心を失くした
心のようなものだった
心だと思っていたから
かわりに心になってあげた
裸になって
裸足になった
せつなくなって
よろしくと言った
はじまりはいつもびぎん
じっとしていた
発酵しだして
ヨーグルトになった
甘さが足りなくて
懐かしかった
いつもの朝
いつもみたいに
さびしかった
離れようと決めた
はじまりはやっぱりびぎん
ぼろぼろとこぼれた
別の理由だった
いきなりすっくと立ちあがったら
頭が危なかった
おかげでいろいろまざった
やさしかった
はじまりはどうしてもびぎん
で
責任持った
お金もあった
だけどひたすら黙っていたら
虫になって
ちょうちょになった
巡り会って
殴り合った
終わって待ってたら
ようやく見つかった
青い雨
赤い血
ただの肉だった
森へと育った
しょっぱかった
かなりしょっぱかった
駆け抜けた
何も持たずに
道なき道
胸をはずませ
会いに行った
私のかわりに
私のようなもの抱えて
置いていくと見せかけて
一緒に連れていく
だってこんなはじまり
びぎんに決まってるんだから
作品データ
コメント数 : 14
P V 数 : 975.2
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2024-11-07
コメント日時 2024-11-20
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:975.2
2024/11/21 21時12分53秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
なにもかもがえぶりしんぐだし まいにちがえぶりでいだし ってことはおわりはえんでぃんぐで はじまりはびぎん 言葉の奥には言葉の言葉とでもいうべきもうひとつの言葉があって 妻咲さんはそこまでアクセスしてポエムを書いてるなって思います うまいし奇妙です かわいいんだけどちょっとおそろしい かなしいんだけどなんかやさしい そういう二分法みたいな そういう詩学のベーシックがきちんとしてるなって思いました なによりオリジナルだからクリエイティブや・・・
1なんと天才詩人さんからコメントとは、今日はなんていい日だ。 この詩はもう3年くらい前に書いたもので、久しぶりに見つけて面白かったので投稿してみました。わかりやすい言葉だけを並べて何か響きだけのものを作れないかと。石のようなつむじ風のような、なるべく表現することを拒否しながら表現する、みたいなことをやってみたかったのでした。主人公も情景もない、感情だけがある、みたいな。あんまり話すとアレですけど。今の私だったらどんな書き方するだろう、なんてちょっと思いながら。詩のメインストリートからはちょっと離れたとこで書きたいという気持ちはあります。ありがとうございました。 あ、真面目に返しちゃった。
1読み逃ししてましたっ!でも「ええええええええええ、で、びぎんっていったい何何何??何だったんだろううう」リズムがいいし、妻咲さんも響きだけのものって仰ってるので、深掘りやめましたよー(深読みする読み手タイプでもないのでね)こーゆー偶然性心赴くままにってゆー感じいいですよねー
1ありがとうございます。「びぎん」って何だろう? 私も知りたい。読んだ人の頭の中にぷかぷかと浮かんで漂う「?」のマークを想像する楽しさ。どうぞ混乱してください。意地悪なくらい心地よいばかばかしさ。隙間産業なのです。
0BEGINとは「begin the beguine」コール、ポーターによるスタンダードの名曲。はじまりは西インド諸島にあるマルティニーク島に伝わる舞曲ですね。もちろんこの詩とは関係ありません。笑 こころの葛藤から喪失感が言葉によって動きまわる。という点では同じく言葉の舞踏と言えるかも知れない。人の感情というものはその人によって様々な解釈もあり、良いと思って手を差し伸べたことが徒になることもあり、またその逆も。否定の否定はまた肯定でもあり、はじまりのはじまりも同じように終わりのはじまりでもある。という諺を高度に意識したような文章表現方法としてのお遊びでしょうね。
1↑ あ、もちろんおもしろくて刺激もいただきました。
1↑ごめんなさい手がすべった。 確かに、はじまりとか言ってる割に終わろう終わろうとしているように見えますね。始まりは実は終わりの別命で、だから、びぎん、という形だけの名前を与えられた。始まりは本当は終わりなのに、びぎん、と呼ばれる度に始まりを演じなければならない。だから哀しい存在なのです。 ちなみにビギンザビギンは私にはどうしてもフリオイグレシアスのカバーの印象が強いです。流行ってた当時、フリオは朝食を毎朝航空便で五千万円もかけて取り寄せていたというとんでもない噂があって、許せないと思ったものです。 ありがとうございました。
0しょっぱくても何があってもびぎん、という掛け声か、言葉と二人三脚して生きる人の詩を感じて親近感を感じてます。
1そんな言うほどちゃんと深いとこまで考えて書いた詩ではないので、勿体ないくらいに好意的な読みをしていただいてなんだか申し訳ないような、でもありがとうございます。二人三脚は無事ゴール出来たようです。次はパン食い競争です。でもパン食い競争ってリアルでは見たことないなー。誰が何のために考えたのか。
1私が思うにこれは 「始まりはいつも雨」 というASKAのソロヒットナンバーを文字ったものだと思います。ひらがなで書くと、昭和を感じます。 シュールと切なさと、感覚的な物語なんだけど、この文章の心地よさに身を任せて素直に涙を流せばいいのかなと思いました。 妻咲さんを私は最初男性だと間違えて覚えていたのですが、女性には珍しい言葉のひねりと屈折がある。それでいて年齢を経た上での完成度の高さも感じるので凄いと思います。面白い人は貧乏や非モテなど満たされなかったなにかを想像で埋めていくようなところがあると思う。妻咲さんの作品は昭和の匂いがしながらも、その仄かな不幸の匂いを感じます。 不景気と言われていますが、夢のない時代なのは、薄利多売商品で育った人達が物足りなきを実感出来なくなってしまったからだと思うのです。欠落を自覚出来た人が書く詩はこれだけ説得力があるもの。 詩の中にしっかりとしたファンタジーがある。作品の中で夢を叶えている。この想像力と筆力は言葉のセンス完成度も含めて凄いと思います。
1ありがとうございます。さすが鋭い読みですね。そうなんです、私はよく男性と間違われるんですが、れっきとしたスーパーウルトラ美少女であり、なおかつ今流行りのトランスジェンダー。美少女でもあると同時におじさんでもあるのです。なのでひねりとねじりと屈折と回転まであります。 令和はもうおしまい、これからの時代は昭和です。三種の神器を手に入れて、日本列島大改造。金はなくとも愛がある、恋はいつでも夢芝居。 ファンタジーならお任せください。豊かな想像であなたのそのハート釘付けマリリン、筆力はないけれど握力なら自信があります。わかっちゃいるけどやめられない、とまらないのはかっぱえびせん。
2語り口のマジックが散りばめられている。糸井重里か妻咲邦香さんか、ってな具合ですね。
1ありがとうございます。糸井重里といえば最近は何かと炎上してるイメージですが、かつては「あるとしか言えない」からの「我々はここに敗北を宣言する」への素晴らしい展開がありまして、当時はこの人なんでこんな仕事してんだろう?と。まさにTVの国からキラキラでしたね。
0