別枠表示
天守閣
石垣の継目を辿りながら 君は坂道を登ってゆく 数歩も進めば道は折れて そのたびに行く先は視界から隠される 青天にそびえる白壁の 目指すところだけが見えやすい そして 門だ 扉のない門が次々と 角を曲がるごとに現れて 含み笑いで迎えるのだ ——この先へ行くのかね どうしても行くのかね もとより止める義理もないが 行くなら用心することだ—— 君は足を止め振り返る 一度過ぎてしまえばどの門も寡黙だ 壁に身を寄せて跪き その低い位置に穿たれた鉄砲狭間を 覗いてみると 正面に口を開けているのは ついさっきくぐってきたばかりの ひとつ前の門らしい 君はそこで鉄砲のことを思い出し 肩から下ろして 狭間に銃口を差し入れ 追っ手の気配を待ち伏せる 曲がり角が多いのには訳があった すべての門は 次の門から見れば標的になるということだ 城を守るために仕組まれた一本道の迷路 そこを誰か 登ってくる人影がある 君は門の真ん中に照準を合わせ 引き金に指をかける 坂道にいざなわれて 今 門をくぐろうとする兵士は 狙われていることなど思いもよらず 城攻めばかりに気をとられている それが彼の命取りとなるわけだ だが しかし だとすれば それは さっきの君自身の姿でしかありえないじゃないか さっき あの門をくぐった君の胸を 今 この門にいる君が撃ち抜くというのは 一体どういう因果なのだろう けれど もはや銃口は引っ込められない 君は先へ進まなければならず 追ってくる者は誰であれ敵に違いないからだ 引き金を引く 兵士は胸を朱に染めて斃れる 存在しない門扉が 彼の後ろで 鈍い軋みとともに閉ざされた 君の胸も痛んだろうか しかし冥福を祈るひまなどなく 君はまだまだ先の長い坂道を 再び登り始めるために身を翻す と そこで ひたり 熱した針先を触れるように 自分の胸に定められた照準を はっきりと知覚する 青天にそびえる白壁の 低い位置に穿たれた一列の鉄砲狭間 そのうちのひとつから差し出された 黒光りのする銃口 つまり 君はすでに あの天守閣に辿り着いている 火薬が爆ぜて 石垣に血飛沫が散った 存在しない門扉が 君の後ろで 鈍い軋みとともに閉ざされる
天守閣 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1022.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-05-22
コメント日時 2018-05-31
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
初出:「文芸思潮」第22号 (投稿末尾に入れ忘れました)
0読みやすい作品だと思うと同時に・・・若干、小説よりというのか、説明口調が多いような印象もありました。 「目指すところだけが見えやすい」このワンフレーズ、そして、夢に向かって進んで行く青年がくぐっていかねばならない、ある種の通過儀礼的な「門」の怖さ・・・。 先に歩んでいる者に狙われ、撃ち抜かれる、ということ。自分もまた、同じことを繰り返すかもしれない、ということ。 なんとなく、芥川の『蜘蛛の糸』を思い出しました。険しい岩壁を一人で登っていく時の、自分と自然との「闘い」ではなく・・・ライバルを時に蹴落とし、狙い撃ちしながら目標に向かっていかねばならないような、そんな狭隘な道のり・・・ ここには、命じる者は出てきませんが。ここにもし、命じる者の圧力があれば、日大アメフト部の監督と学生の姿が重なって来るようにも思われました。
0きれいな詩だなと思いました。 丁寧な客観的な記述から、語り手の視点を“論理的に”成立させる書き方を 詩において自分ではできないので、勉強になります。ありがとうございます。
0>まりもさん コメントありがとうございます! 投稿にあたって多少修正しましたが、これは10年ぐらい前に書いたもので、その当時はこういう小説っぽい語りが好きだったようです(今も好きですが)。 誰かを殺すことで、別の誰かに殺される可能性に気づく、 その「誰か」とは過去の自分であり、未来の自分である。 青年期の通過儀礼とは、なるほど的確なとらえ方だと嬉しくなりました。 ただ「君」が殺すのは他者ではなく「君自身」であり、だとすれば撃てと命じたのもやはり「君自身」なのではないかと、個人的には思います。
0>かるべまさひろさん コメントありがとうございます! きれいな詩とのご感想、大変嬉しく思います。 人称を「君」にするか「私」にするか「彼」にするか迷って、最終的に「君」にしたのですが、成功しているかどうか。 でもおかげさまで、少し自信が持てました。感謝いたします。
0こんばんは。とてもリアリティがあります。リアリティといっても、夢(悪夢)のそれです。詳細は省くとして、二十年ほど前に、自分を殺そうと迫ってきた相手が自分だったという夢を体験したことがありました。あの時の驚愕と恐怖ときたら! きっと天守閣から狙っている自分を見た瞬間はそうだったんじゃないかと思いました。 「君」という距離をおいた視点からの語り、よいですね。
0>藤一紀さん コメントありがとうございます! リアリティということで言うと、実はこの城のモデルは松山城です。実際にいくつもの門をくぐり、狭間をのぞいてみて、「あ、さっきあそこ通ったな」「戦国時代だったら、自分、とっくに殺されてるな」と実感したのが出発点となっています。 自分に殺される夢は、寝覚めが悪いですね。もしも続きがあるとしたら、殺した方の自分が、代わりにその先を生きていくのでしょうか。。
0詩のなかで攻城戦が登場する作品をはじめて読んだ気がします。戦(いくさ)では攻城戦に至った段階でかなり追い詰められた状況と言いますよね。加えて攻め手も自分なら守側も自分。不意を打つの自分なら、打たれるのも自分という状況で、城でありながらミノタウロスなどが潜んでいるような迷宮を思わせます。緊迫した感じが伝わり、新鮮で面白かったです。
0>植草四郎さん コメントありがとうございます! 本来なら一本道なので迷路にはならない(迷いようがない)はずなのですが、時間が歪んだせいで脱出不能な迷宮になってしまったようです。。 でも攻めているつもりでいたら、いつの間にか攻められていたって、割とよくあることかもしれません。 お楽しみいただけたなら幸いです。
0