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仮設
仮設 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1256.4
お気に入り数: 0
投票数 : 5
ポイント数 : 0
作成日時 2024-10-19
コメント日時 2024-11-05
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
#定型
1畏怖や祈りといった、自然なはずの情念を機械的に計算して、導かれた仮説を仮設した、そういった流れの詩かなと思いました。 そのキッカケは壁を登る虫を見たことによって。何かの比喩とも捉えられます。虫たちに何か強奪されかねない、という表現があるので。虫たちは何を祈って動いてるのか、というような疑問でしょうか。そう考えていくと途中で出てくる「手」は死をもたらす手のように思います。不条理な存在。 そんな「手」=死との境界に無限があると信じること、それが祈りなんでしょうか。畏怖ともしてるところにも納得がいきます。祈りと畏怖、生と死の紙一重。新しく描かれてるなと、面白く読みました。 あと、仮設としてるところから、まだ作者はこの仮説に疑問の余地があると思ってもいそうです。
1簡単な一言では表せない祈り。仮設と置かれたtitle。それだけで詳細として文面に残さなくても、読み手はその詩一篇に対しそれぞれの思いを抱けるものだと思った。煉瓦壁というのは燃え残った壁として、砂壁を渦巻く蟻地獄は津波でも土石流でも。畏怖 恐れおののくこと。ひとつのこたえを作者が提唱するのではなく。「小虫と、壁と、太陽と、手と」(命と隔たりと光と祈り)。この手でなにを見出すのか。良
1中沢さんはたびたび「子供」の詩を書きますよね。子供というのは、コントロールできないという意味では、半分以上は「自然」に属するものですが、おもうに「仮設」というのも、人がコントロールできないもの(=まさに自然)との共存するために必要とされるものですよね。幼稚園というのは、どんなに造りが立派でも「仮設」的であると思う。 子供とは何だろう?という問いがあって、柄谷行人なんかが論じてた記憶があります。内容は完全に忘れてしまいましたが...。子供は自己中心的で、大人になるとより相対的な観方ができるようになりますが、完全に自己中心から脱却できている人はじつは稀でしょう。いい年しても子供のようなネオテニーな大人(高齢者)も多い。しかしその一方で、子供が自己中心的なことには何か特別な、存在に関わる深い意味があるのだと思います。子供が自己中心的という意味では、動物にもそれは当てはまるでしょう。たしか馬セラピー?とかいうのもありますよね。脱中心化するのに、あえて牧場で動物と共生する云々。こういう営みも「仮説」的といえるといえばいえる。かなり脱線しましたが、この作品の優れているところは、徐々に視点が広がっていくことで自閉しない意思を感じさせるところあると思います。
1ナナオサカキの詩を思い出しました。
1お読みくださりありがとうございます。
1ナナオサカキという方を知る機会となりました。 お読みくださりありがとうございます。
0お読みくださりありがとうございます。解釈いただき嬉しく思います。 提示した仮設に解釈がなされることによって、仮設は翼を持って飛べるのかもしれないとさえ思います。
1この詩は使われている難解な語彙からして推論的意味合いを考察してしまうが、それだけに留まらない佳さを感じ取れてきます。この世界を自然界の対象としてみた宇宙感にも読め、それは直線や円運動といった三次元の立体的空間でもあり、限りない無数の計算式による時間や速度といった概念に対する四次元空間への挑戦でもある。 それは形而上学的観点から果ては形而下へと進む人類の思考回路はAiという機械の力を借りて歩みを止めることはない。 その仮説とは物質的な意味合いではまた「仮設」とも呼べることができる。素晴らしいですよ。何度も読み返しに耐えうる作品に仕上がっています。
1かっこいいですね!小虫視点の始まりが渋い。イメージの喚起をする文章が、すごい技術だと思います。 イメージの展開が、無限や論理式へと発展し、小さな世界と祈る心の並び立つ最終盤は、 かなりのアツさを感じさせます。こんなこと言えるんだな、詩って、と思って、とてもいいと思いました。
1コメントいただきありがとうございます。それぞれ思いを抱けると言っていただきありがとうございます。 詩そのものが何か、仮設的であると考えることもできるのかなと思います。
1過去作も含めお読みいただき、またコメントをいただきありがとうございます。ネオテニーということ自体、大人(成体)にのみ使われるからして、自己中心的ということの含む意味が子供と大人では確かに異なるのかもしれないと思います。完全にネオテニーから独立した「大人」でない限りあらゆる営みが即、仮設であると空想などしておりました。(そのような大人は、実はその定義から存在し得ないと考えます。)面白いコメントをいただきありがとうございました。
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