Prologue
どんな物語にも結末があるというのなら
どんな物語にも編者がいるのだろう
(ゲームを買う時は
兄と共にプレイできるものを探した
対戦することもあれば
協力しながら先へ進むこともあった
そして必ず訪れる結末へと
一日一日を過ごしていたのだった)
Disc 1
主人公とヒロインは幼馴染だが
街中では忌み嫌われていた
過去のことを知るのは
いつだって未来になってからであって
目の前にある現在を生き続けるばかりだ
宇宙から飛び降りてきた謎の少女が
二人を街の外へと誘っていく
(兄には何も敵わなかった
ゲームで対戦すれば
僕はいつも二位だったけど
協力し合えば
ゲームの世界でいつも一位になれた
ゲームだけではない
勉強でも
喧嘩でも
兄と競えば
いつもいつも二位だった
私立中学を受験することになったのも
兄の姿を追いかけたからであって
進学塾の面接の時
先生のノートに
「兄には負けたくない」という
いつ誰が言ったのかわからない言葉があり
それ以降呪詛のように
とりつかれていた僕は
受験番号二二を背負って
負けた)
Disc 2
飛び降りてきた少女の故郷に行くため
光の橋を渡った主人公とヒロインは
数多の敵を倒して
かつては知らなかった技を覚えていった
主人公とヒロインのいた世界は
表であり、裏であり
飛び降りてきた少女のいた世界もまた
表であり、裏であり
その両者が衝突して
世界が滅んでしまうというので
その黒幕を探し続けた
(兄は不良
僕はいい子
というキャラクター付けをされた兄弟は
共にゲームをしなくなっていった
兄は僕の知らない世界にいるようになり
家にいる時間が減っていったからだ
それでも僕は
兄の姿を追い続けて
ドラムを演奏するようになった
会話は少なくなっても
兄の視線は僕を向いていた)
Disc 3
主人公は試練を与えられる
今まで目を瞑っていた過去を
体験するという試練
一、
倒してきた数多の敵の一匹になり
かつての自らに殺される
一、
主人公とヒロインが
故郷の街の封印を解いてしまい
主人公の父がヒロインの父に殺されてしまう
一、
宇宙から飛び降りてきた少女の父親は
主人公とヒロインの世界から渡った人物であり
宇宙から飛び降りてきた少女の母親は
表と裏の世界を衝突させようとしている黒幕である
これらの試練を乗り越えた主人公は
少女の母親と対峙して
衝突を防ぐことができたが
少女に母親との別れが訪れ
予め定められた世界の結末を迎える
(兄は家を出て
様々な土地に住まうようになったが
僕は生まれの地に住み続けている
兄は一度だけだろうか
この世界に別れを告げようとしたが
失敗に終わった
予め定められた結末は
きっとまだ先にあるということだ
今となって
兄はドラムを演奏しなくなったが
僕は兄の姿を追い続けて
いまだにドラムを演奏している
兄の視線はもう僕に届かなくなったように
僕が演奏するドラムの音も兄には届かない)
Ending
どの世界にも主人公は一人しかいない。仲間を増やして、敵を倒して、強くなって、予め定められた結末へと向かうのみ。道中で倒された敵も誰かに定められた結末へと向かうだけで、それがロールをプレイするということ。その敵に家族がいようとも関係なく、敵は敵という役割ゆえ主人公に倒される。役割を誰かに編まれたのである。
「ゲームは所詮現実逃避の道具だ」
(中学受験のための進学塾で言われた言葉が 僕に編まれている)
ゲームを始めなければ、プレイヤーは主人公に出会うことはできない。そして、主人公が敵を倒して、強くなって、予め定められた結末へと向かうこともできない。ゲームの世界を動かしているのは、プレイヤーであって、プレイヤーの数だけ、ゲームの世界の主人公がいるということだ。
(僕にとって兄は、この世界の仲間でしかないというのか。そもそも、この世界の主人公が僕であるのか、この世界の編者に聞くことはできない。兄が主人公の世界では、僕はただの仲間でしかないのだろうか)
誰の仲間になるのかによって、僕は役割を変える。それは単なる友達や恋人、時には部下や上司など、それぞれの世界でそれらしく役を演じる。僕には弟がいないというのに、弟という役を演じられるのは、兄がいるからだ。この役は誰かに習ったわけではなく、生まれた時から編まれていたのだ。
「ほら、エンドロールを奏でるんだ」
(どこからか届いてきた言葉は他の誰のものでもなく、僕だけのものだ。これが僕の役割だ)
Fin.
「ディスクを交換してください」
(どこかで物語が編まれる音がする)
Disc X
作品データ
コメント数 : 11
P V 数 : 2415.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 14
作成日時 2020-07-31
コメント日時 2020-08-09
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 3 | 2 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 2 | 1 |
技巧 | 3 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 4 | 3 |
総合ポイント | 14 | 10 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0.8 | 1 |
前衛性 | 0.3 | 0 |
可読性 | 0.3 | 0 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 0.8 | 0.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 3.5 | 4 |
閲覧指数:2415.2
2024/12/22 02時04分20秒現在
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こんばんは。 役割を誰かに編まれるということをゲームと現実を交差させながら続く作品。 おそらく好意的なコメントがこの後続くであろうことを予想し、 (ぼくはこの作品、とても良い作品だと思う) けれど称賛するだけでは作者のためにはならないと思うので あげ足を取るように、気になった点を述べていこうと思う。 とても論理的で非常にわかりやすい文章なだけに、 少し丁寧すぎてしまったような印象を受けました。 とくにDISC1 DISC2の部分など。 (DISC3が面白かっただけに、よけいに。) それに伴って、とても論理的である反面、感覚的な描写が少なかったように思いました。 たとえば、叩いているドラムの音。 toeの柏倉さんのような軽快に走っている音なのか、 あらきゆうこさんのように正確無比なリズムを刻むのか、 ピエール中野さんのように超絶技巧的なビートなのか。 音が感覚的に立ち上がってくれば、見えるものも違ってくるのかなと思いました。 また次の作品もぜひ読ませていただきたいです。 とても楽しみにしています。
0やー、すまない。前作はちょっと面白かったけど、これはかなりつまら無い。兄に対するなんらかの思いがあるなら、何故それを掘り下げ無い?或いは兄と距離を置くのなら、何故そこに至る自分の心理をきちんと見つめて感情や論拠を描かない?それらが足りてなく、単なる自己満足的淡い叙情(にすらなって無い)、ゲームの引用はある種の比喩になってるのだろうけど、何処がどんな風にリンクしてんのかいまいち説明不足?にしか思えず読み取れ無かったので、消化不良。全体的に舌足らずの自己満と退屈な諦念もどきや世界は入れ替わって行くという非常に有り触れた感慨にしか見えず、それらを現すための言葉の研磨の跡も見えず、だからすごくつまらない。 >この世界の主人公が僕であるのか、この世界の編者に聞くことはできない。兄が主人公の世界では、僕はただの仲間でしかないのだろうか この問いに関しては、「主役は君と僕で 脇役のいないストーリー」ともう10年以上前にGOING UNDER GROUNDが歌ってるだろ。トワイライト100回聴いて来い。誰かにとっては誰かが1番大事。その程度の意識さえ持て無い、持つ覚悟が無いのか?(或いは話者はラストでその覚悟を抱いてるとして、それが誰かが描いた通りのエンドロールを奏でまーすなんて糞しょぼい)その程度なら、私と居た1年以上はなんだったんだ。無駄??? >それは単なる友達や恋人、時には部下や上司など、それぞれの世界でそれらしく役を演じる。 ぴろー◯ーくでめっちゃふざけてたお前も演技か?そこにあったお前の感情も思いも演技か?なら、それで息が苦しい位爆笑してた私も偽物か?少なくともあれらの思い出は私にとって大切なものだったのにな。がっかり。後、微妙に文章おかしく無い? ごめんね、お前に関わる気はもう無かったけど思わずひーとしちゃった。まぁ、もう2度と会うことも無いから安心して。ただ、せめて、もうちょいましな詩を書いてくれ。終わった過去とはいえ、へぼ詩人と◯ってたなんて私の格が落ちるからね。では。せいぜい元気で良い詩書けよ♥️ 最後に。編者が居て、世界はそいつらの描いた通りなんてくたばった価値観、当人が納得してようとしてまいと、情け無さ過ぎて私は大嫌いだ。その価値観に覚悟を載せたいのなら、もっと言葉も思考もセンスも磨け。んじゃ無きゃほんと終わってる。エンドロールですね。以上。
1ロールプレイングゲームのシナリオと言うのか、記述が続き、評価が分かれるところだと思いました。兄と弟、現実とゲームの記述が交差して居る様で、そこは何気にスリリングなところであろうかと思いました。
0コメントありがとうございます。 >(ぼくはこの作品、とても良い作品だと思う) については、正直に嬉しい部分がありますが、どの点がそのように思われたのかをお伺いしたい次第です。 >感覚的な描写が少なかったように思いました。 というのは、そのとおりだと思います。文字と言えど、比喩となりますが、冷たい文字と暖かい文字があると思っています。詩の中の文字/言葉は、全てが均一ではなく、その温度差を楽しんでいただけたらと。 どのようなドラムかは、ご想像におゆだねいたします。
0コメントありがとうございます。 作品はあくまでも作品であるので、作品外のことについて述べることは特にありません。 おそらく、作品内の構図や考察が浅はかで、読者に何も生まれなかったという旨を述べていらっしゃると思いますが、その点について今後考えてみたいと思います。 この作品がポジティブ/ネガティブのどちらに捉えられるかの一つの指針を示していただいたと思います。
0コメントありがとうございます。 評価が分かれるというのは、まさに上記のコメントに示されているようで、改めて自作を読み直し、考え直しました。 一つの考えとして、おそらく語り手がペシミスティックな人物として見られてしまうかどうか、というのが導き出されました。そうやって描いたつもりはなかったのですが、コメントを読んだうえで、読み直したらそう見えてしまった部分がありました。 クロスについては、よく使う手法なのですが、今回はうまくいかなかったかもしれませんね。
0初めまして。 DISCを入れていく進行は面白いと思いましたが途中でやっぱりストリーミングが楽な気がしました。兄との関係性を他者に興味を持たせるには少しスパイスが薄いですね。またガラリと変わった世界観も見てみたいです。
0コメントありがとうございます。 構成については練ったつもりなのでよかったです。 ただ、形式と内容における内容のほうがあまり効かなかったということで受け取りました。 おそらく情報の出し入れだと思うのですが、全てを説明するべきではないと思うので、読者の想像に委ねる表現が用いられており、そういった部分がおそらくフックとならずに流されたととらえています。 わかりやすい事件・出来事はそれだけで目を惹くものですが、些細な/個的な日常が、言い換えれば、個人的な体験がどこまで他者の関心を惹くかということを絶えず考えています。 書き続けたいと思います。
0この作品は、ゲームにおけるドラマ体験の特殊性への着眼と、巧みな構成により、最終的には「弟」自身だけでなく読者自身の人生という物語における役割にまで思いを馳せさせるものです。ただ個人的には、後述するように、その着眼をもっと掘り下げたものをみたかったです。 ゲームにおけるドラマ体験の特殊性とは何でしょうか。ゲームでは、ドラマの展開のために、自分が必ず物語の中の誰かをプレイさせられます。ここがその他のあらゆるドラマ体験とはっきり異なる点です。例えば演劇では、自分が演じなくても、舞台の前に座って見ていればドラマは展開します。演劇は観客に演じることを強いず、見た出来事に対する判断を宙吊りにすることも許します。しかしゲームは傍観を許さず、決断を要求することで人を否応なくプレイヤーにします。たとえ三人称視点であっても。 Endingは明らかにこのような特殊性への着眼から書かれています。すなわち「ゲームを始めなければ、プレイヤーは主人公に出会うことはできない。そして、主人公が敵を倒して、強くなって、予め定められた結末へと向かうこともできない。ゲームの世界を動かしているのは、プレイヤーであって、プレイヤーの数だけ、ゲームの世界の主人公がいるということだ」というわけです。そして「僕」すなわち弟はただちにそれを自身の「弟」としての人生への反省に転じてから、自己の人生における自己の「役割」を引き受けます。それまでの展開のすべてをこのクライマックスへ結びつけたあとで、「ディスク」の「交換」を促し「Disc X」なる表示を残すことで、詩を読み終えて現実へ戻ってきた読者に対し、読者の人生という物語における読者自身の役割を、暗黙のうちに問うのです。 しかし私はこの暗黙の問いをそのまま受け取ることができません。なぜなら「僕」の結論に同意できないからです。月並みですが、ゲームと人生は異なります。どう異なるかを説明するには、ゲームにおけるドラマ体験の特殊性を生み出している要因ではなく、その効果に着目する必要があります。つまり、ゲームにおけるドラマ体験は道徳の次元へ直接訴えかけるものであるということについて。 演劇ももちろん道徳に関わります。しかしアンティゴネが身内の弔いをめぐってクレオンと対決した結果死なざるをえなくなったとしても、その破滅が家族の絆という私的原理を国家の原則により支配される公共空間へ持ち込んだことに起因するかは、解釈の余地があります。規律や教訓は必ずしも観客に浸透するとは限りません。 一方、ゲームは、クリアによって得られる満足感という精神的報酬のための行動を要求します。いかに倫理的な選択肢が並んでいようとも、それを選択するのはその選択肢が倫理的であるからではなく、(グッドエンドであれバッドエンドであれ)プレイヤーにとって望ましい形でクリアするために必要だからです。どんなに自由度が高くても、オープンワールドであっても、生死を決する選択から何気ない動作に至るまで、常に功利的行動が求められています。もちろん、メタルギアソリッドVのフリーモードでひたすら自分だけの特殊な目標を立てて敵地に潜入したり野生動物を保護しまくったりすることは可能ですが、結局は達成感という報酬のためなのです。 これに対し、人生における行動は、そうとは限らないでしょう。もっと複雑です。そもそもドラマと関係がないこともたくさんあります。 おそらくこの作品は、今日流行しているいわゆる異世界もののライトノベルや漫画を好意的に受容している読者には、好意的に評価される可能性があります。しかし私にとっては上記のような点で不満が残ります。
1遅くなりましたが、コメントありがとうございます。 特になるほどなあ、と思わされたのが、 >それまでの展開のすべてをこのクライマックスへ結びつけたあとで、「ディスク」の「交換」を促し「Disc X」なる表示を残すことで、詩を読み終えて現実へ戻ってきた読者に対し、読者の人生という物語における読者自身の役割を、暗黙のうちに問うのです。 の部分で、私が予期していなかった読みの提示が示唆的でありました。 「道徳」の部分と >一方、ゲームは、クリアによって得られる満足感という精神的報酬のための行動を要求します。 という部分については、作品の中で特に描いていないので、原口さんのゲーム論として受け止めました。ただ、お話を聞いた上でも、描こうとも思いませんでした。 >月並みですが、ゲームと人生は異なります。 というのは自明のこととしてあるからこそ、ゲームと人生の共通点に目を向けてのいいのではないでしょうか。何でもいいですが、人と魚は異なりますが、共通点もあるものであり、単にどちらに視点を向けるのかという、その単なる視野の違いなので、どちらがいいとかわるいとかでもなく、納得いかないという姿勢も文面にて示されているとおりだと感じました。 あまり触れられていないですが、それでもなお、ゲームも人生も「役割」というものが、少しなりともあるよなあ、といまだに考え続けています。
0コメントありがとうございます。 このテーマ自体、そろそろ自分の中で使い古した感があるので、脱却しないとと思いつつ、重要なテーマなんだろうなあと、常々思っていますですます。
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