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髪を切る
右手にただのハサミを持った それは、髪を切る為の道具だ 紙を切るけど髪も切る なんて面白みもないダジャレを言ってみた 今 切ろうとする髪は 私の背丈を遥かに超えて そう、まるでラプンツェルのようね 黄金色ではないけど 私の漆黒の髪は 生まれた時に切る事を忘れた 毛先は鋭利な刃物のように 鋭く細く尖っていた 切り揃える事すら一度もしなかったせいか 髪は人生のようだった 私の体は細胞分裂 ミクロ単位の何かを行うけど 髪は一度外気に触れたら 洗わない限り綺麗になりやしない 淀んだ起伏は毎年現れ 丸々ときれいなここは恋をした時 白くちぢれたそこは失恋したのね、と。 人生をなぞれるほどに 鮮明にあらわしている 失恋すると女は髪を切るというけど 私は人生を捨てる為 齢19のその髪を 右手に持ったハサミは 容赦なくチョキン チョキン はらはらと崩れていく 私の人生さようなら 果ての果てには丸坊主 下に散らばる人生達を 両手にかきあつめ 何もない所へと足を出した 踏み外した 下へ下へとまっさかさま 落ちていった少女はだあれ?
髪を切る ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 877.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-06-21
コメント日時 2017-06-28
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
作中でも触れられていますが、ハサミは髪を切るだけの道具ではなく、紙を切ることもするのですが、語り手はハサミ=髪を切る為の道具だと思い込んでいることに、髪を切ることへの決意を感じさせます。 自分を変える行為として、髪をいじるということ。性格を変えるのはなかなか難しいですが、見た目を変えるのは簡単で、それも体の一部で、手放しやすく、変えやすいのが髪ですね。 「髪は人生のようだった」という一行が核になっていて、髪は私の一部でありながらも、私=人生そのものであるという比喩。そこから行が展開されていき、髪の起伏に恋や失恋を読み取る着想に魅力を感じます。 そして、私は髪=人生を切る。「女」は失恋をすると髪を切るというのは、失恋した部分だけ、髪の一部だけしか切りませんが、この語り手は「人生を捨てる為」に、失恋した部分だけ切るという目先の目的ではなく、人生=髪を全て切り落としていきます。そして、下には切り落とされた私の人生=髪達が散らばり、さらに髪達はどこかへと歩みだしていく。 「落ちていった少女はだあれ?」というのは、語り手の開き直りを感じさせました。「私の人生さようなら」と決意して切り落とした髪=人生は、私から手放された私の一部であり、切り落としてからはもはや私の一部ではないのでしょう。つまり、もはやそれらは他人であって、きっぱりと私の過去=人生との決別ができた証拠としてのセリフだと捉えました。
0髪を切る行為っていうのに、人生の決別そのものの行為みたいなものを見出すというのは、僕も書いた事があるんですけど、本作の場合は髪そのものが自分が生きてきた19年という人生そのものになっています。そこが面白いと思いました。ああそっか、髪って伸ばしただけ、その人の人生と共にあるんだなぁって思いました。 >今 切ろうとする髪は >私の背丈を遥かに超えて >そう、まるでラプンツェルのようね >黄金色ではないけど >私の漆黒の髪は >生まれた時に切る事を忘れた 生まれる時から伸ばしてきた髪の毛っていうのは、現実問題としては無理かもしれないんですけど(それは物語の中だけしかありえない事みたいなという意味で)でも出来たら、それはその人と同じ人生を歩んできた一心同体の物であるということができますよね。人間の細胞は一年で基本的に全部入れ替えるみたいな話を聞いた事がありますが、多分髪の毛はそうじゃないですよね。まるで年輪のように、その時生きてきた自分を髪の毛に痕跡として残しながら伸びていきます。 >丸々ときれいなここは恋をした時 >白くちぢれたそこは失恋したのね、と。 >人生をなぞれるほどに >鮮明にあらわしている 自分の人生の思い出っていうのは髪の毛と共にある。それは例えばデートしたり、あるいは、誰かと付き合っている時の自分、別れた時の自分。そうでなくても、誰かがなくなった時とか、改まった時の自分とか、逆にグレたときとか、髪の毛を染めてみた時とか、色々あると思うんですけどね。多分今まできってきた髪の毛っていうのをつなげて一本の糸にしたら自分の人生がきっと表現出来るんですよね。運命の糸とはよく言ったもので、その人の人生っていうのは、髪の毛一本に見て取れる訳です。 この作品に出てくる髪の毛というのは、紙のように薄くて、どうでもいい物であると同時に大切な物であって、自分の人生を表す、物であると同時に精神を表すメタファーであることがここから伺えます。 >下へ下へとまっさかさま >落ちていった少女はだあれ? それを切ってしまう事によって「少女」は「大人」になる。という所から、多分なにかしら、振り出しに戻るような強いきっかけがあったのかなぁ、ターニングポイントがどっかにあったのかなぁみたいな事を思います。それは勿論かいてなくて、多分読み手の心情に合わせてここの受け取り方が変わってくるとおもうんですよね。でもなにかした気合を入れたり、けじめを付ける時や、何かを変えたい時に人は髪を切ると思うので、その瞬間に今までの自分=「少女」がなくなるという感じは、多分共通してるのかなぁと思いました。 髪を切るという日常の行為に人生が切り替わる瞬間を描いた、いい作品なのではないかな~とか堅苦しい事をつらつら書いてきましたが、そんなことを思いました。
0内容については、他の方が触れておられるので、文体的なことについて。 冒頭、あえて「ただの」を挿入しているところ。散髪用のハサミではない、ごく普通の、文房具としてのハサミを、私はこれから使うのだ、という宣言ですね。このような使い方を、大事にしてほしいと思いました。一方、〈漆黒の髪〉これは、まるで慣用句のように用いられる言葉。あと一歩、私にしか言えない形容、比喩、を探してほしい、と思います。 〈生まれた時に切る事を忘れた〉〈毛先は鋭利な刃物のように〉こうした表現に魅力を感じます。直後に、人生を表している、と続く。今、髪を切ろう(実際の髪なのか、心理的な、内面の髪なのか、どちらでもよいのですが)と決意した時、毛先(心理状態)は、鋭利な刃物のようだ、という。針ではなく、刃物の鋭さを持った毛先を、自分の意志で切り落とす。そこに注目したいと思いました。 〈チョキン チョキン〉という擬音も、いささか使い廻された言葉、であるような気がして、もったいない。全体にとても丁寧に書かれていますが、もっと省略して、スピーディーに最後の崩落(滑落?)にまで持って行ってもいいかもしれない、そんなことも思いました。
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