作品投稿掲示板 - B-REVIEW

はちみつ


投稿作品数: 11
総コメント数: 76
今月は3作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィール:
1986年生まれ。北九州市在住。誰もが感じているようなことを綺麗に書く―そんな詩を目指しています☆♪↓のYoutubeは、3分ちょっとの声だけの自己紹介になります。https://youtu.be/KY1pMFMRE7A?si=GKqFJLrEc2_8EN-z

はちみつの記録 ON_B-REVIEW・・・・

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 その夜、彼女は再び灰色の世界の夢を見る。どうしてだかグニャリと家々が曲がりくねって立っていた。自分も曲がっているのではないかと不安になったものの、それはどうやら大丈夫らしい。  …と、黒のシルクハットを被った中年の白人男が左手前の家の陰からヌッと姿を現した。彼女は身構えながらもこの黒ずくめの男が真っ白なハトを飛び立たせる様を想像していた。しかし彼はそんなそぶりは露とも見せず、実に慇懃に両手を身体の左に伸ばして"ようこそ"のポーズを取った。自然と気位が高くなった。  「ねぇ、こんなグニャグニャした町を歩けというの?」「歩けといいますか、愛果様の世界にはこの町しかないのですよ」と彼は困ったような顔をした。振り向くと、森だったはずの場所には黒い渦が巻いている。すがるように再び彼の方を向くと、彼女を見つめながら彼は静かに頷いた。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

1 時間前

 それからしばらく経ったある日の早朝に、彼女はその内面につむじ風が巻き起こる音を聴く。  いつものように彼女は、病気になってから日課となっていたウォーキングをしていた。あの神社の石段の傍を通り過ぎようとした折りのことだったー「おう、愛果ちゃん」ハッと驚き身を反らしてしまった。「あっ、ごめんなさい…」「いやいや気にせんといて。驚かしたオレが悪いんやから」「はい…」とあくまで自分はしおらしい、なんで私こんなにも"女の子"なのと、泣きそうになりながら快感だった。「どう?大学生活は。楽しんでる?」ーそれは彼女の胸をのっぴきらないマグニチュードで揺さぶった。「わっ、わたし、ちょっと体調、崩しちゃって、それでその、いまは大学、お休みしてるんだ」と精一杯に笑ってみせた。「えっ、マジ?そら大変やなあ。でもさ、軽々しくこんなこと言ってなんやけど、ホントそのうち良くなると思うで。愛果さん元気に見えるし、それに可愛さ、変わってないもん」彼はそう言い、白い歯を見せニカァっと笑った。  彼の去った後も彼女は石段の傍で立ち尽くしていた。『風の憧憬』という透き通るようなゲーム音楽の名曲が、自分の胸を文字通り風となって駆け回っているかのようだった。いい曲だとは思ったもののやはりゲーム音楽の『おおぞらをとぶ』のように聴き込んでいたわけではなかったからなおのこと、ほかでもなくこの時に思い出されているということの重みが、彼女を再び神護の林へと密やかに運んだ。やはり仄暗さに包まれた。しかし自分はいまやたしかに女(ひと)なのだと、キュウウッと胸を締め付けるような切なさを抱いて抱いて、抱きしめながら石段を登る。  あの日と同じく境内の石の腰掛けにゆったりと座った。緩やかに見上げた木立のあいまに自分が在ることの不思議が揺れていた。病気になった。狐になった。人に戻った。そして、彼に会った、そうしてほとんど嘘をついて、いまこうして私はまたここにいる…それら一連の出来事に確固たる意味があるとは思わなかった。しかしその意味が不確かなことこそがまさに揺蕩いを連れて来ていた。それらは鮮やかな夢となり、木立の向こうの遥か水色へと翔た。  「おぅ、遅かったやないか。大丈夫か?」おじいちゃんが心配してくれる。でも前だったらそれこそ"男と会っとたんか!"とでも言うところだ。優しさをジンと感じながらもなんだか寂しさが込み上げてきて、彼女は笑った。その背後で、自分をときにいやらしい目で見てきていた祖父の好奇が泳いでいるだろうことも知っている。でも不思議と嫌じゃない。隠されることでかえって強烈に自分へと向かってくるかと思ったらそうでもなかった。現のことごとくが、大空を行く瑞瑞しいそよ風のようだと彼女は思った。 ☆ 風の憧憬 https://www.youtube.com/watch?v=iN4TSrFHyRg (桃色の頬の少女と、父の書斎)

1 時間前

 その夜、彼女は夢を見る。  狐の彼女はその背に(その尾に、と言うべきか)黒い森の鬱蒼とした気配を感じながら、このいま遥かなる雪原を前にしているところだ。朝陽が遠き面に射しして淡く淡く光っている、美しいけれどどうしてだろう、なんだか涙が出そうになる。一寸躊躇したのち彼女は一歩を踏み出した。遠大な旅の第一歩であることを悟りつつ。  …と、建物の群れがぬうっと大地から生えてきた。次々生えて視界は塞がり、気づけば大地も灰色に変わってしまっていた。代わりのように牡丹雪が、やはり灰色の空から舞い降り出した。煉瓦造りの家々の窓から漏れ出る光の、その橙色との照応に彼女はいわば、退廃のさなかの艶とでもいうべきものを見て取った。それは希望というよりもやはり艶というのが正確であるように思われた、果てまで家々が連なっていて雪原はもはや見えない。白と橙はそんな世界の灰色にいわば抱かれていた。気づけば彼女は人に戻っていた。"私はあなたたちにしなだれかかるようにして夕闇を行くだろう" (桃色の頬の少女と、父の書斎)

1 時間前

 「なんか馬鹿にしてない?病気になったからって、狐だなんて」  「そんなつもりやないんよ?そうやなくての、わしは狐が好きなんよ。その狐とあんたが重なって見える。いままでがそやなかったいう話やないんやけどな、あんたが病気になって、つとに可愛ゆう思うてしまうわしがおるんよ」 「わかるような、わからないような」  そう言い残して会話が終わらぬうちに台所を後にしたのは、ちょっと拗ねたところすらも、それこそ可愛いと思ってほしかったからだろうか。部屋に入った瞬間ピッと違和感をおぼえた。すぐにそれはベッドやカーペットがピンクだからだと気づいた。ピンクの部屋に黄色い狐はまったく似合ってなくって、それで彼女は自分が狐を受け入れていたことを知った。   忘れないうちに飲んどかなきゃとエビリファイの錠剤を押し出すと、無菌室のような病棟の雰囲気に再び包まれたようだった。高い天井が真っ先に思い浮かんで、そうだそれで特有の浮遊感のようなものを感じたんだと思い返す。そこから想像は一気に診察の場面へと飛んだ。ピリッとしたというよりもはやキッとしたと言ったほうがいい、そんな緊迫したものを感じさせる30過ぎくらいの男性だった。室内に響くキーボードは乾いていた。私の話してる折りはほとん目を合わせてくれなかったな、記録しながらだから仕方ない、でも自分が話す折りは一寸睨めつけるように見てくるのだ、なんだか悔しくって仕方がない、まさか同意しないなんてことはないですよね?とでも言われてるみたい、そこまで言うこと、ないじゃない。  そこまで考えた折り、「いたいけな狐」は彼女の胸に乗り移った。診察が終わって薬をもらうのをシュンとしながら待っていたあの折りから、私は可愛いそうな可愛いそうな狐だったんだ。部屋のピンクを改めて見るとツルッとしてるなと思う。色も質感も狐たる彼女とは対極的ながら、しかしだからこそそれらはまさに彼女を浮かび上がらせるためにしつらえられているかのよう。  「キュルルルル…」と彼女は声を発してみた。狐がそんな声なわけがなかった。でもそのどことなく、人とも動物とも言えぬ不可思議な位置から響いてくるかのようなその響きを「キュルルル…」、何度も何度も聴いてみるのだった。  翌朝彼女は、いつも6時半に起きるところを5時に起きた。町内にある神社に行くと決めていた。初夏ですでにそれなりに明るかったけれど、境内に入ると木々に覆われ仄暗くなった。暗いけれども暗がりとまでは言えない、言わば明をそのうちに包んだ暗こそが、彼女の求めていたものだった。  「クウン…」と今度は彼女は明確に犬のような、健気な動物の位置から声を発していた。上向いた瞳に緑の葉擦れが飛び込んできたような気がした。"思った以上に雰囲気に本能をくすぐられたようね"と彼女は思った。そうして登り切った彼女は、境内の石の腰掛けにゆったりと座った。  "なんでまた神社なんかに行っとったん?"  "おばあちゃん、私のこと狐みたいだって言ったでしょ?だからね、狐であるとはどういうことか、それをぼんやり考えたいなあって思って、行ってきたの"  "えっ?そんな大真面目に受け取らんでええよ!?ということは、あんたは自分で狐みたいな雰囲気になろうとしとったってことかいな"  "うん、でも正確にはなろうとしてたっていうより、なっちゃってたの、気づいたときには"  "ほええぇ"  クスクス笑っているとウグイスの鳴き声が聴こえてきた。「ホーーホケキョ」の長い「ーー」を反芻していると、自分への愛おしさが溢れ出してきた。まるで自分のフサフサの毛が町中へと一本、また一本と、たんぽぽみたいに瑞瑞しく飛び広がっていったようで。自分は先生に睨めつけられるだけの存在じゃないんだということが、頭ではなく胸の底から分かった気がした。  「キュルルル…」と、彼女は再び発していた。人と動物のあいだの、女の子ならぬ"狐の子(きつねのこ)"。それは期せずしておばあちゃんが授けてくれた、ほんのりと温かい処方箋だ。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

1 時間前

以下に続きの作品を書いていきたいと思います。しかし、自分としては上の作品は作品で完結したものだと考えており、以下に書いていくのはいわば、「あり得る未来の一つ」という位置づけです。そんな認識の下お読みいただけると幸いです。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

1 時間前

(了) お読み下さっていた方々、本当のほんとうにありがとうございました!♪♪ (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-18

 サッというのでもキリっというのでもない。といってヒラヒラというのでもない。彼女は真空のうちを飛んできて、そうして私の右隣へと現れたかのようだった。  「蝶ど!蝶ど!」とおばあちゃんはまるで小さな女の子みたい。「調度ひ〜ん」と空気は萎れる、まるで夏の終わりの向日葵みたいに。「なんでぇ、人が悦んどるときに」「わかった、お詫びにそれこそ調度品こうたる。それも夢のような色したのぅ」「あんたのチョイスはどうせテッカテカの金色やろ」「カーハッハ、わいがそないな安っぽいもん選ぶかいな」  押し出されるように二階に上がった。蝶の気配は胸からそれこそ永遠に消えてしまったような気がした。目を瞑って海風なんかを感じたところで、実はあまり意味などないのかもしれない。私たちはいつでも無慈悲に、明日へと吹かれていってしまうものだから。北に吹かれ南に吹かれ闇へと吹かれて、それでもいまも背に吹く風を、乙女心に信じてる。そうして私は、半ば無意識に服を着替えて戻ったのだろう。  「ええ女になったやないか」「えへへ〜んだ」「ついに彼氏ができたんか!」「だったら、どうするの?」「そらもう、嫉妬に燃え狂うに決まっとるわ、夜通しのう」と、おじいちゃんはこちらを見ながらニヤァっと笑う。「ねぇおじいちゃん、私のこと、好き?」「へっ?へっ?どないしたんや愛果ちゃんよ急に、そないなことゆうて」「冗談よ」 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-18

 さすがに今朝は有里紗との対話はお休みだった。"だった"というのは既に異なる内的世界にいるからで、いままさに私へと深緑の、しかしくすんだ深緑の蛇が現れているところだ。「シュオオル…」と、私はこのいささかおっきな蛇が雄だと即座に分かったのだけど彼は唸った。サッと風が巻き起こった。でも今朝はここまでだと、私は「デタラメな加工」というおじいちゃんの言葉を思い返した。  語りの都合で言えなかったけど私はまた、この森はほかでもなく日本的だといつの間にか森に投げ出されてしまっていたかのようないわばその瞬間に思った。また大切だと思うのは風を巻き起こしたとはいえ彼はまったき風の精というよりは風と水のあいだの精だということ、もっと言えばしかしあくまで風の側にアクセントがあるということそれらのことだ。…と語っているとチョロロロロ…森の左奥あたりからか細い水の流れが見えている。  でもやはり今朝はここまで。正直いまイメージはかなり鮮明になってきているから、その意味ではそれこそ胸の開き時なのかもしれない。でも何かが私を立ち止まらせる。あるいは私のなかでまだ、このあたかも古代日本のそれのような森を歩く準備ができていないのかもしれない。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-18

 この夜おじいちゃんへと有里紗はしなだれかかっていたーというのはもちろん私の空想なんだけどあるいは、これは"夢想"と言い換えるべきなのかもしれない。これはあまりに鮮やかでそして、生々しいものだから。「ええ乳しとるやないか」と笑ってるのだけどその、胸なんかではもちろんないとはいえでもなんでおっぱいじゃなくって乳なんだろう、乳といえば父だけれど、それはさすがに偶然だろう、あるいは彼女は牛的なのか、このいま"牛のお乳"が彼女をまさに雌牛のようにしているそしてそれはこう言ってはなんだけど様になっている、とすると元々私の無意識に彼女を雌牛になぞらえたいという気持ちがあって、それがおじいちゃんに乳なる言葉を発せさせたのか、しかしではそもそも有里紗がおじいちゃんへとしなだれた、正確に言えば私が有里紗をおじいちゃんへとしなだれさせたのはなぜだ、私の無意識の気持ちはその折りというか前からすでに立ち上がっていたのか。  しかし彼女は今回ばかりは考えをサッと切り上げることにした。ともかく、と彼女は思う、私はおじいちゃんへの有里紗のしなだれかかりにおいて雌牛のしなだれかかりを連想しているということ、正確に言えば有里紗のしなだれかかりに雌牛的なものを重ねようとしていること、それこそがいまの私にとっては決定的に重要なのだ。  おじいちゃんの眼差しは相変わらずユーモラスで牧歌的でさえあるかのようだ。しかしおじいちゃんから"おじいちゃん"を取り除いてまじまじと見れば、奇怪な軟体動物が顔していた。その口元がグニャリと歪むようなそんな瞬間へと、このいま私はまさに自らを開こうとしている。それはグニャリを妖しく、まるで深海からいままさに浮かび上がらせつつあるかのようなそんな気配を、仄かに翳った面(おもて)のどこでもないようなどこかに隠している。  あのしなやかなはずの有里紗はしかし、まさに雌牛のような鈍重さで彼になされるがままになっていた。錆に錆びて色の分からなくなったのだろうそれは鈍い、いまの彼女の語彙にはない独特の色合いをしていた。しかし大きい。彼女はふっと、用途の違うはずの金糸を、あの大人しい男の子の金糸を思い出した。瞬間、それは対比的に極大化したかのようだった。気づけば二人は影になっていた。しかしすべてを見届けた。夜の黒へと有里紗は溶けた。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-17

 「おい、〇〇、聞いてるか?」「あっ、すいませ〜ん」瞬間、"あっ、私いまオトナしちゃってる"と彼女は思った。そしてずっと前にやはり同じく「おい、〇〇、聞いてるか?」と聞かれた折りに自分の放った"あっ、ごめんなさいっ…"という言葉が自然と思い返されていた。"あっ"は今回も言った言葉で、なんというか反射的な取り繕いのような言葉だろう。でも"ごめんなさいっ"はただの謝罪の念の表れではない気がする。とくに"っ"にアクセントが置かれていたという事実の重みに、彼女は再び「恥じらい」へと開かれた。あの夜彼女は彼に"あなたはもう女を知ったの"と訊いた。"知っていて欲しかったかい?"と言う彼に"そ、そんなこと"と彼女は答えたのだけどその"、"といまの"っ"は違うようで実はけっこう同じだったりするのではないか。  「乙女の恥じらい」という言葉がいつ頃からか浮かび上がっていて、それがゆえに彼女は"なんにせよ、私はもうそんな季節を通り過ぎたのだ"といわば総括しようとしたのだけどすぐに、その"なんにせよ"に悪い意味でのオトナらしさを見て取った、それは思考停止を意味していた、「要するにこういうことでっしゃろ」とおじいちゃんもカッカと笑った、だから再び「恥じらい」へと立ち返った、私は中年のおじさん(先生)にも女の子女の子したかったのかなと思った。ところで中年といえばお父さんも中年だ、男女問わず中年の人には土のような感じがある気がする、土といえばおばあちゃんやおじいちゃんも土だけれど崩れかかったやわらかみある土だ、でもお父さんはなんとも硬い、隙がないと感じる、それは土的なものにやはり男性的なものが加味されてのものだろう、だからお父さんはなんだか怖い、そしてその"なんだか"のさなかに不気味な何かが泳いでる、やさしい声色の裏側なんかからたとえばそれは覗いている、でも考えてみればそれは先生だってそうなはずなのになんで、私はお父さんにだけそんなことを思うんだろう… (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-17

 「おはよう、〇〇」「おはよう、有里紗。今朝は早いじゃない」「遅い方が良くって、ベイビー」「ベイビーなんて言わないで」「でもあなた、赤ちゃんみたいな純真な目をしてる」「そ、そんなぁ…」と彼女はなんだか萎れてしまったのだけど、それはやさしいため息を伴っていた。「キュオルルル…」とバクが鳴き、深緑色の瞳が彼女をしかと見つめていた。"緑の家"とのフレーズがアマゾンのイメージと一緒になって飛び込んできた。「ねぇ有里紗、あなた大きな蛇みたいね」「まあ、そんなこと言われたの初めて」「いやらしいメス蛇(笑)」「そんなこと言って」と座った状態のままに腰をくゆらせながら近づいてきて、「またここ、お触りしてほしいんでしょ」「ねぇ私、男の子が怖いの」「そっか、あんた両方行けるんだったね」「何が"そっか、なの?」「つまりね、仄かにでも関心があるからこそ怖いだなんて思っちゃうんじゃないかと思うの」「私はあんな大人しい子、なんだけどそんな子、全然ぜんぜん、好きじゃないわよ」「ホントの、ホントに?」と有里紗はゾッとするほどに真面目な視線を向けてくる。「な、なによ」「べ〜つに〜」「ホント何?真剣に聴いといてすぐそんな態度変えてさあ」「や、〇〇ちゃんもやっぱ、お年頃なんだなあって、それで十分かなって。急に変えたのは悪かったけどホラ、あたしが気まぐれなのはアンタもさすがに、もう分かってきてるだろ?」  これじゃまるでツンデレじゃない。でもあの大人しい男の子へは私はたとえどんなに"ホントはホントは"なんて攻められたって意地でも胸は開かないぞ。空想のなかで有里紗はだいたいそれなりには批判的だ、というより自己を吟味するためにこそ彼女は通学前にいつも"彼女"と語らうのが習慣になっていたのだけれど、それにしても今朝ほど痛いところをズバリ突かれたことはかつてなかった。有里紗はまさに蛇みたいになってきたわね、それも人の心の弱い部分にスルスルとよじ登ってきては突っついてくる厄介なメス蛇。そんな私たちの行く明日をバクちゃんは静かに見守っていてくれる。そんなバクちゃんの瞳がたまたま緑だからって"緑の家"が浮かぶどころかほとんど飛び込んできたのはなぜだろう。私、あの小説生々しくて好かなかった、美しいとも思わなかった、でも人間全体を捉えようとするならば美しいところだけとはいかないんだろう、そうだ空間が緩やかに開かれていくような感覚を強く抱いた覚えがある、その快感の記憶がバクちゃんの綺麗な深緑と写し鏡のように照応したのかもしれないな、でも私はもっと透き通った水彩のような空間をこそ泳ぎたい、それはそうと遠いあの夢の人は虚ろな人ではあったけれど決して哀しげな人ではなかった、男の子の哀しげな視線ってどうしてこうも胸に絡みついてくるんだろ… (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-16

 淡い朝陽に包まれた丘があった。そこには昼も夜もなく、永遠の朝陽の淡さへの包まれがあった。「〇〇ちゃんよ、ここはえーの〜」と祖母は言う。小鳥がチュチュチュンと跳ねてくる。祖母と小鳥を胸に足し合わせてみれば、"まったき平和"と解が出た。でも考えてみればあちこち岩が転がっていて、たとえば大昔かなんかにここで激しい戦いが行われたのだと聞かされたとしても、私はさして驚かないだろうと彼女は思った。  ピリッとしたものを感じて右を見た。右の端からおとなしめの男子生徒がこちらを見ていた。すぐに目を逸らしながら、その直前の彼のえもいえぬ哀しげなトーンが甦っていた。丁度ゴミを捨てる段で良かったと彼女は思った。もし仮にもっと前に見つめられていたならばそれこそ、このいまあたりまでピンと張った見えない糸を彼とのあいだに感じ続けなくてはならなかったろう。それは言わば錆びかかった金糸だった。か細くも着実にこの身の内へとその、仄かな哀しみを纏った鈍い光沢を忍び込ませては、そうして不遜にもこの胸に何がしかの揺らぎをもたらさないわけにはいかないのだ。鞄を持って足早に下校路を行きながら、季節が春で良かったと彼女は思う。…と、凍える薄明かりのなか切なる夢の膜へと金糸が密やかに破り入った。彼女の肌に鳥肌が立った。"そんな目で見ないで!"ー抑え続けていた言葉を虚空へと投げつけていた。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-16

 健気なキツネのような女(ひと)だと思った。彼女に見つめられた折りまったき若さがパカアッと飛び込んできた。そこだけ異次元みたいだった。  さきに"健気なキツネのような女(ひと)だと思った"と書いたけれど正確には、それは事後的に思ったことにすぎないと言えばすぎない。すぎにないと言えばすぎないとわざわざさも"本当はすぎなくないんじゃ?"と思わせるような思わせぶりな書き方をしたのはもちろん僕が、そのもったいぶりのさなかに彼女という存在の重みを込めたからにほかならない。"込めたかった"ではなく"込めた"。つまり既に込め込めてから時間が経っている、僕はだからあなたたちがさきほどからすでに「彼女≒健気なキツネ」という等式を僕が大事に大事に胸に抱いていることを認識してきていることを期待している。  なぜ僕はこんなまどろっこしい書き方をしているのか。それはたぶん往々にして世間の人たちがそんな空想を馬鹿にしているとまでは言わずとも、少なくとも尊重してはいないだろうことについて僕が静かに憤ってきているからだと思う。そもそもとしてのっけから"健気なキツネのような女(ひと)だと思った"と書いたのは、そんな静かなる憤りが胸のなか顔を出す機会を伺っていたからだと思う、それはそうと"健気なキツネのような女(ひと)"というイメージをーフレーズを、ではなくてー思いついた折りにはあるいはすでに、その切なる空想を他人であるあなたたちの胸へとそれこそパカアッと飛び込ませたいという意図は暗に生まれていたのかもしれないと、書き始めてからこのいままでの間のいつ頃からかそう思っていたことにいま気づいた。  つまりここで最初に戻れば僕が"健気なキツネのような女(ひと)だと思った"という「後」に思ったことを「先」に思ったこと("彼女に見つめられた折りまったき若さがパカアッと飛び込んできた")の先にあえて配置したのはまさに、その意図("その切なる空想を他人であるあなたたちの胸へとそれこそパカアッと飛び込ませたいという意図")が十全に達成されることを期待していたがゆえのものであるだろうけれど、ここでつとに大切だと思うのは、というよりはこれから僕がまさに話してゆくことへの導入として強調したいのは、"健気なキツネのような女(ひと)だった"という一文の"健気なキツネのような"なる形容にはすでに、その内に「(彼女の)若さ」が内包されていることを読み手は漠然と察知するだろうということ、そのことなのだけど果たしてあなたは察知してくれていたろうか。  結論を先に言うならば、つまり僕はあなたへとなにかしらの「物語的なるもの」を語ろうとしてきていたのだと思う。というか"そうだったのだ"と心をさしあたり総括して、いまや胸にしかと居着いている、しかし漠然とした彼女と森のイメージが緩やかに形を変えてゆく経過を記述していきたいという願いをいま、小さくもたしかな橙の炎みたいに感じてる。ほかでもなく僕は物語りたかったのだけれどその物語りはまさしく、現実というよりは現実でありながら夢でもあるようなそんな位相にまつわる物語りであり、いわば僕は聞き手であるあなたの胸のなかにそんな(一般的な物語から見た折りに)幻想的なるものの気配を最初にサーッと流したかった、ということになると思う。流し込みたかったではなくあくまで、あなたの胸へと流したかった。サーッとと言ったけれどその"ッ"に着目してほしい、そこでそれこそスッと切れている、正確には遠のいている(と言いたい)。  だからこそ"彼女に見つめられた折りまったき若さがパカアッと飛び込んできた。そこだけ異次元みたいだった。"と続く2文からどこか浮いているのだと思う、この浮きに幻想の揺らめきめいたものを託していたんだと思う。揺らめくことにおいて幻想はあると言いたい。確固たるイメージは提示されたちょっと後くらいから力を失っていくように思う。ただ、だからこそ"健気なキツネのような女(ひと)だった。"と事細かくは書かなかったーなんて言うと嘘になる。それこそ確固たる方法論の下に書き始めたわけではない、しいて言えばスッと言葉が出たから書いた、だからなぜ"健気なキツネのような女(ひと)だった"と書き始めたかはいわば靄に包まれている、しかし結果としてそれでいまあなたの胸に"健気なキツネのような女(ひと)"がサッとあなたのその、眉間の上からいくらか離れたあたりの(あなたの)軽やかな見上げによって見つめられるだろうあたりを漂っているのだとしたら僕の目標は、ささやかな始まりの目標は達せられていることになるだろう。  イメージのさなかで彼女はなるほどたしかに立っている、しかし彼女は泳いでいるのだ森と、そして草原と一体となって、…とそれはいま僕が初めてあなたに伝えたイメージであり感覚だ、しかし僕はあなたがごく自然に緑なす森をも、爽やかな風吹きわたる草原をもともに彼女とあらしめて(くれてきて)いると漠然と考えてしまっていたのだけどあらしめると、他でもなくあらしめると言ったのは彼女が森から草原からあくまで半ば浮かび上がるようにしてあるからであり凛、と、その凛としたクールネスに僕は始まりの息吹を見て取りたいと、やはりいつ頃からか思い始めていたようだ。  どうでもいい情報のようでしかし大切だと思うことには彼女は漫画のキャラクター的で瞳が大きい、しかしことさらに潤んではいない、正確に言えば現実に会った彼女を移した時点で彼女はほんのりとキャラクター化していた、これは記憶として確かに思う、ほんのりとはでも幻想としてほんのりとしていることを意味しない、むしろ逆にほんのりとキャラクター的であるがゆえに夢が咲いている、それは現実というものと幻想というものの区別の撹乱の上に咲く夢幻、という他ない気がするのだけれどここに至って、僕は彼女を物語ることの不可能を(いま)知った、僕は彼女のことが好きだ。  一輪の花もなく、波のように彼女へと寄せる緑のさなか亜麻色の彼女だけが咲いている。亜麻色の瞳の底は、見えなかった。  黒みがかった森から出つつある、出立の途上にありながら現に出て立っている、その様態でありながら、いやまさにその様態であるからこそ君はどこまでも澄んでいる。君の瞳はキリッと光る、薄氷を擬したダイヤモンドのように。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-16

 淡い朝陽たゆたうキッチンに立っているとスーッと彼女は私の左隣に立っていた。正確には彼女の真空を歩み来たってきたかのような"立ち来たり"が事後的に、私に朝陽のたゆたいを見させたのかもしれない。まさに彼女は厳粛な静寂のうちに歩み来たって、そうして立つことにおいて私へと来たのだ。その"来た"のニ層性が大切な気がする。真空と言いつつ漠然と、私はトンネルのようなものをイメージしていた。でも彼女がトンネルを抜けたら即この世界だったわけではなくって、この世界のいわばどこでもないようなどこかに彼女はきっと滞在していた。それがどのくらいの時間だったかはようとしてしれないにしても。朝陽が淡かったのは、きっとそんな夢のような実在の名残だったのだ。  子熊のあしらわれた靴下を履いた自分を、私は可愛いと思う。でももう革靴を履かなくてはならない時間だ。彼女に今日は逢えるだろうか。そういえば彼女の胸は普通だけれど、なんだかその内には神々しいものが満ちている気がする。廊下に立つ想像をするだけで、風の肌触りがするみたい。いかなる時間に彼女が来たるのかは分からない。でもそれが目も眩むようなこの世界の、たしかな一つの教室からであることを、いまや私は知っている。彼女は彼女ではない。それでもやはり、彼女は彼女であるに違いない。たとえば視線がビビッと合う折りの雷なんかへと、身をしかと構えつつも、私は彼女へとたなびいてゆきたい。季節の開いてゆく香りの、さなか揺らめき泳ぐように、ちょっと哀しげなルージュ差してみたりなんかしながら。なんて。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-14

 夜の帳が垂れ下がるほどに夜への夢はかえって胸元離れていった。耳澄ますも虫の音しない夜の黒には"がらんどう"ないこと強烈あることしていた。林ざわめき蛇神高貴ない代わり、蛇赤ちゃん紋切り型ふんわりヒラヒラしていてー「私の赤ちゃんはお気に召して?」「赤ちゃんなんて言わないで」「でも、赤ちゃんじゃない」「違うわよ」「なぜ?」「赤ちゃんというだけではない」としゃちほこばるもいまのじじつはじじつそう、翌朝起きるとやはりというべきかねっとりと、したもの胸に絡みついてしまっていて、凛と、朝の登校風の徘徊桜の、枯れ枝への見上げ咲かせる哀の紅、胸元へとベトナムの夜手繰り寄せんとするも雨靄、「だからね私、ベトナムの森へと立ち返ることが必要なの」「ベトナムといえば色とりどりのフルーツやね」「それも暗に大切な要素になってるかも。でもそれよりもしとやかなアオザイの女(ひと)に学びたいの」「マンゴーみたいになっとるんでっしゃろ?(笑)」「コラ、笑いに走らない」「カーハッハッ!よか、よか、4日で分かるど」「だからあ、笑いに…あっ、つまり4日待ってみろってこと」「そや!でもただ待っとるだけやアカン。漠然とでも眉間の上あたりに漂わせといて、暇を見つけてはせっせとそこへと胸を漂わせるこっちゃね」「開く、じゃなくて?」「細かいニュアンスの違いのようでけっこう、おっきいかものぅ。鮮度が落ちたもんに無理やり開いても変にデタラメな加工を施すことになりかねんでな。いわばあっちに、アオザイの女に自ら動かさせ、語らさせるゆうたらええかな」「さすが未来のノーベル賞作家だね(笑)ちなみにね、わたし青姉さんの胸の大きさには、不思議と注意払ってなくて分からないの。お年頃なのにね?」 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-13

 青と水色のあいだくらいだろうかと、彼女は思った。でも遠のいてしまった彼のように話すことはできない、分かってると自分に言う、でも夢だからこそ切に静かに開かれた。月灯りの下雨露に濡れた緑が迫った。青には雨粒1つなく、あまりに清らかでかえって妖しい感じすらあった。しかし、それゆえにそこにはまさに"私は水を司っています"と書かれていたー"シュルル…"ハッとする。蛇だった。よく見ると赤みがかっている。加えてなんとなく短い。"蛇の赤ちゃん"という言葉が彼女をピッと軽やかに打ち、ほとんど同時に彼(彼女?)が彼女となんらかの関係にあることが分かった。「可愛い子ちゃんばい可愛い子ちゃんばい」アジアン婆がいつしか来ていた。すると青姉さんは遠のいた。私の姉でもおばあちゃんの孫ではないのだと直覚した。林の気配が可愛い顔へと凝集しているようだった。押し出されるように歩き出した。一寸赤蛇が間を空けた。"蛇神様"との言葉が舞い降りた。「待っとくれ〜」とおばあちゃん。相も変わらずシュルルルルと付いてきてくれる蛇神様。仕えることで仕えられる、そんなことだってあるのかな。なんだかここは私の魂の故郷みたいね。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-12

 「ねぇおばあちゃん、南国っていえば、おばあちゃんはどんなところを思い浮かべる?」「そらもちろん、ケアンズやな」「なんでケアンズなの?」「なによりも青や、エメラルドグリーンのキレーな海さね」キレーとはなんと素直で美しい表現だろう。でもその裏で汗と腋臭が踊っている。キレーはそれをないことのようにする。白人はアジア人よりも生々しいと彼女は思う。私は生々しい女になりたいのかな?とも思う。おばあちゃんの話は今日はなんだかまどろっこしい。刈り込みたくて半ば急かすような、その急かし方はでも小鳥みたいで。漠然としたイメージさえ浮かべばよかった。それは、たとえばおっきなビン入りオレンジジュースが遥かな海風に吹かれるところ。おばあちゃんの会話体験を抽象すると、白人女特有に思えるさわやかな陽気が広い空の下パアアッと咲いた。私はいまおばあちゃんとともにいる。彼女と対置されるようにアジア女としてともに浮かんだ。ケアンズの森、ポッサムの瞳が光る闇夜は南アジアをも包んでいる。りんりんりんと虫たちの音たなびいて、風鈴(が)りんとアジアンらしくほっそりと伝う、南国へと。緑なす森アオザイ映えれば、なんだか私湿ってると、彼女は思う。それは金の乾きを否定するかのよう、あくまで大人だけれどもどこか子どもだ、さわやかさよりもしなやかさに力点がある、雨靄の木立のさなか出逢っているこの女(ひと)は。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-12

 翌朝起きるとやはりというべきか、彼は遠くなっていた。それはたとえば季節外れだけれど、なんだか七夕の短冊みたいに思えて。でも彼の願いは書かれていない。自分の願いを話したことなんてなかった彼の、虚しく名だけが書かれた紙が、あの夢の夏に取り残されたように揺れているー「ワン!」「うひゃあ」おじいちゃんだった。「どないしたんや、そないしょぼくれなさって」「乙女の悩みよ」「彼氏でもできたんか!」「だったら、どうするの?」「張り手千枚見舞ったろか。そんでもギラついた紅い頬しとったら、漢やのう」…あの折たしかに、私へと犬は現れていた。そのリアリティはそれこそ彼よりよほど強かった。胸を検分するとその理由は、やはりつぶらな瞳のバクらしかった。バクへの切なる浸りきりこそが、類似性というものを介して犬を、それも似たような瞳のつぶらなポメラニアンの、あの折のごく自然な現れを準備していたのだろう。私なんだかいつの間にか、動物たちに好かれてきてたりするのかな。星と同じくつぶらで澄んでもいるけれど、なんだか私、あなたたちに見つめられると昼夜を問わず、あたかも橙の炎に胸をくすぐられているようで、たとえば南国の姫君になったような心地がするんだ。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-11

✕切り絵が夜空に揺れていた 〇切り絵が夜風に揺れていた (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-11

 切り絵が夜空に揺れていた。視線を集中させると、それは彼の形をとった。「△△くんだったのね」「忘れちゃったのかい」「ごめんなさい」ー煌々とした街灯に亜麻色が浮かび上がって、彼の髪は亜麻色だったんだと思った。でもそれはあるいは、昔少しかじった少女漫画の雰囲気に記憶が押されてのことなのかもしれないとも、思った。「ねえ、あなたはもう女を知ったの」「いいや」ー「知っていて欲しかったかい?」「そ、そんなこと」ーその言い方は演技だった。でも、いわばそんな表面こそが瞬時に本当に成り代わることを、彼女はすでに知っていた。瑞々しい恥じらいが迸った。胸が夜空へと開かれた。星たちは儚くも健気で、踊っているようだと彼女は思った。「ねぇ、わたしスターになりたいの」「お星さまになりたいのかい?」とわざとらしく彼は笑う。「いいえ」ー上手く切り返そうと一寸止まって、「私、人形(ひとがた)の星になりたいな」「それはおっかないな」「ごめん滑っちゃった(笑)」「でも、分かるよ」「ほんとのホントに、分かってくれる?」ーと、彼は黙った。そして、ハトが好きだと告白したあの昼間のようにそれとなく空を見上げたけれど、もちろんいま広がっているのは夜空で、ふと彼女は彼が、夜の黒へと吸い込まれていくかのような錯覚を抱いた。あまたのつぶらな銀の粒々が、なんだか自分を仄かに哀れんでいる気がした。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-11

   「おい、〇〇、聞いてるか?」ーデジャヴ。いけないまた寝てた…それにしてもデジャヴである。あのときは完全に没頭していて彼について考えてるって意識すらなくって、逆に注意されて初めて彼のこと考えてたことを、バーッと巻き戻るように意識したんだったな。ねえ△△くん。でももう私、あなたのことを、あなたの質感ってやつをほとんど思い出せないの。でもね私バクちゃんを、あなたが残した聖獣みたいだって思ってるんだ。私の中でバクちゃんは藍色!夏の空を飛んだ夢の中で、あなたと生やしてたお揃いの翼の青は少し黒みがかった青だった。そこからの連想だとは思うんだけど、それにしても可笑しいよね、あなたとの夢を、甘い記憶を食べちゃったバクちゃんが、言ってみれば敵のような存在のはずのバクちゃんを、あなたが私に残していっただなんてね。知ってる、半分妄想ってやつだって。でもね思うんだ、完全に否定はできないのなら、やっぱり半分くらいは本当なんじゃないかって。いずれにせよ大切だと思うことはね、バクちゃんはあなたとの夢を、その小さな身体に宿しているし、これからも宿しつづけていくはずだってことなの。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-10

前言撤回です(笑)。続けられそうです! とはいえ、あまり気負わず、まったりを意識して書いていければなと。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-10

 何度もすいません。もうちょっと訂正です。"お姉ちゃん"を"姉"に言い換えた、というところですが、ここを"お姉ちゃん"を"姉ちゃん"に言い換えた、と読んでください。  そもそも一人娘で姉はいない設定だったりするので(笑)。それにしても、そんな広がり全然書けてないので、それこそ塗り込める技術を模索したいですね。  お読みくださり感謝!では。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-10

 訂正です(汗)"若いお姉ちゃん"ではなく"若い姉ちゃん"と書いてますね、初めに。なので、あくまで祖母は「お」をつけた、"若いお姉ちゃん"と言ったと読んでいただきたいです。  それにしても物語、閉じちゃいました。自分としてはもっともっと長く続けたかったのでつまり、失敗作(苦笑)。でも表現したいニュアンスは詰まってるかと思います。抒情的かつ内省的かつ(ある程度)鮮やかな人間模様のミックス、みたいな感じと言えばいいでしょうか(笑)。  あの作品はいわば「処女失敗作」だったなーそんな風に振り返ることのできる日を、夢見て。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-10

 『女への扉』  穏やかな陽射しには"この町は平和です"と書かれていた。昨日彼女は胸中父へとしなだれかかったけれど、その残滓もいまやこの朝へと散ったよう。  「ねぇ、おばあちゃん。スッキリした朝って、本当に心洗われるわよね」「いきなりどないしたん?〇〇ちゃんがそないなこと言うなんて、珍しい」「ねぇ私、いつまでも女の子でいたいの」「ほっほっほ。なにがあったか、どげんがしたか!」と笑う笑う。「でも、そう思っとくくらいで丁度ええ。真面目に言うとなやっぱり、人の心ん中にはいつまでも子どもがおる。その証拠に、歳食えば食うほど子ども時代が懐かしゅうなる。心のたがが緩んで露出してくるんやろうな。ホンマ、キラキラしとるよう。でもな、キリッとした若い姉ちゃんなんかもな、やっぱりときおりは昔の自分に水やった方がええ。世間は砂漠みたいなもんじゃけえのう」と、一息つく。「じゃあ、私はまだオアシスにいるのかな?」「上手いこと言うやないか。そん通りじゃ。でもすぐよ?ホンマすぐよもうすぐよ?だからのその心意気、ぜったいぜったい忘れんときや。大人の階段登っても、その脚が長く綺麗になってもの、目元涼しいクールビューティーになってもの、それから…」と、おばあちゃんは自分の胸に手を持っていって楕円を描きながら、「こな〜いなってものぅ」と、ニヤッと笑った。   なんとなくまた炬燵に入った。昨日と同じく炬燵に入った。手に持った籠には、カカオ88%のダークチョコレートがどっさり。傍らには、昨日の残りの甘ったるい甘ったるいみかん。でも、ダークチョコレートと組み合わせれば高貴なおやつの出来上がり。バクバクと、どうしたんだろうそれにしたって、チョコへと伸びる私のか弱い手が止まらない(泣)バクバクといえばそういやバクは、夢を食べる動物だ。もう彼との想い出は霞んでしまった。振り返るとママゴトみたいだったけれど、それでも彼は本当に優しかった。バクが夜な夜な私の夢に忍び込んで、甘い記憶をせっせせっせと食べ尽くしてしまったのかな。転勤族だった彼は水色の空から降ってきたと思ったけれど、還っていったのは灰の都なTOKYOだった。けれど灰のさなかでチラチラと燃える炎を、ときに燃え盛りもするかもしれない真っ赤な焔を、あるいは彼は手にしていたりするだろうか。  外に出るとやはり冷たかった。けれど彼女はその頬を、まさに冷たい風に浸されるままにしておきたかった。おばあちゃんの言葉の端々からは、「しかと受け止めたよ」というしっとりと温かい重みが漂っていた。いまや彼女は自身の少女時代を、しかと繋ぎ止めておいてくれる錨を手にした心地がしていた。そんないまこそは、次なるステージに踏み出すタイミングのように思えた。"キリッとした若いお姉ちゃん"と言った祖母の言葉には違和感があると、さらに彼女は思う。"お姉ちゃん"を"姉"へと、彼女は言い換える。すぐに"姉"は生々しさを加味され、"女"になった。いまや私は「女への扉」の前に立っているのだと、彼女は思った。それは重厚に塗り込められた金色の扉だった。その向こうには乾いていながら、それゆえに狂おしいような何かが待っているだろうことを、彼女は即座に直覚した。 (桃色の頬の少女と、父の書斎)

2024-11-10

"と言われて、わたし、いま、"というたどたどしい語りによって、ゆっくりと高揚が湧いてくるというか、ある種の時間が引き延ばされたかのような浮遊感が表現されているーそんな気がいたしました。 "飾り立てためんどり"とのユーモラスな視点は、そんな高揚を無意識のうちに鎮めるーそんな心の力学が働いているんじゃないかと想像しました。 そしてそこから、"とっさに外した"と増す速度もリアル。些細な日常のワンシーンを、鮮やかに切り取った一作だと思います。 (めんどり)

2024-11-09

 入部した部で一緒になったというだけなのだけど、それは夢が空から降ってきたに等しかった。そして半信半疑で目を見開く度に、彼女はその夢の美しさに打たれることになった。    「おい、〇〇、聞いてるか?」「あっ、ごめんなさいっ…」教室後ろの左端。特等席で触れる、開かれた窓から吹き込む風は、どうしてだか季節外れの桃の香りがした。    「そんなことがあったんだ」いつものように、長い脚を彼女の歩調に合わせながら彼は言った。なんだか目眩がするようだった。彼の動きには時間が引き延ばされたかのような感覚がある上に、たとえば夏へと季節が巻き戻るーそんなことだってあり得るのかもしれないと、彼女はフワフワするように感じていた。    唐突に、ハトが大好きなんだと彼は言った。そうしてそれとなく空を、鰯雲が綺麗な青空を見る。そこには何か、重大な秘密をたったいま打ち明けたのだとでもいうようなトーンがあって、思わず彼女は笑ってしまう。「わたしも好きよ、クルルルル♪」ーと、いきなりのキス。ただし、ホッペへの。「びっくりした~」と晴れやかに笑う。「あんまり可愛いものだから」ー「君は桃色の頬をしている」    夜。夢はすべてを曖昧にしていくようだった。たしかに私は鰯雲を見た。そこには"いまは秋です"と書かれていた。だけれど風は、この星のすべてに吹き渡る。だとしたら、季節を横断するそよ風があったっていい。風の神さま女神さま。彼女のちょっとした悪戯が、過ぎ去りし季節からの、桃の香りを運ばせたのだ……  世界は変わり得るという不可思議が、桃色の頬の少女を包んでいた。彼女はその背の、季節を翔る翼を信じた。夢と現の交差点で、彼女の明日が微睡んでいた。 (バニラソルトと秋の姫)

2024-11-08

   『氷の少女とハト』    たとえば誰かが"友などいらない"と言うなり人は、その背面にもう電光石火の素早さで、いわゆる強がりを見て取ることができるものだけれど、彼女こそはほんと氷みたいに研ぎ澄まされてるようだった。  "どないなってんねん!"とメガホン口につけて叫ぶかり。何が好きで届かなさ感じなあかんねんえらそーに。むりせんときーやフワフワして、あやういわ。ひとのあいだとかいてにんげん。アンタ星とのあいだで生きとお、こないにね、クルルルル…縮こまることでおおきくなっとお、まるでアルマジロさんの仲間やねぇ。だけんどえらそーエラソー、どっ!わいの目力でビビらせ樽。やってぶっくぶくに肥えとるど?なにが肥えとお?あの目みてみぃ、凛々しさゴロゴロ転がしつづけてくやつや。  パンパン、パーンッ!と張り手千枚見舞えば萎れるか!マグマみたいな高揚突き上げてきても流線形の、素知らぬ瞳は流れる漂う~"うがあぁぁぁ"と、泥濘にもがき彼女日々へと風となり、"差し入れよぉ?"とおばあさんの手に肉まんじゅう。食べときいや、大きくなるよぉ?ーまるで犬みたい猫みたいしこたま食べたと思ったら、クルルルル……健気な一羽のハトとなり、この星の青い場所へと飛んでいき、人間みたいに一礼してから去ったとさ。 (「詩人たちの小部屋」に投稿したもの」) (バニラソルトと秋の姫)

2024-11-07

 散文的な複雑さを詩という形式ーそれも漢詩的な硬質な形式ーに落とし込める、僕はたぶん、無意識のうちにそう思っていた。でもそもそもが不可能事だったのかもしれない。たぶんもうやり尽くされて、付け加える余地というもののない土壌。  それに、万一、多様で複雑な要素が綿密に組み込まれた「奇跡の一作」ができたとして、しかしそんなものは誰も求めてはいないのかもしれないと、そうなんとなく思いもし。  勝手に思い込んでいた型を破って、いわば正面から正々堂々と散文詩する。その勇気をー (バニラソルトと秋の姫)

2024-11-07

 ありがとうございます!僕なりに現実を、それなりに美的かつ簡潔にまとめられたかなとは思っています。でも同時に、だから何だ、とも。  やはり詩というものには、自由な遊び心とでもいうべきものが不可欠なのだと、ようやく悟ることができた気がします。 (バニラソルトと秋の姫)

2024-11-07

『ガチに0点』  誰も聞いていないにも関わらず自分のことを、それなりに長くなりそうな雰囲気すら漂わせながら語り出す。痛いことだと分かってはいるつもりだけど、それでもこのやるせないため息は、口に出して言葉にしないことには、どうも収まりそうにないものだから。  半ば予想はしていたけれども、プロフに載っけた自信作をBーREVIEWに投稿しても、返ってきたコメントは今だ0。"どないなってんねん!"とメガホン口につけて叫ぶかーっていうのは半分冗談で、なんだか薄ぼんやりと思うのは、もうどれだけあがいても評価されることはないんだろうなっていう、諦念で。  今までのありったけを込められたことに感極まって、昨夜など寝付けるのかと不安だったほどだったほど。とくに今回は、知と情の両面とも満足がいったという意味で記念碑的に思えた。情においては、前の職場で好きだった女の子についてのありったけ。知においては、杜牧にフィッツジェラルド、杜甫やサリンジャー的なものまで…自分なりに先人たちから得たものの成果の、ありったけ。なのに!  いやもうね、90点くらい行ったかな?って自信満々で提出した答案用紙が、0点ってデカデカ書かれて返ってきたみたいな、ホントもうそこまでの気分だよ。   ☆★  愚痴でさえ作品として出そう、カッコつけてみようと思ったけれど、もう思いつきません(笑)  そうそう。しばらくエッセイに力入れようかな、とか、そもそも漢詩的なものとポップなものの融合なんて発想が無茶苦茶なのかとか、そんなこんなを作業中にぼーっと腑抜けたように考えてたらポカをして(軽くだったけれど)怒られました(笑)  でも、今回ほとんど確信したことがある。それは、会心の作を書くほどの快楽は他にないということ。恋より強いんじゃないかとすら(笑)。やっぱ詩が大好きだーそう再確認できたという意味では大きな収穫。  捲土重来ーこれしかない。 (追記)  ありえない。勘違いも甚だしい。単純に客観的に自分を眺めるということが、できないのかな(呆)いま読み返したら、猛烈な違和感かんじて即、駄作だと思いました(苦笑)もう、のめり込んでのめり込んで、完全に見えてなかったー自作が、自分が。  知と情の、あるいは漢詩とポップの融合ーなんて名ばかりの、ただの陳腐なパッチワーク。しかも小説調なのに予定調和すぎるおまけに単調。捲土重来以前に、頭を冷やさないとマズい。0点ってホントだった。でも…  でも、切実なものを伝えたいって姿勢は感じられる。雰囲気は、自分的には最高。すべきことは、なによりも作品として「まともに」すること。それこそが本当の本当に、難しいのだけど。 (「詩人たちの小部屋」に投稿したエッセイです) (バニラソルトと秋の姫)

2024-11-06

今朝じっくり読み直していたら、1と2が矛盾していることに、遅ればせながら気づきました(汗) "誰にでも愛想よくしてるけれど"と"最低限の愛想しか振り撒いてくれなかったのは辛かったな"は、明らかに矛盾している(笑) 実際のところは、男性には最低限の愛想しか振り撒かず、多くの女性には愛想が良い女(ひと)で、もしかしたらそんな感じなのかな?と補完しつつお読みくださった方は、それなりの統一感を抱いてくださったかと思うのですが、もしわけがわからないと言われても、文句は言えないなあと。 「それなりに」と書きましたが、もともと「詩人たちの小部屋」に投稿していた3つの小品を、繋げれるんじゃ!?と1つにしたもので、ほとんどその閃きに酔うままに投稿してしまっただけあり、統一感という意味では一段も二段も落ちる作品になってしまった気がします。 でもテーマや情感は、それこそ終生のテーマにしたいくらい好きなので、似たようなものにまた挑戦したいと思っています☆♪ (手渡せなかった手紙と、送れなかった手紙と)

2024-09-05

短編小説のようなスピード感と絢爛な詩情が、なんら矛盾なく同居している、もっと言えば高め合っているようなところ、凄いと思いました。 物哀しい話なのに、不謹慎ながら、まさしく夢の中を駆け抜けるような流麗な文体に、瑞々しい質感で胸は一杯になってしまいました(笑) (ゴールデン・メトロ)

2024-09-03

そう言っていただき、うれしいです☆ おちょくっているような、小馬鹿にしてさえいるようなところもあり、不快感もたれる方もいるかと思うのですが、ちょっぴり軽薄な(?)、そんな気持ちをも含めて女(ひと)と向き合うーそんな気持ちを手紙調にしたものです。おどけたトーンのさなかに(こそ)浮かび上がる、誠実さ。感じ取っていただき、幸いです☆♪ (手渡せなかった手紙と、送れなかった手紙と)

2024-09-02

2.の、"(彼女は前の職場で同僚だった)"は不要でした(汗)急いで投稿しすぎました…お恥ずかしい(苦笑) (手渡せなかった手紙と、送れなかった手紙と)

2024-09-01

"部屋が臭かったから"ではないかという疑念が、クレームを入れようとしている「僕」にも、また電話先の担当者にも、そしてもちろん読者にも共有されている、そんな構図だと思います。それを指摘するのはしかし野暮であり、ツッコミ所が大口を開けているのに誰も突っ込めない、そんな雰囲気が、なんとも言えない笑いを誘う…そんな作品だと思いました。 (消臭剤)

2024-09-01

"何者にだってなれるだろう"と言った直後に、平凡な日常を生きるほかない諦念(と言うべきもの)を淡々と綴っていくという構図が、反復されているのが面白かったです。それはそのまま、「オレ」の揺れる心として迫ってきました。 といって「揺さぶられている」とまでは言えない、そんな距離感もまた、ゆったりとした語り口からたしかに伝わってきます。平易ながらも心の妙を的確に捉えた、そんな作品だと感じました☆♪ (夏空の下)

2024-09-01

いつもの帰り道は"帰らせていただいている"道であり、両手ですくう水道水は自然界の恵みであり、また人の営みの結晶でもある…そんな、「それとなく」沸き起こる感謝の心に耳を澄まして、「それとなく」誰かのためになるように行動をするーそんな肩ひじ張らない利他の心が上手く表現されていると感じ、共感いたしました。 世界は網のようなものだと思えば、ひっそりと行っているように見えることとて、そのじつたしかに誰かのためになっている。だから肩の力を抜いて、楽に生きて行けばいいんだよーそんなエールとも読めました。 淡々としながらもその内に、凛と澄んだ心根をしかと持っているーそんな人はたしかに「かっこいい」。 (ロマンと日常)

2024-08-30

"遠く遠く考えてみようよ" この表現、好きです。 2人の関係性について、星を巡るように思考を広げていく感性、素敵だと思います。 窮地でもゆとりを失わない、伸びやかな語り手の心情が胸にしんなりと滲みました。 (幸せと幸福)

2024-08-19

思い出せないのに、ともかくそこに甚大な記憶があることだけは分かっている…経験はありませんが、想像するだけで胸がジリジリする感じがします(笑) もしかしたら、僕を含め多くの人は、そんな記憶があるということ自体を忘れてしまっているのではないかと。人は苦しいことを避けるようにできている。しかしそのメカニズムが何らかの理由で上手く働かないことがある。そんなことを考えました。 その理由こそが問題なのだと言われれば、心理学者でもない僕は口をつぐむほかないのですが(汗) (思い出)

2024-08-19

作品全体の含意は僕には難しく、部分的なコメントで申し訳ないのですが、そもそも「不可」の作品なんてあるのだろうか?と思いました。杜甫や白居易のしたことは間違っていたのではないか、とも。 だって、だってですよ?もし稚拙で幼稚だったりする詩なんかがけっこう残ってたりしたら、それこそ、こんな人が大詩人になったのか!よし俺もがんばろう!みたいに勇気を貰える人、たくさん生まれていたかもしれないじゃないですか(笑) なにより、なんだか神経症的なものを感じるんです。要するに、より良い自己イメージを残したい、やな部分が人目に触れるのは耐えられないってことなわけじゃないですか。でも稚拙で幼稚な部分も含めて自分なわけで、そんな自分の丸ごとを晒すというのが本当なんじゃないのと僕なんか思うわけですが。過去を嗤うような輩が現れても、小さい奴だと逆に嗤い返してやればいい。 …と言いつつ、僕も最近登録し直し再出発させてもらった身ではあり(苦笑)ただ一応、3分ちょっとの動画で、登録し直した理由をごく簡単に述べさせていただきました(←宣伝)僕の場合は、ちょっとあからさまに不快感を与え得る作品が散見されたので、丸ごとの自分といってもさすがに、と思った次第です。でも、反省している旨さえ伝えられれば、隠す必要まではないかなと思い。 ちなみに僕は、杜甫の諸作品については、技巧のための技巧のような気がして、こんな素朴なこと言うためにこんな凝る必要あるか?と白ける思いがするのですが、白居易の長恨歌なんかは本当に好きですね。技巧(すさまじいです)と情感が手を取り合って流れている感じで。 (日記)

2024-07-25

「僕はきっと、内心では君のことを馬鹿にしているからこんなにも愛おしいのだと思う」と、語り手はそう自覚することで少しばかり冷め、そうして最後に「純粋な愛」を想起すると、そんな流れだと僕は読みました。 でも思うのですが、「こんなにも愛おしい」とまで言ってしまう恋心を否定する必要はあるのでしょうか?下に見ていようと恋は恋だし、むしろ下に見ているからこそ自分にとってより本質的なのかもしれないと考えることーそんなラディカルさが求められているのではないか。 対等な愛、とは言いますし、もちろん敬意のないところに愛は存在しないでしょう。でもそれは優越感が1滴たりとも存在してはいけないということではないと思いますし、ときにそれが表面に浮かび上がり、それこそ本質的な様相を呈することだってあるかもしれない。そんな相矛盾した諸々の要素を丸ごとに抱くことの上にこそ、懐の深い「愛」は立ち現れるのではないか。あるいはその過程そのものが愛だと言ってもいいかと思います。 そんな風に思う僕としては、最後のくだりについては、いわゆる思い出補正以上のものを見出すことはできませんでした。最初の気づきを愛を深める方向へとこそ展開すべきだったと、そう感じました。 「僕はきっと、内心では君のことを馬鹿にしているからこんなにも愛おしいのだと思う」ー何度も読み直したくなる一文です。 (ホテヘル)

2024-07-23

面白かったです。と言いますか、自分の感覚をなぞってもらった思いです(笑) 最後の「大丈夫 きっと あのすごい人だって 別にえらい人ではないから」という箇所には、もちろん強がりが込められているのでしょうが、とはいうものの、何をもってえらいとするかということに対する完全な定義などないことを思えば、これはこれ以上なく冷静な事実認識ともとれる。 語り手のような存在を、ぬるま湯に浸かった甘ちゃんだと嗤う風潮は根強いですが、それによって零れてしまっている真実というものがあるーそんなことを考えさせられました。 「何もない自分が愛おしい」という逆転の発想は、そんな表現とは裏腹に、たしかで切なる何ものかをしかと胸に宿してくれるーそれが、語り手と似たような境遇にある僕の実感です。 (シェイキング)

2024-07-23

昔の自分を思い出して、なんだか気恥ずかしい思いです(笑)中身がまったく伴ってないのに誇大な夢ばかりが膨らんでゆくという… 語り手は、勉強をしなければどうにもならないと認識しているだけ立派だと思います(勉強していないやつは屑とまで言うのはどうかとは思いますが)。僕の場合はなんと(!)、勉強しなくてもそのうち胸の底から泉のようにインスピレーションが湧き出してくると、本気でそう思ってましたから(笑)(笑) 幸いいまは、たとえば素敵な彼女がいてアマチュア詩人なのと、世界的に大詩人(小説家)でしかし彼女はいない―この2つで憧れるのは寸分の迷いもなく前者と、そう言い切れる程度には"治癒"してきています(笑) じゃあ大詩人で彼女もいるのはどうなのかと言われると、苦笑いすることになってしまうのですが、徐々にとはいえ大詩人(有名人)という部分を、あくまで「オマケ」だと捉える感覚を身に着けつつある気がしています(あるいはむしろ荷物になるかもとも)。 本当に、幸せの軸を見失わないことって大切だなあと。 空気を読まない自分語りをしてしまい、申し訳ありません(汗) (阿q外伝)

2024-07-21

すいません、最後一行、ミスです(汗) (満月にむけて)

2024-07-21

思い出せない理由さえわからないという、遠さ。それだけに一層、語り手の切なる想いは夜に満ちているようです。 時計の針と重なった折、仄かにその音が聴こえている。仄かな仄かな音。より一層の静寂を感じる中、あなたは遠のいてしまったというのに、さらに時は進んでしまう…そんな語り手のやるせない(2回目の)ため息が聴こえてきそうな詩ですね。 意図されたところと違ったなら、申し訳ないです。 夜の中から囁いた言葉とは、 (満月にむけて)

2024-07-21

誰もが感じているようなことを繊細に美しく書いたような詩が好きで、また僕もそんな詩を目指しています(まったく達成できてませんが)。その背景には、僕が凡庸な人間だという事実に、そして人の心に優劣なんてないと信じたい気持ちがあります。ほとんどの人が感じない独特な感性、あるいは重い感性>ふつうの感性、という等式を信じてないというか。そんななか読ませていただいたこともあり、驚きは大きかったです。 不幸になってこそ良い詩が書ける…なんという発想でしょう。これを大真面目に受け止めれば、それこそ人生を犠牲にして詩を書くことにもなりかねない。いやいや、そもそも詩を書くのは幸せになるためなんじゃないの?と言いたい僕はおめでたすぎるのでしょうか。 文学者の悲劇についてですが、芥川は、歯車等読んでもいないのに言うのもなんですが、あくまで評価が高いのは初期の頃ではなかったでしょうか?ただ太宰は亡くなる前まで名作を発表していたと思うのであれなんですが、やっぱり心が健康な方が脳も健康で、しなやかな発想だったり硬質に論理を詰める力も強い、よって作品も優れたものが多くなる、だからみんなハッピーになろう!…みたいに考えたいですね、僕は(笑) 悩みが作品に深みを与えるということがないはずはないですが、悩まなくてもいい作品は書けると思うし、なんならハッピーな作品を書けばいいんじゃないでしょうか。それにやっぱり、あまりに悩みや不幸、業といったものに深みを見出す風潮は、それらに浸る自分は格好良い、みたいな価値観に繋がりかねないですよね。 深みにハマっても仕方ないから抑圧したり気を紛らわせたりしてしまえばいいと言いたいわけじゃないんですが、ただ悩むにも作法というものがあるはずで、ギョッとする人も見えるかもしれないけれど、それこそ「正しい悩み方(とその乗り超え方)」というものがあるはずで。だからこそ、事実として心理療法なんかもある程度パターン化されているのだろうと思うのですが、その枠内で、それこそ病み抜け方にそれが現れるのと同じような意味合いにおいて、個性ってやつを追求していけばいいのではないかなあと。そんな風に生きるというのが、言い切ってしまいたいのですが、「より良き生」なのではないでしょうか。 枠なんて知らない、いやそもそも病み抜けようとしてないし、みたいな態度は正直どうかと思います…と、こんなことを書けるのも、僕が健康だからかもしれませんが(汗) (詩が書けなくなってから)

2024-07-19

Side Story ―魂の妹― 孤独に悩みがちな僕も、彼女のことを思い出すと、自信が少し回復する。彼女も僕と同じように、職場で孤高を保っていたから。彼女は、僕が以前働いていた職場の同僚だった。 僕は彼女の、靴を靴箱に仕舞う折の所作がたまらなく好きだった。気のせいかもしれないけれど、というかまず気のせいだとは思うんだけど、なんだか僕にはその折彼女が、"誰か私の相手をして"と胸中に呟いているように見えていたのだ(その様が、切なくて可愛いくて仕方がなかった)。 別に彼女はキョロキョロしてたわけじゃない。むしろ逆に一点を見据えているかのように静的だった。でもそのトーンにはなんだか、虚ろとまでは言わないまでもたしかに、虚を見つめているような趣が仄かにあって、そして半ば無意識にそんな行動―周囲にそれとなくサインを送る―を取っても不思議でない程度には、彼女の雰囲気は幼かった。 まず声がそうだった(可愛いかった)。30を超えているというのに、声だけ聞けば中学生と間違ってしまうような声だった。そしてどこか抜けたところがあった。彼女が入社して間もない頃のこと。彼女は同じ作業場の2、3上の女性に、「これはこうすればいいの?」と、初対面にもかかわらずタメ口で言ったのだった。女性は「あ、ああ…」と苦笑いしてから、「そうですよ、そうすればいいんですよ」と半ばなだめるように言ったのだけど、他にもどこか女性にしては感情の幅が狭いようなところがあって、笑うべきところなのに無表情なんてこともあったし、なによりボケツッコミ的な会話をしているところを見たことがなかった(できなかったんだと思う)。 ここで最初に戻るのだけど、これらのほとんどは、まさに僕にも当てはまる特徴なのだった。ただタメ口に関してはビビリの僕には真似できないし(笑)、声も中学生とまでは言えないけれど。 昔からいつも他人とどこかでズレていたから、みなの輪に入れず孤立していた。そして―ありがちなことだけれど―そんな自分をどこかで特別視していた。といって幼い雰囲気があるからだろう、敬まわれるようなことはほとんどなかった。必然のように、自意識はこじれた。いまも、そんな自意識が完全に正常に(?)なったわけじゃないし、もうそんな自分をずっと抱えて生きていくしかないと開き直っていたりする。 そんな中、もう会うこともないだろうに、彼女も自分ってやつを特別視していたんじゃないかと思うと、この胸はなんだかゾクゾクするように高揚するのだ。もちろんそれは、そんな自分の似姿を彼女に見ることによる甘さから来ているのだとは思う。でも、それを差し引いても、幼声の天然タメ口ナルシストアラサーなんて、ちょっと可愛いすぎやしないか。 さんざん書いておいてなんだけど、僕は彼女とほとんど話したことがない。話したくて話したくって、仕方がなかったけれど。近いようで遠かったその距離感が、"魂の妹"的な幻想を抱かせるのかもしれない。ちなみに彼女は、僕の37年間の人生の中でも1番可愛いかった。それも、とびっきり。 (霜の翼を祈りに乗せて)

2024-07-18

After Story ―君という物語― 君を想い出すたび、高貴で透き通った何かとしか言いようのないものに、僕は包まれる。そうしてやはり僕はまた、"あの日、ベルクハイデには夢が降りしきっていた…"という一文をもって、語り始めたくなってしまう。 結局のところ、君のすべてはあの日に始まったのだし、そしてまた、遠のいてしまった黄昏時の夢見るいじらしいはにかみも、あの日から振り返られることにおいてこそ淡く、そしてこの胸の片隅をもしっとりと浸す絹のように繊細なのだ。 あの日君は素朴で快活な娘から、艷やかで物憂げな女へとその殻を脱いだ。それはたしかに1つの時代の終焉で、そしてそれは必然だったのだということ。その認識が君を、君という物語を、狂おしいまでに高貴にする。 君のいなくなったこの村は、すっかり侘しくなってしまった。でも僕はめげちゃいない。君という1人の女(ひと)と青春をともにしたという事実が、記憶があるかぎりこの胸は、雲に閉ざされたとて光を見失うことはない。あの日君が曇天の向こうに見ていた、朧ながらもたしかな何かを、胸に射し込む一条の夢を、僕もいつの日にか見出せたらと思う。 もうすぐ村には夏が来る。さらに艷やかになっているだろう君の半袖姿を、いま僕は猛烈に見たいと願っている(笑) (霜の翼を祈りに乗せて)

2024-07-18

スピンオフ散文詩―クマゼミと彼女― 「クマゼミが好きなの」と彼女が言ったときには驚いた。セミとはいえ一応"クマ"とついているし鳴き声もワシャワシャとけたたましく、それらは彼女の華奢な肩や小さく可憐な胸には似合ってないように思ったから。でも彼女が「クマクマクマ〜」とセミに唱和するように口ずさんだときには、もっと驚いた。というのもそのとき、"そうか、クマはクマでも子グマという発想もあるのか!"との認識に電撃のように打たれたからで、すると今度は真逆に、クマゼミと彼女の組み合わせがこれ以上ないほどにキマっていると思えてきて、僕はあたかも―そこは単に僕の家の庭だったのだけど―森の豊かさに囲まれているような気がしてきたものだった。豊かな森ではなく森の豊かさと書いたのはつまり、木々が鬱蒼と繁っている只中ではなく外れの辺りを庭に重ねていたからで、庭はいわば澄んだ大気の漂ってくる森の庭だった。切り株だってあった。そんなさなかで彼女の瞳がやや強い風に細められると、大地の緑も儚げに揺れて。可愛いくって愛おしくって仕方がなくなって僕は、見上げていた20cm背の低い子グマな彼女をむぎゅ〜っと抱きしめていた。「ちょ、ちょっと苦しいかも〜」と、彼女は照れ笑いをしながら。そのとき気付いたのだけど僕の背にはしっかりとそのか細い腕が回されていて、それは情熱を口ずさんでいた―という比喩がまさにふさわしいように彼女は、両手の親指を除く四本指を僕の背の上でバタバタさせていたのだった。なんだいユー、今度は庭をラテンの国にしちまうのかい?見上げれば空は抜けるように青い。「ラ、ラ、ラ、ラ、ラテンのくにぃ〜」と歌い(?)ながら、絹のような手指に岩のごとき手指を絡ませるほどに狂おしく彼女が、彼女が欲しくなってゆく。心なしかクマゼミたちのボルテージも上がっているようだ。ようやく僕にも夏が来た― (霜の翼を祈りに乗せて)

2024-07-17

哲学的な洞察からロマンティックな愛の希求へ―その接続が流れるようにスムーズで、説得力を感じました。 考えてみれば、名前は代替不可能で人称は代替可能。なら、みなが固有の名前を語るのが逆に自然なのではないか。そんなことに思いを馳せました。不思議です。 (なまえ)

2024-07-16

現実からの逃避と言いながら、語り手はおそらく他のほとんどの人よりも現実を眼差している―その事実がなんだか物哀しい気がしました。というのはそこから逆に、現実で大きな顔をしている人たちというのは現実というものを見ていない(目を逸らしている)鈍感な人たちなのでは?という疑念が立ち上がってきたからです。 (夏至)

2024-07-16

愛が溢れていて、いいですね!いやこの詩、そのまま現場で使えるんじゃないでしょうか(笑)難しい言葉を使わずに心動かすスピーチを作れるのはすごいと思いました。 (俺の代わり)

2024-07-16

全体のまぜあわせ、という表現が面白かったです。すべてのものが頭の中で不調和なまましっちゃかめっちゃかになっている、その感じが簡潔に表現されていると思いました。 (よるべなし)

2024-07-16

楽器や料理の方が勉強(理数系を除く)よりもよほど難しいと感じる僕からすれば、うらやましいかぎりです。 愛する資格のない人なんて、この世界には1人もいないと思いますよ。重い話で申し訳ないですが、そう心から信じれるか否かで、生きるということの持つ悦びの質っていうものは全然違ってくるんじゃないかと思うんですよね。 ベタですが、同性であれ異性であれ、対等で尊敬し合える関係の人と話をしているシーンを何度も思い出し、イメージトレーニングみたいにリアルに感じようとする―しょぼくれたようになってしまったら、僕はいつもそうして自尊心を回復しています(笑) (恋愛)

2024-07-16

面白かったです。聞いたのはほんの前のことのはずなのに、記憶ではなく思い出と言ってしまうところに詩情を感じました。200センチという数字に必然性のなさそうなところも面白いですね。 (酸っぱい音)

2024-07-16

キミとは恋人でしょうか。あるいは歌手でしょうか。歌手だとしたら面白いなと。キミなんて言う間柄じゃないのに、そこを親しげに呼んでいるその呼び方に、逆に途方もない親しみが表現されているように感じました。ちょっとドキッ゙とするような詩ですね。 (存在は偉大なんだ)

2024-07-16

昆虫の模写をした中学時代を思い出しました。上手い人はホントに上手くて、こんな細かいとこまでよく表現できるなと驚いてました。作者さんも、何気なく止まっているトンボをここまで観察できるなんてすごいです。きっと絵心のあるお方に違いないと、勝手に推測している次第です(笑) (トンボ)

2024-07-16

失礼ながら、言葉に詰まったのが凍ってしまったからというのも、涙が出ないのが凍ったからというのも、道化を演じるというほどの表現ではないと思うのですが、にもかかわらず道化だと決めつけてしまうところに、なにか突き抜けたものを感じます。読者からどう思われようが、道化と言ったら道化なんだ、みたいな(笑)その突き抜け方に、面白くないのに逆に笑いに誘われました。 (冬空の道化師)

2024-07-16

性欲なんてなきゃ、という箇所、面白かったです。誤読だったら申し訳ないですが、素敵な女の子と付き合ったり結婚したりするために成功したいのか、純粋に成功がしたいのか…分からなくなる気持ちはとてもよく分かる気がします(笑)純粋な疑問として、もしこの世界から女性がいなくなったなら、それでも男たちは夢を語るだろうか… (牙磨く誰か)

2024-07-16

淡々とした記述を読んでいくと、最後に甘酸っぱい恋の感情が出てくる。記述の作法と醸し出される雰囲気のギャップが面白かったです。あるいは語り手の鈍さが主題とも取れて、二重に楽しめ、なんだか得をした気分になりました(笑) (意地悪なリカ)

2024-07-16

愛や恋というのは、普通に考えても、理性と本能のミックスされたものと考えるのが妥当かと思います。以下推測ですが、作者もそのことは十分わかっていながら、それでもある種のドラマを引き起こすために、あえて2つを対立させたのではないでしょうか。個人的にはちょっと露悪的に過ぎると思いました。 (Young Girl Put Down Man Blues)

2024-07-16

>雨の日々、家々の屋根の濡れた様をじっと見つめた 濡れた屋根が美しいという発想はなかったので、とても新鮮でした。 でも、そう言われてみると美しく思えてくるから不思議です(笑) 遠いところに行ってしまったことで、逆にその人の存在感を感じることがあるとはよく言いますが、彼女の言葉にまずフォーカスして、そこから彼女という存在へと到るという流れも新鮮でした。 (「うつくしい」)

2024-07-16

「マック」が日常のいち風景として何の違和感もないことに気づかされました。健康意識の高まりにより絶対に行かないという人なんかも案外多そうで、実は僕もその1人なのですが、それでもこうしていち風景としてごく自然に飲み込んでしまうという不思議。やはり幼い頃から身の回りにあったからでしょうね。意識は撥ねつけているのに無意識は受け入れている。面白いです。 (朝の散歩)

2024-07-16

最後の一文、何気ないようで鋭いと思いました。というのは、僕たちの体験というのはつまるところすべて脳の中で生まれていることを思えば、"今をいきている"というのは文字通り真実だと思うからです。 でも、あるいはさらに強烈な生とすら言えるかもしれないと、音楽体験を振り返りながら。音楽の情動に訴えかけてくる力は圧倒的で、それがそこら辺の現実よりも現実感を連れてくるのでしょう。ちなみにそこから逆に、現実感には情動が大切だということが分かりますね。 なんだかサイエンスの話になってしまいました(笑) (好きな曲)

2024-07-16

ありがとうございます、そう言ってくださり本当にうれしいです。というのもつまるところ、それこそが僕の1番伝えたかったことだからです(笑)  おっしゃるとおり今回は、彼女の人となりについては、想像させると言えば聞こえはいいものの、つまるところ読み手に丸投げした格好ですよね。僕としては何よりも、幻想的で神秘的ですらあるような作品世界を―ひいては彼女を―強調したかったということがありましたが、そんな僕の中ではあるいは、具体的であることと幻想的であることは対立し合う2つである―そんな等式が存在していたのかもしれません。それは安易な思い込みだったのかもしれない。 とはいえ、2つのあいだに一筋縄ではいかない緊張があることは確かだと思います。A・O・Iさんへの返信で書かせてもらったことと似たような話になるのですが、作品を具体的かつ幻想的に構築するための諸々の塩梅というものについて、考え続けていければと思います。 しつこいようですが(笑)、とはいえこの作品はこの作品で、僕はやはりとても気に入っています。カチッとした1つの幻想に、彼女への想いというものをいわば託し切ることができた気がしているからです。その気持ちの部分を評価いただけたこと、光栄です。 (せめて君の涙が)

2024-07-11

実は砂金と金砂で迷ったのですが、なんとなくで砂金にした、という経緯があります(笑)考えてみれば、金の砂は砂に力点がある一方で、砂の金だと金が強調されたニュアンスがあるようです。1つ1つの言葉の持つイメージをよく考えてから書く癖を、徹底したいと思いました。 それにしても、自分では選び抜いた言葉を使ったつもりですが、メルモsアラガイsさんしかり、A・O・Iさんしかり、つまるところ安易だとの感想を抱かれたということを、重く受け止めたいと思います。 僕はリズムとイメージを大切にして書(描)きたいので、なるだけ短い表現でと思っていたのですが、それにしても膨らませ方が足りなかったのかもしれない…そんなことを思いました。あるいは短いなら短いで、より洗練された比喩を、ということですよね。 根が単純な人間で素朴な比喩がしっくりするということもあり、自分的には、そんな自分をありのままに出せた気がする詩ということで、この詩をやはりほんとうに気に入っているのですが(笑)、こういうスタンス(?)の作品ばかり書くのもな、やっぱりもっと言葉の冒険したいなー、とも感じていたので、背中を押していただけたようでうれしいです。 引き続き詩を書いていく中で、言葉とイメージやテンポ(音楽性)の兼ね合いというか、その塩梅みたいなものを追求していければと思います。 (せめて君の涙が)

2024-07-10

暖かい励ましのお言葉、感謝いたします! いえいえ、正直に思うところを語ってくださり、単純に自分以外の視点を感じることができただけでもありがたかったです。 なるほど、楽器ですか…ただ詩は方向性も自分で見出していかなければいけないところに、独特の難しさがあるような気がいたします。同じところをグルグル回っている気がすることもあります。ですがとりあえず(いま37なのですが)50(歳)までは精進してみようと、ちょうど最近決めたところだったんです(笑) 作品だけでなく評論も、というのは、やはり作品を深く読み込むためには必要なのでしょうね。とりあえず、(理解できる作品は正直少ない自分ではあるのですが)みなさんのコメントを精読する癖をつけようかなと思いました。 励みになります♪ (せめて君の涙が)

2024-07-10

僕は普段「詩人たちの小部屋」というサイトさんに詩を投稿させてもらっているのですが、そこではいいね!機能があり、発表すると(それなりの出来であれば)いいね!が貰えます。しかしここの投票とは違い、コメントせずとも書けるため、そしてコメントせずにいいね!だけする人が多いため、誰がいいね!してくれたのか分からないのです。いいね!くださる人には大変申し訳ない発想なのですが、僕はたまに、もしいいね!の送信者がAIだと分かったとしても、"そうなんだ"みたいに思うだけなんじゃないかと思うんですよね。 評価というものが数字という明確な指標で表される一方で、評価主体の人格というものは(人格への想像力というものは)限りなく希薄になってゆく。 こことてコメントくださる方は(少なくとも1つの作品にコメントくださる方は)ごく一部であることを思えば、似たりよったりなのかなあと。そんなサイバー空間あるあるが簡潔に活写されていると感じました。 それにしても、"行き着く先がどこであろうと"という箇所は意味深ですね。ネットで詩を書き続けて何になるんだろう…なんていう、ふとした折に包まれる疑念が甦りました(笑) しかし僕としては、最後の一行には抗いたい。詩を書くことはたしかに"曖昧な心象に酔って"いることかもしれません。でもその裏には、それをそこから汲み上げてくる場所としての、体験という名の確固とした水準があるはずです。そこをいわば拠り所とするような、溺れることなく(幻想的なものと)手を取り合っていると言えるような心のあり方はきっと存在すると、そう僕は思うのです。 (デジタルネイティブ)

2024-07-10

なるほど、そう読まれましたか(!) 僕としては、どの比喩にも必然性を感じながら書いたつもりなので、そう評されるのは意外でした。 ただ正直譲れない気持ちもあり(汗)とくに"砂金みたいな"という比喩はこの作品の肝だと考えていたりします。静かに歩みながら、砂金みたいな夢のかけらを(しっとりと)振り撒いてゆく―このイメージのいわば発展(=完成)として、空から壮麗に夢としての雪が降る(舞い落ちる雪に彼女は夢を託している)というシーンがある…そんな流れに、いわば賭けたつもりでした。 自然に振り撒いてしまう(零れてしまう)ほどの、内から溢れ出るほどに強い夢なのだけど、しかしそこは彼女のこと、その溢れ出し方も高貴そのもの―というわけです。 そして、夢であれ涙であれ、ともにそんな彼女の胸の内の高貴な発露であることに変わりはないという意味で、"「砂」金"と"流「砂」"を照応させてみました。あと細かいことかもしれませんが、そんな内→外、という流れから、今度は雪(外)を見ることで遥かなる夢が胸(内)に流れ込んでくる、という対比も楽しんでほしいですね(笑) "湧き出づる泉のように"は、彼女の瑞々しさを込めたつもりです。しかしここには同時に、えもいえぬ哀しさもまた漂っているーそんな印象を与える効果もあります。というのもラストシーンまで読んだ読み手は、もしかしたら「僕」は強がっていたのかな?と思うことになるだろうからです。というか僕としては、思ってください!、って祈りたい気分なんです(笑) (せめて君の涙が)

2024-07-09

ありがとうございます。コメントがないことの意味は、正直分かりかねたのですが(汗)、静けさというものが作品全体の重要なテーマであり、またラストシーンも、彼女の声が響くことでかえって静寂が強調されているとも読めると思うので、そんな作品世界にふさわしいコメントをしてくださったのかなと、勝手に思わせていただくことにします(笑) 彼女はほんとにほんとうにしとやかな女(ひと)で、彼女が歩いてくるだけで、僕はまるで世界が銀世界に変わったかのように錯覚したものでした。そんなわけでこの詩の故郷は、舞台装置というよりは、僕の体験した世界そのものという感覚で描きました。 (せめて君の涙が)

2024-07-09

ありがとうございます。そこまで褒めていただき恐縮です。 でもほんとう、"黄金のようにロマンティック"と表現していただけたこと、嬉しかったです。というのも僕自身、侘しさや空虚といったものと相性のよい哀しみという情を、ある種絢爛に表現できたことに、えもいえぬ悦びを感じていたからです。それは誇張でもなんでもなく、僕は他でもなく、どこまでも優美なものに全身が包まれるような、そんな哀しみをこそ感じていた次第です。 実はそんな哀しみを感じたのは彼女が初めてなのですが、それは彼女が僕の理想の女性そのものだったからかもしれないと、そんなことを思いました。 (せめて君の涙が)

2024-07-09

ありがとうごさいます。 この詩は、前の職場で一緒だった女性を思い出しながら書いたものです。現実には少し話をした程度だったのですが、胸の内では彼女とのロマンスに酔ってました(笑) 辛いことがあった折など、何度慰められたか分かりません。ちょっと抜けているけれど、とても柔らかい優しさのある女(ひと)―それが彼女でしたので、"優しい抒情詩"とのお言葉、嬉しかったです。その一方で、見向きもされない哀しさもひしひしと感じていました。 そんな彼女への想いを結晶させたいとずっと思っていたのですが、彼女の故郷への愛の前に僕の愛は逸らされてしまうという、ある種、現実との相似形とでも言うべきものを描けたことで、哀しい現実も少しは救われたのかなと思います。 (せめて君の涙が)

2024-07-09

科学的事実って、えてして具体的で無味乾燥なものですよね。ただ僕などはそんな事実を知ったとて、そのさらに上に目一杯の幻想を被せることで、結果として逆に幻想が強化される―そんな体験をした記憶があるのですが、やはり身も蓋もない事実の前に夢や幻想が萎んでしまう可能性というのは、常にある。あるいは日常というものも、淡々とした事実の生起の連なりだとも言え。それらに抗いたいからこそ、僕は詩を書いているのかもしれない―そんなことを考えさせていただきました。 (未知は素敵)

2024-07-06

小鳥のさえずり(聴覚)とそよ風(触覚)の等値が新鮮でした。思いつきそうで思いつかないものの、表現を見てみればすんなり腑に落ちる―そんな発想だと思います。 また"宿命の鐘"という表現には、ごく抽象的な事柄が、具体的で臨場感に溢れてすらいる表現―それもごく簡潔な―でパッと言い表されることによる快感といいますか、そんなものを感じました。冒頭から読み手の胸を掴む詩だと思いました。 (宿命)

2024-07-05

とはいえ一方で、人は暇になるとろくなことを考えない、ということも事実ですよね。だから結局はバランスなのかなあ、と。ワークライフバランス(笑) 僕はちょうど今、前職を辞めた後の無職の期間を経て、再び働き初めたところなのですが、神経を使うことや覚えることが多すぎて、最初の2、3日はヘトヘトで帰宅しても呆然とするばかりでしたが、最近は詩のことを考えるゆとりも出てきました。 機械のようにと言いますが、よく言えば無になっているとも言える。度を越さないかぎり単純作業も悪くないと、僕はそう思っています。 (失われたもの)

2024-07-05

婚礼

2022-12-07