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ホログラムのアリア
はりつめたものが淡く金色に輝いていて 拍動は理知的にそれを揺らしている 通奏低音の導きで くるりくるりと色を変え ときに緊張し ときにゆるみ それでも静止することなく、流れ 流れながれて、まるく調和した響きをめざす 雪解け水がとおる細い道 その行く末をぼんやりと思い描きながら ただ、眺めている 陽光のはねかえりを楽しみ 微かな水音に耳をすませて 視線は足元を向いているのに 空が青いことは、なぜか わかる わかってしまうんだ
ホログラムのアリア ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 895.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-25
コメント日時 2017-03-30
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
まずタイトルが曲者。「ホログラムをテーマにしたアリア」か、あるいは「ホログラムによるアリア」なのか。前半の内容からすると「ホログラム化されたアリア」だろうか。音楽の視覚化というかグラフィック・イコライザーみたいな感じで、曲調によって変化する立体映像。読み手は自分が好きなアリアを頭の中で流しながら、色彩と形の微妙な変化を楽しむことができる。 前半部は室内、あるいは語り手の思考であるのに対して、後半部は屋外における語り手の視覚や聴覚によって描かれている。語り手は空を見なくても、その青さを確信する。それは雪が溶けて水になり、地面に陽光が跳ね返るのを目にしているからだ。この時点で、語り手は春と一体化しているのである。
0絶えず移り行くものと変わらないものとのコントラストが描かれています。 冒頭の「はりつめたもの」の正体は決してわかることはありませんが、色を変え、緊張し、緩むことで、常に流れ続けるものです。「まるく調和した響きをめざす」の「めざす」からわかるように、現在はまるく調和していないからこそめざすことができます。 語り手が見ているのは「雪解け水がとおる細い道」であって、足元の方向を見ているのですが、「空が青いことは、なぜか わかる」のです。空が青いということは、自明の理であって、見なくてもわかることなのでしょう。 ホログラムという物体=映像を映し出す装置がありますが、この世界の成り立ちがまるで何かの装置で映し出されているように語り手には見えるのでしょうが、きっと語り手は空がホログラムでは映し出されていないと思っているような気がします。注目すべきは、「まるく調和した響き」ではないでしょうか。語り手は「まるく調和した響き」を持ったものを求めていて、流れ続けるものを眺めているのですが、眺めずとも認識している「空が青いこと」というのは、語り手にとって「まるく調和した響き」をもった完成品であるように思えます。
0ありがとうございます。 桐ヶ谷さん、まず、好きですと言ってもらえると、素直に嬉しいです。 そして、季節の移ろいを描くのはとてもたのしいです。 もとこさん。 「ホログラム化されたアリア」 これ、すごく上手く言い当てられたなあ、という感じです。 実は実際に脳内でとあるアリアを再生しながら書いていました。 なかたつさん。 恐らくこの語り手、まだ見ぬものであるとはいえ、流れながれたその先には「まるく調和した響き」が存在することを、ほぼほぼ確信しています。 それだから空が青いことはわかってしまうのです。きっと。
0緊張感のある、美しい詩だと思います。ホログラムは、東京タワーで見たことがあります。(券売所のおじさんが、東京タワー 全体に行けるチケットを、高い金出して買った時、あららみたいなことをおっしゃられ、なんというディープな観光スポットなんだ、 と愕然とした思い出が……。) 最後の二行で、思ったことを書いておられる部分が、なんとなく印象に残ります。結構たってから、そういう気持ちの理由が 消えていないとわかった時には、しんどい思いをして、やり直さなければならないので、すぐに対策を練ることをお勧めします。
0ハンドルネームと題名をかぶせているのは、偶然なのか、意識してのものか・・・ 音の言語化を試みるところから、雪解け水を想起し(想像する、というよりも呼び出す、に近い、イメージとして現前させる、感覚)そこから「青い空」のイメージを引き出す・・・のは、凍てついた心(時代)の雪解けと晴れやかな空を呼び覚ましたい、という心象の言語化でもあるのかな、と思いました。 ホログラム、という、現実でありながら捉え難いもの・・・と、音の響きとの関連が、今一つ掴みがたいのではありますが・・・張りつめた、という硬質な世界を、まろやかで調和したものに変化させていきたい、という、柔らかい意志を感じる作品でした。
0凄く切ない詩で、切ないとしか言い様がないですね。 僕らが美しいと思う物、というのは全てホログラムのように三次元に演出された一つの装置、というか理知であるという事。一連目の音楽の描き方がそういう感じ。 >拍動は理知的にそれを揺らしている >通奏低音の導きで >くるりくるりと色を変え 僕は少しだけ合唱音楽をガチでやっていたので、音楽というのは如何に計算的なもので、楽譜とは如何に物理的な物の集合であるのか、という事をやり感覚的に音楽をやるという事が正解だと思っていた今までの自分にとっては結構ていたい思い出があります。それが二連目の風景の描写に繋がっていく。この一連の叙述に感じる物すらも、結果的にはホログラムである。賛美歌すら、どんなに美しいアリアも、この世界の仕組みによって描かれたホログラムなのだと言われてしまったようで、凄く切ない。
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