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拙評「匿名投稿『葉舟』読解一例」改作報告
上記を批評対象として7月に投稿した6月分推薦文を、B-REVIEWでの合評を踏まえて改作(新解なので改訂とは言えない)しましたので、下記に報告いたします。 ●拙評「投射、複合(complex)。田邊容『葉舟』」(以下新解) https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html ・上記初稿「匿名投稿『葉舟』読解一例」(以下旧解) https://www.breview.org/keijiban/?id=13139 ●読解本文 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html#FACE 旧解とは内容のまったく異なる新解です。旧解がかまけた聖書引用と精神分析を排し、作品の表現そのものの意義を端的に説明するよう努めました。結果的に、合評で拙評に不足していると指摘された「語り手の心情」を、十二分に説明できたと思っています。 ●鑑賞余録 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html#ADDITION 旧解がかまけた聖書引用と精神分析の集成です。合評で不評だった「父殺し」(現代文学の慣用表現)を「去勢不安」(フロイトの学術用語)と換言し、原理と意図がわかるように詳述したつもりですが、これでも納得できない人は多いでしょう。そのため配慮として「客観的な読解ではない」と断りはしたものの、わたし自身はこれも妥当な一読解だと思っています。 ●附記 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html#PREFACE コメント欄で物議を醸し選評にも指摘された、間テクスト性に関する私見です。結論として『葉舟』拙解に間テクスト性分析は不要でしたが、外部からの刺戟は必要でした。ひとたび自己完結した読解を、自力で覆すのは困難です。先日たまたま夫が観ていたアニメ『ぼくらの』の「カナを産んでお母さんは死んだ」というようなモノローグをたまたま聞かなければ、今回の新解はなかったでしょう。 ●附録 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html#POSTFACE B-REVIEWでおおいに盛り上がった『葉舟』合評の紹介です。引用は拙解に対する影響力の特に強いものに限りましたが、『葉舟』および拙推薦文に寄せられたコメントはすべて拝見し熟考しました。鷹枕可さん、A・O・Iさん、ryinxさん、おまるたろうさん、黒髪さん、atsuchan69さん、takoyo2さん、メルモsアラガイsさん、スパムーチョさん、エイクピアさん、Molloyさん、田中恭平さん、吸収さん、みなさまと『葉舟』の合評をご一緒できた奇蹟を、おわすなら神に感謝します。 * ●ごらんでしたら、作者様へ わたしが上記の新解に至る経緯でもっとも悩まされたのが、「冒頭の亡母が語り手の実母であるのかないのか、文脈から客観的には断定できない」ことでした。拙解は3ヶ月の咀嚼を経て「語り手もそれを断定できていない」という結論に至りましたが、ここまで挑戦的な黙秘を歓迎する読者は(その典型例であるわたしが述べても説得力はありませんが)まれでしょう。この作風はあまりに高度で、評価を得るのが難しいかもしれません。それでもあえて茨の道を行かれるのなら、わたしはぜひ追いたいと思います。 * ●終わりに わたしが今回の『葉舟』新解に至るまで3ヶ月を要したように、読詩は一期一会では終わりません。附記で間テクスト性偏重の作例に挙げた『秋空の散文詩』拙評など、初見から10年の長考を経てようやく執筆に至りました。わたしにとってよい詩とは、この長い長い長い咀嚼に耐える詩です。語るべきときが来るまで脳裏に残りつづける「忘れがたい詩」です。
拙評「匿名投稿『葉舟』読解一例」改作報告 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 700.7
お気に入り数: 1
投票数 : 1
作成日時 2024-10-23
コメント日時 2024-11-10
批評文面白く読ませていただきました。そしてなんと!自分のへっぽこ読解も引用していただきありがとうございます。今見るとどうも誤読すぎるなあ(_ _;)とかなり感じるのですが、これからも詩的な読解を殺さずに行っていきたいとおもいます(むしろそれしかできないのですが!)この作品「葉舟」はとても複雑で巧妙であります、これから先何度読んでも色褪せない素晴らしいものだとおもいました。そしてこの批評文も含め作品として、何度でも読み返すことによって新しい見解が見えてくるものではないでしょうか
1A・O・Iさんごきげんよう。わたしはいま某の匿名投稿の鑑賞一例を、7聯から17聯まですっ飛ばさざるをえないほどに多忙です。そんなテキトーな代物であっても、投票期限内に投げないよりはましであるのが推薦文なのでして、そんな諸事情とは関係なく、長い長い長い咀嚼は続いてゆくのでした。さて『葉舟』評のお話です。 >これからも詩的な読解を殺さずに行っていきたいとおもいます(むしろそれしかできないのですが!) 記事にも書きましたが、A・O・Iさんの読解のなによりすばらしい点は、ご自身の詩才が反映しているところです。おそらくこのコメントにも、同じ詩才が顕現しているのです。詩作であれ読解であれ、やるからにはよりよいものを目指したいという意欲が、A・O・Iさんは図抜けていますね。 >今見るとどうも誤読すぎるなあ(_ _;)とかなり感じるのですが、 おりしも先日「誤読とはなんだね」問題を、尊敬する評者と話し合う機会に恵まれ、自分の読解の無自覚な構造について再考しているところです。ネット詩では(詩誌でも同人でも同じだと思うが)めったにないそのような機会に恵まれたのも、突き詰めればあの合評のおかげなのでして、ますますあの神回に感謝せねばなりません。 >この作品「葉舟」はとても複雑で巧妙であります、これから先何度読んでも色褪せない素晴らしいものだとおもいました。 あらためてそのような評価を伺えて幸甚です。詩評の果たすべき最大の役割は当然、目利きですからね。どこの権威の入落選も関係なく、わたしの記憶に残ったからには傑作と、ひとりでも多くの読者様に訴求できるよう精進したいものです。
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