作品投稿掲示板 - B-REVIEW

はちみつ


投稿作品数: 8
総コメント数: 45
今月は4作品にコメントを付与しました。
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プロフィール:
1986年生まれ。北九州市在住。誰もが感じているようなことを綺麗に書く―そんな詩を目指しています☆♪↓のYoutubeは、3分ちょっとの声だけの自己紹介になります。https://youtu.be/KY1pMFMRE7A?si=GKqFJLrEc2_8EN-z

はちみつの記録 ON_B-REVIEW・・・・

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今朝じっくり読み直していたら、1と2が矛盾していることに、遅ればせながら気づきました(汗) "誰にでも愛想よくしてるけれど"と"最低限の愛想しか振り撒いてくれなかったのは辛かったな"は、明らかに矛盾している(笑) 実際のところは、男性には最低限の愛想しか振り撒かず、多くの女性には愛想が良い女(ひと)で、もしかしたらそんな感じなのかな?と補完しつつお読みくださった方は、それなりの統一感を抱いてくださったかと思うのですが、もしわけがわからないと言われても、文句は言えないなあと。 「それなりに」と書きましたが、もともと「詩人たちの小部屋」に投稿していた3つの小品を、繋げれるんじゃ!?と1つにしたもので、ほとんどその閃きに酔うままに投稿してしまっただけあり、統一感という意味では一段も二段も落ちる作品になってしまった気がします。 でもテーマや情感は、それこそ終生のテーマにしたいくらい好きなので、似たようなものにまた挑戦したいと思っています☆♪ (手渡せなかった手紙と、送れなかった手紙と)

2024-09-05

短編小説のようなスピード感と絢爛な詩情が、なんら矛盾なく同居している、もっと言えば高め合っているようなところ、凄いと思いました。 物哀しい話なのに、不謹慎ながら、まさしく夢の中を駆け抜けるような流麗な文体に、瑞々しい質感で胸は一杯になってしまいました(笑) (ゴールデン・メトロ)

2024-09-03

そう言っていただき、うれしいです☆ おちょくっているような、小馬鹿にしてさえいるようなところもあり、不快感もたれる方もいるかと思うのですが、ちょっぴり軽薄な(?)、そんな気持ちをも含めて女(ひと)と向き合うーそんな気持ちを手紙調にしたものです。おどけたトーンのさなかに(こそ)浮かび上がる、誠実さ。感じ取っていただき、幸いです☆♪ (手渡せなかった手紙と、送れなかった手紙と)

2024-09-02

2.の、"(彼女は前の職場で同僚だった)"は不要でした(汗)急いで投稿しすぎました…お恥ずかしい(苦笑) (手渡せなかった手紙と、送れなかった手紙と)

2024-09-01

"部屋が臭かったから"ではないかという疑念が、クレームを入れようとしている「僕」にも、また電話先の担当者にも、そしてもちろん読者にも共有されている、そんな構図だと思います。それを指摘するのはしかし野暮であり、ツッコミ所が大口を開けているのに誰も突っ込めない、そんな雰囲気が、なんとも言えない笑いを誘う…そんな作品だと思いました。 (消臭剤)

2024-09-01

"何者にだってなれるだろう"と言った直後に、平凡な日常を生きるほかない諦念(と言うべきもの)を淡々と綴っていくという構図が、反復されているのが面白かったです。それはそのまま、「オレ」の揺れる心として迫ってきました。 といって「揺さぶられている」とまでは言えない、そんな距離感もまた、ゆったりとした語り口からたしかに伝わってきます。平易ながらも心の妙を的確に捉えた、そんな作品だと感じました☆♪ (夏空の下)

2024-09-01

いつもの帰り道は"帰らせていただいている"道であり、両手ですくう水道水は自然界の恵みであり、また人の営みの結晶でもある…そんな、「それとなく」沸き起こる感謝の心に耳を澄まして、「それとなく」誰かのためになるように行動をするーそんな肩ひじ張らない利他の心が上手く表現されていると感じ、共感いたしました。 世界は網のようなものだと思えば、ひっそりと行っているように見えることとて、そのじつたしかに誰かのためになっている。だから肩の力を抜いて、楽に生きて行けばいいんだよーそんなエールとも読めました。 淡々としながらもその内に、凛と澄んだ心根をしかと持っているーそんな人はたしかに「かっこいい」。 (ロマンと日常)

2024-08-30

"遠く遠く考えてみようよ" この表現、好きです。 2人の関係性について、星を巡るように思考を広げていく感性、素敵だと思います。 窮地でもゆとりを失わない、伸びやかな語り手の心情が胸にしんなりと滲みました。 (幸せと幸福)

2024-08-19

思い出せないのに、ともかくそこに甚大な記憶があることだけは分かっている…経験はありませんが、想像するだけで胸がジリジリする感じがします(笑) もしかしたら、僕を含め多くの人は、そんな記憶があるということ自体を忘れてしまっているのではないかと。人は苦しいことを避けるようにできている。しかしそのメカニズムが何らかの理由で上手く働かないことがある。そんなことを考えました。 その理由こそが問題なのだと言われれば、心理学者でもない僕は口をつぐむほかないのですが(汗) (思い出)

2024-08-19

作品全体の含意は僕には難しく、部分的なコメントで申し訳ないのですが、そもそも「不可」の作品なんてあるのだろうか?と思いました。杜甫や白居易のしたことは間違っていたのではないか、とも。 だって、だってですよ?もし稚拙で幼稚だったりする詩なんかがけっこう残ってたりしたら、それこそ、こんな人が大詩人になったのか!よし俺もがんばろう!みたいに勇気を貰える人、たくさん生まれていたかもしれないじゃないですか(笑) なにより、なんだか神経症的なものを感じるんです。要するに、より良い自己イメージを残したい、やな部分が人目に触れるのは耐えられないってことなわけじゃないですか。でも稚拙で幼稚な部分も含めて自分なわけで、そんな自分の丸ごとを晒すというのが本当なんじゃないのと僕なんか思うわけですが。過去を嗤うような輩が現れても、小さい奴だと逆に嗤い返してやればいい。 …と言いつつ、僕も最近登録し直し再出発させてもらった身ではあり(苦笑)ただ一応、3分ちょっとの動画で、登録し直した理由をごく簡単に述べさせていただきました(←宣伝)僕の場合は、ちょっとあからさまに不快感を与え得る作品が散見されたので、丸ごとの自分といってもさすがに、と思った次第です。でも、反省している旨さえ伝えられれば、隠す必要まではないかなと思い。 ちなみに僕は、杜甫の諸作品については、技巧のための技巧のような気がして、こんな素朴なこと言うためにこんな凝る必要あるか?と白ける思いがするのですが、白居易の長恨歌なんかは本当に好きですね。技巧(すさまじいです)と情感が手を取り合って流れている感じで。 (日記)

2024-07-25

「僕はきっと、内心では君のことを馬鹿にしているからこんなにも愛おしいのだと思う」と、語り手はそう自覚することで少しばかり冷め、そうして最後に「純粋な愛」を想起すると、そんな流れだと僕は読みました。 でも思うのですが、「こんなにも愛おしい」とまで言ってしまう恋心を否定する必要はあるのでしょうか?下に見ていようと恋は恋だし、むしろ下に見ているからこそ自分にとってより本質的なのかもしれないと考えることーそんなラディカルさが求められているのではないか。 対等な愛、とは言いますし、もちろん敬意のないところに愛は存在しないでしょう。でもそれは優越感が1滴たりとも存在してはいけないということではないと思いますし、ときにそれが表面に浮かび上がり、それこそ本質的な様相を呈することだってあるかもしれない。そんな相矛盾した諸々の要素を丸ごとに抱くことの上にこそ、懐の深い「愛」は立ち現れるのではないか。あるいはその過程そのものが愛だと言ってもいいかと思います。 そんな風に思う僕としては、最後のくだりについては、いわゆる思い出補正以上のものを見出すことはできませんでした。最初の気づきを愛を深める方向へとこそ展開すべきだったと、そう感じました。 「僕はきっと、内心では君のことを馬鹿にしているからこんなにも愛おしいのだと思う」ー何度も読み直したくなる一文です。 (ホテヘル)

2024-07-23

面白かったです。と言いますか、自分の感覚をなぞってもらった思いです(笑) 最後の「大丈夫 きっと あのすごい人だって 別にえらい人ではないから」という箇所には、もちろん強がりが込められているのでしょうが、とはいうものの、何をもってえらいとするかということに対する完全な定義などないことを思えば、これはこれ以上なく冷静な事実認識ともとれる。 語り手のような存在を、ぬるま湯に浸かった甘ちゃんだと嗤う風潮は根強いですが、それによって零れてしまっている真実というものがあるーそんなことを考えさせられました。 「何もない自分が愛おしい」という逆転の発想は、そんな表現とは裏腹に、たしかで切なる何ものかをしかと胸に宿してくれるーそれが、語り手と似たような境遇にある僕の実感です。 (シェイキング)

2024-07-23

昔の自分を思い出して、なんだか気恥ずかしい思いです(笑)中身がまったく伴ってないのに誇大な夢ばかりが膨らんでゆくという… 語り手は、勉強をしなければどうにもならないと認識しているだけ立派だと思います(勉強していないやつは屑とまで言うのはどうかとは思いますが)。僕の場合はなんと(!)、勉強しなくてもそのうち胸の底から泉のようにインスピレーションが湧き出してくると、本気でそう思ってましたから(笑)(笑) 幸いいまは、たとえば素敵な彼女がいてアマチュア詩人なのと、世界的に大詩人(小説家)でしかし彼女はいない―この2つで憧れるのは寸分の迷いもなく前者と、そう言い切れる程度には"治癒"してきています(笑) じゃあ大詩人で彼女もいるのはどうなのかと言われると、苦笑いすることになってしまうのですが、徐々にとはいえ大詩人(有名人)という部分を、あくまで「オマケ」だと捉える感覚を身に着けつつある気がしています(あるいはむしろ荷物になるかもとも)。 本当に、幸せの軸を見失わないことって大切だなあと。 空気を読まない自分語りをしてしまい、申し訳ありません(汗) (阿q外伝)

2024-07-21

すいません、最後一行、ミスです(汗) (満月にむけて)

2024-07-21

思い出せない理由さえわからないという、遠さ。それだけに一層、語り手の切なる想いは夜に満ちているようです。 時計の針と重なった折、仄かにその音が聴こえている。仄かな仄かな音。より一層の静寂を感じる中、あなたは遠のいてしまったというのに、さらに時は進んでしまう…そんな語り手のやるせない(2回目の)ため息が聴こえてきそうな詩ですね。 意図されたところと違ったなら、申し訳ないです。 夜の中から囁いた言葉とは、 (満月にむけて)

2024-07-21

誰もが感じているようなことを繊細に美しく書いたような詩が好きで、また僕もそんな詩を目指しています(まったく達成できてませんが)。その背景には、僕が凡庸な人間だという事実に、そして人の心に優劣なんてないと信じたい気持ちがあります。ほとんどの人が感じない独特な感性、あるいは重い感性>ふつうの感性、という等式を信じてないというか。そんななか読ませていただいたこともあり、驚きは大きかったです。 不幸になってこそ良い詩が書ける…なんという発想でしょう。これを大真面目に受け止めれば、それこそ人生を犠牲にして詩を書くことにもなりかねない。いやいや、そもそも詩を書くのは幸せになるためなんじゃないの?と言いたい僕はおめでたすぎるのでしょうか。 文学者の悲劇についてですが、芥川は、歯車等読んでもいないのに言うのもなんですが、あくまで評価が高いのは初期の頃ではなかったでしょうか?ただ太宰は亡くなる前まで名作を発表していたと思うのであれなんですが、やっぱり心が健康な方が脳も健康で、しなやかな発想だったり硬質に論理を詰める力も強い、よって作品も優れたものが多くなる、だからみんなハッピーになろう!…みたいに考えたいですね、僕は(笑) 悩みが作品に深みを与えるということがないはずはないですが、悩まなくてもいい作品は書けると思うし、なんならハッピーな作品を書けばいいんじゃないでしょうか。それにやっぱり、あまりに悩みや不幸、業といったものに深みを見出す風潮は、それらに浸る自分は格好良い、みたいな価値観に繋がりかねないですよね。 深みにハマっても仕方ないから抑圧したり気を紛らわせたりしてしまえばいいと言いたいわけじゃないんですが、ただ悩むにも作法というものがあるはずで、ギョッとする人も見えるかもしれないけれど、それこそ「正しい悩み方(とその乗り超え方)」というものがあるはずで。だからこそ、事実として心理療法なんかもある程度パターン化されているのだろうと思うのですが、その枠内で、それこそ病み抜け方にそれが現れるのと同じような意味合いにおいて、個性ってやつを追求していけばいいのではないかなあと。そんな風に生きるというのが、言い切ってしまいたいのですが、「より良き生」なのではないでしょうか。 枠なんて知らない、いやそもそも病み抜けようとしてないし、みたいな態度は正直どうかと思います…と、こんなことを書けるのも、僕が健康だからかもしれませんが(汗) (詩が書けなくなってから)

2024-07-19

Side Story ―魂の妹― 孤独に悩みがちな僕も、彼女のことを思い出すと、自信が少し回復する。彼女も僕と同じように、職場で孤高を保っていたから。彼女は、僕が以前働いていた職場の同僚だった。 僕は彼女の、靴を靴箱に仕舞う折の所作がたまらなく好きだった。気のせいかもしれないけれど、というかまず気のせいだとは思うんだけど、なんだか僕にはその折彼女が、"誰か私の相手をして"と胸中に呟いているように見えていたのだ(その様が、切なくて可愛いくて仕方がなかった)。 別に彼女はキョロキョロしてたわけじゃない。むしろ逆に一点を見据えているかのように静的だった。でもそのトーンにはなんだか、虚ろとまでは言わないまでもたしかに、虚を見つめているような趣が仄かにあって、そして半ば無意識にそんな行動―周囲にそれとなくサインを送る―を取っても不思議でない程度には、彼女の雰囲気は幼かった。 まず声がそうだった(可愛いかった)。30を超えているというのに、声だけ聞けば中学生と間違ってしまうような声だった。そしてどこか抜けたところがあった。彼女が入社して間もない頃のこと。彼女は同じ作業場の2、3上の女性に、「これはこうすればいいの?」と、初対面にもかかわらずタメ口で言ったのだった。女性は「あ、ああ…」と苦笑いしてから、「そうですよ、そうすればいいんですよ」と半ばなだめるように言ったのだけど、他にもどこか女性にしては感情の幅が狭いようなところがあって、笑うべきところなのに無表情なんてこともあったし、なによりボケツッコミ的な会話をしているところを見たことがなかった(できなかったんだと思う)。 ここで最初に戻るのだけど、これらのほとんどは、まさに僕にも当てはまる特徴なのだった。ただタメ口に関してはビビリの僕には真似できないし(笑)、声も中学生とまでは言えないけれど。 昔からいつも他人とどこかでズレていたから、みなの輪に入れず孤立していた。そして―ありがちなことだけれど―そんな自分をどこかで特別視していた。といって幼い雰囲気があるからだろう、敬まわれるようなことはほとんどなかった。必然のように、自意識はこじれた。いまも、そんな自意識が完全に正常に(?)なったわけじゃないし、もうそんな自分をずっと抱えて生きていくしかないと開き直っていたりする。 そんな中、もう会うこともないだろうに、彼女も自分ってやつを特別視していたんじゃないかと思うと、この胸はなんだかゾクゾクするように高揚するのだ。もちろんそれは、そんな自分の似姿を彼女に見ることによる甘さから来ているのだとは思う。でも、それを差し引いても、幼声の天然タメ口ナルシストアラサーなんて、ちょっと可愛いすぎやしないか。 さんざん書いておいてなんだけど、僕は彼女とほとんど話したことがない。話したくて話したくって、仕方がなかったけれど。近いようで遠かったその距離感が、"魂の妹"的な幻想を抱かせるのかもしれない。ちなみに彼女は、僕の37年間の人生の中でも1番可愛いかった。それも、とびっきり。 (霜の翼を祈りに乗せて)

2024-07-18

After Story ―君という物語― 君を想い出すたび、高貴で透き通った何かとしか言いようのないものに、僕は包まれる。そうしてやはり僕はまた、"あの日、ベルクハイデには夢が降りしきっていた…"という一文をもって、語り始めたくなってしまう。 結局のところ、君のすべてはあの日に始まったのだし、そしてまた、遠のいてしまった黄昏時の夢見るいじらしいはにかみも、あの日から振り返られることにおいてこそ淡く、そしてこの胸の片隅をもしっとりと浸す絹のように繊細なのだ。 あの日君は素朴で快活な娘から、艷やかで物憂げな女へとその殻を脱いだ。それはたしかに1つの時代の終焉で、そしてそれは必然だったのだということ。その認識が君を、君という物語を、狂おしいまでに高貴にする。 君のいなくなったこの村は、すっかり侘しくなってしまった。でも僕はめげちゃいない。君という1人の女(ひと)と青春をともにしたという事実が、記憶があるかぎりこの胸は、雲に閉ざされたとて光を見失うことはない。あの日君が曇天の向こうに見ていた、朧ながらもたしかな何かを、胸に射し込む一条の夢を、僕もいつの日にか見出せたらと思う。 もうすぐ村には夏が来る。さらに艷やかになっているだろう君の半袖姿を、いま僕は猛烈に見たいと願っている(笑) (霜の翼を祈りに乗せて)

2024-07-18

スピンオフ散文詩―クマゼミと彼女― 「クマゼミが好きなの」と彼女が言ったときには驚いた。セミとはいえ一応"クマ"とついているし鳴き声もワシャワシャとけたたましく、それらは彼女の華奢な肩や小さく可憐な胸には似合ってないように思ったから。でも彼女が「クマクマクマ〜」とセミに唱和するように口ずさんだときには、もっと驚いた。というのもそのとき、"そうか、クマはクマでも子グマという発想もあるのか!"との認識に電撃のように打たれたからで、すると今度は真逆に、クマゼミと彼女の組み合わせがこれ以上ないほどにキマっていると思えてきて、僕はあたかも―そこは単に僕の家の庭だったのだけど―森の豊かさに囲まれているような気がしてきたものだった。豊かな森ではなく森の豊かさと書いたのはつまり、木々が鬱蒼と繁っている只中ではなく外れの辺りを庭に重ねていたからで、庭はいわば澄んだ大気の漂ってくる森の庭だった。切り株だってあった。そんなさなかで彼女の瞳がやや強い風に細められると、大地の緑も儚げに揺れて。可愛いくって愛おしくって仕方がなくなって僕は、見上げていた20cm背の低い子グマな彼女をむぎゅ〜っと抱きしめていた。「ちょ、ちょっと苦しいかも〜」と、彼女は照れ笑いをしながら。そのとき気付いたのだけど僕の背にはしっかりとそのか細い腕が回されていて、それは情熱を口ずさんでいた―という比喩がまさにふさわしいように彼女は、両手の親指を除く四本指を僕の背の上でバタバタさせていたのだった。なんだいユー、今度は庭をラテンの国にしちまうのかい?見上げれば空は抜けるように青い。「ラ、ラ、ラ、ラ、ラテンのくにぃ〜」と歌い(?)ながら、絹のような手指に岩のごとき手指を絡ませるほどに狂おしく彼女が、彼女が欲しくなってゆく。心なしかクマゼミたちのボルテージも上がっているようだ。ようやく僕にも夏が来た― (霜の翼を祈りに乗せて)

2024-07-17

哲学的な洞察からロマンティックな愛の希求へ―その接続が流れるようにスムーズで、説得力を感じました。 考えてみれば、名前は代替不可能で人称は代替可能。なら、みなが固有の名前を語るのが逆に自然なのではないか。そんなことに思いを馳せました。不思議です。 (なまえ)

2024-07-16

現実からの逃避と言いながら、語り手はおそらく他のほとんどの人よりも現実を眼差している―その事実がなんだか物哀しい気がしました。というのはそこから逆に、現実で大きな顔をしている人たちというのは現実というものを見ていない(目を逸らしている)鈍感な人たちなのでは?という疑念が立ち上がってきたからです。 (夏至)

2024-07-16

愛が溢れていて、いいですね!いやこの詩、そのまま現場で使えるんじゃないでしょうか(笑)難しい言葉を使わずに心動かすスピーチを作れるのはすごいと思いました。 (俺の代わり)

2024-07-16

全体のまぜあわせ、という表現が面白かったです。すべてのものが頭の中で不調和なまましっちゃかめっちゃかになっている、その感じが簡潔に表現されていると思いました。 (よるべなし)

2024-07-16

楽器や料理の方が勉強(理数系を除く)よりもよほど難しいと感じる僕からすれば、うらやましいかぎりです。 愛する資格のない人なんて、この世界には1人もいないと思いますよ。重い話で申し訳ないですが、そう心から信じれるか否かで、生きるということの持つ悦びの質っていうものは全然違ってくるんじゃないかと思うんですよね。 ベタですが、同性であれ異性であれ、対等で尊敬し合える関係の人と話をしているシーンを何度も思い出し、イメージトレーニングみたいにリアルに感じようとする―しょぼくれたようになってしまったら、僕はいつもそうして自尊心を回復しています(笑) (恋愛)

2024-07-16

面白かったです。聞いたのはほんの前のことのはずなのに、記憶ではなく思い出と言ってしまうところに詩情を感じました。200センチという数字に必然性のなさそうなところも面白いですね。 (酸っぱい音)

2024-07-16

キミとは恋人でしょうか。あるいは歌手でしょうか。歌手だとしたら面白いなと。キミなんて言う間柄じゃないのに、そこを親しげに呼んでいるその呼び方に、逆に途方もない親しみが表現されているように感じました。ちょっとドキッ゙とするような詩ですね。 (存在は偉大なんだ)

2024-07-16

昆虫の模写をした中学時代を思い出しました。上手い人はホントに上手くて、こんな細かいとこまでよく表現できるなと驚いてました。作者さんも、何気なく止まっているトンボをここまで観察できるなんてすごいです。きっと絵心のあるお方に違いないと、勝手に推測している次第です(笑) (トンボ)

2024-07-16

失礼ながら、言葉に詰まったのが凍ってしまったからというのも、涙が出ないのが凍ったからというのも、道化を演じるというほどの表現ではないと思うのですが、にもかかわらず道化だと決めつけてしまうところに、なにか突き抜けたものを感じます。読者からどう思われようが、道化と言ったら道化なんだ、みたいな(笑)その突き抜け方に、面白くないのに逆に笑いに誘われました。 (冬空の道化師)

2024-07-16

性欲なんてなきゃ、という箇所、面白かったです。誤読だったら申し訳ないですが、素敵な女の子と付き合ったり結婚したりするために成功したいのか、純粋に成功がしたいのか…分からなくなる気持ちはとてもよく分かる気がします(笑)純粋な疑問として、もしこの世界から女性がいなくなったなら、それでも男たちは夢を語るだろうか… (牙磨く誰か)

2024-07-16

淡々とした記述を読んでいくと、最後に甘酸っぱい恋の感情が出てくる。記述の作法と醸し出される雰囲気のギャップが面白かったです。あるいは語り手の鈍さが主題とも取れて、二重に楽しめ、なんだか得をした気分になりました(笑) (意地悪なリカ)

2024-07-16

愛や恋というのは、普通に考えても、理性と本能のミックスされたものと考えるのが妥当かと思います。以下推測ですが、作者もそのことは十分わかっていながら、それでもある種のドラマを引き起こすために、あえて2つを対立させたのではないでしょうか。個人的にはちょっと露悪的に過ぎると思いました。 (Young Girl Put Down Man Blues)

2024-07-16

>雨の日々、家々の屋根の濡れた様をじっと見つめた 濡れた屋根が美しいという発想はなかったので、とても新鮮でした。 でも、そう言われてみると美しく思えてくるから不思議です(笑) 遠いところに行ってしまったことで、逆にその人の存在感を感じることがあるとはよく言いますが、彼女の言葉にまずフォーカスして、そこから彼女という存在へと到るという流れも新鮮でした。 (「うつくしい」)

2024-07-16

「マック」が日常のいち風景として何の違和感もないことに気づかされました。健康意識の高まりにより絶対に行かないという人なんかも案外多そうで、実は僕もその1人なのですが、それでもこうしていち風景としてごく自然に飲み込んでしまうという不思議。やはり幼い頃から身の回りにあったからでしょうね。意識は撥ねつけているのに無意識は受け入れている。面白いです。 (朝の散歩)

2024-07-16

最後の一文、何気ないようで鋭いと思いました。というのは、僕たちの体験というのはつまるところすべて脳の中で生まれていることを思えば、"今をいきている"というのは文字通り真実だと思うからです。 でも、あるいはさらに強烈な生とすら言えるかもしれないと、音楽体験を振り返りながら。音楽の情動に訴えかけてくる力は圧倒的で、それがそこら辺の現実よりも現実感を連れてくるのでしょう。ちなみにそこから逆に、現実感には情動が大切だということが分かりますね。 なんだかサイエンスの話になってしまいました(笑) (好きな曲)

2024-07-16

ありがとうございます、そう言ってくださり本当にうれしいです。というのもつまるところ、それこそが僕の1番伝えたかったことだからです(笑)  おっしゃるとおり今回は、彼女の人となりについては、想像させると言えば聞こえはいいものの、つまるところ読み手に丸投げした格好ですよね。僕としては何よりも、幻想的で神秘的ですらあるような作品世界を―ひいては彼女を―強調したかったということがありましたが、そんな僕の中ではあるいは、具体的であることと幻想的であることは対立し合う2つである―そんな等式が存在していたのかもしれません。それは安易な思い込みだったのかもしれない。 とはいえ、2つのあいだに一筋縄ではいかない緊張があることは確かだと思います。A・O・Iさんへの返信で書かせてもらったことと似たような話になるのですが、作品を具体的かつ幻想的に構築するための諸々の塩梅というものについて、考え続けていければと思います。 しつこいようですが(笑)、とはいえこの作品はこの作品で、僕はやはりとても気に入っています。カチッとした1つの幻想に、彼女への想いというものをいわば託し切ることができた気がしているからです。その気持ちの部分を評価いただけたこと、光栄です。 (せめて君の涙が)

2024-07-11

実は砂金と金砂で迷ったのですが、なんとなくで砂金にした、という経緯があります(笑)考えてみれば、金の砂は砂に力点がある一方で、砂の金だと金が強調されたニュアンスがあるようです。1つ1つの言葉の持つイメージをよく考えてから書く癖を、徹底したいと思いました。 それにしても、自分では選び抜いた言葉を使ったつもりですが、メルモsアラガイsさんしかり、A・O・Iさんしかり、つまるところ安易だとの感想を抱かれたということを、重く受け止めたいと思います。 僕はリズムとイメージを大切にして書(描)きたいので、なるだけ短い表現でと思っていたのですが、それにしても膨らませ方が足りなかったのかもしれない…そんなことを思いました。あるいは短いなら短いで、より洗練された比喩を、ということですよね。 根が単純な人間で素朴な比喩がしっくりするということもあり、自分的には、そんな自分をありのままに出せた気がする詩ということで、この詩をやはりほんとうに気に入っているのですが(笑)、こういうスタンス(?)の作品ばかり書くのもな、やっぱりもっと言葉の冒険したいなー、とも感じていたので、背中を押していただけたようでうれしいです。 引き続き詩を書いていく中で、言葉とイメージやテンポ(音楽性)の兼ね合いというか、その塩梅みたいなものを追求していければと思います。 (せめて君の涙が)

2024-07-10

暖かい励ましのお言葉、感謝いたします! いえいえ、正直に思うところを語ってくださり、単純に自分以外の視点を感じることができただけでもありがたかったです。 なるほど、楽器ですか…ただ詩は方向性も自分で見出していかなければいけないところに、独特の難しさがあるような気がいたします。同じところをグルグル回っている気がすることもあります。ですがとりあえず(いま37なのですが)50(歳)までは精進してみようと、ちょうど最近決めたところだったんです(笑) 作品だけでなく評論も、というのは、やはり作品を深く読み込むためには必要なのでしょうね。とりあえず、(理解できる作品は正直少ない自分ではあるのですが)みなさんのコメントを精読する癖をつけようかなと思いました。 励みになります♪ (せめて君の涙が)

2024-07-10

僕は普段「詩人たちの小部屋」というサイトさんに詩を投稿させてもらっているのですが、そこではいいね!機能があり、発表すると(それなりの出来であれば)いいね!が貰えます。しかしここの投票とは違い、コメントせずとも書けるため、そしてコメントせずにいいね!だけする人が多いため、誰がいいね!してくれたのか分からないのです。いいね!くださる人には大変申し訳ない発想なのですが、僕はたまに、もしいいね!の送信者がAIだと分かったとしても、"そうなんだ"みたいに思うだけなんじゃないかと思うんですよね。 評価というものが数字という明確な指標で表される一方で、評価主体の人格というものは(人格への想像力というものは)限りなく希薄になってゆく。 こことてコメントくださる方は(少なくとも1つの作品にコメントくださる方は)ごく一部であることを思えば、似たりよったりなのかなあと。そんなサイバー空間あるあるが簡潔に活写されていると感じました。 それにしても、"行き着く先がどこであろうと"という箇所は意味深ですね。ネットで詩を書き続けて何になるんだろう…なんていう、ふとした折に包まれる疑念が甦りました(笑) しかし僕としては、最後の一行には抗いたい。詩を書くことはたしかに"曖昧な心象に酔って"いることかもしれません。でもその裏には、それをそこから汲み上げてくる場所としての、体験という名の確固とした水準があるはずです。そこをいわば拠り所とするような、溺れることなく(幻想的なものと)手を取り合っていると言えるような心のあり方はきっと存在すると、そう僕は思うのです。 (デジタルネイティブ)

2024-07-10

なるほど、そう読まれましたか(!) 僕としては、どの比喩にも必然性を感じながら書いたつもりなので、そう評されるのは意外でした。 ただ正直譲れない気持ちもあり(汗)とくに"砂金みたいな"という比喩はこの作品の肝だと考えていたりします。静かに歩みながら、砂金みたいな夢のかけらを(しっとりと)振り撒いてゆく―このイメージのいわば発展(=完成)として、空から壮麗に夢としての雪が降る(舞い落ちる雪に彼女は夢を託している)というシーンがある…そんな流れに、いわば賭けたつもりでした。 自然に振り撒いてしまう(零れてしまう)ほどの、内から溢れ出るほどに強い夢なのだけど、しかしそこは彼女のこと、その溢れ出し方も高貴そのもの―というわけです。 そして、夢であれ涙であれ、ともにそんな彼女の胸の内の高貴な発露であることに変わりはないという意味で、"「砂」金"と"流「砂」"を照応させてみました。あと細かいことかもしれませんが、そんな内→外、という流れから、今度は雪(外)を見ることで遥かなる夢が胸(内)に流れ込んでくる、という対比も楽しんでほしいですね(笑) "湧き出づる泉のように"は、彼女の瑞々しさを込めたつもりです。しかしここには同時に、えもいえぬ哀しさもまた漂っているーそんな印象を与える効果もあります。というのもラストシーンまで読んだ読み手は、もしかしたら「僕」は強がっていたのかな?と思うことになるだろうからです。というか僕としては、思ってください!、って祈りたい気分なんです(笑) (せめて君の涙が)

2024-07-09

ありがとうございます。コメントがないことの意味は、正直分かりかねたのですが(汗)、静けさというものが作品全体の重要なテーマであり、またラストシーンも、彼女の声が響くことでかえって静寂が強調されているとも読めると思うので、そんな作品世界にふさわしいコメントをしてくださったのかなと、勝手に思わせていただくことにします(笑) 彼女はほんとにほんとうにしとやかな女(ひと)で、彼女が歩いてくるだけで、僕はまるで世界が銀世界に変わったかのように錯覚したものでした。そんなわけでこの詩の故郷は、舞台装置というよりは、僕の体験した世界そのものという感覚で描きました。 (せめて君の涙が)

2024-07-09

ありがとうございます。そこまで褒めていただき恐縮です。 でもほんとう、"黄金のようにロマンティック"と表現していただけたこと、嬉しかったです。というのも僕自身、侘しさや空虚といったものと相性のよい哀しみという情を、ある種絢爛に表現できたことに、えもいえぬ悦びを感じていたからです。それは誇張でもなんでもなく、僕は他でもなく、どこまでも優美なものに全身が包まれるような、そんな哀しみをこそ感じていた次第です。 実はそんな哀しみを感じたのは彼女が初めてなのですが、それは彼女が僕の理想の女性そのものだったからかもしれないと、そんなことを思いました。 (せめて君の涙が)

2024-07-09

ありがとうごさいます。 この詩は、前の職場で一緒だった女性を思い出しながら書いたものです。現実には少し話をした程度だったのですが、胸の内では彼女とのロマンスに酔ってました(笑) 辛いことがあった折など、何度慰められたか分かりません。ちょっと抜けているけれど、とても柔らかい優しさのある女(ひと)―それが彼女でしたので、"優しい抒情詩"とのお言葉、嬉しかったです。その一方で、見向きもされない哀しさもひしひしと感じていました。 そんな彼女への想いを結晶させたいとずっと思っていたのですが、彼女の故郷への愛の前に僕の愛は逸らされてしまうという、ある種、現実との相似形とでも言うべきものを描けたことで、哀しい現実も少しは救われたのかなと思います。 (せめて君の涙が)

2024-07-09

科学的事実って、えてして具体的で無味乾燥なものですよね。ただ僕などはそんな事実を知ったとて、そのさらに上に目一杯の幻想を被せることで、結果として逆に幻想が強化される―そんな体験をした記憶があるのですが、やはり身も蓋もない事実の前に夢や幻想が萎んでしまう可能性というのは、常にある。あるいは日常というものも、淡々とした事実の生起の連なりだとも言え。それらに抗いたいからこそ、僕は詩を書いているのかもしれない―そんなことを考えさせていただきました。 (未知は素敵)

2024-07-06

小鳥のさえずり(聴覚)とそよ風(触覚)の等値が新鮮でした。思いつきそうで思いつかないものの、表現を見てみればすんなり腑に落ちる―そんな発想だと思います。 また"宿命の鐘"という表現には、ごく抽象的な事柄が、具体的で臨場感に溢れてすらいる表現―それもごく簡潔な―でパッと言い表されることによる快感といいますか、そんなものを感じました。冒頭から読み手の胸を掴む詩だと思いました。 (宿命)

2024-07-05

とはいえ一方で、人は暇になるとろくなことを考えない、ということも事実ですよね。だから結局はバランスなのかなあ、と。ワークライフバランス(笑) 僕はちょうど今、前職を辞めた後の無職の期間を経て、再び働き初めたところなのですが、神経を使うことや覚えることが多すぎて、最初の2、3日はヘトヘトで帰宅しても呆然とするばかりでしたが、最近は詩のことを考えるゆとりも出てきました。 機械のようにと言いますが、よく言えば無になっているとも言える。度を越さないかぎり単純作業も悪くないと、僕はそう思っています。 (失われたもの)

2024-07-05

婚礼

2022-12-07