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隣駅物語
君とは駅が隣だったけれど 友人になれなかった 家が近いということだけでは 友人になれなかった 僕は遠くに住む人と友人になった ちょうど夢に見る世界が、広くなる季節だった 僕らは異なった景色を遠くに見始めていた真っ最中だった 同じ電車で一緒に通学しようと約束したのに いつか僕の方が違う時刻の電車に乗るようになっていた 君は何も言わなかった 同じ車両に君の姿を見つけ 微笑み合って挨拶をし 満員電車の中で話しながら学校に行った そんなことが長く続かなかった ただ、慌ただしかったのは僕の方だけではなかったと思う 絶え間なく流れる都会の電車 満員電車に乗るといういつものこと 恐ろしく混んだホームの上で 最近なぜか君のことをよく思い出す もっと君のことを大切にできなかっただろうかと思ったりする 君もどこか別の駅にいるのだろうとか あるいは乱れ走る電車のどれかに乗っているのではないかとか。 あの頃広く遠く思えた世界は今、とても身近に感じられる 一緒に語り合った高い志に照らしてみて 今僕らはどういう道をそれぞれ歩んでいるのだろうね 隣の駅から来る満員電車の一両目に君の姿を見た朝のことが こんな気持ちを伴って思い出される もはや遠いとか近いとかいう思いはなく また友人か友人でないかという考えもなく ここにいるすべての人を、僕は迎えては見送っている
隣駅物語 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2259.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2019-11-07
コメント日時 2019-11-27
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
繋がりそうで繋がらなかった縁のお話。 僕はコミュ障なのでそんなのばっかりですね。 縁というのは、難しいです。
0IHクッキングヒーター(2.5kW)様、コメントありがとうございます。 私もまた、つながったり、つながらなかったりで、人生上コミュ障気味な場面は多かった。縁について語りたいこともたくさんあるわけで、ここにちょっと真面目に一つ書きとめておいたわけです。まあなんとかここまで生き延びています。
0駅が隣なのに友人になれなかった 物理的に近くにいるのに、親しくなれないという経験は、私もあるし、周りからもよく耳にするので、どういう展開になるのか、初めは興味深く拝見していました。 >一緒に語り合った高い志に照らしてみて >今僕らはどういう道をそれぞれ歩んでいるのだろうね この部分で、そこまで「君」と語り合ってはないのではないか、と思ってしまうのでした。 最終連で >もはや遠いとか近いとかいう思いはなく >また友人か友人でないかという考えもなく >ここにいるすべての人を、僕は迎えては見送っている とありますが、「君」の存在って一体何だったのか。前半で、主人公の「君」への思いを強く感じさせるだけに、あっさりまとめられた印象を受けました。
0つつみ様、コメントありがとうございます。 今この拙作を自分で読み返してみて、恥ずかしい感覚に襲われます。よくあることについて『隣駅物語』などとたいそうなタイトルをつけたものです。内容が釣り合ってませんね。或る人は私の自分語りは聞きたくないとおっしゃっていましたが、この拙作はそれをやって見事に失敗したもののようです。「君」と知り合ったのは十八歳の時でした。友人にはなれなかったこの「君」のことを社会人になっている今、私は思い出すわけです。そういう類いの「君」を、誰しも脳裡に持っていることと思います。私はこういう「君」について感傷的に思い出し、青春時代と現在との対比も扱って一つの作品を書いてみようと思ったわけでした。結果、ご指摘のように「あっさり」まとまってしまいました。あれこれ長く書いたのに、今読み返してみると、空疎だなと、自分で思います。的確なコメント、ありがとうございました。
0君、という作中の誰か。たぶん、誰もがそこに自分の経験や思い出から挿入するのだろうと思いました。そんな語りを具体的で個人的なエピソードと重ねながらうまく展開されていると思う。 ただ、 実のところ、ぼくは最初の四行でこの詩の詩情は語り尽くされているような気がしている。遠くて近く近くて遠い。
0帆場蔵人様、コメントありがとうございます。 最近、自分の作品作りについて思うのは、語ること、述べること、論ずることに、傾き過ぎているということです。言葉そのものを彫琢することをなおざりにしていると思っています。語ること、語り終えることも大切なことですが、言葉そのもののたたずまいとでも言うべきものによって表現することを、もっと追うべきではないかと思っています。 この拙作『隣駅物語』も、そういう向きから作っていけたかもしれません。
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