あんまり語ってきたわけでもないし、というか単にやったことないんですよね。 自作解題については、ちょっと普通の人とは違う考えを持っています。何度か書いてるんだけど、これは杜 琴乃さんが「トンボ印のちびた秋」という私の詩に書いてくださった選評のコメント欄で書いた内容の引用です。 > 私は“自作については読者の手に渡った時点で著作権以外はその読者のものになる”と考えています。読んでくださる方にはその方の好きなように読んでほしいです。そして、作者である私自身も一読者として好きなように読みたいし、あくまで一読者としての解釈をしゃべりたい! 笑。 > 一般的には作者の語ることが“作者の意図”として読み手の解釈よりも上位に置かれることが多いのですが、私は、自作においてはそうじゃないと思うのです。 私はためらいなく自作解題をしてしまうからたまに驚かれたりするのだけれど、単に私の解釈をしゃべりたいだけなんですよね。一読者として他の読者と横並びになってしゃべりたいんです。百均さんはあまり推敲をしない方だからピンと来ないかもしれないけれど、私はめちゃめちゃ推敲するので書いてる間に何度も読むんです。だから、自作の最初の読者は私だって思っているんですよね。 (百均さんが私の詩をトリップしてるって思うのもそのせいな気がする。何度も読み返すとここから始めるよりここから始めたほうがおもしろくない?ってなって段落ごと入れ替えたりするから) あと、相手に手の内を明かさないと有益な情報ってもらえないんじゃないかなと思っているところもあって。まあ、余計なことまでしゃべっちゃって身内とかに怒られたりするんだけど。笑。 〈自作語りのギルド〉については、ちょっとやってみたい気はするけど、場を作る人になる自信がないから案だけ出して満足しています。作者の意図が絶対だと思ってる人とは喧嘩になりそうだしね。笑。

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百均
こうだたけみさんへ
(2021-01-08)

おばんです。 あら、こうださんも緊張するのですな。やっぱ話しかける時って緊張するよね。って感じで共通理解が生まれてよかった。ほんわか なんかね、きっちり割り切れる感じになればいいんだけど、一回うってなるとうってなっちゃうからね。器大きくなりたいなと思ったところで、んにゃぴですね。 自作解題については、なるほどなって感じ。僕が自作解題しない理由って、なんか自分の解釈っていつも同じになっちゃうってのと、やっぱり他人に読んでもらってもらった感想の方が興奮しちゃうってのはありますね。僕も自分の書いた作品って書いた瞬間に他人っぽくなっちゃって、何買いてたのか最近全然忘れちゃうんですけど、なので久しぶりに自分の作品読むとなんか他人事みたいな感じですね。その時の自分はこう書いてたんだね。みたいな感じ。 >私はためらいなく自作解題をしてしまうからたまに驚かれたりするのだけれど、単に私の解釈をしゃべりたいだけなんですよね。一読者として他の読者と横並びになってしゃべりたいんです。百均さんはあまり推敲をしない方だからピンと来ないかもしれないけれど、私はめちゃめちゃ推敲するので書いてる間に何度も読むんです。だから、自作の最初の読者は私だって思っているんですよね。 そこら辺で言うと、僕は書き終わった瞬間から自分の作品に飽きちゃうんですよね。最初に読んでいつも飽きちゃうみたいな感じ。書きながら一回よんじゃってるしね。書いてて落ち見えた瞬間とか、意識した瞬間にその作品に飽きてしまってこんなもんかみたいな。そのせいで、僕は長い物書いてるけど、二日連続とかで長い物かけないんですよね。前日に書いた物って書いていてこれつまらんなって思ってやめちゃった物がほとんどだから。推敲するってなったら大体全部書き直しなので、推敲って感じにならないんだよね。なので碌に技術身に付かないわ。勢いだけで草みたくなっちゃうんですけど。 いつまでたっても出さないまま捨てた物も結構あるし、ゴルコンダみたいな所は締め切りがあるので、取り合えず適当に出しちゃうんですけど、その時点でなんか飽きちゃうみたいな感じ。なんで、誰かに自分の作品読んでもらって感想もらっちゃうとさ、その時点で自分の読みより面白いなって思っちゃって何も言えなくなるくらい嬉しくなっちゃうんですけど(大体感想もらうと興奮して一日中コメント欄見てますしね。というかコメントもらうと俺の一日終わっちゃうんだよね。ずっと一日ニコニコしながら見て何返そうか分からなくなってぎゃーってなるから) 僕にとってのアウトプットって、レス返すのがへたくそだから、単純に作品を媒介にしてコミュニケーション取ってる感じにどうしてもなっちゃって、俺は人としゃべりたくて作品書いてるんだなってなるとなんかむなしくなっちゃうんですよね。とか思って延々ふてくされてる所にコメント来て、自分でつまらないと思ってる物をちゃんとつまらないとか、面白いとか、悪かった良かった色々教えてもらったり、褒めてもらったり、罵倒されちゃうとさ、なんか楽しくなる感じですかね? おお、なんか生きてるって感じみたいな感じ。そういう意味だとこのやり取りで今日も生きられました。ずっと返したくて一日仕事にならなかったし。 >〈自作語りのギルド〉については、ちょっとやってみたい気はするけど、場を作る人になる自信がないから案だけ出して満足しています。作者の意図が絶対だと思ってる人とは喧嘩になりそうだしね。笑。 案だけ出して満足ってのはいいですね。俺は勢いで作っちゃったし、なんで作っちゃったのか後々色々検討付いちゃって泣きそうだよ笑。ただでさえBREVIEWの運営耐えられなくて逃げてるのに、集団なんか作れる訳ねぇだろって感じなんですけどね。って所なんで、やっぱなんか適当に楽しくしゃべってるだけでも楽しいよね。集団行動するのも楽しいけど、建設的にやらない事って感じの空想も好きなので応援しています。 作者の意図についてはなんか誤解の渦って感じになっちゃうから、滅びちゃえって思ってるんですけどね。なんかたのしい感じにならへんかなと思うよ。マカロンふわふわとかになればいいのにね。

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こうだたけみ
百均さんへ
(2021-01-10)

百均さんへ 返信遅くてごめんなさい。 三回目の返信ありがとうございます。そろそろ他でやれよって怒られちゃうかしら。笑。でもこれ、他の人が読んでもおもしろいんじゃないかなって思うんだけどな。私のはどうでもいいけど百均さんの語りおもしろいもの。もし読んでる人いたら会話に横入りしたってええんやで(なぜエセ関西弁)。 > 自作解題については、なるほどなって感じ。僕が自作解題しない理由って、なんか自分の解釈っていつも同じになっちゃうってのと、やっぱり他人に読んでもらってもらった感想の方が興奮しちゃうってのはありますね。 他人からもらった感想に興奮するというのはわかります。そうきたかー!ってなる解釈なんてもうテンション爆上がり! 好きですってひとこと感想だけでも「この人が! 好きだと! 思ってくれたんだ!」ってわかったことにうれしくなる。 でも、〈自分の解釈っていつも同じになっちゃう〉っていうのはどういうことなんだろうな。よくわからない。そうだ、百均さんは二個目のコメントでこんなことを言ってましたよね。 > 多分作品に感情って直接書いちゃいけないみたいなのが僕の中にあって、それはやすっぽくなるからだみたいな信条がいつの間にか出来上がっているからだとおもんですけど、 私これ読んでうんうんわかるわーって思ったんだけど、ちょっと思ったのと違ったかしら。 私は詩を、自分の気持ちを伝える道具だとは思っていません。気持ちを伝えたいなら伝えたい相手に直接手紙でも書いとけよって思うから。私は詩を書くことで何をしたいかというと、たぶん“言葉とあそぶ”ことなんだと思います。 この「ふたごらいたー」の場合はまずお題があって、そこからイメージした光景を詩にするにはどうしたらいいかを考えていったわけだけど(こうだの一個目の返信参照)、書くときはいつだって、詩の中に自ら入って言葉と一緒に遊びながら私なりの出口を探したいんです。それで完成した時にはパズルを解いたみたいな快感があって、この快感を味わいたいがために私は詩を書き続けるのだろうし、こうして投稿するのも「パズル解けたよ、誰か見て!」って言いたいだけなんだと思うんですよね(子供かよ)。 そんなわけで、私が披露する自作の解釈というのは作者の意図みたいな御大層なものではなくて、私なりにパズルを解く過程の説明です。解き方はある程度パターン化されるけれども毎回違います。もし私が、「自分の気持ちを伝えたい」とか「信念を表明したい」とかで詩を書いていたら解釈は同じになるのかもしれないなあとは思うけど、そんなつまんないことはしないです。だって私、自分自身のことこれっぽっちもおもしろいと思わないもの。私にとって私の気持ちや信念みたいなものは、パズルのピースの一つとして利用する程度のものでしかないです。 あ、でもどの自作も私の言いたいことは「パズル解けた、見て!」なんだから、自分の解釈の行き着く先は同じってことなのかな? それって解釈が全部同じになるってこと? うーん、よくわかんなくなってきた。笑。 > 僕は書き終わった瞬間から自分の作品に飽きちゃうんですよね。最初に読んでいつも飽きちゃうみたいな感じ。書きながら一回よんじゃってるしね。書いてて落ち見えた瞬間とか、意識した瞬間にその作品に飽きてしまってこんなもんかみたいな。 そうだ、これ前も言ってましたね。その時も言ったけど、私は百均さんの〈書き終わった瞬間から自分の作品に飽きちゃう〉って感覚わっかんないんだよなー。書けた時こそうれしいって思うから。オチが見えた時めっちゃテンション上がるもん(パズルが解ける快感ね)。きっと百均さんは、ビーレビに来てない人引き合いに出して申し訳ないけど岡さんタイプなんだろうなー。何事も構想段階が一番たのしいんじゃない? で、いざ取りかかったらその瞬間から飽き始めて結局完成しないの。笑。 私もあれこれ構想練るのはたのしいですよ。〈自作語りのギルド〉なんてその代表例だし。でももっとたのしいのは、いろいろある構想の中から一つを選んで、今の自分にできる最大限のパフォーマンスでなんとか形にした時だなあ。世間的に見たらクオリティは低くても、完成したってことだけでうれしいもの。私えらい!ってなる。 ちょっと気になるのは、百均さんは〈こんなもんか〉って思う時、“何と比べて”こんなもんかって思っているのかってことかな。私の二個目の返信の最後で書いたけど、私は〈今日の私は昨日より一日長く生き延びたから昨日の私よりえらい!とか思っている人間〉なので、比較対象は常に自分なんですね。他人と比べてたら自作を人目に晒そうなんてとてもじゃないけど思えないです。他人と比較してなにくそって思いながら書くほうが成長は早いのかもしれないけどね。 うん、なんか収集つかなくなってきた。そろそろマカロンふわふわで終わりにしますかね。

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百均
こうだたけみさんへ
(2021-01-11)

こうださん こんにちは。返信遅くていいというか、僕も毎回コメントも作品書いたりすると大分疲弊して一日簡単につぶれてしまうので、なんかゆっくりやりましょうというか、これでいい感じですねって感じなので、最後のレスにしようと思います。 >私これ読んでうんうんわかるわーって思ったんだけど、ちょっと思ったのと違ったかしら。 >私は詩を、自分の気持ちを伝える道具だとは思っていません。気持ちを伝えたいなら伝えたい相手に直接手紙でも書いとけよって思うから。私は詩を書くことで何をしたいかというと、たぶん“言葉とあそぶ”ことなんだと思います。 >この「ふたごらいたー」の場合はまずお題があって、そこからイメージした光景を詩にするにはどうしたらいいかを考えていったわけだけど(こうだの一個目の返信参照)、書くときはいつだって、詩の中に自ら入って言葉と一緒に遊びながら私なりの出口を探したいんです。それで完成した時にはパズルを解いたみたいな快感があって、この快感を味わいたいがために私は詩を書き続けるのだろうし、こうして投稿するのも「パズル解けたよ、誰か見て!」って言いたいだけなんだと思うんですよね(子供かよ)。 > >そんなわけで、私が披露する自作の解釈というのは作者の意図みたいな御大層なものではなくて、私なりにパズルを解く過程の説明です。解き方はある程度パターン化されるけれども毎回違います。もし私が、「自分の気持ちを伝えたい」とか「信念を表明したい」とかで詩を書いていたら解釈は同じになるのかもしれないなあとは思うけど、そんなつまんないことはしないです。だって私、自分自身のことこれっぽっちもおもしろいと思わないもの。私にとって私の気持ちや信念みたいなものは、パズルのピースの一つとして利用する程度のものでしかないです。 >あ、でもどの自作も私の言いたいことは「パズル解けた、見て!」なんだから、自分の解釈の行き着く先は同じってことなのかな? それって解釈が全部同じになるってこと? うーん、よくわかんなくなってきた。笑。 なるほどなぁ。僕自身の立ち位置っていうか、言葉の付き合い方みたいなところなんですけど、ちゃんと書くのであれば、手紙っていうか仕事のメールみたいな文章で簡潔に相手に伝えれば終わる話って結構あると思っています。つまり、わざわざ論理のつながらない文章で提示する必要って言ってしまえば伝達の機能を達成する上においては無駄なんですよね。もちろん、言葉一つ一つの印象って受け取り手に与える力って大きいから敬語みたいに、言葉の態度(モダリティ)みたいな概念が生まれたり、表現一つ一つが同じ意味合いを持っていたとしてもバリエーションがあったりすると思っています。 そういう意味で言うと、僕も結局普段の仕事ではこういう文章を全くかいていなくて、なるべくセンテンスを短めに、簡潔に、相手が受け取りやすいように、目的をはっきりさせ、かつ伝える内容については整理して伝えるという事をしていて、作品として公開している文章の在り方を仕事では使っていませんっていう所がスタートとしてはあるんですけど。で、そういう表現を選択するという事から僕がやりたい事って結果的に、文章表現を駆使してまで書きたい事ってなんだろう? 別にメールで済むような事をわざわざなんでこうして書いているんだろう? みたいな所に全てが詰まっているといえば詰まっています。それはなんでかっていうと、仕事でやり取りしている言葉って読んでて仕事の役には立つけど、全然つまらないんですよね。何も興奮しない。そして、仕事で書いているような論理が明快で、伝える内容がはっきりしない文章を読んでいると、僕は生きている事を忘れるくらいに興奮する。それがとても楽しいんですね。というか楽しいっていうレベルじゃなくて我を忘れてしまうくらいにのめりこんじゃう。なので、掲示板に関わると間違いなく頭は元気になるんですが、体はボロボロになります。ギルドぶち上げた時は色々な感情や思考でぐるぐるになって、生活が絶賛壊れてしまいました。なんでここまでやってんのか自分でも分からないですが、でもそういう物を僕は根源的に求めてしまうし、それを止められないんですよね。どうしてもやりたくなってしまうし、燃えてしまうし、燃えるような出会いと対話したくなってしまう。 という訳で、読んで僕が覚えた興奮を自分の作品で覚える事は正直ないです。誰かの書いた作品になく事はあっても自作には泣けない。それは言ってしまえば自分に当てた手紙みたいな部分もあるし、自分の中にあるものだけで書くってことは、要は自分の中にある物を使って書いているっていう感じなので、それって日ごろ考える事の再生産であって、わざわざ公開する必要ないじゃんってなっちゃう。ただ、それでも暇になると書く事をやめられないって事もあるし、僕も言いたい事が最初からあって何かを書き始めるわけじゃないので、でも後から冷静になって読み返すといつも同じ手紙を自分に当てて書いてるだけだな見たくなってしまうので、しょうもな。勝手に日記に書いてればいいじゃんみたくなるっていうんですかね? みたいな所で、僕は自分の作品に「詩」って言葉を使いたくないし、「詩人」だとはいいたくないんですよね。どう考えても僕は読み手であって、読み手であることの方が100倍楽しい。めんどくさくなって詩って言っちゃうことあるけど、そういう事はどうでもいいって感じ。ただ僕が感じたいのは、日常的に存在したら怒られるような文章を読んで、そこに込められた理屈でもイメージでも、音韻でもなんでもいいんですが、何かしらの作用を持って体験したことのない感情を想起させられる事って感じですね。そういう意味だと書いている時は正に作っている時は楽しいのかもしれないですね。ただ、その体験って一回きりなので、もう戻ってこないみたいな感じ。なので飽きちゃうって感じですね。もしくは適当に見切りをつけて直ぐに終わりたくなってしまう。でもそういう事を繰り返していくとストレスが溜まって一年に一回くらいに泣きながら書くんですけど、一年の総括っぽいのが出来たなみたいな感じになるんですよね。そういうのが偶にできると、それは少しだけ好きになれます。なんていうか、だめだだめだって思いながら書いて発表してボコボコにされてくそーって思いながら、俺は俺が好きな作品に全然届かない、ああいうものが書きたいけど書けないし、そもそも伝えるべき内容なんて持ってないし、書きたい事ってなんなんだっけ?って思いながら、書いていると偶にそういうの全部消えてふわっとしたものができるんですよね。その一瞬は正に絶頂で、すっきりします。ってもそんなの数回しかないし、書いてしまったらまた気分がゼロに戻ってしまうのでやり直しなんですが。 >ちょっと気になるのは、百均さんは〈こんなもんか〉って思う時、“何と比べて”こんなもんかって思っているのかってことかな。私の二個目の返信の最後で書いたけど、私は〈今日の私は昨日より一日長く生き延びたから昨日の私よりえらい!とか思っている人間〉なので、比較対象は常に自分なんですね。他人と比べてたら自作を人目に晒そうなんてとてもじゃないけど思えないです。他人と比較してなにくそって思いながら書くほうが成長は早いのかもしれないけどね。 他者と比べてみたいな部分っていうのは、僕自身も今は割かしどうでもいいやってなってはきていて、こうださんの言う通り僕も自分の作品と基本的には比較しながら書いています。基本的に、比較それぞれの書き手の目的というのは異なるという意味合いにおいて、そもそも比較する為の基準も糞もないジャンみたいな感じなので、他者と議論を深めていくという事については、生産性みたいなものはあんまり期待してはいないです。ただ、それはこうださんのおっしゃられているように、自分の中で比較しているとは言っても、それって結果的に自分が影響を受けた作品をトップとしていて、それに届かない自作の事をひげしているって感じではあるんですよね。そういう思想が根本にあるってのはその通りです。その考えについては、年々僕の中で変わってきていて、前はあの作品には届かないみたいな感じで嘆いてたんですが、最近はああなりたいって感じになってきてるんですよね。最近だと、なかたつさんと一緒に詩集読んでるんですが、ああいう詩文書きてぇみたいな感じになってきてる。憧れとか畏怖に対して接近して、自分も自分の言葉をああいう風に書きたいという渇望ですね。 ただただ、その外に公開する事によって自分の作品の客観視(それは読み手の主観が入っていてもいい)をしてもらう事で見えてくる認識って大抵予想を裏切って面白いんですよね。(こう思えるようになったのはBREVIEWに参加してから)そっちの方が興奮しちゃうってなると、なんか僕はコミニケーションの為に書いてるだけじゃねってなって終わってしまうんですが。それはそれとして、僕の場合は自分の作品が今まで自分が興奮してきた作品と比べて興奮できない。書いてて楽しくない。楽しくないって事は公開してもしょうがない。でも公開しないとそう思い込んでいる事が正しいのか分からない。助けてくれみたいな所から色々なコメントをもらってガソリン入れて、そういうめんどうな事を振り切って自分で興奮して、誰かも興奮して、平和になったらもういいやって感じですかね。ってもくだくだ言いながら書いて行くんですけど。 >うん、なんか収集つかなくなってきた。そろそろマカロンふわふわで終わりにしますかね。 という訳で長らくありがとうございました。ふわふわ~ レスはさげ進行にしておきます。というかサゲ進行なら多分迷惑かからないってか最初からそうしとけばよかったですね。 ありがとうございました。

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こうだたけみ
百均さんへ
(2021-01-11)

百均さんへ 最後のコメントありがとうございます。 サゲ進行ってこういうことか〜。ネットの知識がまた一つ増えたぜ。Twitter見て返信しようとしてリンク踏まないで直にサイトにきたら、あれ見当たらない??ってなりました。笑。えーと、それだと他の人に見てもらえなくてもったいないから、こちらもこれで最後なので上げますね(下げ方がわからないわけじゃないんだから! 上に移動しない機能の意味は今知ったけど。笑)。 百均さんの話、おもしろかったです。私と同じところも違うところもあって、なるほどなーって思ったり、これどういうこと?ってなったり。最初に〈相手に手の内を明かさないと有益な情報ってもらえないんじゃないかなと思っている〉と書いたせいなのか、私の文章量に合わせてあれこれ書いてくれてうれしかったです。 そうそう、私の提案した〈自作語りのギルド〉ってこういうのを求めているんですよ〜。作者も相手もそれぞれに自分語りをして、しながらそれぞれに考えをまとめたり更新したりする場。ちなみに、結論はいりません。不毛! さて、うまくまとめられるかしら。 >僕がやりたい事って結果的に、文章表現を駆使してまで書きたい事ってなんだろう? 別にメールで済むような事をわざわざなんでこうして書いているんだろう? みたいな所に全てが詰まっているといえば詰まっています。それはなんでかっていうと、仕事でやり取りしている言葉って読んでて仕事の役には立つけど、全然つまらないんですよね。何も興奮しない。そして、仕事で書いているような論理が明快で、伝える内容がはっきりしない文章を読んでいると、僕は生きている事を忘れるくらいに興奮する。それがとても楽しいんですね。というか楽しいっていうレベルじゃなくて我を忘れてしまうくらいにのめりこんじゃう。(中略) > という訳で、読んで僕が覚えた興奮を自分の作品で覚える事は正直ないです。誰かの書いた作品になく事はあっても自作には泣けない。それは言ってしまえば自分に当てた手紙みたいな部分もあるし、自分の中にあるものだけで書くってことは、要は自分の中にある物を使って書いているっていう感じなので、それって日ごろ考える事の再生産であって、わざわざ公開する必要ないじゃんってなっちゃう。 この部分を読んでいて、百均さんが人の作品を読んで得る快感と、私が人の作品を読んで得る快感とはもしかして別の物なのかな?って気分になっています。 私の場合、意味はわからないけどなんかめっちゃ好き!みたいな作品(survofさんのとか)もあるんだけど、クヮン・アイ・ユウさんの「リュウセンケイ」みたいに、読んでいて自分の中で一気に回路がつながる作品に出合うと大興奮します。だいぶ前に書いた「【ワンポイントキュレーション】からだをひらくと口から火花が出た話」( https://www.breview.org/keijiban/?id=2449 )を読むとなんとなくわかってもらえるかもしれない。これ、“回路がつながる”=“パズルが解ける”なので、自分が詩を書き終えた時に得られる快感と同じなんです。 それから、〈自分の中にあるものだけで書くってことは、要は自分の中にある物を使って書いているっていう感じなので、それって日ごろ考える事の再生産であって、わざわざ公開する必要ないじゃん〉という部分についても私は違う考えを持っています。 私はものを作る人間には二つのタイプがいると思っています。一つは、0から1を生み出す芸術家タイプ。もう一つは、すでにあるものを組み合わせることで新しい価値を生み出すデザイナー(設計者)タイプ。まあ、世間では芸術家と認められている人でもデザイナータイプの人はいるだろうし逆もしかりで、あくまで私の中でわかりやすく分類するとってことです。しかも、本当に0から1を生み出すなんてたぶん幻想で、創作物はその作者の中に積み重ねられたあらゆる経験や体験、知識などを基に作られるはずで、究極的には創造神でもない限り創作者は全員デザイナーなのだけど。 ※ただし、誰かの創作物を基にしている場合はオマージュやパロディ、二次創作の形になっていなければその基にしている創作物への敬意がない、冒涜だと見做して作品とは認めません。 で、私は典型的なデザイナータイプです。しかも駆け出しの。あれとこれとそれを組み合わせて出来たのがこれでしょ?ってすぐにばれる程度のクオリティのものしか作れない。それでも、たくさんあるものの中からあれとこれとそれを選んでさらにこんなふうに組み合わせようとしたっていうのは私のオリジナリティと言っていいよねって思うんです。 そうなると、作品のおもしろさというか深みみたいなものって組み合わせる技術も大事だけれど、“あれとこれとそれ”の基になっている経験や体験、知識などの積み重ねの量や質が重要になってくると思うんですね。 > 作品を読んで読解するにも、作品を作るのも何か意見を述べるのも、全部“今の私”です。今の私とは“過去の私にとっての今”を積み重ねることでできていて、積み重ね次第で見えることも思うことも違ってくる。だから昨日の私はそう思ったかもしれないけど今の私はこう思うし、明日の私はまた違うことを思うかもしれない。その不確かさ、変われるってことが生きているってことだと思うんですよね。 これ、百均さんへの二つ目の返信の中で私が書いたことなんですけど。百均さんが〈後から冷静になって読み返すといつも同じ手紙を自分に当てて書いてるだけだな見たくなってしまう〉という作品も、私に言わせると一つも同じものはないです。というか、同じにはなれないです。 私はよく「詩に他意はない、詩にシたいから生き詩ています」って書くのだけど、パズルが解ける快感=生きてるって実感なんだろうなって思えてきました。百均さんも私も、よく生きてるよ。うんうん。 以上、マカロンふわふわよりビターなオランジェットが食べたい気分なこうだでした。 長々とお付き合いいただきありがとうございました。 たまにでいいからこうして付き合ってねー。

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夏村木
夏村木
作品へ
(2021-01-12)

こんにちは。 夏村木と申します。 百均さんとのやりとり楽しそうで全部読んじゃいました。 オランジェットおいしいですよね。洋梨やりんごのチョコレート包みもおいしいですよ。 こちらの作品、最初ふたごらいだーって読んでしまって、双子の仮面ライダーが頭に浮かんじゃいました。 私はこの詩から受けとった絵は大学の講義室(って言うんでしたっけ、専門卒なので分からない←)で授業の合間にがやがや大学生たちが各々おしゃべりしてる絵です。 ちょっとうらやましくなっちゃいました。私の専門学校生活は犬の毛と臭いとうんことおしっこにまみれてたので・・・。 とても勉強になった時間でした。 ありがとうございました。

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こうだたけみ
夏村木さんへ
(2021-01-12)

夏村木さんへ コメントありがとうございます。 はじめまして! お名前はなんと読むのでしょうか。一続き? どこかで区切るのかしら。 百均さんとの無駄に長いやりとりを全部読んでくださったのですね。ありがとうございます、というかお疲れさまです。笑。私は一方的にたのしかったのですが、百均さんもたのしかったならいいなあと思っています。 いつか私が夏村木さんの作品に長いコメントを送りつけるようなことがあったら、もちろんここまでじゃなくていいので相手してやってくださいね。 > こちらの作品、最初ふたごらいだーって読んでしまって、双子の仮面ライダーが頭に浮かんじゃいました。 私もふたごらいだーって読めるなあと思っていました。なので最後がフタコブラクダに乗る描写になったのでした。ふたこぶらいだー、ふたごらいだー! 笑。 〈犬の毛と臭いとうんことおしっこにまみれ〉た専門学校生活ということは、トリマーとかですかね? いいなあ。私アレルギーがあるのと怖いのとで、かわいい!って思うんだけど触れないんです、動物全般。もしそれを職業にされているなら、すてきなお仕事ですね。 大学生活はとてもたのしかったです。もう15年以上前なので遥か昔のことですが。 本作は今の自分視点で書くとすべて過去形の文になってつまらないので、卒業した直後くらいまで時間を巻き戻して、その頃の視点で書いてみました。実際にあったことを書いてはいるのだけれど、昔話であることと私目線での語りでしかないことから、これはあくまでフィクションです。 > オランジェットおいしいですよね。洋梨やりんごのチョコレート包みもおいしいですよ。 洋梨やりんごのチョコレート包みも好きです! 食べたくなってきちゃったなあ。寒い季節はチョコレートが美味しい(そして太る!)。

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夏村木
夏村木
こうだたけみさんへ
(2021-01-13)

返信ありがとうございます。嬉しいです。 名前の読みは「ナツムラ モク」と申します。本名ではないのですが、生まれた季節と苗字をいじって作りました。 最初はカクヨムというサイトのほうで淵野憶「フチノ オク」として短編百合小説を書いていたのですが、あまりパッとしなかったので売れない芸能人改名しました笑。 人名が好きなのでいろいろ思いついちゃうんですよね。 全然大丈夫ですよ。長文送ってやってください。喜びます。 なるほど、似た雰囲気の言葉に発想を飛ばして、それを詩に落とし込むんですね。勉強になります。 ふたごらいだー! 大丈夫ですよ。愛玩動物はちゃんと人の好意を受け取ってくれるので、可愛いって思いは通じると、犬一匹と猫二匹飼っている私の経験から言わせていただきます。 通ってた学校はトリマーと動物看護師(動物病院で働く看護師)、ドッグトレーナー(犬のしつけをします)の資格を取れるんですが、私は動物看護師を目指してました。まあ、全部資格取らないといけないんですけど笑。 いろいろあって、気持ちが創作のほうに傾いたのと就活でこの仕事は合わないんだなって確信して、卒業後はパチンコ屋と、その後古本屋でバイトしながら小説をあーでもないこーでもないと迷走しながら書いてました。 その後、最初はうつ病だったんですが、今は双極性障害であることが分かって治療のため療養中なんです。 すみません、重いですね笑。私って相手にさらけ出す時は全部さらけ出しちゃう質でして笑。 大学生活憧れます。 フィクションなんですね理解しました。 私は主に自分の鬱屈した感情を風景や物、人間、に落とし込むので私のは・・・感情は本物だけど風景などは幻想が多いですかね。 チョコレートおいしいですよね。そして確かに太ります笑。 甘党なのでホイップクリームとかも大好きです。

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こうだたけみ
夏村木さんへ
(2021-01-14)

夏村木さんへ 再度のコメントありがとうございます。 「ナツムラ モク」さんですか〜。木をモクと読むと聞いたら、もくもくと煙が上がって燻されてる感じがしてきました。それが夏の手持ち花火の煙に繋がって火薬のにおい! すてきなお名前ですね。 > なるほど、似た雰囲気の言葉に発想を飛ばして、それを詩に落とし込むんですね。勉強になります。 ふたごらいだー! ええと、私は言葉遊びをとても好む人間でして。一般的な詩を書く方々からは爪弾きにされがち……なので私に学んでよいかは謎……。 あ、ちなみにこうだたけみという名前は本名の漢字をあべこべにして一音変えてひらいたものです。安部公房(あべこーべー)が好きなのと、私は言葉遊びをする人間です!というお知らせの意味を込めていたりします。 動物看護師という職業があるんですね。知らなかった。犬一匹と猫二匹を飼ってる方が大丈夫と言ってくれると、なんだかそんな気がしてきます。いつかなかよくなれるかしら。 夏村さんは、今は病気療養中とのことですが、コロナ禍が悪いほうに影響していないといいなと思っています。というのも、精神疾患ではないのですが私も同じく療養中なので。「親戚がこれ食べたら奇跡のように治ったから!」みたいな善意の押し売りを避けるために病名は公表していませんが(治療のこととかまんま詩に書くのでわかる人にはわかると思います)。三カ月に一度大学病院へ通っていますが、おっかなびっくりという感じ。早く収束してくれるといいなあと思っています。 時々甘いもので息抜きしながら、それぞれに乗り越えましょうね。夏村さんも私も!

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ほば
作品へ
(2021-01-28)

>長いまつ毛に雫が溜まる。ラクダのつ>くるオアシス。極小。砂漠の夜は寒い>らしいよ こういうところひとつ取っても言葉がくるくると巡りめぐる、散文と散文詩の違いてなんだろうとどうでもいい事に最近、頭を悩ませてましたがこうださんの作品は散文詩なんだと読んで思える。なんだろうね、フィギュアスケートを観てるようなわくわくする緊張感を感じます。あー、なので散文詩もそれでいいのかなぁ、などと勝手に思った次第です。すみません、作品より自分の考えに思考が流れてしまいました。

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福まる
福まる
作品へ
(2021-01-28)

この登場人物は文芸部の部長さんを好きだったのでしょうか?最後の連なりたかったなで少し切なくなりました

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こうだたけみ
ほばさんへ
(2021-01-29)

帆場 蔵人さんへ コメントありがとうございます。 百均さんとコメ欄で長々としゃべってしまったので、他の人には引かれちゃってもうコメント来ないかなーと思ってました。笑。いや〜、ありがとうございます。 > 散文と散文詩の違いてなんだろう そういう考察いいですねー。私も参加しようっと。あくまで現時点での私の考えですが、散文と散文詩の違いは“リズムと飛躍”に表れるんじゃないかなと思っています。 散文は、そこに書かれているものを読み手に理解してもらいやすいようにすることを重視するもの。しっかりと地に足がついている感じ。リズムは比較的一定で、ここぞという時だけ変拍子になったりする。 対して散文詩は、そこに書かれているもので読み手になんらかのイメージを喚起することを重視するもの。だから好き勝手にリズムを刻めばいいし急に別の話を始めたっていい。自由。 まあそんな感覚で書いているので、帆場さんには〈言葉がくるくると巡りめぐる〉ように見えるのかなあと想像したりしています。 ちなみにここ最近の私が散文詩ばかり書いているのは、改行をする理由がないからです。たまにただの散文に改行を入れただけで詩だと言う人を見かけるけど自分はそうはなりたくないなと。改行は句読点とは別ものですから。改行するには納得できる理由がほしいんですね、私の場合は。 だから私がめずらしく改行詩を書く時は、一文一文をそこに定着させたいという気持ちがわずかにでもあるような気がします。拾い集めた小石を地面に一つひとつ置いて並べては誰かに見せびらかしたいとき(子供かよ!)。滅多にないんですけどね。基本的には、書いてある内容は聞き流してほしいから、わーっと一方的にしゃべってあっという間に終わる感じの鬱陶しい散文詩が出来上がります!

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こうだたけみ
福まるさんへ
(2021-01-29)

福まるさんへ はじめまして。なんだかふくふくしたありがたい猫みたいなお名前ですね。ねこかわいい。 はい、語り手の好きな人は文芸部の部長さんです。前に「魚とバナナとラクダの話」 https://www.breview.org/keijiban/?id=1225 という作品を投稿しているのですが、本作はその前日譚みたいな感じですかね。二作品を見比べると、現実とフィクションの配合具合がだいぶ違ってびっくりするけれど(というか今びっくりした自分で)。 > 最後の連なりたかったなで少し切なくなりました 切なくなりましたか! しめしめ。笑

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