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詩でしか言えない
四つ脚のながイスを持ち起こす 地上でも、地下でも、100m運ぶのは 腰骨が折れます。 このような体力仕事をおおむねこなしている なんでも屋の社長さんに インタビューしました。 わたしは、大志を持ち寄せたのではなく それしかなかったからそうするしかなかったのです だから、にいちゃんがどんな論文にするのでも 役に立つんだかわからないのですが。 ニッポリノ繊維街に来ております。 今夜使うための麻の紐を調達する そんな用事 店員のニッポリ人さんは 少し無表情なのですが、きれいすぎる歯 結ぶのに丁度よいのは、この硬さ 硬直した身体を やさしく撫でる 朝が来るので。 オリジナルのあいさつで オリジナルのかんけいには 迎え撃ちたいのです。 対人援助演習で! わたしは、うなずいて向き合うのですが、 今、なんて言ったらいいのか、どのくらい黙ったらいいのか、どうまばたきしたらいいのか、 そんな想いが身体に滲み出てるのか 滲み出ていないのか 時間だけが流れていると 思うけど、 わたしは、なにかしている
詩でしか言えない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 924.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-08-04
コメント日時 2018-09-07
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
詩でしか言えないことって、やっぱ、他人とのコミュニケーション的なところから滲み出てくる感情の揺らぎ的なるものって大きいかもなあ、と読んで思いました。ホントは所属意識すら不要なんだけどなあ、みたいな。 >わたしは、うなずいて向き合うのですが、 >今、なんて言ったらいいのか、どのくらい黙ったらいいのか、どうまばたきしたらいいのか、 この状態、とても共感しました。
0三浦⌘∂admin∂⌘果実 様 コメントをありがとうございます。 八月を二作とも、自意識へ捧げてしまいましたので、 コメントをいただけて幸いです。 めちゃくちゃかいつまむとノンバーバル・コミュニケーションについてでした。
0なんと申しますか、実習がいろいろ大変だったことを思い出しました。 一挙手一投足に求められる理論的裏づけに振り回されてしまったり。 現在は言語のみではコミュニケーションが成り立たない場におりますので、 >オリジナルのあいさつで >オリジナルのかんけいには >迎え撃ちたいのです。 という箇所には深く頷いてしまいます。
0斉藤木馬 様 コメントをありがとうございます。 社会福祉士の実習が自分のなかに深く刻まれているので、共感嬉しく思います。 ありがとうございます。
0〈対人援助演習で! わたしは、うなずいて向き合うのですが、 今、なんて言ったらいいのか、どのくらい黙ったらいいのか、どうまばたきしたらいいのか、 そんな想いが身体に滲み出てるのか 滲み出ていないのか〉 この一節と、詩(を成り立たせるなにか)と向き合った時の感覚が、とても似ている、そのことと、作品の名付けとの関係について考えました。 持ち運ぶ、持ち寄る、という言葉はあるけれど、持ち起こす、持ち寄せる、と記す時の奇妙な違和感。文法的にずらしていく、という技巧的な部分、よりも・・・運ぶ、寄る、という語り手の能動性を促す言葉と、起こす、寄せる、という、そっと対象に手を添えるような、一歩後ろに引いたニュアンスの言葉、と・・・。 〈ニッポリノ繊維街〉日暮里の繊維街、ではなく、ニッポリノとひとつながりで表記されると、ニュートリノのような、一つの単語のイメージに寄っていきますね。ニッポリ人、と記すと、にっこり、という音に似ていると同時に、どこか、そうした名前の国の人、というイメージもわいてくる。 〈今夜使うための麻の紐〉さりげなくコワイというのか、不気味な表現。誰かを、何かを縛る、あるいは・・・首吊りの紐。(硬直した身体、からの連想かもしれません) 運ぶのは骨折り仕事、その仕事を率先して引き受けている、ように見えて、実のところ、〈そうするしかなかった〉と朴訥に語る、〈なんでも屋の社長〉。その社長に、卒論か修論か・・・あるいは企業研修論文か何かの為に、インタビューをしている、そんな設定の、語り手と社長との関係。何のために、と問えば、理屈を押していけば「社長の仕事を、楽にするために、椅子に持ち運び用の紐をかける、その為の手ごろな紐を探している」ということになるのでしょうけれども・・・。 〈そうするしかなかった〉と語る社長を前にして、何を言うべきか、黙り込んでしまう他はない語り手、その語り手が、その時の思いを言葉にする、ということが、そもそも、詩を書く、という事であるのかもしれません。
0まりも 様 コメントをありがとうございます。 あまり、内容を語ることはしない/できないことが僕は多いのですが、これは完全にビーレビ閉鎖の可能性挨拶への反応として書き始められましたので簡単にまとめてみようと思います。(詩から読み取れる読み取れないの部分ではなく、どう書かれたかのプロセスです) 「紐」は完全に夜の営みのためです。 書かねばと思い立ったとき、目の前に「四つ脚のながイス」がありました。僕は心情と場所の物理的距離と、僕の五感のピックアップに、いわゆる縁というカデゴリーで括って、書き起こしの基礎にすることが多々、あります。 「四つ脚のながイス」もそうですが、人工物であれば、概ね設置した人物なり責任者がいます。なので、どんな人かなと脳が勝手に考え出したのですが、たまたま最近引っ越しをしていたプライベートもあり、浮かべた人物が「なんでも屋の社長さん」でした。 そして、その人物像は、実在の、中学二年生の頃に取材をした日暮里のかつての駄菓子屋の店主さんと重なりました。 感想をまとめると、誰に何を言われようと知ったこっちゃないのに少しずつぽつりぽつりと語るような一抹のさびしさに対しての一抹の充実、のようなものでした。 そしてその取材という行為は、学生時代のテープ起こし作業の記憶を誘発します。 学生時代は、日暮里を繊維街として使用したことがあります。作品で使うための布を買いに行ったことがあったのです。 ですが、今の僕が欲しい繊維といえばもっぱら夜用の麻縄です。赤いのがよいのですが。 そして、日暮里では海外から働きに来ている人が店員さんでした。 その両方が重なります。 誰にも、きっと夜はあるので、朝が来る前には優しさを取り戻さねばならない時が多々あることを経験で慮ってしまう機能で書き記しました。 そんなことで綴られた五連目までの微妙な物語的言葉たちの、ないはずの「意味」という部分で、 「B-REVIEW」と「かるべ」の関係というものは、いったん表記という体で落ち着きました。 そしてそれは、僕が常々考えていることなのですが、名前のない関係性です。(たけちゃんとの関係のようなものです) つまりそれは「オリジナルのあいさつでオリジナルのかんけいに」添えられることになるのですが、 いかんせん、この片思い性は、そうか、きっと僕もまた同じように片思いをされているのです。「迎え撃ちたいのです。」 向き合う瞬間、「対人援助演習で」培わせてもらえた、さびしさと真剣な思いを 具体的に表現する読み取る削がずに大切にするノンバーバルコミュニケーションの 命の掛け具合を思い出します。 そんなただスマホをタップあんどフリックしていただけの「詩」に、 価値など無いという思いもありますが、 そもそも誰しもが「なにかしている」と思っている、やさしさを思い出すだけのかるべでした。 タイトルは相当悩んだのですが、 どうせB-REVIEWがなくなるなら潔くしようと思いました。(続くことになりましたが) 歌でしか言えないのインパクトが強すぎて、思い悩んだ部分ではありましたが、 どうせこれからも詩を書くのだから、とひとつの書き置きとして残しておこうと思った、ということで この詩を投稿することとなりました。 長文をば、失礼いたしましたが、 読んでくださりありがとうございます。
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