別枠表示
広島
娘の仮住まい 四畳半の離れで泣いている さっきまで笑っていた 明かりが消え 向こう向きに横たわったまま 肩をふるわせ それでも最後まで観るのだというように テレビの画面は進行していた 森繁の演じる「恍惚の人」 午後には殺虫剤を抱いて 部屋のあちこちから湧き出るという 黒い虫と戦っていた 朝には メモをとらせて 遺言を語り 花の終わった桜の土手 震えのやまない母とあるく 京橋川に架かる吊り橋 数歩歩いては立ち止まり かすかな揺れに驚いて 幼子のように笑った * いつか「ソフィーの選択」を観た ナチの死の扉に どちらか一人を迫られて 咄嗟に娘の背を押し 息子を抱いた そのように 他国の背を押す 過去の一ページ 広島を福島を忘れる * 広島が好きだ 水は大きく空を映し 路面電車の窓から街はおおらかに広がり むすめたちはよく笑い美しかった 瀕死の床から母が生還し 私が初めて詩を書くことを知った場所 母の傍らで母の詩を書いていると 「そげんあたまをつこうたらいかん」 と何度も何度もいまも
広島 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1900.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 22
作成日時 2017-08-08
コメント日時 2017-09-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 4 | 4 |
音韻 | 4 | 4 |
構成 | 5 | 5 |
総合ポイント | 22 | 22 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 4 | 4 |
音韻 | 4 | 4 |
構成 | 5 | 5 |
総合 | 22 | 22 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
拝読いたしました。広島でのご家族との 温かい交流や景色が 美しいです。 恍惚の人も、ソフィも わたしは 観てませんので、詩の半分もできていません。 こがいに、頭をつかんようなやつで、もうしわけないです。
0詩の半分も、理解できてないです。【脱字でした】重ね重ね、すみません。
0いえいえ~ 随分前同じやり取りをしたなーと思い出しましたが、 お互い変わらず、それなりに健やかなので こういうときは、やっぱり多様性の尊重でしょうね。 メールはゆっくりと夜にしますね。
02010年頃初稿、という、題に添えられた「但し書き」・・・これも題の一部、ということになるのでしょう。 作品の冒頭は、「恍惚の人」を母と観ている光景、を思い出している、のでしょうか・・・歌うような調子で綴られていくリズムが、回想の色を濃くしています。二連目は、ドラマの中のシーンではないか、という気がするのですが・・・この表記だと、見ている母が、そういう行動をしている、ようにも読めてしまいますね。一字下げにするとか、画面の中では・・・というような一行を添えるなどした方がよいように思われました。 三連目は、美しい回想シーンですね。私も「恍惚の人」になるのだろうか。子どもの重荷となりたくない・・・そんな母心を感じ取った語り手が、そっと外に連れ出す。葉桜の季節、吊り橋に心を躍らせる母を、大人の語り手が愛おしんでいる、そんな関係性も感じられます。 *の後が、震災後に書き加えられた部分なのでしょう。急に、他国を犠牲として生き残ろうとする国家の醜さへの感慨・・・といった大きなテーマに振られて戸惑いました。 その後の連で、作者が詩を書くということについて語られるのであれば・・・個人では答えようのない問い、それでも問わざるを得ない国際問題・・・そのことを思うたびに生じる、どうしようもない無念さ、無力さについて、飽くことなく書き続ける、ということ、それが私にとって詩を書く、ということなのです、という展開であれば・・・この挿入部分も、さほど違和感は覚えなかったのですが・・・ 〈母の傍らで母の詩を書いていると/「そげんあたまをつこうたらいかん」〉と母に心配されてしまう。国際問題のような、大きな出来事について考える、のではなかったの?と思い・・・いや、母のことを書くのも、国同士のことを書くのも、結局は穴の開いたバケツに水を汲むような、答えのない事柄なのだ・・・海辺で砂の城を築き続ける、そんなどこか虚しささえ含む行為なのだ、ということ、なのかな、と思い返してみたりしつつ。 でも、やっぱり、国同士の話が「唐突に」入って来る、感覚は否めないですね。
0まりもさんへ 過去に「ダグマ」において、自分が住んでいる町や好きな街を 大切そうに書いていた頃、 戦争においてまもられなかった街広島からの声として、 るるりらさんよりコメントをいただきました。 そのレスとして、広島に対する素朴な感情、自分の広島を書きました。 福島は、今回書き添えましたが、年代が矛盾しますね。 ご指摘ありがとうございます。 2連、他国の背を押す、は、ソフィーがそうであったように、 一人の個人が心の中でする、してしまう、ぎりぎりの選択を あくまで個人レベルで考えていましたので、 国同士の行為とは思っていまませんでした。 いつもありがとうございます。
0追記です。 2連の殺虫剤を抱いてなど、も母の描写でした。
0この詩には題名に、私の ハンドルネームも 記されているのに、あんまりにも単純なレスになってしまったので、気をとりなおして、もう一度 お返事を書かせていただきます。 あらゆる場所のあらゆる風景には、その場所なりの力があると 感じます。 この作品では、心理学でいうところの つり橋効果の表れなのか 橋での楽しそうな様子を表現しておられ、ほほえましいなあと 思いました。ただ、この橋は それだけの橋では無いかもしれません。この橋は、もしかしたら「工兵橋」かもしれません。 もしも あの橋であるとしたら 基町アパートがほど近いです。ご存じだとは思いますが、基町アパートは復興と大きく関係しています。 原爆投下後、なにもなくなった場所での人々は ご自分たちで それぞれが家を建てておられました。にもかかわらず その方々の家々は、都市計画のために立ち退きが よぎなくされ、基町アパート移動して住まわれること なりました。 つまり 詩の中に登場している橋は、原爆の記憶をもっておられる方が多いアパートの近くにある 橋のような気が 私はしています。 前作で書いておられたドレスデンも廣嶋も 戦争被害にあった場所です。ドレスデンのあるドイツの国民性は 戦争によって破壊された建物もできるだけ 元の姿に再構築するという選択をする国民性だと私は聞いたことがあります。 広島の選択は、ドレスデンは違います。まったく違う街を構築しました。中心に公園を据えて、その周辺には ありとあらゆる文化が集まるような街にしたのです。当然以前の廣嶋とは まったく別の街になりました。 ドレスデンは文化的独自性重視の美ですが、今の広島にも 風景としての美が力があると 私は感じています。人々の幸せのために 街を造ったのは 同じです。 前作の詩についてなのですが、私には すこし疑問点がありました。ドイツ兵が破壊されないと誤解するような力を強調し そのような力はある。という表現をしておせれる。そこに 私は首をかしげたのです。 でも、実際にはドレスデンは破壊されたと書いておられるではないですか?美の力だけでは 崩壊は まぬがれなかったということでは(・・? 風景には破壊を免れる力は無かったのです。 ドレスデンの魅力は、過去の人々の心にあるのではないと思います。現在のドレスデンに繋がる人々にあるのではないでしょうか?戦争で崩壊しても 以前のような姿に再構築したいから再構築したドレスデンの人々の【ドレスデン愛】が 現在のドレスデンの魅力だと 個人的には感じているところです。 ドイツの話は、それはそれとして、広島の場合は 街が白紙になったあと まったくの別物の街を 造りました。なかなかの多様性重視です。だから、広島にも素敵なパン屋もありますよ。 いい匂いをさせています。 さて、あなたのお書きになった詩の中に出てくる つり橋に 話を戻します。さきに いいましたように広島と廣嶋の光景は まるで違う風景です。ですが、この詩にでてくる橋が「工兵橋」だとすると、工兵橋だけは 廣嶋にも存在していた数すくない建造物かもしれません。 私は、この詩の中にでてくるご年配の方のセリフ部分が好きです。私も暗い様々なことに頭を使うことばかりが良いこととは 私にも思えないからです。 ただ、詩中にある橋が もしも「工兵橋」だとしたら、それは広島と廣嶋の光景を結ぶ大切な橋である気がして、そのことだけは お伝えしてみようと思った次第です。橋の位置が原爆の波動と水平だったために骨格が 壊れなかったのが、工兵橋という橋だと聞いています。工兵橋は 兵隊さんが利用した橋でも ありました。
0るるりらさんへ ありがとうございます。工兵橋だと思います。 「広島と廣嶋の光景を結ぶ大切な橋」だったのですね。 吊り橋から下流を覗くと、柔らかな砂地が半月のように現れて、 静かな流れに桜の枝と陽光が映るのがきれいでした。 土手のうっそうとした桜並木に、これが戦後復活した街?と驚きを禁じ得ませんでした。 上手の苔むした塀の細道を入っていくと、大きな家も並んでいて歴史を感じました。 お線香の香りに誘われて、幟に色とりどりの布を垂らしたお墓が延々と続いているところにも (寺町だと思います。)たどり着きました。 ♢ ♢ ♢ >ドイツ兵が破壊されないと誤解するような力を強調し そのような力はある。という表現をしておせれる。そこに 私は首をかしげたのです。 でも、実際にはドレスデンは破壊されたと書いておられるではないですか?美の力だけでは 崩壊は まぬがれなかったということでは(・・? 風景には破壊を免れる力は無かったのです。 (るるりらさん) ここが争点ですね。そして、再度の問いにくり返しお答えしたつもりでいるのです。 るるりらさんが言われている、「美しい場所だったが破壊されたではないか」、というのは、 美しい場所がだめだったのではなく、破壊した方が無知だったからだと思うのです。 この点を私は、【熟知】ということばで書いたのです。 ♢ ♢ ♢ 【熟知】について 美しい街で歓びとともに寝起きし、それらを作り上げた先人や長いじかんに思いをはせ、 自然にわき上がってくる感謝の念の中で育っていく。 ヒットラーやアメリカの大統領、過去の日本の侵略者がもし生まれ変わったら、 そういう場所で赤ちゃんのときからやり直して欲しいと思います。 一見そういう場所に恵まれていた彼らには、 美しい場所で育つことの内の何かが欠けていた、熟知をしていなかったと思うのです。 人間の暮らしを歓びのうちに皮膚から毛穴から呼吸して、 景色ごと、おいしいパンも葡萄酒もあなたもわたしも、 大切に思わずにいられない。 それがなし得るのは、真に美しい環境ではないかと思っているんです。 それは人びとに平等な福祉であり、やればやっただけ歓びが増していく事業。 家庭が不幸せであるときも、一歩街に出れば目から幸福が飛び込んできて、 ここでなら永遠に生きたい、でも今すぐに死んでもいいわ、と思うような、 一回きりのわたしたちの人生の書き割りであり、舞踏会場。 生きとし生けるものが漏れなく死んでいく場所として、 すべての魂に最高の死に場所を与えることでもあります。 ♢ ♢ ♢ その美しい街、とは、こぎれいな街、ではないんです。 圧倒的に美しい街、信じられないほど素敵な街、人間にここまでできるのか・・・、 ここに爆弾が落とせるなら落としてみろ!とさえ言ってみたいほどの街なんです。 (そして、それらを享受するのは、これから生まれるすべての子どもたちや訪れる世界の人々なので、 分母に無限大が来る、すなわちコストは限りなくゼロに近いと思うのです。) そんな夢物語、と言われるかもしれませんが、 度重なる戦禍にもかかわらず、それを実現しようとしている国は、 たくさんあります。ドレスデンはそれらの地のひとつの例として書きました。 twiterにそういう街や村の画像を集めていきますので、 よろしかったら覗いてみてくださいね。→https://twitter.com/bara20006 ♢ ♢ ♢ >私は、この詩の中にでてくるご年配の方のセリフ部分が好きです。私も暗い様々なことに頭を使うことばかりが良いこととは 私にも思えないからです。 (るるりらさん) 【そげんあたまをつこうたらいかん】について。 私は小さい頃から頭痛がひどく、母親は元気に育つことを最上としていました。 その願い通り、自然のなかを歩き回ることしかしないように育ちましたので、 机に向かってるのをあまり見たことが無かったんだと思います。 「あたまをつかうな」は普通の親とは違うらしいし、 それを頭の弱っていた母がそばから心配そうに何度も言ったので、 可笑しかったのです(笑)。 「私も暗い様々なことに頭を使うことばかりが良いこととは」(るるりらさん) るるりらさんや他の方々に暗く頭を使わせたとしたら、お詫びするしかないのですが・・・。 自分の我が儘な歓びのために、ごく偶に少しだけこうして頭を使うのは決して暗くはありません。 私の時間の本当にわずかな部分ですので、どうかご心配なさらないでくださいね。 再度のコメント、ありがとうございました。
0はじめまして。 細かいことですが……。 「恍惚の人」は森重ではなく森繁(森繁久彌)ですよね。 その点が気になりましたので、コメントさせて頂きました。
0ウエキさん、こんにちは。 >「恍惚の人」は森重ではなく森繁(森繁久彌)ですよね。 ほんとですね(笑)。 ありがとうございます。
0この作品は、大賞だということでしょうか?
0そうでしたか。おめでとうございます。
0わたしは 2010頃に つまり東北の震災の関係のない作品を 現代詩フォーラムで初めて読ませていただいています。あのとき とても嬉しかったことを覚えています。 ですが、「 るるりらさんへの返詩」という題名で多くの方が御覧になるのは、わたしには 重いです。 森繁のあの映画は老を
0つづきです。 あの映画は老を----描いた作品であり、2010頃には笑顔で受け止めれた映画内容が 今の私には 昔よりも より気の重い事柄を含んだ内容と感じられます。 2010頃にはじめてうけとったときは、ただただ ありがたかったのです。しかし 今は老の問題は もののついでに お話する気になれない心になる問題へと変化しております。 賞は素晴らしいことです。ですが、 わたしあてだと思うと 私には重いです。 できることならば、わたしあてでないという作品題名に変更して 賞の欄に掲載していただきたいです。
0花緒さん、ありがとうございます。 るるりらさんへの返信のために書いたもので、作品としてみていただけたことが驚きでした。 自分の詩は、詩的な何かに乏しいたどたどしい作文だなあと思っているので、申し訳ない気持ちですが、選んでいただいたことに感謝し、今後の励みにしたいと思います。 タイトルですが、私としましては、広島 のみとし、~るるりらさんへの返信~を詩の末尾に付す、という風に(るるりらさんの方でお差し支えなければ)お願いしたいです。 よろしくお願いいたします。
0老だけではないです。震災も広島も老の問題も、それからナチスも。この作品には 混在しています。 どの問題をとっても 本来なら軽く扱える問題ではないです。 それなのに るるりらという個人あてなのは、辛いです。
0あ、時間がかぶっていましたね。 どの問題をとっても 本来なら軽く扱える問題ではないです。 それなのに るるりらという個人あてなのは、辛いです。 世界と一人の人は、どちらが重いという問題では無いと思っています。 ですが、るるりらさんのお気持ちもわかりますので、 この掲示板での訂正はできないとしても、 他へ転載の場合は、タイトルは 広島 末尾への註も割愛した方がいいかもしれませんね。 るるりらさん、ご心労をかけお詫びします。 花緒さん、よろしくお願いいたします。
0★fiorinaさん わたしの題名を変える意見を受け取ってくださって ありがとうございました。 世界と一人の人が、どちらが重いという問題を わたしは お話したのではないです。 世界は一人の人なんて、時折 虫けらのように葬ります。それが事実です。まさに地獄は この世にこそあるといっても過言ではないです。地獄に墜ちた人々はカオスの中を右往左往しながら 思考すればするほど、アリ地獄のアリが地獄の奥にさらに堕ちてゆくような状況に 顔や心を ゆがませます。 そんな様々な人の様々な艱難のときにも 「そげんあたまをつこうたらいかん」という魔法の言葉がすくいになるかもしれません。 この詩をお読みになる方々が、「へぇ るるりらって人あてなんだあ。」などと 思われるのは極力 遠慮をしたいです。人々が この詩を、単にfiorinaさんの詩として お読みになることを 祈っています。「るるりらってどんな人なの?」とかいうことは、やっぱり不特定多数の読者にとっては 不要ですよ。わたしは、そう思うなあ。 そうは言っても ほんとうの本当は、この詩が私あてであることは 理解しています。私は 実際になんどもなんどもこの詩に対する思考を反芻しているし、この思考は わたしを成長させてくれるに違いありません。わたしのことを 心にとめてくださったこと自体にも深謝いたします。ありがとうございました。 ★花緒 さん 対応ありがとうございます。三者が期せずしてタイムリーに同席していたのは奇跡な思えます。このサイトには 詩の神様が確実にいらっしゃる証のようにも思えています。ビーレビのさらなる発展を こころからいのっています。さっそくの対応を ありがとうございました。
0