聖家族団欒 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

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たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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羽田恭

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カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

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きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

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きょこち(久遠恭子)

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だれのせいですか

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どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

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聖家族団欒    

毟るのです 毟るのです 私の血と肉を ひよこは産毛がふわふわしてピヨピヨとおもちゃ のように可愛いですが大きくなった若鶏は目がキ ョトキョトして時々雄叫びを挙げて意志の疎通が 全く図れませんだから首をキュッと締めて羽をむ しって内臓と肉をバラバラにして塩胡椒してオレ ガノとタイムを擦り込んでああ脂はたっぷりです からスタッフィングの必要はありませんよオリー ブオイルを刷毛で塗って200℃のオーブンの中で じっくりと焼きあげるのです              父が私の腕を食べる              母が私の胸を食べる              弟が私の脚を食べる 白々とひかる私の骨はキッチンを LEDライトよりもあかるく照らす


聖家族団欒 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 13
P V 数 : 987.9
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-04-27
コメント日時 2017-05-08
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
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音韻00
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閲覧指数:987.9
2024/11/21 20時52分17秒現在
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    作品に書かれた推薦文

聖家族団欒 コメントセクション

コメント数(13)
まりも
(2017-04-27)

題名と内容との絶妙な関係性に、まず拍手です。 石垣りんさんの「暮らし」を遠く重ねつつ・・・自分自身を調理して提供している語り手、その様子をどこかユーモラスに捉える二連目の、息継ぎというか語りかけ(言いつのっていく)リズム。強度のある短い三行で、矩形の中に詰め込まれた言葉を更に挟む詩形。最後に骨にまでなった「私」は、その骨によって明るくキッチンを照らし出す・・・予想外のラスト。白く照らし出されたキッチンには、きっともはや、誰もいないのでしょう。家族たちは、「私」を食い尽くして、それぞれが自分の部屋なり、仕事場なりへ出かけてしまっている、ように思います。でも、この詩はその告発ではない。「私」の哀れさを訴えるわけでもなく、「私」の犠牲精神に焦点を当てるわけでもなく・・・ただただ、事実としての「家族」の有り様を、静かに照らし出しているようなところに、凄みを感じました。 聖家族、という「美しい」「理想的な」家族の情景が、全て食い尽くされた「私」が白々とその光景を照らし出すというアイロニーによって、まったく別物として描き出されている、と言えばいいでしょうか。

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夏生
(2017-04-27)

はじめまして!朝顔さん。御作にコメントさせて頂きます。料理されてしまう鶏の視点が一見残酷なように見えて、細部まで分析、描写されているところから、だんだんユーモラスに変わっていく。この流れ方が面白く、印象的でした。

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朝顔
(2017-04-28)

ご感想ありがたく思います。ちょっと原家族の描き方がドロドロしてしまったかなぁ、と言う点が一番不安でしたので、そんなこと無いですよ、と指摘されて大変嬉しいです。

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三浦果実
(2017-04-29)

モンゴル・中国北部のロシアとの国境の辺り 辺境の遊牧民の人々が野蛮と云われるような方法で鶏を料理する その食事の場所が旧日本軍が残した戦車の残骸の脇だったりすると 召集されて兵隊になった 日本人が不本意に中国人を殺す残像が毟り取られた血肉に重なる 野蛮な行為も家族の食事となれば団欒 家族がいないひとりぼっちの不本意な殺しには あたり前だが何にもない 朝顔さん 本作『聖家族団欒 』から得た共感詩を書いてみました。

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朝顔
(2017-04-30)

三浦さん、ありがとうございます。 素晴らしいですね。鶏を殺すという行為。家族という存在のありように歴史の哀しみが重奏しています。三浦さんの拘りはやはり大陸の歴史にあるのでしょうか…。ああ 、巧いなあ。

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なかたつ
(2017-04-30)

 物騒な作品でありますが、それでも読んでからの気づきを書きます。  冒頭は主語がありませんが、それが誰の行為なのかはおそらく後に描かれた父と母と弟の行為だとわかります。  中盤は鶏のエピソードが挿入されており、ここでのテーマとなり得るのが子と大人の対比でしょうか。子はかわいいもので、言わば観賞用、見るものとして可愛がられますが、大人になるとかわいさを失い、言わば他者との利害関係でしか結ばれない関係が描かれています。でも、それは同一の存在であるはずです。  その鶏のエピソードから類推すると、この私は大人です。そして、そんな私の体の一部を食す家族は、父→母→弟の順番で食しているので、これもまた家族における権力の順番が示されている気がします。  食されて残った私は、骨でしかなく、おそらく家族にとって私の骨は必要なかったのでしょう。骨が残ったことで、「私の骨」と私と言う存在を失うことから逃れることができます。そして、その「私の骨」がキッチンを照らすのです。逆説的に言えば、「私の骨」が存在しなかったら、キッチンは普段通りにLEDライトで照らされるだけです。  家族が私の体の一部を食す残酷な作品であるかと思いきや、ポジティブに捉えるならば、家族が私を食したからこそ、私(の骨)という存在が家族の団欒の場をより明るく照らすことができたのでしょう。言わば、私は家族の引き立て役に徹しているのでしょうか。

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朝顔
(2017-04-30)

なかたつさん。この詩の家族関係の意味するところのあまりにも正確な読み取りに吃驚しました。その通りなのです。

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エイクピア
(2017-05-01)

「父が私の腕を食べる 母が私の胸を食べる 弟が私の脚を食べる」 ここが個性的でしたね。レシピの箇所は、冒頭の3行もそうですが、結局自分を鶏に見立てて、調理されてしまうというコンセプトの詩なのかもしれませんね。

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朝顔
(2017-05-01)

エイクピアさん、ご感想ありがとうございます。やっぱり、食べられるよりは食べる方が楽しいですよ(笑)。というか、人間ってお互いに喰い合う存在ではないですよね。本当は。

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百均
(2017-05-08)

 パンチがある話で、それは詩の造形から、入りから尻に抜けていく時の裏切り具合が痛快なのだと思います。人と鳥(ここでは鶏かな)を人間、家族に置換していく作りで、何気ない残酷さをキチンとむき出しにしていく手法、そこにユーモアを感じます。あんまり言葉にするのも無粋かなというくらい明瞭な比喩を表現し伝達させる為に作られた感じがします。これは単純にお見事だとおもいました。文句の言いようがない。ちょっとうますぎる、という優等生をなぶりたくなるような意地悪な気持ちはちょっぴりありますけれども。

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朝顔
(2017-05-08)

百均さん。 まず、全ての投稿作に、一日少しずつ丁寧に懇切なレスをつけていらっしゃることに敬意を表します。 私がご指摘の中で、一番びっくりしましたのは、あーこれ優等生的なんだ。と。 確かに、リアルの合評であった意見として、「(家族って)喰い合っているでしょう」と。つまり、わたしもどこかで親兄弟を食べながら生きている。 要するに、もっと自分自身を書け。やってることや感じていることを正直に書けっていう事ですね。 ありがとうございます。

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霜田明
(2017-05-08)

乗るんだよ、電車によ 乗るんだよ、電車によ という曲(仕事探し/高田渡)を思い出しました。 リフレインの妙が効いた第一連だなあと。

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朝顔
(2017-05-08)

霜田様 コメントありがとうございます。高田渡の「仕事探し」ググってみますね。 ちなみにリフレインってなかなかむつかしい。例えば、極端な話、「殺す」というような物騒な単語はリフしづらい。 でも、敢えてそれをやると詩になるのかなと。

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投稿作品数: 1