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【鞍馬山中散策】※
大原でバスを降り陽光を浴びながら歩く。 三千院や寂光院、鯖街道などはすでに訪れていたので、隣村の静原へ行こうという。 朝市の開かれる里の駅を右手に見ながら、「近くにベニシアさんがいるね。」 と、その家を探す風でもなく集落を横切って静原への道を辿った。 静原は、大きなおにぎりのような山が層をなす、その名の通り静かな山里である。 細い道の両側の家々は、ゆったりとした門構えで穏やかに重ねられた歳月を思わせる。 ここに住むとしたらどの辺がいいかしら・・・。 と何げない風に言うが、すでに具体的な眼をしている。 住まなければそこを訪れたことにさえならないと思っているのだ。 しばらく時を過ごし、帰路は鞍馬から叡山鉄道で帰ることにする。 地図を見ると、静原を抜け山道を少し行けば鞍馬の駅に出られそうだ。 次第に寂しくなっていく道をずんずん歩いていった。 山道にはいると、赤いひもが分かれ道の木の枝に結んである。 それを頼りに登っていったが、日もとっぷりと暮れ、ぬかるんだ道はときおり立ち往生するほど険しくなった。 「きっともうすぐよ、」と言ったきり女は黙って登っていく。 携帯は既に圏外になっている。 突然彼は全身を恐怖に締め付けられ、「おりるよ!」と叫んで、 いつの間にかかの女が手に持っていた懐中電灯を取り上げると、きびすを返し下山を始めた。 ようやくまずいと思ったのか、ぬかるみに足を取られ転がりそうになりながら、必死でついてくる。 「軽装で遭難」と言う文字がちらつく。 「大丈夫、こっちへ行こうよ」と奥へ奥へと行きたがるままに、 従ってきた自分に舌打ちした。安物の皮靴は底に大きな穴をあけてじゅくじゅくしている。 ようやく見慣れたやや広い道に出てゆっくりと歩いていると、 背後の山を竹笹を分けるような獣の気配がする。 静原のバス停にたどり着くと、最終バスがあることがわかった。 まだそれほどの時間でもないが、村はしんとして音もなく、 缶コーヒーを飲みながら安堵して見上げる空に煌々と満月が輝いていた。 その下に、懐かしくも怖ろしい闇を潜めて山は黒々と迫ってくる。 ※(bレビュウ杯不参加です。)
【鞍馬山中散策】※ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1291.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-12-30
コメント日時 2019-01-02
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
猪か何か猛獣が居そうなそんな雰囲気が臨場感がある様な気がしました。動物園から逃げて来たような、猛獣、そんな妄想も働きました。
0沙一さん、 実際起きたことは、二人の靴がボロボロになったと言うことだけでしたが、今思っても背筋を冷たいものが伝う心地がします。というのは、あとで地図で確認しましたら、目的地には永遠にたどり着かない、平行線の道を登っていたようなのです。 夜の山は、空の暗黒とは異質の、闇の塊ですね。小さいときから山には親しんできたのに、初めて知る質感でした。そこで棲息する生き物も闇の一部なら、さっきまで彷徨っていた自分たちもその一部であったという・・・。 >なにかが起きそう、なにかが在りそう、だけど寸手のところで顕れることがない そういうものたちに護られて、わたしたちの日常はあるようですね。 コメントありがとうございました~
0エイクピア さん、 猛獣がたしかにいたようでした・・。 上り坂にいるときは、でも、何かが麻痺するようですね。 恐怖は、きびすを返して下り始めてからでした! >動物園から逃げて来たような、猛獣 は、ある意味我々だったかもw 小さい生き物は驚いたでしょうからネ。 コメントありがとうございました~
0誰も触れていない事に触れておこうかな「」の部分だけでも、生への渇望を感じます。そして、感覚の中で私は信じていないのですが、第六感をみているようです。神秘性、神秘的な部分を感じませんか?もしかしたら、死んでいたかもしれない。のに。生きている。それは「」の部分が重要だと考えております。
0つきみさん、コメントありがとうございました! つきみさんのコメントは直感に満ちていますね。 「第六感」も「神秘」も、たまたままだ明かされていないことにすぎない、と思っているのですが、いつのひか、万一、完全にすべてが明かされたとしても、その根っこに相変わらず謎がで~んとあるというのが、私の信頼、安心?で、知りたいといろんな道に無謀に迷い込むときと、無知こそ楽し♪という怠け者がおります。だから(でも?) >死んでいたかもしれない。のに。生きている。
0****************** ええと、昨年書き忘れたまま、すでにコメント欄が表示されない拙詩「まなざし」へのレスを、 ここでさせていただきます。(反則かも・・・) stereotype2085さん、田中修子さん、ごめんなさいっ!! ☆stereotype2085さん、 当初長い間、コメントをいただいてたことにまったく気づいていませんでした。田中修子さんからのコメントがあったときに、あっと思ったのですが、ステレオさんがいいと言ってくださっているのに、 私はこの詩をあまりいいと思えなくなっていまして、(書いた直後は、わりと名作?wと思ったのですが)、お返事をどうしたものかと考えているうちに忘れてしまって・・・。 昨年のことではありますが、ここでお詫びします。 何故いいと思えなくなったのか、修子さんへのレスに書きますね。 肉声の熱いコメント、ありがとうございました! ☆田中修子さん、 修子さんからのコメントはすぐに気がついたのですが、そしてとてもうれしかったのですが、 その時点で私は、この詩にちょっと飽きていたのですね。何故かというと、予定調和的といいますか、リズムが単調で、たとえば修子さんの詩が持っているような、どうにもならないような破れがない。 いみじくも言ってくださっている「綺麗に配置」を何とかしたい思いに駆られてました。 で、返信をためらっているうちに、うっかり忘れてしまいましたっ。 何度か思い出して、また忘れてしまいました・・・。 ただ、自分の書くものが、おしなべてこのようであることには、ずっと心が行っていました。 まだ、何かを見つけた訳ではないのですが、 多くの方が何となく指摘してくださってたことが、よくわかるのです。 でも、 「とおいむかしわたしも歩いた 霧の道 そのすべてはいつか燦々と光につつまれる 、と 」 ↑この部分は、詩のできとは関係なく、つらい人に「そうだよ、ホントだよ」と 年長者の特権で言い続けたいことでしたので、同じ霧の道を歩いたんだ、ということが、 燦々と光につつまれる時間を私自身にもたらしてくれました。 いつも、生きた言葉をありがとう~!
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