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慟哭、今流れゆき
仕方なく 大きく息を吸いこんで 仕方なく 不安に満ちた 三寸先の未来に 吹き込んでみる。 自家中毒を起こす 呆れるほどに誠実な身体に ピアノの音の ひとしずく、ひとしずくが あるは 臓器の一部屋に響きわたり あるは 肉のひだの影に するりと入り込む。 残り僅かな 夕日の橙色が 憂鬱な 海の深さのような 夜の予告に 弱々しい囁きで 最後の抵抗をする そのはかない意志に 大きな同情を覚え 私は 決意をしたのだ。 その毒と 戦うことを。 どうすれば またそれを飲み込める? どうすれば またそれを 愛することが出来る? その曲は まだ なり続いている。 車内は 休日の終わりの切なさを 当たり前のように 携えながら 様々な囁きを その挑みを いとも簡単に 普段の呼吸の材料に 還元するのだ。 その鮮やかな手筈たるや。 私は 渇望を持て余し 今ここに 叩きつける。 力の限り。 そんな贅沢を 赦してくれたようだ。 この夕べは。
慟哭、今流れゆき ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 969.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-05-01
コメント日時 2018-05-31
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
夕方の景色はいつでも素敵ですよね。景色が浮かんで少し元気をもらえる感じがしました。
0あるは、という表現が・・・あるいは、という表現の、別の言い方なのか?と思いつつ・・・ ピアノを奏でながら、その曲が〈自家中毒を起こす/呆れるほどに誠実な身体に〉いかなる状況をもたらすのか。音楽が生み出す官能に、鋭敏に反応してしまう自らの肉体を、冷静に見つめている精神が語っているような、そんな印象を覚える作品でした。 ピアノを弾く、というイメージを持ったのは、打鍵のイメージを喚起する〈渇望を持て余し/今ここに/叩きつける。〉と言うフレーズから、の連想ですが・・・〈車内〉という場面設定からは、車の中で流れているピアノ曲のイメージも思い浮かびます。どちらなのでしょう。 〈毒〉とは、我を忘れる陶酔・・・音楽がもたらす魔力のようなものでしょうか。 夕方から夜にかけての鮮やかな天空の変化が、夜、という魔の時空に引き込まれていく光・・・陶酔に引き込まれていく精神・・・の比喩として重ねられているようにも思いますが、最終的に作品は〈この夕べは。〉という形で、壮大な夕景を前にした感慨、というところに落ち着いているようにも思われます。 主テーマが「音楽」なのか、夕景を前にした心の高ぶりなのか、もう一息、整理されていると良かったようにも思います。また、3連と8連の表現が、若干、装飾過多というのか・・・抽象的な形容やイメージに寄りすぎているような印象もありました。 言葉やイメージの美しさに惑わされてしまわないよう、音が心身に沁み込んでいく過程を捉える丁寧な手つきを大切にされると良いと思いました。
0こんばんは。もうちょっと整理した方がよかったかな、という感じでした。なにせ、長い。長いのが問題ではなくて、冗長になっていやしないか、ということです。 ちなみに初読の際に、気になった「あるは」という書き方。見覚えがあったので、その記憶から、ずいぶん古いな、と思っていたのですが、思い返してみたら、北原白秋の『邪宗門秘曲』で使われていたんですね。明治よん
0失礼しました。途中で送信してしまいました。明治四十二年に『邪宗門』は出てるから、古いはずです。 ここに古語を用いる必要性があったのかな、というのが疑問でした。
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