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これもう東京でいいんじゃないかな?
一度、福岡に行ったことがある。都会だというのでワクワクしていたのだけど、天神駅から降りた私を待っていたのは、そういうキラキラの類ではなかった。私を待っていたのは、無数の人らがうごめくグルーヴ感のすさまじさと、悪意のようなけたたましさと、剣山の中に放り込まれたような建築だった。そこではげしいめまいが来て、20分ともたず、全国チェーンのマックに駆けこんで、私はへたれた。人の多さと情報の多さが、地元とはケタ違いだから、過敏に反応してしまう。それが来たのだ。 天神のそれらを東京がゆうに超えてくることは、もはや言うまでもない。なんせ大都市だから、地理・経済・社会、その他すべての面で、私の地元・山口とは断絶がすごい。高村光太郎は「智恵子は東京に空が無いという」と書いたけれど、今となってはさらに見えないだろう。 逆に言えば、空以外の日本のすべてはだいたいここ、東京にある。それほどの人・金・情報が、良くも悪くも血管のように張り巡らされていて、ちょっとクネクネしているのだ。 さて、小林素顔がそういうものを書いた。 めまぐるしいオムニバス形式なんで、読んでるうちに天神を思い出して、ちょっと寒気がするし、一方で脳からは東京味の汁がギュピ・ギュピと出てくる。不思議なもんだからけっこう気に入っている。 コメント欄で田中宏輔氏が言及していたのだけど、この詩のおもしろさは「一人称形式で表現主体がころころ変わる」ことにある。とりもなおさずオムニバス形式とはそういうもんだ。しかし、その強みを最大限に生かすリアルな切り口を、どれだけの人ができているだろうか。 オムニバスが上手いことに加え、ありそうな会話だけで詩が構成されている。いわゆる「詩」にありがちな空想のあわいがほとんど無い。それがライブ感と、東京に漂う露悪をかもしている。リアルから離れたイメージから詩情を汲み取るのはかんたんなことだ。 リアルなものから離れずに詩情をつかむのがどれだけ難しいか。やれるもんならやってみるがいいよ。できないから。 (引用) ここから出せ なにが閉鎖病棟だ ずっと見てるぞ 高架下を歩くギター背負ったくノ一 あいつがここに入るはずだろ ストラトキャスターで ジャキーンズバーンって 交差点のど真ん中で 通行人の首 カッ斬って 真っ赤だ真っ赤だ 夕日より真っ赤だ (引用終わり)
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作品データ
P V 数 : 1443.4
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作成日時 2021-01-02
コメント日時 2021-01-02