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つぶれたカラオケボックス
県道沿いに転がる店の死骸 人影のなごりも蠢かず 静寂が壁を黒ずませている MIDIの安音源で 存在しない人の歌を歌おう 忘れられた空間に テレビ画面だけが浮かんでいる 僕は息を潜め 壊れたマイクを暗闇で握りしめた 手汗がじわっと滲む 外でトラックの通る音がした
つぶれたカラオケボックス ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1035.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-04-13
コメント日時 2017-05-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
4月の2作目は「オホーツクの岬」を投稿すると以前私はツイートしていましてそれを読んだ方もいらっしゃるかと思いますが、諸事情あってオホーツクの投稿は5月以降に延期させていただきました。お詫び申し上げます。
0写生に徹しながら、都会の中の孤独、置き去りにされた繁栄(の名残)に触れていくような、コクーンの中で死者の声を再生するような感覚を、簡潔な言葉で捕えた佳品だと思います。それにしても・・・この、まんまネタバレの題名、このままでいいの?
0一行目が「県道沿いの店に転がる死骸」ではなく、「県道沿いに転がる店の死骸」なので、死骸になっているのは、人ではなく、店です。建物があるということは、それを建てた人がいて、住むなり、商売をするなりといった目的があり、さらに言えば思いがあって建てたいと思った人がいて、それを建てた人がいるということ。 僕はその店が死骸になっているにも関わらず、その店が持つ目的を全うするために手を貸しています。ただ、それは死骸を呼び覚ますことで、自然の摂理に反することをしてしまうことなので、つい「手汗がじわっと滲む」のでしょう。 最後の行がとってつけたようにあるのですが、これが効果的です。外から中を見るのではなく、中にいるからこそわかる外の日常を描けるのです。死骸の中にいるという緊張感とは別に、外では日常が動いているという対比がより中にいることの不気味さを際立たせているのではないでしょうか。 それにしても僕は何故この死骸に足を運んでしまったのでしょう。ただの興味本位なのか、それとも、何かこの死骸との間に関係性があったのでしょうか。その関係性が見えてこないことがこの作品の見えないテーマとして浮いていることが、この作品の緊張感を生んでいる原因でしょう。
0「店の死骸」という言葉で、つげ義春の「ゲンセンカン主人」冒頭の「この町はまるで死んだように静かだな」というセリフを思い出した。死んでしまったカラオケボックスで、死んでしまったマイクを手に、生者ではないボーカロイドの曲を歌う語り手。だが、彼の手は汗ばむ。それは彼が生きていることを証明している。外をトラックが通る。それは世界が死んでいないことを証明している。いきなりタイトルでネタバレしているのも、個人的にはプラス要素。
0諏訪哲史という芥川賞を取った作家さん(アサッテの人という小説が好きです)が、その授賞式で(私の記憶が確かなら)何か演歌を歌った記憶があります。 そのずっこけ具合に、若い私は秘められた含羞と思い、のようなものを感じ取ったのですが、「つぶれたカラオケボックス」を読んでそれを思い出しました。 ここには最新の機器も、囃し立てる友人も、お酒も、何もない。そんな廃墟の中、主人公は一人、「MIDIの安音源で/存在しない人の歌を歌おう」とする。うまく言えないのですが、哀愁と緊張とわくわく感。そんなものを感じました。 個人であること、個人の世界を持つこと、それはキラキラのレーザーやら賑やかなコールやらアルコールやら、そんなものにあるのではない。その寂しさと、思いの強さのようなものを感じました。 作品としてはちょっと短すぎて…感はあるのですが、描こうとしている情景は好きです。
0暫く掲示板上から消えておりました。 これから返信します。 まりもさん ネタバレといいますか、むしろ場所をはじめに規定させてしまおうとしてこの題名です。 3月投稿の「夕陽に顔面」における女子高生像もそうですが、世間である一定の特殊なイメージ(パブリックイメージ)があるものは、それを漢詩の典拠のように自作詩篇にも取り込んで詩中世界の広がりを増すのに利用したいと考えています。 カラオケ、特にシダックスやコートダジュールみたいな大手企業のでなく、バブル前後に乱立し今ではほぼ死に絶えている個々の店舗型のものに対して、日本人ならなんとも言えない情念を抱くかなと(カラオケに近いものを挙げるなら、元アルペンの店舗でしょうか)。作中に言葉で語らない代わりに、パブリックイメージを上手く付与させて詩中世界を構成させたいと考えています。 ただそれって、同じパブリックイメージを抱くコミュニティ内でしか通用しないのは確かなんですよね。「つぶれたカラオケボックス」も相当コンテクストな作品になるでしょう。
0花緒さん 廃墟のカラオケボックスで 存在しない唄を歌う この二行と、「つぶれたカラオケボックス」がどう違うのかと問われると私も明確には答えられないですね。 作者としてはあまり短詩という感覚をもっていませんでした。私のイメージですが、短詩はその長さ故に従来の詩よりも文字で語らない領域が大きい詩のことかなと。だから俳句や短歌に近いですよね。 んでも「つぶれたカラオケボックス」の場合は結構詩中の言葉で多くを示しているなと、その示している量は私の他の詩と比べても遜色無いぐらいかなと思っています。 そうなるとだからこそ、活字化された情報量の密度、「一言一句変えてはならないと思わせる緊張感」が足りないのは死活問題ですね。例えるならばこの詩の今の常態は冗長なプログラミングってところですかね。同じ働きをさせながらも、もっと圧縮することができる。うーん、難しい。
0なかたつさん 毎度深い読み取り、作者のほうが驚いております。ありがとうございます。 最終行のトラックに関しては私の詩作品に頻出するイメージなんですよね。3月投稿の「kissはチョコの味」にも出てきます。 幼少の頃の私はなかなか寝付けない子で、布団に入りながらも何十分も目がさえたままでした。仕方なく天井を見ていると、家の横の道路を車が通り、そのライトが窓を伝って壁や天井に当たって孤を描くよう動きます。それが妙に象徴的で、現在でも利用しています。
0もとこさん ゲンセンカン主人は名作ですね。私もつげ作品は諸短編と「無能の人」は読みましたが、ゲンセンカンは個人的トップ5に入りますね(トップ1は「紅い花」)。 盛者必衰、かつて大きく盛ったものほどその凋落の落差は大きいものです。日本の華やかなるころに二十日鼠の如く増殖して、そして廃れていった零細カラオケ屋も、かつての喧噪の影と今の儚さとの差がとても大きく、それが私を魅了します。 あと県道って象徴的ですよね。主要国道とは当然違うし、都道府道道道ともやはり違う。なんか垢抜けなくて、それが愛おしい。
0白犬さん 他の方々も述べている「哀愁と緊張」がこの詩のキーワードなんでしょうね。 私の詩は映像ありき情景ありきなのが多いので、そこだけでも楽しんでいただけたのならなによりです。
0うーん、レスするのが難しい作品だ。 多分、色々と微妙なんですよね。それを狙ってやってんのかはともかくとして、一〇〇点中五〇点の微妙みたいなもんですかね。微妙にちょっと怖いけどありそうなランキングみたいなものを作ったら上にくると思う。でも洒落怖に出したら多分つまんないって言われる。そういう感じ。下手くそかというとそうじゃない。でも巧いかというと巧いけど、多分なんかスパイス欲しい。みたいな気もちになるみたいな。良くも悪くも微妙という感じか。 トラックの音っていうのは、静かな所程よく聞こえる。カラオケボックスっていうのは基本的に防音バッチリな場所な訳で、外部の音が聞こえちゃならない場所。そこにトラックが通った時の臨場感。僕のばあちゃんちは海沿いにあってすぐそばを国道6号線が通っていたから、止まる度に絶対風を切る大型トラックの音が耳に入って、少しだけ怖かった思い出があります。そういう感じでオチにトラックを持ってきたのは、いい選択だと思う一方で、こういう思いはみんなしているのかなぁっていう気もする。そこらへんが良くも悪くも想定内の状況描写になってしまっていて、ホラーとあるあるが微妙に混ざった空気になっているのかもしれないですね。
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