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台所
台所 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2433.0
お気に入り数: 3
投票数 : 0
ポイント数 : 43
作成日時 2020-04-18
コメント日時 2020-05-09
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 11 | 6 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 7 | 4 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 11 | 1 |
音韻 | 6 | 0 |
構成 | 6 | 0 |
総合ポイント | 43 | 13 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2.2 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1.4 | 1 |
エンタメ | 0.4 | 0 |
技巧 | 2.2 | 0 |
音韻 | 1.2 | 0 |
構成 | 1.2 | 0 |
総合 | 8.6 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
詩は 公憤・義憤をさけんだり 訴えたりする声を代弁することがありますが やっぱり わたしだけに聴こえくる声としての 「機能」が すてがたい魅力だと思います。 わたしの四歳の息子は いまだに「トゥプーン」と言い 「わかりまちたー」と答える 幼児言葉を使います。 かわいい反面 心配のたねでもありますが 彼もまた 木のスプーンをくわえながら 台所をウロウロし 冷蔵庫をパタパタし お菓子の入った戸棚を開け閉めする毎日です。 その彼が歳を重ね 四十代の男の低く くぐもった声で 台所に立ちつくし この当時を述懐するとき そこでは かなしくて やりきれない 当惑、後悔、躊躇にぶつかる 人生の局面を見つめているのかもしれない。 老いはじめた親の いらぬおせっかいだと自嘲しつつも かならずや そんな日がくるだろうと 確信の声も聴こえくるのです。 わたしがそうだったように。
0んーむ。少し私の自分語りで申し訳ないが、リアルタイムで俵万智さんの「サラダ記念日」が出てきた時のことを思い出す。その頃の私はヒリヒリとした刹那的、退廃的な文化に重きを置き、ひたすら尖っていた。だから彼女の歌集の意義も良さも分からなかったし、分かろうともしなかった。だがそれは長閑な日常の中に、自分が幸せや価値を感じる能力がなかったことの証でもありました。この詩、作品を読むと長閑な日常の幸せを感じる。幸福を感じる。そして筆者がそれらを拾い上げる敏感さを備えていることをも感じる。それが少し羨ましいと、と10代の頃の私がちょっと嫉妬混じりで言っている。自分の些細な日常を、人々の中心に置くことが出来ている詩だと思います。
0>>わたしだけに聴こえくる声 そうですね。自分が表現すべきと感じたものや、表現したいと欲求したもののために、ある種の意志が介在した作為を持ち出さなくとも、自分の中から自然と溢れてくる言葉をただ記録していけば、それは詩になるのかもしれない、そういったものが本物の言葉なのかもしれない、と思い、この詩を書きました。
0ありがとうございます。
0自分が四歳の頃、どのような気持ちで幼児言葉を使っていたのか、スプーンをくわえながら台所をうろうろしていたのか、冷蔵庫をぱたぱたしていたのか、お菓子の入った戸棚を開け閉めしていたのか、 そういったことを思い出したいと思うのですが、もう何もわからないのです。 感情の紐付かない、ばらばらの映像の断片しか思い出せないのです。
0優れた作品と思います。 作中では「金属のスプーン」と「木のスプーン」が対比として出てきますが、「子供」の主人公にとっては「金属」が冷たいもの、「木」が温もりのあるものとして登場します。冒頭より金属のスプーンが出てきますが、1連目は金属のスプーン一点に視点が集約されています。金属のスプーンが「冷たい」「にがい」ものとして明示されていることから、要するに、「冷たい」「にがい」舌ざわり、感情の大きさを1連目が表しているように感じます。 他方、疑問点も出てきます。 >子どもである舌が 子ども、ということを客観的に認識している主人公。冷たい、にがい、と感じる舌は、子どもだからなのだ、と言わんばかりの表現を、純粋な子どもがそう捉えられると考えるのは少々不自然に思われます。これはすなわち、「私は所詮子どもなのだ、子どもだから真意が分からないし、子どもだからこのように不満足なのだ」と自己批判を重ねているように思われます。つまり、私が不満足であるのは、結局のところ私自身の問題なのだ、という大変内向きな感情。 そうした内向きな感情は、「かなしくて/やりきれな」い、どこへも行き場のない、何かに当ることも出来ない心中へと結びつけられます。行き場のない悲しみ、不満足。不満足は冷蔵庫へと向けられますが、扉を開け閉めするにとどまっております。 私が申し上げたいところは、本当に中身が子どものようであれば、「子ども」であるという自責、冷蔵庫を開け閉めするに留まる不満足に対する行為、そのような思考や行為には至らない可能性が高いという点です。つまるところ、本作が描いている点として最も重要なのは、主人公が如何に「押さえつけられた環境にいるのか」という点です。常に自分が悪いと「思わされ続けた」し「思わないといけないんだ」という教育、及び環境であることそのものの異常性、怪異なさまを感じさせられます。 怪異なさま、締め付けられ抑え込まれたさまを如実に表しているのは3連目。「捨ててしまえ」と言い切ったかと思えば「ばいいのか」と直ぐに迷い、「もしれません」とどんどん感情を遠く離していく。本作主人公において、内側の感情はあまりに現実から遠すぎる位置にあるのです。 食べたい。空腹。私が申した「不満足」などという陳腐な表現ではまるで到達していない、最早生理的欲求の域にすら到達している圧倒的な感情の空腹が、主人公をただの台所で徘徊させます。しかし、当然のことながらそこには空腹を満たすなにものも存在していなくて、比較優位で「冷たくない」「にがくない」のみの「木のスプーン」一個を握りしめ、あまりに狭苦しい場所を当てもなく彷徨う主人公の姿には、最早人のこころというものは感じられなくなってきているのです。
0冒頭四行、意識するより先に金属のスプーンを口の中に突っ込まれた感覚に襲われる描写力は、ことばをどう働かせるかを熟知していなければできない業です。第二連も、どうでもよいようなことしか語っていないのに情感がひしひしと迫ってくる。最終連の軽みとペーソスはほのかに毒を含んでいますが、その毒が事故に向けられているのでちゃんとユーモアにまで昇華されている。シンプルな相貌ですが、驚くほどよく書けている作品です。第三連は語尾の遊びが面白い。最初はちょっとあざといかなと思いましたが、この語り手の語り口からすればちゃんと必然性があってただの遊びに終わっていない。物を書くとはこういうことだというお手本のような名品です。
0上記のコメントに誤字がありましたので訂正を。 (誤り)事故に向けられているので →自己に向けられているので
0台所はイメージの宝庫なのかもしれません。金属のスプーンと木のスプーン。単なる好悪を越えて魂の彷徨が始まったのかもしれません。天空は出て来ませんが、冷蔵庫が天の役割を担って居る様なそんな気もしました。冷蔵庫の内容物が星座と言うのか星々ですね。実際に詩で述べられていない事を空想するのは厳に戒められなくてはならないのかもしれませんが、台所の彷徨をどうしても天上界を目指す魂の彷徨ととらざるを得ませんでした。
0本物の詩人なら、ただあったことをあったままに書くだけでも詩にできるはずだと思い、そのような挑戦の意図もあり、この文を書きました。なのでこれは日記でもあるのです。
0ありがとうございます。好きな読みです。 >冷たい、にがい、と感じる舌は、子どもだからなのだ、と言わんばかりの表現を、純粋な子どもがそう捉えられると考えるのは少々不自然に思われます。 平たく言えば置いてけぼりの感覚ですね。ゆえにここが自分のいるべき場所じゃないと感じるという
0ありがとうございます。 >第三連は語尾の遊びが面白い。最初はちょっとあざといかなと思いましたが、 このようなタイプの遊びは、それがうまく文体と馴染んでいれば効果的で良いものだと思います
0わたしは単純に日記のつもりで書きました。なにも特別なことはしていないつもりです
0冷蔵庫をパタパタするのは良い表現ですね。可愛らしくて素敵です。全体的に好感を持ちます。 技術的な指摘は…複雑な読点と改行の入り組んだスタイルは、度を超すと文意を断ち切るので程々に。1~2連目くらいが程よいと思います。3連目は意図がある改行だと思うのでこのままで。4連目はいくつかの読点は不要ではないかと思います。ってなんだか偉そうですみません。
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