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カタログを埋める重言
疑いを疑い 悲しみを悲しみ 同じものを強調する この泉の中には女神が棲んでいるという 愛を愛し 歌を歌い 同じことをし続ける 髪を垂らした塔の上 離れていくままに離れ 欲するままに欲し 言葉を飲み込め マリア様の姿は言い表すことができない 日々が廻り 人生も立ち上がり 夢が複雑になる ロマンチックなメリーゴーラウンド 唇を重ね 愛を同じくする いつまでもとの約束 離れない絆として腕に結んだ 速く走る 狸のように くすぐったい気持ちは終わらないということ ほらあの躍動感 日々の中にはね 宝石があるんだ カタログに載っていた 毎日のカタログに 溜めた力を使って 余分なものではないから 泥の中にある汚れない 美しい何か 見とれさせる魅力が 不安を無いことにする魔法だ 黄色い花を濡らす雨 明日は新しい日 カタログに欲しいもの載っていたよ それ見てしたいこと日記に書き込んだんだ 明日のためにと心は光りつつ 明日の光へと僕は欲求をとりながら 君は反復するスーパースター 光と同じ速さで考える 誰にとっても自分の命は切れるまで生きる 少しドジでもいいはずさ 打ちのめされたその目の奥までが優しいね
カタログを埋める重言 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 960.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-04-06
コメント日時 2017-05-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この詩を読んで最初に連想したのが「ホールアースカタログ」だった。普通のカタログが読者に「消費」を促すのに対して、「ホールアースカタログ」は「生き方」のヒントを与えるものだったらしい。この詩に出てくるカタログは、その中間的存在のようにも思える。 前半は「不思議の国のアリス」に出てくる滑稽詩のようだ。「金の斧」に登場する泉の女神、塔の上のラプンツェル、そしてマリア様などに言及しながら重ねられた表現と、重ねられた唇。そして後半はいよいよカタログが登場する。泥にまみれた日常の中にあっても、汚れない宝石のような何かが載ったカタログ。私事だが、私は中学生の頃にBCLラジオやラジオカセットが欲しくて、様々なメーカーのカタログを集めては毎日飽きもせず眺めていた。それは何と心躍る日々だっただろうか。語り手もカタログを見ながら、明日への希望を膨らませる。カタログに載っているものとは、理想の明日そのものなのかも知れない。 >君は反復するスーパースター >光と同じ速さで考える この部分はすごく良いのだが、ラスト3行はちょっと失速した感じ。思い切って前後を入れ替えても良かった気がする(個人の感想である
0もとこさん コメントありがとうございます。 「ホールアースカタログ」は、画像を検索する限りでも、大変におもしろそうな雑誌ですね。ヒッピーとかのムーブメントは、 何だったのかということを良く知りませんが、そのムーブメントになるほどのコンテンツがあったみたいですね。僕は、1977年 生まれなので、たぶん、オタク第三世代だと思います。父の影響で、「テクノポリス」とかを読んでいました。 カタログという発想は、糸井重里のコピーなどが念頭にありました。「欲しいものが欲しいわ」。そうですね、僕にとって詩を書く ということは、言葉と戯れながら、自分の思考の核とか、無意識な信念のようなものを、発見しなおす作業のようです。 何かに操られることへの反抗というか。そういった思想を型に入れると、言葉との距離をいろいろにとれるので、一応 個人的にも実りのある行為だと思えます。ですから、カタログという発想に至ることが出来たということが、じぶんでは大きな 発見でした。そして、カタログ的なものへの身の開き方というか、思想への加担とか分担、そういったところで、妄想の流れ の中に、何かの形として時間が結実している感じが残り、これが大変に嬉しいことです。自分の周りにあるカタログを、 無視するのではない、信じるのでもない、そういった「中間的存在」としてとらえていきたいと思います。 最後の三行での失速は、僕の力ではまだそういうところまで作り込む力がありませんね。これからの課題としていきたいです。
0冒頭三連、起承転結できっちりと形と反復のリズムを作り、続く三連で、若い二人の気持が盛り上がって行く感覚を、形を崩さない緊張感の中で盛り上げ・・・一気にサビに突入する。そんな歌の形式を存分に生かした作品だと思いました。 最終連、 「君は反復するスーパースター」ちょっと、安易な感じ? 「光と同じ速さで考える」これはとても面白い 「誰にとっても自分の命は切れるまで生きる」これは当たり前でしょ、とツッコミを入れたくなりつつ・・・自分の命を生き切る、そうした疾走感を持続することの難しさと、疾走感を保ち続ける、あるいは加速し続けることこそ「生きる」なんだ、というような思想を感じる部分。 「少しドジでもいいはずさ」少し「抜け感」があって、ほほえましい感じ、にはなりますが・・・新鮮さには、遠いかな・・・ 「打ちのめされたその目の奥までが優しいね」ギラギラと飢えた獣のような貪欲さ、が、打ちのめされた後、の眼・・・ならば、死んだようにうつろになっているだろう、と思うのだけれど、ここでは「優しい」。本来の優しさ、その人の良さのようなものが、そこに光っている、ということなのかな、と思います。 (日々の)泥濘の中から、キラリと輝くものを見つけ出す瞬間。そこに向かって疾走しようぜ、そんな、自分にも読者にも呼び掛けている歌のような詩だと思います。
0まりもさん コメントありがとうございます。 歌詞として構想を始めました。その際に、出発点となったのが、「重言」でした。「疑いを疑い」「愛を愛する」などですね。 思い立ったからなのですが。そして、思想としてはやはり、「カタログ」で、あとは、傷ついている二人の人間です。 「君」「打ちのめされたその目の奥までが優しいね」。僕自身が、出発しなおす気持ちを持って、それをまとめてみました。 表現について、感想を下さり、ありがとうございます。やはり、表現と言うものの難しさと面白さを再認識しました。 特に選んで、ご感想について反応させていただきますが、「きらりと輝くものを見つけ出す瞬間。そこに向かって疾走しようぜ」 ここは、とてもうれしい感想でした。ほんとにそんな風な詩だな、と、望んだ以上のことを感じていただき嬉しいです。 もっと、完成度と密度のある詩を書いていきたいです。 花緒さん コメントありがとうございます。構成について、分析いただきました。良い感じであるということで、ほっとしました。冗長である、 と感じられ、コンパクトにまとまっていない、と思われるということ、確かにそのような失点があるようです。この詩は、自分の中に あまり言いたいことがない状態なので、それでも詩を書いてみたら、こんなふうな、失意と再挑戦を、音に乗せて意味に何かが 結びついて良い表現になるといいな、という感じに仕上がったものです。では、少し話はそれますが、今僕が考えている ことというと、ペットの雑種犬を、ずいぶん昔に散歩させたとき、道路わきの柿畑に、一メートルほどの落下をさせてしまい、 そのころ僕の体が不自由だったもので、首の綱を釣り上げようとしてしまい、窒息させかけたということを、悔やんでいます。 また、四か月ほど前の直接の死因も、僕が、囲いを開けたままにしておいたところから逃げてしまい、川に落ちて溺死 してしまったのです。苦しめてごめんね、という、罪悪感が大きいのです。それに、考えているのは、やはり僕自身が呼吸が 苦しいということ、そういう状態の僕が、再出発できるようになるためには、何かの決算をしないといけないようです。 そのために詩があって、言葉にすることが大切なのです。
0端的に「カタログ」みたいな事について、僕自身が馴染みがないからかもしれない。この詩を読んで、カタログとは何か? みたいな事について考えている内にレスを書く手が大分止まってしまって、個人的な理由になりますが、中々困った作品だなぁと思います。 それは良くも悪くもカタログという発想に結びついているのが、ネックという事でしょうか。僕の親父や母親はまずものを買うときにカタログを取り寄せてものの見定めをするわけです。最近は車なんかがそうですね。僕はなんでそうするのか、みたいなのがあんまり分からなかったりする。それはネットがあるからかもしれないし、大きな買い物をした事がないからかもしれないんですけどね。もしよかったらですけど、カタログとは何かみたいな事について、上のレスにも書かれているとは思うんですが、もう少し細かい話が聞いてみたいと思いました。
0hyakkinnさん コメントありがとうございます。 調子が悪くて、不安になることが多くて、そんなときセーブ機能を働かせて、いろんなもののあつまったカタログを作ってみたんです。 とりあえず、セーブしておくことで、少しづつやっていけるんじゃないかと。つくったカタログから、良いものを選択する、そんな風に して、生活を進めていきました。良い、悪い、というよりは、仕方がない感じ。やっているときは必死で。失敗を含みつつ、 日々のセーブ(記憶)を重ねることが出来て、自分なりの思考に、失敗じゃないことを確保して、前に進むというか。 記憶も思考も、かなり滅茶苦茶な自分なので、非常にばかばかしい人生を送っている、そんなことを、詩にしたのですが、 もしかしたら、困った作品となっているかもしれません。だから、この詩が優れているとは、自分でも思いませんし、 ただ意味があるなら、それは、過去や子供のころの記憶へ向かって、宝石、などのように、味わってほしいという願い、 共有したいという思い、その強さが、せめてもの共感を、感じること、すなわち、人間同士がいかなることを望み、 端に位置が下がってしまった人間が、悪意を持たないというたどたどしいばかばかしさを、半ばあきれながら、笑いながら、 許してくれるということもあるのじゃないかと。困った作品ということで間違いないです。人がいかない珍しい場所(知識)へ、 足を向けることが、一応できていた自分なので、そういう珍しい見識を報告することで、楽しんでもらえる、そんなところを目指して、 日々療養を続けている感じです。あまり人が知らないようなことで面白いものを、提供するので、興味を持ってほしいという感じ です。
0これ、最初なんとなく引っかかりながら読み流していてですね、再読したらキラッとしていた。なんだろう、歌詞として書きました、というコメントを読んでからかな。 いろんな矛盾したイメージ。相容れない概念が重複しているから最初、とっつきにくかったんですが、後半畳みかけるように「これが人生と言うカタログなんだ」と言うお話しになってゆく。ああ、そうかと。 ただ、皆さんが仰られるようにところどころ単語が非常に非個性的ですね・・・。歌詞だから、ポピュラーな表現。よくある単語を選択したほうがいい、ってことは別にないんじゃないかとはちょっと思いました。 ちなみに筆者の方は1977年生まれだそうですが、そうするとミスチルとか椎名林檎とかそういう世代でしょうか・・・(よくわかっていない、すみません。)
0朝顔さん コメントありがとうございます。 自分と言うものは、コントロールできる部分も、コントロールできない部分もある。だから、 内部を攻撃する自分、という、不安を認知することで、コントロールできる、詩作という部分くらいでは、 内部否定を止めたいと思っています。外部からおかしいよ、間違っているよと言われることが苦痛なのではなく、 そうできない自分が、自己否定していたと発見して、苦痛に気づくということが、客観的な把握です。なんとなく、 大人でない自分、何も続かない自分、そういった人間が、カタログを見て物を楽しそうに選んでいる光景って、 ほほえましいと思っています。 というわけで、泉やら塔やら、マリア様やらメリーゴーラウンドやらといった、穏やかな物のそばで、突き詰めれば死の恐怖 となる恐怖から、解放されるような発見が、できたらいいな、と思って、自分をスイーツに甘やかしていったのです。 単語が非個性的である、とは、痛いところです。文学の関門として、難しい表現を使うという詩作に対して、 拒否感を覚えてはならない、ということは、言えるはずです。 あまりj-popは聞いていないのですが、ミスチルとか椎名林檎とかは、知っています。あと、ワンズとか、宇多田ヒカルも好きです。特に好きだった歌手は、徳永英明です。今はクラシック音楽の方が好きですが。
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