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011-020
みんなが知らない街が消えた。 嫌いな野菜を飲み込んだみたくあっけなく覆いかぶさって流し込んで吸い込まれていったよ。 消え入りそうな呼吸を前に愛を語る大衆文化へ。 いろんな人かいたなっていまでも思い出せる。 いなくなって欲しいと願ったわけでもないのにいっぱい見えなくなってしまったよ。 微かな呼吸をみて正しい尊さを謳うニュースキャスターへ。 夢を見て歳を取る。夢だけが老いて私たちを残していく。それだけが生きがいであると願っていると知ってて夢は私たちを置いていくんだ。 声高に愛だ心だと必死に叫ぶなにも失っていない生還者へ。 横たわる人たちを見て心が痛んだだろうか。飲み込まれた彼らの方がなにもかもずっとずっと痛いはずなのに。 どうせなにも知らないあなたたちへ。 あなたたちは息をしているのにこれ以上なにをのぞむの?
011-020 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1700.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2020-05-09
コメント日時 2020-06-04
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なんとなく大震災を思い浮かべました。全く違っていたらごめんなさい。 どうせなにも知らないあなたたちへ。この言葉が胸に刺さりました。
0コメントありがとうございます。 夢を持つことは誰でもできますが、誰もが追いつけるわけでもなく、ましてや死んでしまうとそんなことも関係なくなってしまう。でも持った夢は生き続けるんじゃないか、そんなふうに考えました。 それこそコロナによって亡くなった人にも夢においていかれた人はいると思います。そう考えるとやらせないようなと。
0コメントありがとうございます。 その通りです。特に東北大震災はイメージとして大きいです。タイトルは震災の起きた年から今日までという意味も込めて。 自分自身、被災した人間ではないので「どうせなにも知らないあなたたち」というのは、自分にも向けた言葉でもあります。
1今の状況を思い浮かべてしまいますが。 >あなたたちは息をしているのにこれ以上なにをのぞむの? 息をしているだけでは苦痛なのだろうなと。退屈させるというのは刑罰になりうるので。 >夢だけが老いて私たちを残していく 浅き夢見し酔いもせす では、即興で返詩の短歌を。 人が消え 死体が並ぶ 整えろ 心整え 夢酔いもせず
0他者様のコメントは基本、見ないで感想を書くように努めているので 被っていたらすみません。 災害の詩と思いながら読ませていただきました。 ですがコロナにも通じる所がある様に思われます。 私が良いなと思ったのは こういう時にポジティブな所にばかり目を向けた作品がポンポンでするんですけど 負の一面をしっかり救い上げて書いている所です。 本当に悪い出来事を忘れないってしたいなら 綺麗にせず負も何らかの形で残すべきじゃない? そんな考えの元、震災の詩をまだ書いているので共感出来ました。 私自身は被災地の出身で、震災の負と向き合い残そうと書いてまいりました。 来年が10年になるので書くのも最後にしようと勝手に思っています。
0コメントありがとうございます。 息をすること=生きていると意味を込めていました。多くの人が亡くなる、そして亡くなっていった人がいる中で生きているのに、といった具合に。 返詩ありがとうございます。儚き夢と散らぬように。
0コメントありがとうございます。 お言葉通り災害、特に東北大震災は強く現れていると思います。というのも私は被災者ではなく、しかしそれが起こった日が自分の人生で特別な日だったからです。 もう10年近く経って、私の好きなアーティストの曲を聴いていたら突然そのときの感情が蘇ったので、その勢いと現在の気持ちを混ぜて書き上げました。 恐らく震災の負の側面には私も含まれていて、部外者である自分の個人的な大きな気持ちが後半で多分に現れています。 だから被災した方や、そこに関わっている方たちに対しては、こんな詩を作ってごめんなさい。でも読んでいただき本当にありがとうございます。 そういう気持ちでいっぱいです。
0こんにちは。死を見つめることは生きているうちにしかできないから、見つめた上でどう生きるか、そういうことではないかなと思います。死者のみならず、誰にとっても私は彼らにとって他者の生を生きるしかないし、私の死も誰にとっても他者の死だから、そこを引き受けつつ、生きる側を向くというのは大事じゃないかな。つまり、この詩は、語り手を含むとはいえ、問いかけの形で終わっている以上、語り手の生きる側への姿勢をまだ見出せていないと思います。
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