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僕はこれからも書くからね。よろしくね。
☆考え事 6年 アウフとヘーベンの7 7は「わたし」た・ち 西瓜の絵はがき 昨晩、電話でN教授から電話が来た。 生き返ったりしないかな。 (でも、僕は、ゆうすけさんは生きてるよと泣いた。) 昨晩、電話で 昨晩電話で、。 僕はいつでも昨晩にさかのぼる。 二分前と一分前の違いを説明できない以上、 訃報が常に聞こえているのだと、 死にそうな僕が、生きててよかったと泣いている。 ☆IPアドレス IPアドレスの記録をし始める。 12桁。 いいことなんていっかいもおこらない 僕を完全避難マニュアルで どこからどこへ隠してしまったのか それがとてもシンプルなセンチメンタルですが、 男 なんで、こうやって、僕の書いたテキストの作品に出演してくれようと思ったんですか? 女 え、これ、ここ(プリントしたテキストを指さして) 男 あ、はい。 女 あ、あえて自問自答的な感じなの? 男 (あいづちを打つ) 女 まぁ、あの、そんな理由とか、じゃなくない? アルゴンは、想像力をただそのまま形にするための制作でした。 二分前と一分前の違いは、 鍵盤のミとファの違い。 感情移入できる身近な人と、感情が湧かない知らない人との違い。 おめでとう ありがとう おめでとう ありがとう 感情は水。 五感は雨。 身体は土。 ほんとうに、ちょっとだけ。 ☆いつ来ても大丈夫ですよ アルゴンなんで。 ☆特別だった懐かしいあなたたち 布に挟まれた僕は部屋の電気を点けるには、工程数に見合った気力がこの時なくて、そのまま一年前のことを考えていた。操作したのではなく、自動的にそうなるように癖がついていた。責任を果たす必要があった。背中が微かにじっとりしている。考える作業を繰り返すことが、また結果になった。 僕はその年の記録班に居た。写真の経験と誕生日にかつて親にねだった一眼レフカメラ(ニコンのD5000)を私物で持っていたので、経費の面でも効率的な配置だった。皆の自然体のような同じ側の写真、屈託のない係だったが、プライベートな構図はそれはそれで価値があることを言わずとも誰もが知っている。僕は幼い頃読んだ漫画に出てくる、映画サークルの眼鏡の日本人が主人公たち同級生を笑わせて撮るシーンを胸に、真似るように浮かれて、でも意図的に場を和ませるプロフェッショナルになって撮影に臨んだ。招かれたプロフェッショナルに向ける笑顔とは違うそれらが僕のSDカード(カメラに差し込む当時の記録メディア)に満たされるのは、都度皆と見返しては童心に帰って恥ずかしがったり驚いてみたり、詳細に目前に今も現れる。静物ばかり撮っていた僕は、ポートレートにも惹かれてみたり、新しい写真の種類を知って、そして今思い出し笑いをする。 一瞬で顔は元に戻る。 僕の撮った撮ってはいけないそれらを、僕は未だ削除することができず、デスクトップの直下にあるのをこのあと目の当たりにする。それを思い出して、僕の体は腹にかかる布を引き剥がした。どこからが自動的ではないのだろうか。午前7時が始まると、この体は決まっている。そして浴室へ直行し、適切な工程を分岐点まで辿った。 私は雨で削られる皮膚。私は風で削られる皮膚。 (それ以外は全部)私は同じ、あなたとも。 ☆賞と罰から6年 生き返ったりしない。 2013年、7ホール おめでとう ありがとう それからも、 変わらず、 生きていてよかったことばかり。 テキスト テキスト 来る日も、 来る年も、 テキストを書いている。 明確な発達の偏りが、そこに適切な◎と凹を見つけたの だと 男が言っている。 彼は総合大学で唯一、生き残って 図書室にいる、今日。 ☆今日はダンスラッシュをしていました。私はヨドバシカメラでダンスラッシュをしていましたよ。いっぱいいっぱいステップを踏んで、汗だくで、IPアドレスを記録している。僕は最終的にはWEBで再現される。高度な独立した自立ロボットではなくなる。それは、最早図書室を埋め尽くす遺作・名作と同じ。僕は7冊。7冊の本を両手に持って。 ☆ 死んだ人を悼んでも悼んでも 生きているような気がしてなりません。 そこに僕の知的(障害)の実質があると自覚しても、です。 ☆が綺麗に輝くので、 見えない★は7等星。 おめでとう おめでとう ありがとう ★凄惨な光の淵にて 人は、時間のなかで死んだ人をゆっくり死なせていきます。 そこにもし個人差があるのなら、 僕と彼の間に相違があっても不可思議ワンダフルって程ではないです。 寿司は手で握られるから、 僕たちは、 同じように手を握り合う。 聖なる冥福は、 秋葉原の交差点にも、五月の蝿にも あるからね。 ゆうすけさんが生きているのなら、 もう会わなくなったN教授もまた、 僕の中で生きているのでしょうね。 昨晩、電話をくれて、ありがとう。 僕はこれからも書くからね。 ☆★参考資料「卒業制作論考 本章」を添付★☆ 「観客対作品・アーティスト」という前提への再考 —「存在」/「不在」する『アルゴン(hyperlinked-)』— 東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科 平成21年度入学 苅部 将大 はじめに 私は自分を「表現」することが好きだ。大学受験の志望理由書にもそのようなことを書いたことを覚えている。平田オリザ氏の「現代口語演劇」を模倣したり参考にしながら演劇作品をつくることを皮切りに、私は演劇に関わり続けて10年目に入ろうとしている。ただし、本文への道筋として、いま私は、演劇の文脈から外れそうだ、と明記しておこう。 私の関心は、人と人の関係、それ自体にあるのだ。「表現」が成立するには、人と人が互いに、「届く」「受け取る」の関係を構築しないとならない。私があなたの中に「存在」しなければならない。関係が築けたとき、人によっては小さく視線を動かすことが「表現」になるかもしれないし、長い時間をかけてつくったパフォーマンスを見せることが「表現」になるかもしれない。 この先私が取り組んでいく、人と人の関係、それ自体について、本制作の考察を通して、一番の原点となる部分がわずかでもあなたに「届く」ならば幸甚である。 第1章 卒業制作『アルゴン(hyperlinked-)』とは この章では卒業制作『アルゴン(hyperlinked-)』について、2012年9月22日と23日を中心におこなわれた試みを解説する。 1—1.『アルゴン(hyperlinked-)』の概要 『アルゴン(hyperlinked-)』は私の卒業制作として、2012年9月22日と23日に押上駅周辺でおこなわれた。両日ともにスケジュールは同じで、12時から16時が自由時間、16時に集合という形式である。それぞれの日程の観客数などのデー タは添付資料に記す。 参加者は、事前に公式WEBサイトや告知文から『アルゴン(hyperlinked-)』を知り、メールで予約をした方たちである。予約をした参加者には以下の文面のメールが返信された。 (前略) 今後、卒業制作終了までこのアドレスからあなたにメールマガジンが送られることがあります。 でも、メールマガジンの内容を全てあなたが実行する必要はありません。もしあなたが、自由時間の使い方にまよったときは、ちょっぴりのぞいてみてください。 きっとたのしい時間を過ごすヒントを与えてくれるかもしれません また、何か困ったことがあったら気軽にこのアドレスへメールを下さい。 当日は、とうきょうスカイツリー駅の改札を出て右側、またすぐ右に曲がって線路沿いすぐの小さな公園まで、是非つめたいお茶を飲みにいらしてみてくださいね。 (後略) そして、この文面の通り、メールマガジンとして、参加日の前日夜に「アルゴン通信 vol.0」というメールが参加者に一斉に送られ、当日には11時40分から15時40分まで20分ごとに、「アルゴン通信 vol.1」から「アルゴン通信 vol.13」までのメールがその日の参加者に送られた。メールマガジンの内容は、押上駅周辺の公園の紹介やスタッフがお茶を用意している場所の案内、景色のよく見える場所の紹介、寄せられた参加者の声の紹介といったものである。なお、このあいだ、私は東京ソラマチ内のスターバックスに常駐し、そこでの作業や会話 を全てUstreamで中継した。 16時になると、メールマガジン内で案内された集合場所で参加者の点呼が取られ、集合した参加者およびスタッフで集合写真の撮影がおこなわれた。解散後、その日の夜に参加者に送った最後のメールマガジンに集合写真は添付された。 1—2.『アルゴン(hyperlinked-)』の目的とそのための具体的な手段 『アルゴン(hyperlinked-)』では、「観客・参加者」が「表現」する、「表現」できるようになることを目的として据え、その目的から外れないように、「参加者」に対してのあらゆる強制を排除することで、「参加者」が受け身になってしまわないような、また、「参加者」が受け身のまま途方に暮れてしまわないような「場」のデザインに徹した。 そのうえで、「表現」には対象も必要なので、「参加者」同士や「参加者」から「非参加者」へ「表現」がつながるための考察も重ねた。与えられた「場」のみでのコミュニケーションで終わることを目的とせず、人と人が興味を持ち合うことまで目的としており、「参加者」「非参加者」「アーティスト」などの壁を取り払おうとした。 具体的には、形式に「自由時間」を設定したことである。「自由時間」は言葉通りの意味で、それ以上でも以下でもない。「参加者」の中には16時に押上まで来た人もいれば、集合には来なかった人や、12時から押上に来てメールマガジンで紹介される場所に全て赴いた人もいた。これらは、完全に「参加者」一人一人の判断によるものである。「自由時間」という設定で「場」を与え、「参加者」が自らの意思で動けるようにした。 ただし、それだけでは「場」に人は集まらない。好奇心や興味への刺激、非日常を享受したい、という「参加者」への魅力がなければ、仮に人が集まっても「表現」が生まれることはない。そこで、メールマガジンと「集合時間」を用いることで、「参加者」に強制的ではない淡い期待を感じさせようとした。小さな期待や興味を芽生えさせ、それを満たすためには「参加者」が自ら考えて行動する以外にはない、という仕掛けを組み込んだ。 ただし、その小さな期待や興味に積極的に向かっていかない、その方法がわからない「参加者」のために、スタッフと直接話せるスポットや、そこでアドバイスをしたり、選択肢を提示したりする手助けも用意した。たとえば、手作りの絵馬をつくれるスポットや、お茶やお菓子を食べながらスタッフと歓談する場所、押上周辺のオリジナルの地図が受け取れる場所、手作りアクセサリーをもらえる場所などを設けて、「参加者」が自らの判断で行動できるようにサポートした。メールマガジン形式を採用したのもそのためである。メールマガジンという形式自体が、紹介や案内を目的としたものであり、文面についても、書かれたことをしなければ参加したことにならないような命令や指示の形 がないように推敲されたものとなった。スタッフの対応も同様に強制が起きないことが念頭に置かれた。 そして、メールマガジンの中で「参加者」の感想を簡単に紹介したり、集合場所に「参加者」が自由に書いた絵馬を並べたり、解散後に集合写真を送ることで、他の「参加者」を意識させるきっかけを用意した。 第2章 『アルゴン(hyperlinked-)』の目的に至るまでの社会的背景 『アルゴン(hyperlinked-)』は「観客対作品・アーティスト」という従来からの「演劇」の枠を外す試みとして制作された。 これまで「演劇」というものは、劇場やホールといった建物の中でおこなわれ、舞台上と客席は隔てられており、観客が作品に介入することはマナーに反しており、物音を立てることさえも許されないものとして考えられてきた。 近年になり、劇場外で演劇をするという動きが目立ち始めた。これまでも日本では60年代の寺山修司の試みをはじめとして、劇場外に演劇を持ち出すことはおこなわれたことがあるが、作品という枠組みを大きく揺るがせることまではなかった。対して、現代におこなわれている劇場外へ演劇を持ち出す試みは、その境界を再考するきっかけを示している。たとえば、東京文化発信プロジェクトの一環でおこなわれた『戯曲をもって町へ出よう。』というプロジェクトや、舞台芸術の祭典『フェスティバル/トーキョー10』『フェスティバル/トーキョー11』では、劇場外であることをテーマの一つに掲げ、日常の風景の再発見を目的に、必ずしもパフォーマンス自体だけでなく、建物や空気といったその場所の特性や、アーティストが意図しない要因(観客が引き出しを開けると地図が見つかる、その場に偶然いたクジャクが役者と関係性があるように見えてくる、子供が自由に動き回る、他の人の動きが気になるなど)まで全て含めたものを「劇場外演劇」として観客が自ら鑑賞の仕方を模索しながら鑑賞する、という形が多く見られ、そのようなあり方が広く支持されてきた。 中でも、Port Bの高山明氏による『完全避難マニュアル 東京版』(以下、『完全避難マニュアル』)という作品は賛否を巻き起こした。この章では『完全避難マニュアル』を中心に、『アルゴン(hyperlinked-)』を制作するに至った社会的背景について述べる。 2—1.Port B『完全避難マニュアル』について 『完全避難マニュアル』とは『フェスティバル/トーキョー10』の主催プログラムの内の一つで、高山明氏が主宰する Port B によるツアーパフォーマンス形式の演劇作品である。2010年10月から11月の開催期間中に山手線の各駅に設定された「避難所」を参加者が自由にめぐるという形式であった。ここでの「参加者」は、『完全避難マニュアル』の公式サイトにアクセスした人のことであり、「参加者」の人数を正確に把握することはできない。なぜなら、サイト上で案内された「避難所」に赴かない「参加者」もいれば、案内された場所とは違う「避難所」にいく「参加者」もいれば、同じ場所に何度もいったり、あるいは、全ての「避難所」を回る「参加者」も現れたためだ。 「避難所」とは、具体的には、代々木駅は図書館カフェ、大崎駅は碁会所、新大久保駅は児童館、東京駅は皇居を一周りする、御徒町駅はホームレスと一緒に礼拝するなど、山手線のそれぞれの駅ごとに設定され、それらの場所で体験したことが演劇作品であるとされた。「避難所」では特別なパフォーマンスがおこなわれるわけではなく、「避難所」として場所を貸している人でも作品の全容を把握している者は少なかった。中には、「避難所」として設定されていることさえ知らされていない場所も存在した。 「避難所」に訪れた「参加者」は、そこでの時間を過ごしているあいだに、その場を貸している人、「避難所」と設定された人、別の「参加者」、そして作品のことは全く知らずに居合わせた人たちと出会うこととなる。その人々とはありきたりな会話を交わしたり、『完全避難マニュアル』について説明をしたり、場合によっては出会った人と意気投合をしたり、あるいは互いに意識はするもののその場限りで別れたり、別の場所で再会したりした。インターネット上での交流や情報交換もおこなわれ、「参加者」が自らを「避難民」と名付けるという現象も見られた。これらの出来事が『完全避難マニュアル』であり、観客が一方向的に享受する「作品」の形は見られなかった。 2—2.『完全避難マニュアル』が生み出したものとその限界 この作品について、演劇とは日常への再発見を促すためのものであると考える人は「演劇の新しい形である」と称えたが、演劇とは表現者のパフォーマンスを享受するものだと考える人は「これはもはや演劇でも作品でもない」と唱えた。このように、「演劇」とは必ずしも劇場のなかだけに存在するわけではない、定義しがたい言葉へと変化してきた。同時に、観客や外的要因の介入の程度によっては、「作品」が誰のものであるのかも曖昧なものであると考えられるようになり、アーティストと観客を完全に隔てることが難しいことも『完全避難マニュアル』は明らかにした。「観客対作品・アーティスト」という形や、既存の演劇という価値観ではない、一方向ではない「表現」のあり方を提 示したことは注目に値する。 だが、『完全避難マニュアル』には、どのように行動を決め、また、コミュニケーションしていけばよいかわからずに戸惑う「参加者」や「避難所」を提供するなどの協力者も多く、さまざまな人のあいだに気付きや刺激が連鎖するまでは至らなかったという一面もあった。実際、多くの駅を回りきることを目的に設定し、多くの時間を『完全避難マニュアル』に費やした積極的な「参加者」たちがTwitter上で交流しているあいだから「避難民」と呼び合う一種の文化は生まれたが、全ての「参加者」がその文化を持つ仕組みにはなっていなかった。また、『完全避難マニュアル』がパフォーマンスなどを見せるものではない性質であることも重なり、「参加者」の中でも享受する側に徹しようとした人や、自ら行動をしたり「表現」をすることに抵抗を覚える人たちは、「避難所」での体験が「作品」の枠組みの中であるとしか捉えられず、他の「参加者」たちとも一定の距離を保ってしまったため、何も刺激を見つけられずに終わってしまう姿が見られた。 このように、『完全避難マニュアル』は新しい「表現」のあり方を一番に「参加者」に感じさせるようにデザインされていたわけではない。また、『完全避難マニュアル』後のPort B の動向(『Referendum - 国民投票プロジェクト』、『光のない!』)からも、一方向ではない「表現」のあり方をより追求するわけではなく、「観客対作品・アーティスト」へ回帰し、自らの主張や「表現」がより深くわかりやすく「観客」に届くようになることをPort Bは目指していると見られる。『完全避難マニュアル』で見られた新たな可能性は、Port Bが仕掛けたものではなく、積極的な「参加者」たちが生み出した「表現」であったと考えられる。 2—3.「観客対作品・アーティスト」という前提 Port Bの『完全避難マニュアル』は「演劇」として発表され、「演劇」であるかの議論が巻き起こったことを上述した。だが、そこで見られた一方向ではない「表現」のあり方は「演劇」の文脈に留まるものではない。アーティストによるワークショップ形式の一種の「作品」や各地でのアートプロジェクトなどでも、普段はアーティストではない「観客」である人々の「表現」を支持しようとする動きは、近年特に目立ってきている。 だが、これらの作品やプロジェクトも観客や参加者による「表現」を完全に後押ししている訳ではない。その原因には、アートや芸術と呼ばれるものは「観客対作品・アーティスト」という前提の上にあるという意識が「観客」や「アーティスト」やその場を設ける人のあいだにあることが考えられる。実際、観客や参加者が表現をすることに積極的な態度の作品やプロジェクトであっても、アーティスト側が意図的に、あるいは無自覚的に、観客や参加者の表現を阻み、歓迎しなかったり、穏やかに排除してしまっている例は多く見られる。アーティスト側が満足して表現できなければ観客の行為が妨害としてみなされてしまったり、ディレクションするアーティスト側の主義や主張とそぐわないと対立してしまったり、アーティスト側の表現が前面に出てしまうために参加者の表現が曲げられてしまうのだ。加えて、先の『完全避難マニュアル』でも見られたように、積極的でなかったり、受け身の体勢を崩せない「参加者」が「表現」できるように考慮したデザインができているかの課題も残っている。 これらの点への言及は「アーティスト」の中からも声が上がることがあるが、取り組み切れていないのが現状である。そもそも「アーティスト」という立場が、自らが「表現」し主張することが目的であり生業でもあることが理由として考えられる。以上の問題を解決するには、場に集った人々のあいだに何が起きるのか、その人たちの「表現」とはどういうものがあり得るのか、人と人はどのような距離感でどのように行動をするのか、ということを分析し、把握する力やデザインする力が必要なのである。自らを「表現」する「アーティスト」としての力だけでは観客や参加者による「表現」まで責任をとることは困難で、自らがコーディネイトした「場」に集う人々のあいだで起こるあらゆる「表現」に責任を持つ力が新たに求められている。 第3章 『アルゴン(hyperlinked-)』という「場」を制作する基となった考え 前章まで述べてきたように、この「場」のデザインについて特に重点的に取り組み、『アルゴン(hyperlinked-)』を制作した。この「場づくり」が本制作の本質であったと考えられる。この章では制作の過程について明らかにしつつ、その基にある人と人の距離感についての考察を論じる。 3—1.「責任者」という立場 『アルゴン(hyperlinked-)』という「場」で起こる出来事に責任を持つ「責任者」という立場を自分に設定し、制作に取りかかった。「責任者」と設定した理由は三つある。一つは、第2章で述べたような「アーティスト」という名前が意味することや目的とすることとは違い、「場づくり」が本制作の根本的な意図であったためである。二つ目は、積極性に関わらず「参加者」が自由な「表現」をするためには、「参加者」の行動を徹底的に受け入れる立場が必要だったからである。三つ目は、「参加者」の行動しやすさや「表現」のしやすさを第一に考え、デザインを決定するのは「アーティスト」や「演出家」や「観客」といった既存のどの立場でもないからだ。 制作を協力してくれた人と話し合いをする際、「責任者」という言葉を用いることで上記のような問題意識を早い段階で共有することができた。「責任者」という言葉自体に、「作品」をつくるという意味合いよりも企画やプロジェクトの方針の決定者、当日の管理という意味合いが強く感じられることが一助となったと考えられる。 こうして問題意識を共有することで、どういう場所でどういう仕掛けがあると「参加者」はどういうことを考えて行動を取るかというアイディアや意見を出し合い、一つ一つ話し合いで視点を深めるという作業は実働を始めた6月から順調に進んだ。具体的には、「参加者」が自ら動くという点について参考になりそうなものをたくさん出し合ったり(『完全避難マニュアル』のような「アーティスト」の意図が深い部分には介在するものから、娯楽性・ゲーム性を主軸にしたイベントやテーマパークといったものについて考えられることを話し合う)、「場」とは実際どういうものがあり得るのか試行錯誤したり(インターネット上なら多くの人を対象とできるかもしれない、ある程度の限定がないと「参加者」が「場」と認識できないかもしれない、五感で感じられた方が深い説得力がある)、一見無関係そうなものごとや近況の報告をしあう、といった作業であった。このような話し合いで活発に議論できたのは、絶対的な立場ではなく、努めて対等な立場であろうとした姿勢があったことが下支えにあったと考えられる。これは、私が新庄恵依氏と2012年4月に発表した『NA・KYO RI』という舞台作品での経験がきっかけとなっている。 3—2.人と人の距離感についての試行 上述の『NA・KYO RI』について簡単にまとめる。『NA・KYO RI』は私と新庄恵依氏の共同制作による舞台作品であり、2012年4月18日・19日の両日に東京藝術大学千住キャンパス第7ホールにて上演された。互いの近況報告から「人と人の距離感」という問題意識を重ね合わせて、「作品」を取り巻く概念から実際的な事柄まで話し合うことで得られた考えを試行錯誤した結果として制作された。会場は、苅部の台と新庄の台、「月席」と「太陽席」の4つに区切られ、観客は入り口にある質問に答えて、「月席」と「太陽席」に分かれ、それぞれの席の正面に苅部と新庄が位置する形で配置された。そして、おもむろに現れた苅部による解説で始まり、二人の会話や紙飛行機の飛ばし合いなど、一見関係のないような場面同士が、緩やかに細くも確実につながっている構成が組まれていた。このように、二人の行動やパフォーマンスのみならず、構成自体、また、物理的にも「距離」というテーマが一貫して忍ばせられており、観客が「作品」に対しての自身の在り方を見つめ直すことを狙った公演であった。 対等な立場であったために、活発に意見やアイディアを出し合い議論を重ねられたこと(以前、私が「演出家」として、新庄氏が「出演者」として公演をした際は、議論をするには至らなかった)と、議論をしたことで見えてきた「人と人の距離感」という根深い問題の再発見の二点を『NA・KYO RI』の制作を通して見出し、この二点は『アルゴン(hyperlinked-)』にも反映された。 特に、この「人と人の距離感」についての意識が『アルゴン(hyperlinked-)』の制作の出発点となった大きな問題意識である。『NA・KYO RI』では、「作品」という形を残しながらも、「作品」であることに対して自問することで、また、一見対立する二つの立場でありながらも、パフォーマンスの果てにその視座を止揚することで、「観客」が一人一人、自身と他者の距離について再考することを意図して制作した。対して、『アルゴン(hyperlinked-)』では、「作品」という自問的な矛盾を取り払い、「参加者」一人一人が、自身や他者が影響しあっているということを発見することが狙いであった。そのため、本制作では「観客対作品・アーティスト」という壁を取り払い、「観客・参加者」が「表現」する、「表現」できるようになることを外れてはいけない目的として据えるに至った。 第4章 『アルゴン(hyperlinked-)』がもたらしたもの 本制作『アルゴン(hyperlinked-)』に訪れた「参加者」は、「作品」という形ではないことを広報や予約の際のメールや前日のメールマガジンなどで知らされていたが、全く困惑しなかったわけではない。 確かに「参加者」は自らの判断で、「自由時間」を過ごした。たとえば、ある「参加者」は本物の絵馬ではないとわかっていながら容易に「絵馬」に素直な願いを書いたり、また別の「参加者」は全てを回ったところでそれ以上の意味はないとわかっていつつも多くの場所を回ろうとした。このような「参加者」の態度は「観客対作品・アーティスト」の前提を秘めた態度であり、「参加者」が「作品」という枠をつくり、その枠の中で楽しもうとしている向きも見られた。これは、制作の過程で想定していた動きとは異なり、「アーティスト」側ではなく、「観客・参加者」側が「作品」という概念にとらわれていたと考えられる。 だが、「集合時間」に出欠確認をして集合写真を撮り、それのみで解散することで、「参加者」は自身が思い描くような「作品」という枠をつくることができなかった。そのため、解散直後は本制作を自身の中でどう位置づけてよいのかわからず、戸惑っていた。この瞬間、「観客対作品・アーティスト」という枠組みが完全に取り払われたように思われた。 しかし、戸惑った「参加者」の多くは、片付けをしている私に意図を聞こうとした。これは、『アルゴン(hyperlinked-)』の制作内では、「観客対作品・アーティスト」の枠組みを完全には取り払えていなかったことを示している。意図を聞こうとする「参加者」は、自身の中で本制作を、意図を知ることで答えを知ることができるもの、すなわち、明白な主題が潜んでいる「作品」として位置づけたと考えられるためだ。 このように、「作品・アーティスト」という形が存在しないにも関わらず、「参加者」の中で「観客対作品・アーティスト」という構造は、構築と崩壊を繰り返した。 ただし、私からそこで意図を聞いた「参加者」は、意図を知ると再び本制作の位置づけに迷い出したのだ。「参加者」はこの時点で初めて「観客対作品・アーティスト」の枠組みを取り去ることができ、本制作内での自分の判断を振り返って考えたことや自身の視点や価値観で、本制作が何であるのかを考えるようになった。そして、その「参加者」たちはこの『アルゴン(hyperlinked-)』という掴み所のない出来事について、ハッキリと位置づけることが不可能であるとわかりつつも、「位置づけができないもの」や「掴み所のないもの」として答えを据えずに、考え続けるという状態に至った。この状態は『アルゴン(hyperlinked-)』にとって一番の本質的な目標であったため、本制作の意義の一つとして、また、本制作内だけでは達成できなかった反省として、着目すべき点である。 『アルゴン(hyperlinked-)』は、このように「参加者」の「表現」に視点を徹底的に据えた。これは私が「参加者」へ絶対的な信頼と疑念を抱いた結果である。「参加者」が自らを既存の概念や構造の中で完結させようとした点に相反して、「参加者」が自らの在り方を見つめ直しながら「表現」を模索する姿は、本制作に見出せる希望である。 私の中にあなたが「存在」した、と確かに覚えている。 参考資料 岩城京子『東京演劇現在形――八人の新進作家たちとの対話』、Hublet Publishing、2011年。 佐々木敦×西堂行人(対談)「ニッポンの演劇」、AICT(国際演劇評論家協会)日本センター『[第三次]シアターアーツ』第43号、晩成書房、2010年、4~25頁。 藤井さゆり「劇場外演劇における上演空間の研究」(日本大学大学院理工学研究科建築学専攻佐藤慎也研究室提出修士論文)、http://art.arch.cst.nihon-u.ac.jp/2010/m_fujiisayuri.pdf、2012年12月13日取得。 ☆★参考資料以上★☆
僕はこれからも書くからね。よろしくね。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1840.8
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ポイント数 : 43
作成日時 2019-04-21
コメント日時 2019-04-25
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 10 | 10 |
前衛性 | 16 | 16 |
可読性 | 6 | 6 |
エンタメ | 5 | 5 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 6 | 6 |
総合ポイント | 43 | 43 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2.5 | 0 |
前衛性 | 4 | 3 |
可読性 | 1.5 | 0 |
エンタメ | 1.3 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1.5 | 0.5 |
総合 | 10.8 | 8 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
卒業制作論考がとてもおもしろかったです。すごいなー。私も今なら「参加者」になりたい。アルゴンが開催された2012年の頃の私は参加しなかっただろうけど。 よいものが読めました。ありがとうございます。
0こうだたけみ様 コメントをありがとうございます。 確かにこうださんは「参加者」として楽しんでくださいそうです。 きっといつでも、「今やるなら」違う形になるんでしょうが、消費的な創作が心に残り続ける、残し続ける、そんな思いです。 ありがとうございます。
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