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薄明
C Am7 F Em7 屈強な夜が 明るかった それはひよわくもあった、いいえ 脆弱な朝の首を ぐいぐい絞め上げている、 だから。 酒のような雨が降る 僕らの 否、 僕 の、 フラスコの胃 は、この酒のような雨を拒否する、 二日酔いで、 なんてことがあったらいいのに。 みんな騒いで銃を乱射するような。 悪い者しかいなくなって、 善いがなくなってだから悪いが反吐が出る位上等に普通になる。 というかなっている。音楽が止まった。嗚呼、僕は酒が飲めない。 祭りの日を、 楽しく待っているのは甘酒が飲めるから。 キリキリと胃痛がとまらない、ついに胃痛にディストーションが掛かる、母親がペダルを踏んだ、どこに買い出しにいくんだろう? 友達は東京で音楽していて 最近メジャーからインディーレーベルへ落ちてしまった。 彼らとの意思疎通 それはいつだって落とし穴だった。 東京で落とし穴に落ちたのは僕だった。 ・・・・・・・なんもやってねぇよ、なんもやってねぇよ、なんもやってねぇよ シンナーの香り。告白している受付嬢。オレンジシャンプーの香り。そんな記憶と 神なんとか駅近く、客にボコボコにされていくローソンのレジ係と アップ&ダウン、アップ&ダウン、やっぱりフィッシュマンズのナイトクルージング(名曲!)と 酔ってダウンした友人の喉に指を突っ込んで丸のみされてた椎茸を取り出したこと、 フィード・バック、ケツの穴、ポリバケツ、ペットボトルの甘味料への不満、 ポコンと酒玉が胸から抜けて良い気分になって乗ってたタクシーは代々木で。 反対に最低のタクシードライバー。 訴え損ねたもんだ、 訴え方を知らなかった・・・・・・。 熟考するベーシスト、そして自由ヶ丘のバーのホームシックな外人、ジョン! 生きるものは今でも生きている、死ぬものは死んでしまった。 水タバコをやってたひと、水死体になったひと、歌がうまいひと、もう先はないと震えてた。 お前がのぞむなら、世界をやるけれど 世界をもらって、何も変わるまい なんでって知っている筈だろう、どれだけの死と、屈託のない笑顔をみてきた、 それからどれだけ詩を書いてきた。しかし言葉は尽きない! ねぇ、ちょっとだけコーヒーを頂戴。それから五百円を頂戴。 領収書を書いて頂戴。そうだった、税理士にあったことすらない。 脳、が ねつ造できないあの東京を 倶楽部を、僕は薄明と呼ぼう。 薄命とかかっている。
薄明 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2017.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 4
作成日時 2017-04-01
コメント日時 2017-05-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 4 | 4 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 4 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この詩を読んだ人は冒頭からあることに気づかされます。ああ、夜とか朝には強度があるのか、ということを。屈強な夜と脆弱な朝、脆弱な夜と屈強な朝では決してなく、夜の方が強くなくてはならないのは、なぜでしょう。 フラスコには底があり、降り注ぐ液体は溜まりゆくのみです。そして、注ぎ口へと近づくにつれて許容量が少なくなっていきます。最初は余裕があるかもしれないフラスコという容器は、液体が注ぐにつれて、一気に余裕がなくなっていくものです。その反面、底のない容器も存在するのであって、それが落とし穴で、それにとても大きな落とし穴です。 この詩の魅力は、語り手の想いや経験したことが確かなものであって、それに強度を感じられることです。「生きるものは今でも生きている、死ぬものは死んでしまった。」という当たり前すぎることをあえて書かざるをえなかったのも、語り手にとって確かなものを再認識するためでしょうか。「僕ら」を「僕」に言い換えたのも、誰にとっても自明なことではなく、自らが信じているということを強調したかったのでしょう。そして、「脳、が/ねつ造できないあの東京」というのは、語り手にとって確かすぎるものだと思えます。それを「薄明」と命名すること。それは屈強な夜に浮かぶ光なのかもしれないですが、脆弱な朝の言い換えとも言える気がします。
0本来の夜は暗く屈強なものだが、都会の夜は明るく屈強だ。それは人工的な強さ、ステロイドで作られた偽りの強さだが、その不健康さこそが都会の夜の魅力でもある。都会で、東京で、青春を浪費する若者たち。それは何て愚かで、何て素敵なことだろう。最初のコードを見るまでもなく、この詩には音楽が流れている。流れる音は読む者によって違うだろう。語り手はフィッシュマンズの「ナイトクルージング」だが、私の脳内ではじゃがたらの「タンゴ」が自動再生された。きっと若い頃なら、フォークソングやロックだっただろう。ジャンルは関係ない。その時に最高だと思うことが大切なのだ。 都会の、危うい夜に長居すると、それだけ多くの死を見ることになる。アルコールで、ドラッグで、自死で、知った顔が消えていく。死ぬ奴は死に、死ななかった奴は生きている。当たり前のことだが、生と死の境界線はあまりにも曖昧だ。語り手は今も生きている。だから詩を書き続ける。死んでいった者たちのために、そして生きている、生きていく、自分自身のために。
0自然に言葉が発せられているように思うのだけれど、周到に練られている、感があり・・・モード感がある、と呼びつつ、この詩をどう、評すればいいのかわからない、けれども、惹かれる、という・・・うむむ。 冒頭に文字で「音」を持ってきたところが憎いですね。
0コンパクトに情感が詰められた作で、一読して読んだ感じが凄くします。冒頭の木訥とした酩酊感のある語りからもたらされるバンドマンの悲しみみたいな物が解凍されていくにつてれ、冒頭の音や夜のイメージ、オチの「薄明」から「薄命」への転換に確かな技術を書きます。単純にうまい作だとおもうのですが、それとなく自然に書かれた印象もあり、いい意味で覚めた熱のような物も感じます。簡単な言葉で表現してしまうと、冷静な凄みがある。個人的には良作です。雑誌の片隅に載っていたら思わず目を引いてしまうと思います。
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