ゲーム機だけが
万能感を 与えてくれるような
そんな夜が続いているし
眠れないかといえば
眠れている方だから
人並みに文句が言いたい
というだけで
深夜にパソコンをかたかた叩くのは
夜行性の酸素たちの質にも
関わりそうだから
やはり
今後
なんらかの鳥になっておきたいなあ
とは思うのです
裏技の裏の裏に
社会の縮図があるのは
なんとなく理解したような気でいるが
いかんせん
六法全書は分厚すぎて
僕の生殖器がいくら尖ったとしても
穴が あきそうにない
でもまあ
知ったところで
僕は なまけものに育てられたからさ
本当だよ
君のあずかり知らぬところで
うごいていた事実だけど。
そういえば
同居している占い師にも言われたよ
「やっぱりあなたを占いたくない」
って。
同居しているといっても向こうが勝手に僕の
部屋に入ってきて居座ったわけで
「嗚呼 嗚呼
この部屋は本当に鬼門だらけ。」
緑茶が入った湯呑をうすく藤色がかる床に
一息つくたび おくたびに
「鬼門だらけやわあ。」
鬼門だらけやわあ
とか文句ばかりを初日から駄々漏らしていて
気をつかってはもらえませんか?
とは言ってみたのだが
俺がなまけものに育てられた事を知っている
からだろうか
相手にしちゃくれない。
(もしくは単になめられているだけかもしれ
ない。
学生時代からの性分というのはなかなか覆せ
ない。
それを覆すために人生の半分をつかわなくて
はならないから
いっそのこと
学生をやらないという方向でいくのもよかっ
たのではないかとも思うが
わたしを育ててくれたなまけものたちが
なにかをせめるような目でみてくるので
やっぱり行かざるをえなかったのかなあ。)
しかし
むしょくだった頃を
思い返してみれば なんでまたこんな色をし
て 働くのだろう とか思います
あのなにも見つめていないように
僕を見ているものたちは
本当に なまけもの だったのでしょうか
はたらきもの とか そういったものだった
のかもしれないよ と 僕の脳内相方が
蝋燭のゆうれい みたいに よぎりました
もともと なにだったのか
ふと わすれそうな時間に
無色と名前が見つからないようなはっきりし
ないような色とで
僕はまた点滅してしまいました
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 752.1
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-23
コメント日時 2024-09-26
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:752.1
2024/11/21 21時13分08秒現在
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今回縦書きを選択されたがそれに対する効果があまりないように感ずる。
1おはようございます。 「効果があまりない」とのご指摘、後学のためにも助かる御意見、ありがとうございます。 縦書き以外で作品を書いた事がないので、つい縦書きになってしまいました。 これを踏まえまして、様々な表現をこれからは修練していきたい、と思いました。 作品を読んでいただきありがとうございます。
0おそらく筆者には最後のコメントになるでしょう。もう既に完成されておられるほどの書き手、と云えるのはどなたが見てもわかりそうなので文句の付けようもないのです。 「なまけものたる」で伐るようにお題目を終えている、ということは故に、或いは由縁に、という内容で括られるのが読んでいくうちにわかり、内容もユニークで面白いですね。青十字さんには青十字さんの感じ方があるので、それはそれとして、わたしはこの縦書きに間という文体があってこそ活きるユニークな内容だと思う。これが横書きで一息に読ませる作りならば物語るで終わりそうな気配さえ感じられる。気の利いた選語に読み手を茶化した様子で~はぐらかそうはぐらかしてやろう~とする意図も内容から見えてくる。これは縦書きの妙、(間)という漫才師によって語られるような文体があってこそ活きてくるものだと思います。
0何色にも染まらない、正体不明のままでいる、という、なまけものの道に入るというのは、それなりの凄みがあるのではないかなと思うのですよね。自らなまけものを標榜していた金子光晴なんか、その履歴を知ると、愚かしくも凄まじい。どくろ杯とか、ねむれ巴里とか、まじでサイコーに面白いが。なまけものになるということは、じつのところ、出家みたいなところがないわけではない。 あと、「色」で、なんとなく思い出したのですが、ウクライナ侵攻の際、ずっとテレビにでずっぱりだった軍事評論家の高橋杉雄という人がいましたが、彼が防衛研究所に就職した時に、大学の恩師に「君も色がついたな」と言われたそうですね(もう大学のどこのポストもなくなっちゃったね、の意) 一方で、何かコミットするということは、なにかを捨て去ることでもあって、わかりやすい色の衣装を着ること。名前の通った普通の肩書があれば、それだけ生きやすい、という側面もある。 棒にぶらさがって、ずっと眠っているなまけものみたいに、つつがなく人生を過ごしたいのなら、なまけものになんかならないほうがいいに決まっている。とくにこの国では。さっさと何色かに染まって生きていけばいいのですけどね。 ほんと、なまけものって何なんでしょうね。
0おはようございます。 だいぶ好意的に読んでいただけたのだろうかと思い、恐縮です。 この先も作品を綴っていくのなら「完成」はなく、最後まで「道半ば」がいいなあなどと思ったりしている今日この頃であります。 作品、読んでいただきありがとうございます。
0おはようございます。 「ほんと、なまけものって何なんでしょうね。」 この感覚は、意識して作品のテーマにせずとも自分の書いたものに浮かびあがってきます。 生物学的にはっきりとカテゴライズされている「なまけもの」ではなく、遠くの方で手を振っている何者かというのは、遠近関係なく、「なんなの?」と思ってしまい、果たして我が双眸は、私に見られている対象の双眸は、何を感受しているのだろうか。 「色」がついているから安心しているのか? そもそも「色」が前途をぼやかす原因のひとつになっているのではないか? 占い師には禍々しいものしかそもそも見えず、「当たりそうな事」を言って、今日も飲む緑茶はどんな味がしているのだろうか? カテキンに何かあるのだろうか? 「ほんと、なまけものって何なんでしょうね。」 という言葉に、書いた僕自身改めてなんだろうなあと思いました。 「謎」が気になれば手や頭は暇を見つけては転がっていきますね。 作品、読んでいただきありがとうございます。
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