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少女至上主義
停止線で止まれなかったから、わたしは死んでしまった。 キャンドルサービスで焼けた黒い前髪は 奪われた処女性を反射して 安っぽく光る茶色に堕ちた ピンクネオンのシロップに浸けた毒を知った夜、 聖なる純潔の記憶が 黄ばんで 朽ちていく夢を見た 焼け爛れたピンク色のその先で、愛の真似事ができるなら 色を足して、 交ぜて、 終わりの無い色遊びを続ければいいじゃない 遊び疲れた最期の色は 灰色かしら ? 停止線で止まらなかったから、わたしは死んだ。
少女至上主義 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 836.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-07-01
コメント日時 2017-07-09
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
停止線っていうのが、二つの意味を持っている。 道路の停止線を飛び出して、交通事故に会ってしまう自分。 と 絶対に超えてはいけないラインを飛び出して、自分の身体を売ってしまう自分。 みたいな感じですかね。 >キャンドルサービスで焼けた黒い前髪は >奪われた処女性を反射して >安っぽく光る茶色に堕ちた > >ピンクネオンのシロップに浸けた毒を知った夜、 >聖なる純潔の記憶が >黄ばんで >朽ちていく夢を見た > >焼け爛れたピンク色のその先で、愛の真似事ができるなら >色を足して、 >交ぜて、 >終わりの無い色遊びを続ければいいじゃない > >遊び疲れた最期の色は >灰色かしら >? ギャルっぽいイメージとか、自分の身体をまずはおしゃれで茶髪にする。そこに処女っていう煌き笑をぶっこむ。次に、ピンクネオンのイメージから純白のイメージを夢っていう精神の世界で黄色に焦がしていく。 次に、ピンクをネオンのイメージから肉体の方にフォーカスさせて、ピンクを爛れさせてしまう。 という感じで、綺麗な色のグラデーションが肉体と精神、それから場所のイメージなんかに匂わせながら、徐々に身体を蝕んでいく感じで綺麗に描かれているのがわかります。 最後に灰色という形で、色を限りなく白に近い黒、みたいな感じで収めていくのもグレイトだと思います。 灰色っていう色は停止線のライン色に通じることや、灰のように燃え尽きた肉体と精神も示すと思いますし、白髪っていうストレスのイメージにもつながってくると思います。 単純によく纏まった作品なのではないかという感じがいたします。
0少女至上主義、という題名そのものが、非常に矛盾を孕んだ言葉ですよね・・・ 少女、であり続けようとする語り手が、「少女」であることを捨て去った(奪われた)時、それでも少女であり続けようとすれば、いったい何が起きるのか・・・。 〈奪われた処女性〉〈聖なる純潔〉という部分に、少女=処女、という、やや古風な観念が正面に出て来ている印象を受けました。少女の痛みや欲望や葛藤、といった感情(の推察)に向かうのではなく、処女性や純潔を奪われる、失う、という行為が、少女の心象になにを及ぼすのか、といった、問いかけの感情が強く働いているように思います。 理由はいきさつは描かれていませんが、少女が一線を越えてしまった、その後は・・・ 〈焼け爛れたピンク色のその先で、愛の真似事〉を続けること、しか、少女には道は残されていない、その果ては灰色の末路、というような、荒んでいく「少女」の心象を、色彩に仮託して描いているように思いました。 少女の内面的な葛藤に、もっと踏み込んでいくような描き方がなされると、もっと奥行きの増す作品になったように感じました。
0少女を少女たらしめるものは一体何でしょうか。年齢によるものが大きいと思われますが、それだけでしょうか。 「停止線で止まれなかったから」と、止まれなかったのは何か理由があるはずです。それが外部にある不可抗力だったのかどうか。それにしても、止まれなかったからという理由づけはいわゆる言い訳でもあります。 「安っぽく光る茶色」は、茶髪に染めるという行為を揶揄した表現でしょう。キャンドルサービスという祝い事と対比して、まるでその光に髪色が照らされているかのように忌むべき出来事として染髪が描かれています。 終わりは微妙に表現が異なっています。「止まれなかった」から「止まらなかった」に。この「れ」と「ら」の違いに注目すべきであって、さきほど「止まれなかった」ことを言い訳だと評したのですが、「ら」への言い換えによって、そのことが自らの意志によって選択したことだったのだと思わされました。 最後に「終わりの無い色遊び」というのが主題になっていると思うのですが、染髪やら朽ちていく記憶やら愛の真似事やらという色遊びがあり、これらの出来事をまとめて色遊びと表現しているこの作者こそが実は最も色遊びに長けているのではないかと思いました。
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