別枠表示
おだくん
中学校の同窓会があったら、あいたい人がいる。 おだくんは わたしにとって静かな存在感の人だった。 口数が少なく、勉強でもスポーツでも目立った記憶もなく、面白い話しもなく、休み時間にワイワイとするわけでもなく、かといって友達がいないわけでもないらしく、寂しそうでも悲しそうでもない。 一人で席に座っている おだくんの瞳はクラスの風景とは別のものを映していた。それはたとえば、深夜に聞いたラジオの声だったり、通学路で抱いた仔犬の軽さだったり。時々、誰かと話している おだくんは頬が紅潮して、全身で照れているかんじだった。 中学1年生にしては、がっちりとした体格で顔にはニキビがあった。学校にいるあいだは、自分の席が世界のすべてで そこから動きません、と大きな背中がいっているようだった。 わたしは学校以外の おだくんを知らなかったから、あんがい学校のそとでは大人びていたのかもしれない。自分のあからさまをすべて内側に秘めているような おだくんだった。おだくんの制服を脱がせたら、まっさらな胸には もうひとりのつづきの おだくんがいるような気がした。 ある日、「 将来なりたい職業について発表する 」という授業があった。 まだ、小学生のにおいが残っているような、五月の中学1年生の多くは、学校の先生とか塾の先生、看護師、警察官、漫画家など、身近な存在の職業をあげていった。 教室の前から順に、ひとりずつ起立して発表する。言い終わると、みんなが、へーとか、はーとか、ふーんとか反応する。楽しげな雰囲気で進み、おだくんの番がきた。 おだくんは、すくっと立って誰よりも大きな声で 「 ぼくは、花火師になります!」と宣言した。自信と希望が おだくんに憑依したような有様で、立ちあがった おだくんが花火のようだった。その理由についても滔々と述べていた記憶があるが、そこは覚えていない。 わたしは、ボーッとしている風な おだくんの事を、いつも心のどこかで軽んじて、それでいて目の端に変わらず居てくれることに安心していた。おだくんは わたしにとって特別に特別でない存在だった。 そんな わたしの中の おだくんの中で革命が起きた。いや、みんなに見せたのは初めてのことでも、おだくんの中では革命は日々起きていたのだろう。おだくんの唇が「 ハナビシ 」という言葉を発したほろ苦さが、わたしの口中に広がるのを感じた。クラスメイトの反応も、耳にはいらなかった。 宣言がおわり、椅子をひいた おだくんはニキビの頬が紅潮して いつもの照れた おだくんだった。 それ以降、話す機会もなく、2年3年と別のクラスであったし、同窓会があっても おだくんに会うことはないだろう。 ただ、夏になって夜空に散りゆくパラパラとした花火の粒が おだくんの紅潮した頬を思いださせ、あの花火の下に おだくんが居たらいいなあと思ったりする。
おだくん ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2037.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-08-26
コメント日時 2018-08-29
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
もなかさま コメントありがとうございます。 気づいていただけて、感想をいただけて、とてもうれしく思いました。
0「中学校の同窓会があったら、あいたい人がいる。」と始まって、「同窓会があっても おだくんに会うことはないだろう。」 で終る、その枠組みは自然なのだけれど、なぜ「会うことはない」と断言できるのか、その理由が明かされていないところに、謎がありますね。あいたい人、と書かれているので、会う可能性が失われているわけではない。でも、会うことはない、と語り手は予測する。 なぜ・・・?何か理由があって、クラスメートには二度と会いに来ない、と語り手は”わかって”いるのか、そのことに、なんらかの思いがあるのか、ないのか・・・。 「あいたい人がいる」という一行めを省いてみると、いきなり「おだくんは~」と始まることになります。読み進めていくうちに、中学一年の時のこととわかってくる。でも、あう、という可能性について触れられていないので、「おだくん」が今でも実在しているのか、あるいは既に亡き人、なのか、読者にはわからなくなる。そこまで、可能性を広げて提示してみるのも一案だと思いました。
0まりもさま ご無沙汰しておりました。 コメント嬉しく拝読させていただきました。 ありがとうございます。
0おだくんの見ているものを「深夜に聞いたラジオの声だったり、通学路で抱いた仔犬の軽さだったり」と規定するところに、語り手の価値観や生活を垣間見ることが出来る気もしますが、以降の文章の中でこの箇所に関連する描写はありません。語り手を想起させるヒントがもう一つでも読者に提示されていれば、語り手の会いたい「おだくん」だけではなく、読者が読む「語り手」の物語や生活が浮かび上がってきて多層的な話になるのではないかなと思いました。このままだと、上に引用した一文が、浮いてる気がしました。
0左部右人さま コメントありがとうございます。 自分の気にいっているところに注目していただけて嬉しかったです。 数年前に書いた散文詩ですが、興味を持っていただき感謝いたします。
0