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スペアタイヤ
走ったことのない場所なんてないかのような貫禄の 形ばかりの一本のスペアタイヤ トレッドの溝はほとんど失われ 全体は土埃に覆われて灰色をしている 横にして取り付けられて 常に地面を眺めている かつて特別な生まれ方をしたわけではなく 工場で続々と大量生産された中の一本に過ぎなかったそれ 香り高くイエローハットの店内に積まれていたところ 仲間三本と一緒に買われ 道へと乗り出したのだった 何を運んでいたかは 気になることではあった しかしそれはこのタイヤにとって どうしても生の周辺のことであった 荷や人間の劇のことなど 確かにそれらを支えはしたが よく見えずただ重かった 四本のタイヤは何より脇目も振らず 地面に嚙みついていなければならなかった タイヤたちは回転し 走った走った走った そのうち次第に我々の愛すべき一本のタイヤだけが どうやら道には果てがないようだと悟っていった それにつれて 走り続けることに疑念を抱き始めた 道に果てがないならば いったい何のために走るのかと 走ることに対する無関心に襲われてきたのだ 走る意味を欲し始めたのだ いっそうの情熱をもって このタイヤは走り続けた だがその走り方は 病的な勢いを帯びてきていた このタイヤにとって 走る意味は何なのかを深く考えることは 自然なことになっていた 路面を削るように走った 同時に削れてゆくのは自らでもあった そんな走行のうちに このタイヤは幸福さえ感じていた 他の三本のタイヤとは もはや調子を合わせられなくなっていた その走りは 他の三本のタイヤを凌いで力強かった トラックの乗り手は運転中 何か異様な感じをハンドルから受け取るようになった ついに他の三本のタイヤは このタイヤを非難するようになった 君だけそんなに力を入れて走ると 荷と人間とを安定させて運ぶことができないじゃないかと 言われた時にはこのタイヤには 自らの何が間違っているのか分からなかった 誰の目も見ず ただ一生懸命走っていた 自分が一生懸命であれば 他の三本のタイヤも荷や人間も 同じように一生懸命になって良好に活動するものだと信じ切っていた しかし現実はそうではなかった このタイヤは独りで 走る意味などという夢を追っていたのだ 必要なのは形を持ったことであった トラック自体が一定の均衡を保って限られた道程を進行することこそ 肝要なことであった 道に果てはない それは確かなことかもしれない でも車体に装着された以上 タイヤはそんなことを考えるべきではなく 自らの役目を見つめなければならないのだ トラックはねじ曲がりそうになった タイヤたちの間に不和があり 我々の愛すべき一本のタイヤがその原因を生み出していることに気付いた運転手は 混乱と苦痛を四本のタイヤに与えながら これらすべてを新しいタイヤに交換した 限界はあったのだ 道にではなくタイヤ自身に そしてもう地面に足跡を残すことはない いったい何のために走ってきたのか あれだけ走って 何かを創造できただろうか
スペアタイヤ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2965.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 75
作成日時 2019-09-05
コメント日時 2019-10-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 11 | 2 |
前衛性 | 4 | 0 |
可読性 | 19 | 4 |
エンタメ | 10 | 2 |
技巧 | 9 | 4 |
音韻 | 2 | 0 |
構成 | 20 | 2 |
総合ポイント | 75 | 14 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.8 | 1 |
前衛性 | 0.7 | 0 |
可読性 | 3.2 | 2 |
エンタメ | 1.7 | 1 |
技巧 | 1.5 | 1.5 |
音韻 | 0.3 | 0 |
構成 | 3.3 | 1 |
総合 | 12.5 | 7.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
タイヤたちは何かを例えているのでしょうね… とても興味深く、考えるのが楽しい作品です! 何かを創造できたのだろうか。 これは人間にも当てはまるテーマですよね! あなたは何かを成し遂げましたか?のような。 人生という道をタイヤたちで走っていた、というだけで面白い詩だと思います。 良かったです!
0タイヤをいろいろに読むことができるのを面白いと思いました。他の方も書いてることですが、タイヤが回ることが人のデフォルメになってる感じで、小気味よい感じがしました。それだけでなく、得体のしれない重たいもの、地に噛み付くという表現も、対応物がみつかって、たとえがうまくいっていることに驚きました。はじめは「道」と「人生」を対応して読みましたが、よく考えると道は時間かな、と思い、無限に続く時間のうえで永遠に流転する宇宙のあらゆるもののことをちょっとだけ考えました。そうすると、これほどうまくいくかわからないのですが、同様の例えが月や地球の公転なんかでも表現できるかもしれないと思い、それだけ普遍性のあるテーマなんだな、と思いました。あとイエローハットみたいなよく知った名前がでると謎のリアリティが出てワクワクする感じがしました。
0おはようございます。ひとつは組織のなかでの個人ということを思いました。特に企業の中で働きづめになって、疲労しきって、リタイアした後の空虚感などが、消費されるモノとしてのタイヤと重なりました。 もう一つは、意味は問いかけ、それに対する答えを見つけることも大事だけれど、問いをもちつづける姿勢が重要ではないかと思いました。答えが見つからなくとも、問いをもちつづける姿勢はそれだけで自分を支え前に進める力になると思うので。 最後に、これだけ筋が通っていて、これといった大きな変化もない安定走行であれば、行分けのスタイルをとらなくてもよかったのではないか、と感じました。
0せいろん様、ありがとうございます。タイヤは個々の人間のたとえです。 いすき様、ありがとうございます。 動く(回る)ものは、なぜ動くのでしょうね。何のために。それを見出しているときもあれば、まったく分かっていないときもあるでしょう。この限界のない時空の中にあって。 藤 一紀様、ありがとうございます。 確実に、私の頭は、組織や企業の中にある人間のことを考えていました。 行分けのスタイルについてですが、私は自分の思考をあらわすのに、散文の形で書く勇気がなかったと、言えなくもないです。 散文の形で書き始めたなら、もっと事を論ずるような感じの作品になっていたでしょう。
0タイヤの一人が抱えた違和感が他の3本の仲間に派生し、そのバランスを失っていく。「道」に終わりがないという気付きが本作の肝です。 しかし、そこに至るまでの過程が長すぎる気がしました。例えば、イエローハットの描写などは本作においてそれほど重要であったのかなど、特に前半に推敲の余地があるのではないかと思い至りました。 タイヤ同士の不和の描写がいまひとつ物足りないような感触がありました。なんというか、ここまで引っ張っておきながら読者がある程度予想できる範疇の話で終結しているように感じます。トラックが破壊されてタイヤが無残に散らばるなど、もう少しインパクトある、記憶に残る表現であってもよかったのではと考えました。また、タイヤがなぜ違和を感じたかという理由は「道に果てはない」こと、その無為だと考えると、やや若々しい、多感な印象も抱きます。であれば、タイヤの精神的な若さなどに注視したほうが、主人公であるタイヤがいきいきしてくると感じました。
0ふじりゅう様、コメントありがとうございます。ご指摘の中で特に、タイヤ同士の不和の描写がいまひとつ物足りないような感触があるということは、時間が経った今、私も読み返して、受け取られる感触です。そして、全体的にどこか平板な感じのする作です。インパクトが弱く、何か新しいことを表現した作ではないようです。ふじりゅう様がおっしゃるような、トラックが破壊されてタイヤが散らばるとか、タイヤの精神的な若さに注視するなど、そういうことが私には思いつきませんでした。ちょっと現在の私の限界を感じます。白い紙に何事かを書き刻むことのなんと難しいことか。拙作を丁寧にお読みくださり、意義あるアドバイスをくださり、ありがとうございました。
0改行するところと、散文調にするところを分けてもう少しメリハリをつけたほうが、読者の注意を最後までひきつけることができることができたのかもしれないというのが正直なところだ。改行通りに、一行一行を丁寧に余韻に浸りながらよむには、一行一行が物足りないし、むしろ散文調にしたほうが流れがよくなり読みやすくなっただろうと思う。 しかし、最終連のように一行一行、あるいは一言一言に十分に気持ちと意味が込められているような箇所ではむしろ今回のような改行が施されているほうが読者の心にも響きやすいだろう。 つまり、本当に強調したい箇所だけに改行の技法を用いて、それ以外は流れと可読性を重視した形式を選ぶなどの柔軟性を取り入れば、作者が本当に響かせたかったことが読者にはっきりと伝わるのではないか、と感じた。
0survof様、コメントありがとうございます。 ご指摘のことについて、なるほどと思います。 形の面では拙作には派手さ(効果的な、良い意味の)がない。また、わざわざ改行しなければならなかったという意味が疑わしい部分が多い。 藤 一紀様からも、行分けのスタイルをとらなくてもよかったのではないかとのご指摘をいただきました。 私は「詩」を書きたいと思ってこのスタイルで書き起こしました。私の頭の中にはまだ小学生の時に習った一行一行の頭をそろえる技法しかないのです(笑)。表現したいことに基づく、文字の配置の視覚的、韻律的な工夫には、まだ挑戦したことがありません。ビーレビで他の方々の作品を見ると、私には、とても進歩的だと思えます。 私にはこういう点で、もっと学び、取り入れていかなければならないものがあると自覚してはいますが、それがなかなか飛翔できないでいるのです。 『スペアタイヤ』の中に、改行がふさわしい箇所と、散文的な流れをもって綴った方が良い箇所があるのを、私は確かに認めます。 私は少し制作において怠慢であったかもしれません。今後、いろいろな作品を参考にして、徐々に自らの表現欲求に沿った柔軟な詩形態をあらわすことができるように努力したいと思います。アドバイスをありがとうございました。
0一般的なタイヤが主役と言うだけではなくて他の三本のタイヤとは違う「このタイヤ」を主人公に据える詩。普段は目立たない縁の下の力持ち的なタイヤが前面に出てきて、車体が見えないのは却って成功しているかと思いました。ああ、「トラック」と出てきていますね、でも影が薄いと思いました。
0エイクピア様、コメントありがとうございます。 私は或る日バスに乗っていたところ、バスが停車している時、窓の外に、古い中型トラックの車体の下部に取り付けられた一本のスペアタイヤを見ました。これまた古い、トレッドの溝がほとんど消えた、土埃にまみれた、なんの役にもたたなそうなものでした。私はすぐにそれに人間を重ねて考えにふけりました。長いこと、このスペアタイヤの姿が頭から離れず、この作品を書くに至りました。 さまざまな人間があるもので、作中の主人公のタイヤの生き方は、私の生き方をだいたい反映させたものです。自分のことを書くのは多くの場合苦しいことですが、このタイヤにそれを託して、突きはなして書いたので、苦しみは少なく、逆にちょっと楽しかったです。 成功との感想、ありがたく思います。
0自分なりに悩みつくして喜びを模索したり歴史に刻まれることを夢見たりするのにふと後ろを見てみればな〜んにもないまっさらな地面が広がっているやるせなさってありますよね。タイヤの働けば働くほどすり減ってゆく感じと人生の虚しさとの類似性がこれほどまでとは知りませんでした。
0夏野ほたる様、コメントありがとうございます。 投稿から約一か月が経とうとしている拙作でございます。今、私自身で読み返して、「虚しさ」を少し濃く表現してしまったかなと感じます。働きの成果は必ずあるもので、それは私たちが生きる意味でありますし、弱めに言っても「救い」となるものだと思います。私たちが生きた跡が、彫像的な力強さをもって存在し続けるように、私は願います。
0タイヤの詩て 笑 個性的なテーマいいとおもう。アドバイス募集とのことなのでもっと短くカットアップしてみたらどうだろう。
0Um Fantasma様、コメントありがとうございます。 カットアップという語を初めて聞きました。勉強を始めました。教えてくださりありがとうございます。 手始めにウィキペディアの記事を見たのですが、ツァラ、コルタサル、T・S・エリオット、ジョン・ドス・パソスなどの知っている名前が見られました。 現在、私のこの作品のポイント欄においては「技巧」の項目に7ポイント投じられておりますが、私としましてはまったく自信のないことです。 ただ単に改行をおこなって「詩」らしく仕上げている、と言われても仕方がないです。 量的には、この作品は何らかの技巧を受け容れることができるほどのものではないかと思われます。
0カモメのジョナサンに成り得たかもしれない「タイヤ」の物語として読みました。このスペアタイヤ。場所と境遇に恵まれれば先導者として崇められたかもしれません。しかし残念ながら賛同する仲間がいなかった。共に走るタイヤ三つは主人公のスペアタイヤを敵視してしまった。結果、走る意味はついに解き明かされることなく、タイヤたちの物語は終わる。苦痛に満ちてタイヤたちは交換される。悲劇として、しかし悲しみの押し付けはない物語。 こういうといかにも大げさですが、単純に言って楽しかったです。結構長いのに最後まで引きつけたのは筆力の安定感にあると思います。技術的な面はあまり気にならなかったです。正直面白かった。そんな印象です。
0stereotype2085様、コメントありがとうございます。 何より、拙作を内容的に楽しんでいただけてうれしい限りです。 また、けっこう精読してくださらなければ書けないコメントであると思いました。ありがとうございます。 この場ですが、運営のほうでは、お疲れ様でした。お世話になりました!
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