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不可視の焔
切ない。 「僕」は、"君が聞かせてくれた 夢の噺をまだ覚えて"いる。そしてだからこそ、"悔しさや寂しさも ここに居てもいいと言われた気がした"。つまりここでは悔しさや寂しさは、夢の噺を覚えていることと引き換えにその存在をいわば許されている。 さらりと読んでしまいそうになるところかもしれないけれど、ここには一筋縄ではいかない問題がある。逆にもし夢の噺を覚えていなければ、自分には悔しさや寂しさを感じる権利はないーなんと厳しい認識だろう。でもまさにそんな認識に裏打ちされているからこそ、読者は「僕」の彼女への研ぎ澄まされた想いの、その純度をひしひしと感じることになる。 しかし、"いつもおちゃらけているあの子は何を考えているんだろうか"と、「僕」はそもそもそこからして分かっていないのだ。では、この作品はいわゆる恋に恋する心理を美化したものなのだろうか? そうではないと僕は読んだ。夢を語る彼女を通して、おそらくはその煌めく瞳をこそ通して「僕」は、彼女という一人の異性の、その人格のたしかな手応えを得たのではないか。 夢などという一見浮ついた、捉えどころのないフワフワしたものについて語る折りにこそ、人はその存在の根本においてよろめくのだと思う。諸々の社会的な仮面を脱ぎ捨てて、裸のままに世界に向き合う、危険なまでの純真さがそこにはある。 とはいえ、それはたとえば「ほんとうの彼女」などとまでは言えないには違いない。あくまで夢との関係においてよろめいているにすぎないし、「僕」から見えるのは彼女という存在の根っこではなくしてその傾きだけだ。あるいは「僕」はまた、たとえば彼女が好きな男に見せる顔を知らないはずだ。 それでもなお、なんらかの対象によろめくということのなかに、人格というもののうちで最も高貴なる何かが立ち上がるのだとするならば、そのとき「僕」は、彼女の芯に限りなく近い部分を垣間見たとは言えるだろう。 だからこそ"合図を待ってる暇なんかない"。彼女の実存こそが、僕の心をも世界へと開いた。 3連目から4連目への空白のさなか。限りなく遠くありながらそれでいて、あるいはだからこそ、「僕」に近いようでもある、そんな彼女の不可視の焔が揺らめいている。
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不可視の焔 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 247.0
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作成日時 2024-12-08
コメント日時 2024-12-08