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prayer
一杯の白湯がかたむすびをほころばせてしまったので、今日という日のぼくも無事に誕生いたしました。 窓に張り付いた霜を指の腹でくずしながら無為な時間を過ごすだけの生き物は、最近祈るという行為について知りました。 それは自分とはかけ離れた存在に働きかけるために莫大なエネルギィを費やすもので、とりわけ冬の朝などに行うのに向いた、うつくしい営みでございます。 軽々しく口にできることばでは、恐らくないのだけれど、この季節、この時刻、が、こんなにも静謐であるがゆえに。 頭のてっぺんから、ぴんと、細くてかたい線をひく。上へ。上へ。 銀色に反射するそれは、とても冷たそうにも見えるけれども、反面ひかりはあたたかな色をしていて。 触れれば指先はすぱりと切れそうであるのに、なぜだか包むようなやわらかさをたたえて。 ぼくは今、やさしさと呼ばれるもののかたちを見ている。
prayer ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1092.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-02-10
コメント日時 2017-03-03
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
これはすごくいい、目の覚めるような詩だ。こんなよく出来た詩なら、私はここには投稿しないで、出版しただろうなあ。背中がみぞみぞするようないい詩です。
0やわらかく進行していくのに、一本、芯が通っていて、いい詩だと思いました。 最後に丁寧に「反歌」のように、読者への配慮もついていて・・・かけ離れた超越的なもの、に対してではなく、 肉体から、細く糸のように繋がっている(つながりうる)存在への想い、それが祈りだ、と告げているような気がしました。
0「女子の作品には魔法が宿る」 まさしく、当作品「prayer」のことだ。 と、言いたいのだけれども、何度か 読み返すと、これが魔法よりも、 麻薬に近い気がしてきた。なぜだろうか。 もしかしたら、この作品には「物語へ依存してしまう女子」の存在が無いからかもしれない。きっと作者双葉月ありあさんは、普段は小説などの物語を読まれない方なのではないだろうか。 なぜ、物語への依存性が無いと麻薬作品になるのか? それは、麻薬を知る審査員にしかわからない。
0私は視覚的なイメージを思い浮かべながら詩を書くことが多いせいか、読んでいて頭の中に映像が浮かぶ詩が好みです。そういう意味で、この詩はとても良い。私の中で、イメージが素直に再構成されました。簡単に書けそうで、実際はとても難しい詩。最後の一行も決まっています。
0みなさま、ありがとうございます。 基本的に作品は放り投げておくもの、なので、あまり自作に対して言葉を尽くそうとは思いませんが、あ、見抜かれたな。と思うことについていくつかお返事(?)を。 ・普段物語を読まないのでは? →まったく、そのとおりです。高校生くらいまでは、小説も好きでしたが。 大人になってからはほとんど物語を読まなくなりました。 それがこの作品に出ているとは思ってもみませんでした。 ・視覚的なイメージ →私も視覚的なイメージから出発し、そこからほかの4つの感覚を想像し、最後にことばに落とし込む、という順番で書いているので、きっと似たタイプの方にはいろいろと読み取りやすいのかもしれません。
0優しさというものは甘いだけでは無い。 時に白く輝く刃の姿をしている。 それは美しく、同時に痛い。 そんな事を思わされる詩でした。
0ハワイのフラや インドのヨガにしても 人間の運動のすべては まっすぐな体の軸の うつくしさが基本にあることを思いました。 一杯の白湯が ほころばせてしまったのは かたむすびというのは うつくしい表現で、ためいきがでます。そうやって ほぐされた心のことを やさしさと 感じるセンスのよさに おどろきました。やわらかな心に触れさせていただけました。ありがとうございます。双葉月ありあさんの他の詩も是非、拝見させていただきたいです。
0二連で語り手が自分の頭から天へ伸ばす【細くてかたい線】は、ひとつには、白湯を飲んであたたまった語り手の体からのぼる、湯気の幻想なのだろうと思います。冬の朝に飲む【一杯の白湯】は、、「有り難い」くらいしか形容の言葉もないような幸福だと思いますので、そこから【祈り】が出て来るこの詩は、わたしにとって非常に自然な美しい情景です。 さらに、その【細くてかたい線】は、操り人形のようなものである語り手を、操る糸のようなものでもあるのだろうと思います。人間は【窓に張り付いた霜を指の腹でくずしながら無為な時間を過ごすだけの生き物】、天命に操られる傀儡のようなものだという、厳酷な現実にみずから身を委ねる【祈り】、というように読まれました。 自分と自分を操る運命をつないでいる【かたむすび】は、冬の朝に飲む一杯の白湯のような、小さなできごとだが圧倒的な幸福によって、簡単にほどけてしまうのかもしれません。あるいはそうでなく、人間というのは遺伝子やホルモンや脳波に操られるロボットで、美しいとか有り難いとか思う心すらも、ただのプログラムに過ぎないのかも知れませんが、この詩のような美しいものを美しいと思う心さえあれば、わたしはべつにロボットでも操り人形でもなんでもかまわないかなと思いました。そのようなことを考えさせられる美しい詩でした。 * ただ、これは作品の問題ではなく読者の問題ですし、作者様には言うまでもない話だろうと推測するのですがが、損をするかもしれないなと思うのは文体です。こうした耽美的な、陶酔感と多幸感に満ちた文体は、ちまたの詩によくあるタイプですし、着眼も技術(重層的な描写)も珍しいものではありません。 言うまでもなく、よくある作風にはライバルが多いです。こういう文体のすぐれた作品がたくさんあるなかで、ある作品だけが「図抜けて特別な作品」と認められるのは、この作品に限らず厳しいと思われます。狭き門に挑む作者様には、頭一つ抜けるためのなにかを、貪欲に追求していただきたいと思います。この作品に欠点を見つけられない者がこんなことを言うのは、まったく無責任な話なのですが。
0こんにちは。露崎です。 祈りのスケッチとして読みました。 素晴らしい完成度で、詩的表現も優れているし、なにしろ美しいしで、 読んで、静謐な気持ちになりました。わたし生活習慣改めます。 ここからは、センスのないわたし(29才/おっさん)の意見ですが、 ぼくは、これはこれで凄く良いと思うし、 読者にも一定の満足感を与える(←すごいことです)ものだとはおもうけど、 同時に、もっと欲張りになってもいいんじゃないすかね。という気持ちにもなった。 以上、そんな感じです。でも、すごく良いとおもいます。 また読ませていただけることを祈って。
0>一杯の白湯がかたむすびをほころばせてしまった 最初はここで一回ずっこけて、なんとなくどう感じていいのかわかりませんでした。でも澤さんの「湯気」という語を見て開眼して、このかたむすびの紐は、白湯かた立ち上る湯気なんだなぁと、勝手に合点しました。湯気が窓に張り付いて霜になったり、それが祈るように指の編み込みにつながっていったりだとか、そういう風に見ていくと面白い。といいつつ、それでもやっぱり難しい部分も正直にあります。この詩のチャンネルに上手く合わせられるようなとっかかりが正直にいうと欲しい。皆が綺麗だと言っているその感性に僕も合わせてみたいなぁ。という思いが一番強いです。 という事で、ある意味ではレスによって僕はこの作品を初めて読めた気がします。これは失礼な事かもしれないんですけれども。
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